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第120回「がんばれ、リアム」

リアム 監督…スティーヴン・フリアーズ
脚本…ジミー・マクガヴァン(『GO NOW』)
撮影…アンドリュー・ダン(『英国万歳』)
音楽…ジョン・マーフィー(『スナッチ』)
キャスト…イアン・ハート、クレア・ハケット
ミーガン・バーンズ、アンソニー・ボロウズ、アン・リード


2000年英BBCフィルムズ(配給ザナドゥ)/上映時間1時間31分/ヴィスタ

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ これは、1930年代のリバプールが舞台の話。80年代が舞台の炭坑もの映画とは似ているようでいて、でもタイプの全く違う映画なん だよね。

B/ 映画のファースト・シーンは1930年代のニュー・イヤーズ・イヴなのね。パブでギネスを手に手に大人たちは、飲めや歌えの騒ぎ。同 じ造船所の労働者たち、人種とかそんなのは関係なく、新しい年がいい年になることを望んで、みんなでお祝いをしている。子供たちは、 その様子を窓越しに覗いて警官にしかられたりと、とっても微笑ましい風景。

J/ 新年を告げる船の汽笛が鳴り響くと、花火が一斉にあがってね。部屋の中からそれを見上げる子供たちの顔。港町らしさが出ていていいね。

B/ パプから家に帰ってきた大人たちが、子供たちの部屋の階下でまだ飲み足りぬと、歌を歌って騒いでいる。ひとりの女がアイルランドの民 謡を高らかに歌うのね。そうすると、もうひとりの女が「そんな歌を歌うんだったら、国に帰りな!」と今度はオレンジ党の歌を歌うから、 大変なことになってしまう。それまで、仲間意識で騒いでいた人たちが、この歌の違いだけで騒然としてしまうのね。幸せの中に出てきた ちょっとした綻び。

J/ オレンジ党とは、元々は、アイルランドのプロテスタント系特権階級が、その利益を守ろうとして組織された政治結社。アイルランドの ケルト民謡とは、全く相容れないものなんだよね。同じような労働者でありながら、一歩間違えば敵対関係になってしまう、そんな危さが ここにとてもよく出ているね。

B/ リアムはベッドの中で先ほど聴いたばかりのオレンジ党の歌を、口ずさんでしまう。子供にとっては、そんな歌の意味なんてわかるわけも ないからねぇ。大人たちがそれで喧嘩していたのが面白くって、それだけで口ずさんでしまうのね。ところが父親がやってきて、びっくり しちゃった。「おまえ、そんなプロテスタントの歌なんか二度と口にするんじゃないぞ」って。
実はここに、アイリッシュでもない、英国国教会派でもない、この家族の弱い立場がさりげなく出ているのよね。

J/ なんとも巧いファースト・シーンだよね。

B/ ちょっと、そのことの意味するものという点で、イギリスの中でのリヴァプールの特殊性というのを理解していたほうがいいかもしれない わね。

J/ リバプールっていうのは、ビートルズの出身地ということであまりにも有名な港町だよね。彼らもリンゴ以外のメンバーは確かアイリッシュ だよね。そのことは、アイルランドからの移民たちの玄関口ということを意味しているんじゃないかな。

B/ 80%は正解ね(笑)街の人口の3分の1が実はアイルランド移民という特殊な街なのね。この街の象徴は丘の上に立つふたつの大聖堂。ひ とつはカトリック教会のもの。ひとつは、もちろん英国国教会のもの。このふたつの教会は20世紀に入ってから、競うようにして建てら れたのね。一方の教会が全英一の広さを誇れば、一方の教会は、ステンドグラスの数は世界一と誇っているというから呆れたもの。 このふたつの教会が同じ丘の上に並んで建っている。これこそが、まさにリヴァプールなのね。こんな街は英国でも他にはありませんのよ。

J/ リアムの一家はカトリックに属していたよね。でもアイリッシュというわけでもない。これはどういうことなのだろう。

B/ リアム・サリヴァンは実はケルトの名前なのね。おそらく、彼らは何代か前の古い時代にアイルランドから渡ってきた人たちの子孫なので はないかしら。一般的には、アイリッシュはカソリック、英国人はプロテスタントなのだけれども、この一家は、生まれが英国なのにカソ リックという非常に珍しいパターンなのね。だから彼らはどこのコミュニティにも収まれないのよ。

J/ まさにそれこそが彼ら一家の悲劇なのだろうな。

B/ そして新しい年を迎え、小さな不安が、やがて大きな不安になってしまうのね。造船所の工場の閉鎖。失業。ところがこの映画では、あく までもまだ小学校に入っていくばくも経っていない、リアム少年の視点で物語が進んでくわね。なおかつ、カトリック教徒の子供たちにと っては、大切な儀式である初聖体に向かって物語りは進んでいく。そこがいいわね。

