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第117回「ムッシュ・カステラの恋」

ムッシュ・カステラ 監督…アニエス・ジャウイ
脚本…アニエス・ジャウイ/ジャン=ピエール・バクリ
撮影…ロラン・ダイヤン
音楽…ジャン=シャルル・ジャレル
キャスト…ジャン=ピエール・バクリ、アンヌ・アルヴァロ
アニエス・ジャウイ


2000年フランス映画(配給:セテラ・インターナショナル)/上映時間1時間52分/シネマスコープ

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ 『ムッシュ・カステラの恋』、これもまたとってもフランス映画らしい映画でとっても良かったね。

B/ といっても、この映画はいかにもフランスといった景色が出てこないのよね。冒頭、車で移動するところなんか、工場街みたいなところを 通って行くくらいだもの。どこにでもある風景なのよ。

J/ 主人公のカステラ氏が英語のレッスンを受けているとき、飲んでいるのはいつもティーだしね。

B/ そうね。けれどもとってもフランス映画なのね。風景じゃないの。インテリアでもない。ドラマのエスプリにフランス映画らしさがある映 画なのね。

J/ タイトルは『ムッシュ・カステラの恋』だけれども、この映画なにもわざわざカステラ氏の老いらくの恋(笑)を描いたわけじゃござんせん。 カステラ氏と奥さん、カステラ氏と彼が恋する女優さん、カステラ氏の運転手さん、ボディ・ガード、バーのウエイトレスなどなど、色々 な人間がそれぞれに絡み合いながら物語を紡ぐ。その中から恋の行方とは別に見えてくるものがある。

B/ 模様が一見合わないような生地を組み合わせて、それが見事に調和する。またはその逆に一見合いそうなものがつまらなかったりと、そん なキルト織りのような物語なのね。

J/ デュビビエやルノワールの頃からのフランス映画の伝統みたいなのがこの映画の物語の中にも生きているようなね。

B/ 人は見かけでは判断できない。でも人ってその人の第一印象、これを結構引きずってしまうものなのね。この物語にはそんな偏見と、それ を打ち破るスリリングさがあるような気がする。

J/ 象徴的なのがカステラ氏のひげ。彼の英語の先生であこがれの女優でもある人の口から、偶然ひげのある人は嫌いと聞いてしまったカステ ラ氏が、思い切って自分のアイデンティテイにもなっているひげを落としちゃう。ところが誰にも気づいてもらえないだね。これが妙に おかしく哀しい。

B/ 自分では、自分のことをこうって思うところがあるじゃない。ところがそんなこだわりが、他人にとっては、まったく無意味であったりと か、そういうギャップってあるものよね。それがとってもよく出ているのね。

J/ いやー、今日はちょっと派手なネクタイしてきちゃってなんか言われるかなーなんて自意識過剰でいざ職場にいったら、誰も気づいてくれ ない。それどころか、「髪の毛寝癖がついているわよ」なんて笑われちゃったりして。案外そんなものなんだよな。(笑)あっ、これ自分の 体験談ってわけじゃないよ。

B/ どうかしらねー。(笑)でもそれくらい自分と他人の見方って違うものなのね。

J/ この映画っていうのは、そんなギャップについての悲喜劇なんだけれども、それぞれの人物描写がしっかりとしているから、それがクスク スッ以上のものになっているんだと思うな。

B/ カステラ氏と奥さんの関係にしても、会話の中で自然に出てくるものがある。例えばふたりで姪っ子さんかなにかのお芝居を見に行く場面。 楽屋前で姪っ子を向かえて、奥さんのほうは「とっても良かったわよ。でも出番が少なかったじゃない。いつも陰に隠れていてよく見えな かったけれど」って中身がどうこうじゃない話をしている。

J/ カステラ氏は、主演女優が自分の会社に以前紹介された英語の先生だったことに驚き、さらに彼女がその時とは別の顔でもって役を演じてい るのにひどく感動して、「いいお芝居だった」って中身についての話をしている。姪っ子にも彼女のどうだったという問いに一所懸命答えよ うとしているし、表面しか見ない奥さんとの違いがはっきりしている。

B/ 家のインテリアも壁紙も花柄で統一されていて、もう奥さんの趣味というのがよくわかるのね。カステラ氏は仕事一筋できていたのかもし れないわね。それときっとたたき上げの人って感じがするの。奥さんはどちらかというと、世間知らずの元お譲さんって感じ。もっとも 好きなものは、動物とインテリアとテレビの不倫ドラマだったりするから、決して上流のそれではないのだけれど。

J/ カステラ氏は、会社では、一流大学出の経営コンサルタントの部下の口調にいつもイライラしている。自分は無教養だから馬鹿にされているに違いないっ ていう風に思いこんでいるんだよね。コンプレックスを感じている。カステラさんいい人なんだけれど、この辺が限界なのかなぁという 感じがする。

B/ 片方が色眼鏡を持ってしまうと、いくら相手が近づこうとしても全く無駄になってしまうのね。カステラ氏の経営コンサルタントがそう。 彼は本当は一所懸命、カステラ氏に認められようと努力を重ねていた。でもそうすればそうするほど、言葉に慎重さが出てきて、それが いっそう彼をいらだたせる。カステラ氏の嫌味なインテリ面野郎って思い込みはますます強くなるってわけで。裏を返せば自分のコンプ レックスに他ならないのにね。

