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第128回「アバウト・ア・ボーイ」

蝶の舌 監督…クリス&ポール・ウエイツ
脚本…クリス&ポール・ウエイツ他
撮影…レミ・アデファラシン
音楽…デーモン・ゴフ
キャスト…ヒュー・グラント、ニコラス・ホルト
トニ・コレット、レイチェル・ワイズ


2002年米・英ユニヴァーサル&スタジオ・カナル(配給UIP)/上映時間1時間40分

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ 今年に入ってから家族についての映画が大変に多いように思えけれど、『アバウト・ア・ボーイ』もある意味ではその一本だね。

B/ ただ他の映画とこの映画が違うのは、家族が最初からいなかったり、あるいはすでに壊れている人たちばかりが出てくるということね。 なにしろ独身貴族のヒュー・グラントが目をつけた女性がシングルペアレントの会のようなところにいる人だったから。そのほうが後々面倒 がないって。

J/ そうそう。そんな具合にこの映画の主人公はまったくもってとんでもない人物。いつもいつも女性と付き合うことばっかり考えている。

B/ しかも一度も仕事をしたことがないっていうとんでもない人物なのね。羨ましいような羨ましくないような。

J/ 亡くなった父親の遺産だけで食べているんだね。彼のお父さんはミュージシャンでかつて一曲だけ大ヒットを飛ばした人。その印税だけで 暮らしている。で、その曲っていうのはクリスマスソングだったものだから、毎年クリスマスのシーズンがくると、必ず流されるんで、 確実に印税も入ってくるというわけ。

B/ ヒュー・グラントがスーパーに入ると、「またこの曲が流れたか」って苦々しい顔をするのだけれども、考えてみればその瞬間にも彼の 懐にはお金が入ってきているようなものなの。

J/ 仕事もしなくてもいい、自分のことだけ考えていればいいといったような状況が彼をおのずから、軽薄にさせていったのだろうね。だか らちょっとでも付き合うと女性は彼の中身の薄さに気づいてしまい、すぐに逃げて行ってしまう。

B/ とってもイヤなやつなのね。いくらシングルマザーは後腐れがなさそうでいいなんて発見?をしたからって、そういう会にシングル・ファー ザーと偽って潜入していくなんて…普通そんなところでナンパなんてするかしら。サイテー!…なんだけれども、ヒュー・グラントが演じる と憎めないところがとっても不思議なところではあるのよね。

J/ なぜだかわからないけれど、感情移入できちゃうんだよ。普通じゃダメだと思うのだけれど。それどころか、ある部分ではこの人物に自分を 重ね合わせることができるところがこの映画の不思議なところなんだな。年齢が自分に近いということだけではない何かがあるような気が しているんだよ。

B/ みんなどこかで、彼のような感覚を持っているんじゃないかしら。

J/ 自分もまさに好きなCDやDVD、本に囲まれた生活にある程度の満足を得ているという共通項があることは確かだね。自分だけの世界と いうものがある。それを映画では「島」という表現を使っていたね。

B/ 妹夫婦の家にもたまには顔を出しておかなくては…なんて感覚は確かにわかるような部分があるわね。映画では、「コマ」という表現に なっていたけれど。今日はCDショップで2コマ、それでどこで1コマだけ裂いてみたいに。

J/ 「僕には、CDもある、何もある…」っていうセリフが印象に残ったな。その昔、たくさんの人が銭湯に行っていた時代、そこはおのずと 社交場になった。映画が最大の娯楽で、きっとそんなところで最近観た活劇の会話なども交わされたんだろう。とにかく出かけなくては ならないし、そこには必ず人づきあいというものも出てきたはず。ところが今は、家にいながらにして映画も観れるし、パソコンがあれ ば、ファンのホーム・ページにでも行って、ひとしきり好きなことを言って帰ってくればいいっていうわけで、確かに自分の島っていう のが、ますます居心地が良くなっているように思う。このセリフがそれを象徴しているような気がしたんだ。

B/ 島に、色々な娯楽があれば、確かに荒波を超えてまで外の大陸を求めて船出をしようっていう機会は減ってくるわよね。ヒュー・グラント ととは違うけれど、女性でも自分の仕事をしっかり持って、休みの日には自分の好きなことだけしてればいいっていう生活に慣れてくると、 よっぽどいい男でも現れない限り無理をしてまでも結婚なんかいいわって気持ちになってくる。この映画はこうした傾向に対する一応疑問 符のようなものなのかもしれないわね。

J/ そういえば、片岡義男さんが本の中でこんなことを言っていたよ。「手間、つまり具体的な直接性が無数に日常の周囲を埋めていたおかげ で、昔の人たちはさまざまなものとの正しい距離感を維持できた…すなわち栓をひねればお湯が出てきて自然に止まるという生活、そこに はもはや風呂桶で水を汲み、自分で焚いた火によってやがて湯になるという直接性がない。あるのは自分の都合だけ。そこに自分の都合だ けを申し立てる人が出てくる」と。

B/ 風呂ひとつ入るにしたって自分の好きなときに蛇口をひねるだけ。そりゃ、焚き木をくべてなんて労力がいったら、自分は後で適当に入る からなんて言えないものね。家族の間においてさえ、それぞれが島を持っているというのが現代なのね。

J/ ヒュー・グラントは実際に極端だけれども、こういうことだったらきっと誰にでも思い当たるところがあるんじゃないかな。だからこの 映画は、あんな人物でもあってもどこかに共感できてしまうんだと思うな。

