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第127回「イン・ザ・ベッドルーム」

ベッドルーム 監督…トッド・フィールド
脚本…ロバート・フェスティンガー、トッド・フィールド
撮影…アントニオ・カルヴァッシュ
音楽…トーマス・ニューマン
キャスト…シシー・スペイセク、トム・ウィルキンソン
マリサ・トメイ、ニック・スタール、カレン・アレン


2001年/米・ユニヴァーサル、UIP配給/上映時間2時間11分

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ この映画はメイン州が舞台になっているのだけれど、実はこれがとても興味深いね。メイン州の海岸沿いキャッチフレーズは、「避暑用の フロリダ」お金持ちが別荘を持って、夏だけやってくるようなそんな街なんだね。

B/ キャメラがとっても綺麗だったわ。漁船でロブスターを取りに行くときの海。夕闇の迫る中、合唱をする人たちの丘からちらりと見える 海。朝の光り、昼の光、夕闇の光り。自然な色が印象的だったわ。森林あり漁港あり、自然がとも豊かというイメージが残ったわね。なる ほど「避暑用のフロリダ」ねぇ。

J/ メイン州を舞台にした映画っていうと、『サイダー・ハウス・ルール』『ホテル・ニューハンプシャー』『キャリー』なんてのがすぐ思い 浮かぶのだけれど、どれもなんかクセのある映画だよね。

B/ 普通の街の普通に見える住人たちの、ちょっと怖い物語ね。そういう意味ではこの映画もそうした部類に入るわね。ちょっと怖いどころじ ゃないのだけれど。

J/ この地方はニュー・イングランドって呼ばれているのを見ればわかる通り、非常にイギリスの移民たちが多いところなんだね。そしてここ は特にイギリスも南のほう、アガサ・クリスティの住んでいたデボン州とかその辺りのね。あの辺りは、フィッシャーマンズ・ランチとか いう海鮮料理とかがあるのだけれど、この映画の舞台なんかは、まさにロブスターの産地だし、その缶詰工場がどうも街で最も大きな会社 みたいなところがいかにも彼らの子孫といった感じがするんだ。

B/ そういえば、映画の主人公の家族の名前ファウラーは、イギリス南部に多い名前と言われているしね。おじいさんはロブスターの漁師をし ていた。そういう意味でも彼らは街の典型みたいな人たちなのね。イギリスの俳優トム・ウィルキンソンを使ったのも、彼が上手である ということ以上の意味があったのね。

J/ 原作者も、監督も実際ここに住んでいる人たちというんで、この辺のことは誰よりもよく知っている。それでこの映画では、実はこの舞台 っていうのが、物語に重要な役割を果たしているように思えるんだ。教会を中心に広がるいかにもニュー・イングランド風の白い家並み。 ワスプが中心の住民たち。ロブスター漁。静かで豊かな自然。およそ犯罪とは無縁のような街。

B/ この街ではごくごく平凡な一家、言いかえればいかにもニュー・イングランド風な家族。そんな幸せを絵に描いたような風景の裏にあるも のをひっぺがしていくような怖さがあるのね。そういう意味でもこの風景が、ひとつの主役になっているような気もするのね。

J/ バーベキューのシーンでは、息子の恋人マリサ・トメイがとても目立っている。「なんかピチピチしていていいね。僕がもうちょっと若か ったらね」なんて他愛のない会話が交わされている。彼女はどこかラテンの香りがする女なんだね。旦那と別れて息子たちをひとりで育て ているのだけれど、苦労してますっていうんじゃなくて、明るくて開放感があるような人。それでそんな会話が出てきた。

B/ 心配しているのは母親シシー・スペイセクのほう。息子はまだ大学に通う身。いくら息子に「ひと夏の恋だ」と言われたところで不安は ぬぐいされない。相手は子供もいるし、ずいぶん年も上、その上彼女の別れた暴力夫の存在も気になるのね。