J/ さて、女優さんに恋しちゃったカステラさん。とてもじゃないけれどふたりは合いそうにない。彼女の仲間たちについてバーにいけば、 みんなから馬鹿にされちゃう。イプセンの『人形の家』はコメディだなんて言って、カステラ氏の無知をみんなしてからかったりする。 教養を鼻にかけていやらしいなんてものじゃない。

B/ でもそこは哀しいかな、何にも知らないカステラ氏は、自分がからかわれていることさえわからないのね。好きな女性が属している集団の 人たちに対しては、コンサルタント氏とは逆に本当にインテリ風を吹かされているのに、それが見えなかったというのが、皮肉なのよね。

J/ 恋した彼女が英語の先生だったというのが実はポイントなんだな。彼女の後にしたがって、英語の発音を真似するカステラ氏の姿ってどこか 、子供みたいになっている。で、実際にそんな風にして勉強している時はコンプレックスなんて吹っ飛んでたんじゃないかな。普段より素直 になっているような気がするね。

B/ 英語の詩を書いて、愛の告白みたいなのをするわよね。確かに母国語ではあんなに素直になれなかったろうなって思うのね。当然のように フラれてしまうのだけれど、ヤケを起こしてからの立ち直りが見事だった。開き直れたんでしょうね。いい意味で。そこから突然色々なも のが見えてくるというあたりとってもいいと思ったな。

J/ やっぱり、始めの一歩は自分がどこまで謙虚になれるかってことか。恥じをかくこと。これが出来なければダメということなんだろうね。

B/ 鮮やかな変化よね。象徴的なのは、自宅の寸分の隙もない、インテリアの中に初めて自分で選んだ絵を飾ったこと。果たしてその絵を本当 に気に入っていたかどうかは別として、なんだか結婚するにも流れに身をまかして人の薦めるままだったのかなっみたいなところのある人 が、自分自身で選んだっというところで大いなる自身を取り戻したってところがいいの。

J/ 回りの人たちを見回してみても、職業の違い、言いかえれば属している集団の違いで、カステラ氏のことを勝手に誤解してしまった舞台女 優。家庭の安定の中でカステラ氏をそれどころか、世の中すべて何も見なくなり、あげくの果ては犬のほうが人より大切になってしまった カステラ氏の奥さん。様々な要因でそれぞれが、自分の色眼鏡を持ってしまっている。

B/ 考えてみればその彼女たちが、何かに気づくのも、恥じをかくことに他ならないでしょう。自分を突き落とさないと、中々物っていうのは 見えてこないものなのね。言葉で言うのは簡単だけれど、難しいことなのね。

J/ カウンターの内側から世界を眺めていたバーの女性だけが、ただひとりカステラ氏のひげが無くなっているのに気づいたというのが、象徴 的で面白いね。

B/ そんな彼女だからこそ、今度は逆に見えすぎてしまって、動きがとれなくなってしまう。どこかで深入りするのを恐れているようなところ がある。彼女は言葉が多いけれど、その軽い言葉の中にはいつも防御線が入っているようなところがあるの。相手に簡単に期待してしまう 割に、次の瞬間見えてくる、失望する時が…。

J/ 彼女と恋仲になるカステラ氏のホディ・ガード。実は自分の限界が見えているのに、言葉で去勢を張って誤魔化している。このふたりが、 あと一歩というところで、結ばれないのもわかるような気がする。

B/ 誤解が解けて幸せになることもある。でもそれは両刃の刃で、失望感も伴っているもの。あのふたりは、それが怖くて前に進むことができ ない。お互いのことは多分理解しあっていたと思うのにね。もったいないけれど、フランス風に言えば、「セ・ラヴィ…これも人生」って。

J/ イプセンの『ヘッダ・ガブラー』ってお芝居が劇中劇で『エスター・カーンめざめの時』に続いて出てきたね。自殺で終わるこのドラマ。 そこから女の再生が始まるというあたり使われ方がとてもよく似ていた。同じ年に作られた映画なんでどっちが先ということはないのだ けれど、面白いと思った。

B/ 「死ぬ気になってやれば…」ひとつの象徴かもしれないわね。でもそんなことは、中々難しい。

J/ その点でこの映画のラストはとてもうまいんだね。その後がある。それまでカステラ氏の運転手が何度も自室で、吹くボー、ボー、ボーと いう単純な音だけのオーボエ。それがラストで楽団の演奏の中で、見事なハーモニーを生み出したというところで映画が終わるんだね。そ のことの意味。

B/ 人ってオーケストラの中のひとつひとつの楽器のようなもの。地味な楽器もあれば、派手なものもある。それが見事に調和した幸福な瞬間 というものがどんなものか。この映画にはそんな奇蹟を信じさせてくれるような幸福感があるのね。映画の中のエピソードのひとつひとつ が、このラスト・シーンによって完結したという感じ、見事でした。前向きでね。

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