B/ でも、ヒュー・グラントは実の親よりもあの寂しい子供のことがわかっていたみたいね。実の親はやっぱり自分の子供のことは一番自身が わかっているっていう自負のようなものがあるからなのかしら。思いこみが、子供を不幸にしていた。この映画ではその思い込みの最たる ところが、「ヒュー・グラントの家に自分の子がいつも上がりこんでいる」ことの理由に現れていた。中身は観ていない方のために、ちょ っと言えないのだけれど、あの誤解はとっても可笑しかったわよね。(笑)

J/ 皮肉なことに、自由きままに生きているヒュー・グラントのほうが、子供のことを理解していたっていうのが面白いね。彼は、一見冷たそ うなのだけれど、実は人の心の傷みがわかる人なんだな。わかるからこそ面倒臭くて、逆にちゃんとした大人の関係を築くことを避けてき たっていう気もしないでもないよね。

B/ 自分勝手でなんも考えていない一方、とても繊細という部分が見え隠れするというのは、微妙で、見かけより演技が難しいのじゃないかし ら。ヒュー・グラントはほとんど地なんじゃないかと思わせるほど自然に演じていて、見事だったわ。

J/ 男の子は子供の直感できっと彼の繊細さ、優しさの部分を見抜いたんじゃないかな。ピクニックでの自分の大失態をとてもシャレた方法 で解決してくれたという一点でね。

B/ 大人と子供といった上下関係をあまり感じさせないわよね。ああいう風に自然体で子供に接することができる人ってあんまりいないのじゃ ないかな。私はどちらかというと、子供と話をするときにどうしようって思っちゃう。テレビを観ているときもお互いにマイ・ペースで、 冷めたところが逆にとても温かくていい。

J/ それでいて、ここっていう時にはちゃんと大人として少年に温かい手を差し伸べているからね。彼らはお互いの関係でもって、少しずつ 心の扉を開いていくんだね。それで映画が終わる頃にはお互いちょっとだけ強くなっている。その辺りがとてもいい。

B/ 押し付けがましさがないのよね。「家族の崩壊」て大上段に構えて言うんじゃなくて、少年とヒュー・グラントを中心として、物語が進む 中で、家族を、あるいは、希薄になりつつある人間関係を一歩すすめてみませんかっていうニュアンスでもって、「島」に閉じこもったそ れぞれの個人の心をちょっとだけ開かせよう…そんな感じの映画なのね。その上品さがとても好き。

J/ あと、演出的にはこの映画は音楽が重要なポイントになっているね。

B/ ヒュー・グラントの父親が作ったというクリススマス・ソング。それと、少年の母親が好きな曲。このふたつが親子関係をつなぐひとつの メタファーになっているのね。どちらも彼らにとってはダサイっていう意味でも(笑)

J/ でもヒュー・グラントの場合はそれで食わせてもらっているんだから文句は言えないよね。(笑)

B/ ヒュー・グラントと少年は、親のそのダサイ曲を心の中に抱えているっていうことで共通点があるのね。少年が学校の上級の女の子に一目 を置かれるようになったのは、ヒュー・グラントがクリスマスプレゼントに贈ったCDがきっかけになっている。彼の音楽で、少年は救われ た。彼らの仲はある意味で音楽でつながっているのね。

J/ 少年とヒュー・グラントが自分の殻を破るには、親へのコンプレックスを消し去ることが必要だった。そのために、ふたりとも人前でその 曲を歌う必要があったんだろうと思うね。

B/ そしてそれが出来たとき、確かに彼らはちょっとだけ強くなれることができた。とっても面白いわね。

J/ 原作が誰かと思ったら、音楽オタクが主人公だった『ハイ・フィディリティ』を書いた人だったんだね。なるほどと納得してしまった。 あの映画よりもこちらのほうが断然良かったけれどね。

B/ あと、もうひとつこの映画で忘れてほしくないのは、『ヤング・フランケンシュタイン』よね。ジーン・ハックマンとモンスターが触れ合 うシーンがビデオで流れていて、ヒュー・グラントがいつもひとりで観ている…

J/ 違うよ!あれはオリジナルの『フランケンシュタインの花嫁』のほうだよ。(笑)

B/ いやーね、もちろん冗談よ(笑)…そうだともっと良かったっていう願望のようなものかしら…

J/ 確かによく似ているけれどもね。でも冗談にしても本気にしちゃう人がいたら困るよ。

B/ この映画のシーンは、孤独なモンスターが逃げだしてきて、村はずれのある一軒の家を訪ねるというところ。家には盲目の男がいるのだけ れども、この男も実は孤独なひとり暮らしで友達がほしくてしようがなかった。

J/ そういえば、モンスターは男がひとりバイオリンを弾くその音楽の美しさに惹かれてこの家に足が向かっていったんだったよね。なんか そんなところにも『アバウト・ア・ボーイ』と共通点があるんだね。

B/ まさに音楽は人の心を癒すみたいな。

J/ モンスターはみんなから怖がられ、迫害を受けて逃げ回っているのだけれど、この男だけは盲目だったから、怖がられなかった。食事を ご馳走してくれ、葉巻に火をつけてくれたりと、最大限のもてなしをしてくれた。初めて人の優しさに触れたモンスターが感激のあまり 涙を流すんだね。オカルト映画とは思えないような感動的なシーン。

B/ ヒュー・グラントがいつもこの映画を家のテレビでひとりで観ていたというのは、実はどこかで人と触れ合いたいという深層心理のような ものがあったのかもしれないわね。

J/ 最後にも、この映画を観ているシーンが映るのだけれど、その周りには人がいて…。『フランケンシュタインの花嫁』使われ方がとても 良かったね。

B/ そうね。ある意味では現代の人たちっていうのは、「孤独なモンスター」なのかもしれないわね。そんな暗喩としても効いていたような 気がするわ。この映画のテーマがここに凝縮されているのね。いい映画だったわ。

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