J/ 彼らは、母親がコーラスの教師、父親がお医者さん、息子も建築家になる勉強を大学でしているという家族。お互いに相手に遠慮して本心 を見せないところで平和を保っているような家族なんだな。特に父親と息子がね。それに引き換え、マリサ・トメイは、もっとオープンに なんでも言えるようなタイプの女性。魅力的だし決して悪い人ではないのだけれど、それはあたかも静かな水面に、石が投げられたくらい の違和感はある。

B/ 自分の意志とは無関係なところで不幸を呼ぶような女なのね。それで案の定彼女の暴力夫が戻ってきて、息子はその男に殴られて、ひどい 怪我をして家に帰ってくる。ここでの家族それぞれの行動が実はとっても興味深いわね。

J/ 彼女と別れるように懇願する母。大学を一年留年して、漁師のアルバイトをしながら彼女と暮らしてみたいという気持ちと、それとも別れ たほうがいいのか心揺れ動く息子。これには暴力を受けたショックも多分にあって、自分自身が彼女の問題を背負えきれるかといった現実 とも向き合わざるを得なかったこともあるかと思う。

B/ 一方、息子ももう大人だし、もてることはいいじゃないかって、気楽なお父さんね。彼は妻が懇願するのにも、まるで動じる気配さえない のね。でも暴力を受けたことのショックはあっても、この家族に共通するのは、警察沙汰ということではなくて、別れるにしろ、付き合う にしろ何か穏便にすませる方法があるのじゃないかと考えているところなのね。

J/ 思えば、この家族は家庭内においてさえ、なんかそんな秩序で動いているような気もするんだな。

B/ 何事も穏便に済ませようとする人たち。もちろん知的だし、穏やかで好感は持てる人たちなのだけれども。でもそうした中に入ってきた彼 女が、どちらかというと流されながら生きてくようなタイプだったこと、これが実は悲劇になってしまったのね。

J/ そうだよね。夫と別れたとはいいながら、どう考えても夫の両親(実は地元の名士なのだけれど)に買ってもらったとしか思えない家に住 みつづけているところ。所詮今の彼とは歳も違うし、元夫が危険過ぎる。いずれは別れたほうが彼のためにもなるとは分かりつつも、どこ かで別の淡い期待をしてしまうところね。まったくけじめがつけられてないんだね。

B/ この家族と彼女の組み合わせからはなんの解決も期待はできそうにない。そんな感じはあったのね。

J/ 息子は、彼女と真剣に別れようと考える。ただ後押しがほしくて、父親のアドバイスを受けようとするのだけれど、残念なことに父親は、 答えを出すことをしなかった。いつもの通りの優しい父親ではあるのだけれど、その重大さがわからなかったこと。実はこれも悲劇を 呼ぶひとつの原因になってしまう。

B/ もちろんそれはワン・オブ・ゼムで、こういう時にはもしあの時ああだったらっていうことがいくつも重なりあっているものなのだけれ どもね。この映画はそういったところがとっても細かいのね。こういう積み重ねの描写に退屈してしまったら、この映画はもうダメって ことになってしまうわね。

J/ そう、積み重ね。悲劇の前と悲劇の後、この違いがその積み重ねのおかげで生きてくるんだね。例えば、仲間たちとのポーカーゲーム。 ひとりで行くロブスター漁。いつも行く食堂。なるべく考えないようにしようと、仕事に集中しようとしているのに、ふとした瞬間に 思い出が噴出してきてしまう。いつもは、医院を抜け出して、お昼を食べにいっていたのに、どうしてもこもってしまう。

B/ そんなとき、手を差し伸べる友人たちがとても優しい。「嫌いな親戚に遊びにきてほしくないから、うちに来て助けてくれよ」なんてね。 でもものすごく気を遣っているのだけれども、ポロッと相手を傷つけるようなことを言って気まずくなってしまったりと、ピリピリした ところが良く出ているのね。