J/ それゆえに、深刻さの中にもどこかユーモアさえ漂っているね。宗教的な色彩が、厳しい話を少し中和している。またそれによって物語に 普遍性みたいなのが出てきているんだね。ちょっとそんなところ、昨年の傑作『蝶の舌』にも通じるようなところが、この映画にもあるよ うに思う。

B/ この映画では「罪」ということが、とても重要なテーマになっているわね。リアム少年の罪、(彼の場合は実際は罪でもなんでもないのだ けれど)彼のお姉さんの罪、そして父親の罪。これが積み重ねられていくのね。カトリックでは、罪は懺悔とお祈りによって救われるとい う考え方があるみたい。人間は生まれたときには純白である。それがどんどん悪いことを繰り返すうちに、真っ黒に汚れていくって映画の 中で言っていたわよね。

J/ これはある意味で性善説の考え方かもしれないね。彼ら家族がたどった罪の軌跡、けれども本当に罪のは、別のところにあるのじゃないか 。映画は、こんな風に「罪」というキー・ワードを常に観客に意識させながら進んで行くんだね。一見スケッチ風の話のすべてがそのこと で統一されているね。

B/ リアム少年が学校で教師や神父から、お説教をされるシーンが繰り返し出てくるのね。「悪いことほすると地獄の業火に焼かれるぞ」私た ちからすると、おどしみたいに見えるほど厳しい口調なのね。大人でもとってもコワイの。だからリアム少年が怖がらないはずがないのね。 帰宅途中の路地で見かける鍛冶屋さんが馬の蹄鉄をはめる作業にもビクビクしちゃって可愛そうなよう。

J/ 彼の無垢さは、緊張すると突然しゃべれなくなってしまうことにもよく現れているね。罪を犯したわけでもないのに、神父さんの言葉に ただただビビッてしまうんだ。その勘違いがとってもユーモラスで微笑ましく、この映画の救いになっているね。(後半悲劇を生む ことにもなってしまうのだけれど…)

B/ リアムのお姉さんテレサは、ユダヤ人の家庭に家政婦として働きに出るのね。そこで思わず嘘をついてしまう。「私はカトリック教徒じ ゃありません」って。彼女が知っている裕福な人とは国教会派の英国人。まさか、彼らがユダヤ人とは思わなかったのね。カトリックいう だけで、差別されたくない、そんな意識がそこに出ているのね。ここらがもうすでにリアム君とは違うところかもしれない。年相応の差別 意識といったものが出てきているのね。

J/ 丁度その家には同じ年頃の女の子がいるんだね。掃除をしていると、隣の部屋からピアノのレッスンをする音が聞こえてくる。彼女は一辺 でこの家に憧れてしまった。この家の奥様には、実は若い愛人がいた。時々やってきては、手紙を彼女に言付けたりするね。テレサは奥さ まのことがとっても好きだったもんで、ご主人に見つからないように機転を利かしたりする。だから奥様にもとっても好かれてね。自分の 娘の服を着させてやったり、とっても大事にしてくれるたんだ。彼女には差別されるっていう意識はあるけれど、差別するっていう意識は 全然なかったように思うね。

B/ 確かに彼女は「自分の母親と較べてなんて素敵なんだろう」本気でこう思ってしまうのね。テレサは最初、自分の素性を隠したがったにも 関わらず、相手のことはユダヤ人という意識はほとんどなかったのね。

J/ 後に、懺悔室で彼女は「不倫の手助けをしてお金をもらったこと、カトリックじゃないと嘘をついたこと」を罪として告白しているね。 でも彼女にとって、もっともつらかったのは、そんなことよりも、母親より奥様が素敵だと思ってしまったことだったのではないのかな。

B/ 親がユダヤ人を嫌っていることを知ったときから、父と母の両方を裏切ることができないという意識が強くなり、彼女はお手伝いさんを止 める決心をしたのね。「神父さんに辞めるように言われた」ということを理由として。その心根はやっぱり無垢なのよね。

J/ 彼らの両親がやっぱりいいからね。リアム少年が、吃音ぎみなのに、両親はまったくそのことを気にしていない。普通の子と同じように、 お使いを言いつけ、それを隠そうとしたりしない。子供たちもそれが分かっているんだね。

B/ そう。だからリアム君もとっても優しい子に育っている。両親がけんかをすると、いたたまれなくなって玄関口にうつむいて座ってる。け れども仲直りして2階に戻っていくと、それをとっても嬉しそうな表情で見上げている。そのシーンのいいこと。