J/ 帰りの車の中のふたつの家族。橋に差し掛かると、小屋から男が出てきて、橋を道路とつなげるために橋の中央のハンドルを回している。 なかなか通れるようにならない。会話もなく、それを待っているその車中の空気の居心地の悪さがこれで増幅されてる気がするね。この橋 は、もう一度後で出てきて、誠に心理的な効果が絶大だった。

B/ 友人たちとの間でもそんな緊張状態にあるから、いつしか夫婦はぶつかってしまう。出きるだけ日常を取り戻して、生活を取り戻さなけれ ばと、妻にも今までと変わりなく話しかける夫。それに対して、なぜ夫はこんなに平然としているのだろうと、それが信じられない妻。 夫は外で泣いている。妻はひとり家に閉じこもり、時をつぶしている。互いにショックの度合いは同じなのに、それに向き合う姿勢が違う のね。

J/ それでお互い不信感がどんどん深まっていく。息子の悲劇は相方の責任だって。会話がないからそんな深みに段々はまっていくんだね。 『息子の部屋』っていう映画では誰も悪くなかったところに行き場の持っていけなさがあった。ところがこの映画では悲劇が防げたので はといったところがあるだけに、自然に相手に非難が向かってしまう。

B/ 幸せだったはずの家族。これがこんなにもモロいものとは…。いったん崩れると、まるで見知らぬ他人同士が暮らしいてるような感じにな ってくるのね。

J/ ところが、ふとしたきっかけでふたりはついにぶつかる。息子に対してのそれぞれの接し方。「息子に理解があるようなフリして何もして こなかった父親」「息子のやることなすことにいちいち何か言わなければすまなかった。完璧を求め過ぎた母親」

B/ どちらも、思い当たる節がある。なぜ息子が母親には本当のことを言おうとしなかったか。なぜ息子は結局のところ父親を頼りにできな かったか。感情のないと思っていた夫の本心。本当は感情をぶつけてほしかった妻の本心。それでふたりは本来の自分を取り戻す。ここま でこなければわからなかったのがとてもつらいわね。今更どうにもならないから。

J/ 夫は、妻が犯人の男と何度も街でぶつかり、おびえていることを知る。明らかにその男には罪があるというのに、彼がのうのうと生活して いられるという、司法制度への不信。まったく力になろうとしない弁護士への不信。彼はついに爆発し、驚くべきラストへと突入していく。

B/ ああいう男が爆発したときっていうのは本当にとことん行っちゃうのって、なんだかわかるような気がするわね。その上、この夫婦の間に は、共犯関係のようなへんな連帯感が生まれている。彼らが怒りをぶつけたのは、犯人自身であり、さらに国の制度でもある。交わらなか ったふたりのベクトルがひとつになって、外に向かってまっすぐと進んでいくのね。

J/ ラスト仕事を終えたかのように、早朝にひとりベッド・ルームに戻ってくる夫。知らないふりをしていて、実は静かにひとり夫の帰りを待 ち、窓から彼の姿を見守っていた妻。落ち着き払ってお茶を入れにキッチンに行く妻。なんだか怖かったね。後味がうんと悪い。

B/ この映画は結局、ひとつの家族の崩壊の物語という以上にアメリカ自身の病といったことにまで思いがいたってしまうのね。到るところに 潜む暴力。何も助けてはくれない司法。なにが正義か…。キャメラが最後に静かに静かに、上に上昇していき、街を見下ろす。緑豊かな 静かな街の全景。こんな平和そうな街でこんな事件が起きるかという思いね。

J/ 本当に怖い映画だよね。ひとつひとつの心理描写が細かいから、この映画の結末も唐突のようでいて、意外と説得力がある。欲を言えば、 もうちょっと肩の力が抜けるような場面もほしいくらい、全編ピリピリしている。ブラックユーモアのようなもので包み込むような、余裕 のようなものが欲しいといえば欲しかった。けれども力作には違いない。

B/ 確かにいい映画とは思う。けれどもまあ、私はすっかり疲れてしまったわ。こうして話をしていても、ほら、もう肩がゴリゴリでしょ。

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