J/ だからこそ、父親が貧しい中でどんどん荒んでいくのが見ていてとってもツライね。

B/ 最初のうちはまだ余裕があったのね。日雇いでもなんでもあるだろうって。仕事をくれなかった現場監督にツバをはいてやったって言って 家族で笑いあえるくらいのね。でも段々事情がわかるにつれ、追いこまれていく。自分がどこのコミュニティにも属していないことが、 明かになってくるのね。

J/ まず最初に当たるのがアイリッシュの人。自分は生まれたときからここに住んでいるのに、移民してきたやつらに職が回って、俺のところに は来ないんだっていう不満。それで一番親しかったアイルランド人一家とも仲たがいしてしまう。

B/ 彼の出自がケルトという点では、兄弟みたいなものなのだけれど、仕事がないという不平等感から途端に憎み始めるというのが、とっても 皮肉なのね。

J/ しかもどういうわけか、雇い主たる英国人同胞に向かずに弱い立場の人たちの方に恨みが向かっていってしまうんだね。これは人間の真理 かもしれれない。

B/ で次に恨みが向かうのは、ユダヤ人たち。やっぱり自分とは民族が違う余所者なのに、なんであいつらは裕福な暮らしをしているんだって、 ことになっちゃうのね。多数派ではなくて、どうしても少数派の人たちに矛先が向かってしまうのね。

J/ ついには、街角でタバコの吸殻を拾うところまでいってしまうね。チャップリンの映画でもこういうシーンがよくあるよね。プライドまで なくなってしまっている。そこまでくると、今度は怒りが自分の宗教のほうにまで向いていってしまう。家族のことも目に入らなくなって くるね。

B/ 息子のリアムの聖体式。それに着ていく晴れ着を買うためにユダヤ人にお金を借りた。教会は給料がなくても構わず寄付をせびりにくるし、 こんな儀式とやらで人の金を遣わせて…ユダヤ人をますます裕福にさせている。「キリスト教でユダヤが儲けているんだ。一体それがなん の助けになる」って。

J/ これをリアムの晴れの日に教会でやっちまう。可愛そうにリアム少年は、恥ずかしくって、恥ずかしくって、席から逃げ出した途端、卒倒 してしまう。もうここには、あの優しくて誇り高かった父親は存在していない。それでついに父親はファシストに走ってしまう。

B/ ユダヤ人の質屋のお店は彼らによって放火されてしまうのよね。全焼してしまったお店の奥に、リアムの晴れ着のために質に入れたばかり のテレサの黄色いドレスが半分焼け残って、風に揺れてヒラヒラしている。この空しさ。しかもこれは後のシーンを暗示しているのね。

J/ 地獄の業火に焼かれるっていうセリフが頻繁に出てきたけれど、実は業火はこの世にこそあったというね。

B/ ここまでくると、最初の新年を祝う場面がとっても生きてくるわよね。あんなに誇り高かった父親がなぜそうなっていったのか。あんな に楽しいときを過ごした仲間たちと、宗教や人種の違いで、なぜ仲たがいしていったか。それがとってもよくわかるのね。

J/ 父親の罪っていうのは、はっきりと形として、一生消すことの出来ない心の傷として残ってしまうので、救われることはないと思うけれど、 彼をそうさせてしまったのは、貧しさなんだね。

B/ そうなのね。結局差別っていうのは、貧しさから出てきているのね。貧しさこそが本当の罪。もし彼が失業しなかったら、ご近所のアイル ランド人の家族とは、相変わらず親しい付き合いをしていただろう…そのことに悲劇があるのね。

J/ 第二次大戦のドイツのナチスも、そういった背景でもって力をつけていった。今のアフガニスタンにしてもそう。貧しさが、悪をはびこら せる。「あなたの心の隙間をうめてさしあげます」って喪黒福造じゃないけれど。

B/ 確かに時代も場所も違うけれど、まさにいっしょね。そういった普遍性みたいなものがあるわね。

J/ この映画はあまりにも残酷な結末を迎えるのだけれど、ただ唯一の救いは、リアム少年だね。母親の髪を、あるいはお姉さんの髪を優しく 梳いてあげる彼の姿。彼に希望の灯がある。

B/ 人間は幼ければ善なのね。それが色々な社会の歪みや、そのことによってもたらされる不運、これによって変わっていく。罪がどんどん 大きくなっていってしまう。けれども生まれたときが善であるならば、そこに希望があるんじゃないか。あの少年の優しさは、そんな ことを言っているような気がするのね。とってもいい映画だと思うわ。

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