J/
低予算の映画だけれど、とても洒落たタイトルで、映画はアイデアだなぁと、感心しちゃったね。
B/
あの時代のドイツ映画の美術、あんまり詳しいわけではないけれど、『メトロポリス』なんかに通じるような美術の雰囲気をタイトルバッ
クでちゃんと再現しているのね。ゴシックとアールデコが混ざり合ったみたいな。
J/
フリッツ・ラング、そしてこのF・W・ムルナウ、このふたりで1920年代ドイツ映画の黄金時代を築いた。ムルナウは、光と影、造形
的な美術のドイツ表現主義の映画を一歩進めて、そこにリアリズムを取りいれた人。ドイツ表現主義はセットにこだわったけれど、この人
はキャメラを外に出した人。そのリアリズムの追求が実は…っていう、この映画のアイデアが抜群に面白い。
B/
ファースト・シーンは、サイレント映画のスポークン・タイトルが再現されているし、アイリス・アウト、アイリス・イン(画面が丸く切
り取られて、小さくなっていって暗転する。暗転していた画面に丸く画面が現れ開かれていく)がさかんに使われているわね。
J/
ジョージ・ロイ・ヒルの『スティング』とか、メル・ブルックスの『サイレント・ムービー』とかでもやっているよね。それとムルナウの
『サンライズ』が下敷きになっているアキ・カウリスマキの『白い花びら』。この時代独特のものなんだよね。
B/
ファースト・シーンの「猫を撫でる女」のシーンは、オリジナルにそっくりで、よくまあやったなと。オリジナルを使っているのかと思っ
たら、そこからカラーになって撮影風景になるのがとっても鮮やかなのね。
J/
ある部分ではオリジナルを使っているんだろうね。あんまり良くできているから、どこがそうなのかよくわからないんだよね。
B/
ノスフェラトゥ役に選ばれたマックス・シュレックっていう役者さんは、実際のどころはどんな人だったの?
J/
なんかプログラムには、神秘の人のように書かれているけれど、主に舞台で活躍した人だったらしい。当時のドイツの舞台では、ドイツの
スタニスラフスキーといわれた演出家オットー・ブラームっていう人とかが活躍していた。一方ムルナウがリアリズムの映画『夜のプロム
ナード』という作品を作った時、その演出家が絶賛したとかいうことがあったので、その関連でノスフェラトゥ役に抜擢されたらしい。
B/
私は『ノスフェラトゥ』をスクリーンで観る機会があったのだけれど、彼は本当に気味悪かったわよ。私が観た上映会では、着色された画
面でなかった上に、音楽も弁士もないやつだったので、さらに気味の悪さが増していた。
J/
当時のサイレント映画は、この映画にも出てきたとおり役者の演技はオーバーだから、マックス・シュレックの役になりきる演技っていう
のがそれとの対称で余計に気味悪く見えたんだね。映画の中で「彼はスタニスラフスキー・システムの役者で」っていうセリフもチラッて
出てきたよね。
B/
マックス・シュレックが、飛んできた鳥だか虫だかを、素手で捕まえて食べてしまうシーン。どうもスタニスラフスキーっていうのは、日
常生活でも役になりきるらしい…でも彼ら映画のスタッフにとっては初めて見るものだったので、それで「ドイツの役者魂はすごい!」っ
ていう大変な誤解を生むことになるのね(笑)
J/
あそこで彼らはホンモノであることに気付いているべきだった(笑)
B/
でもね、その前にシュレックが言うドラキュラに関するコメントがあまりに感動的だったのよね。「昔は大勢の人を使っていたのに、今で
はひとり寂しく廃墟になった城に住みついて、孤独でこんなに惨めなことはない。憐れになってきた」と。そこまで役に入りこんでいるの
かと、一同感動した後だっただけに(笑)
J/
彼らには、シュレックがニーナの写真に見とれるのも演技だと感じてしまう。実は血が吸いたくて仕様がないだけだというのに(笑)
B/
リアリズムの行き付くところ…ブラックよねー。
J/
それって映画が常に抱えてきた命題でもあるんだよね。例えばイランの監督キアロスタミの映画『風がふくまま』では、主役の男と子供の会話を
撮るにあたって、自分が男に成り代わって子供と実際にしゃべったシーンを採用している。だから映画の中の男と子供の関係がそのまま
監督と子供の実際の関係になっている。時に子供を追いつめてみたりとかしていて、果たして映画だからといって、そこまで本当にやって
しまっていいのかどうかって問題になってくる。
B/
『エクソシスト』で悪魔の声をやった女優を狂気すれすれのところまで追いつめちゃったウィリアム・フリードキン監督か、そういう話は
絶えないわね。家が邪魔だって、病気の人も住んでいるというのに、家を取り壊しちゃった黒澤明監督とか。
J/
だからムルナウが『ノスフェラトゥ』を作るに当たって、本物の吸血鬼を探してきちゃったっていうのは、極端だけれど、案外素直には笑
えない部分があったりする。その辺の味がブラックなんだ。
B/
この間『ベン・ハー』のメイキングを観てて思ったの。「サイレント時代の『ベン・ハー』は当時は細かくデータを取ることがなかったの
で、何人怪我人が出たか、もしくは死人もでたか、今となってはわかりません」って。おおらかというかなんというか。だからムルナウが
主演女優の血を上げるから出演してくれって、吸血鬼と契約するのも当時だったらさもありなん。
J/
まさに悪魔との契約だよね。(笑)
B/
私は、この映画を観ていて、フランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示禄』を思い出しちゃった。ホンモノのナパーム弾を使って爆撃した
り、ホンモノの死体をジャングルに持ち込もうとしたり、段々行動がエスカレートしていくところ。
J/
ああ、そんなドキュメンタリー映画あったね。『ハート・オブ・ダークネス』死人が出ているのにカタカタとキャメラを回すマルコビッチ・
ムルナウの狂気。「誰かカットって行ってくれ!」コッポラのあの時の心境はまさにこんな感じだったのかもしれないね。
B/
それと『フィツカラルド』で、本当に山を切り開いて、船を人力で山に上げてしまったウェルナー・ヘルツォークの狂気。
J/
ヘルツォークって言えば、のちに『ノスフェラトゥ』をリメイクしているしね。さらに言えば、主演のクラウス・キンスキーと彼の関係は
まさにこの映画のようで、殺し合いを始めるんじゃないかっていうくらいいつもぶつかっていたらしいし。
B/
なんかこの映画本当に笑っていられなくなってきた。(笑)
J/
芸術家には常に悪魔からの誘惑がある…。この映画が優れているのは、そこを描いたことかもしれないね。ただ単にオマージュとか、ノス
タルジーとかパロディに終わっていないんだよね。
B/
まあ、逆に言えばコメディとしては真面目過ぎるかなっていう気もするけれど。私ね、いけないんだけれど、ムルナウの扮装を見ていて、
『ヤング・フランケンシュタイン』のジーン・ワイルダーを思い出してしまったの。だって同じようなゴーグルをしてるんですもの(笑)
メル・ブルックスが監督していたらなぁって…
J/
確かに(笑)科学的にリアリズムを追求しようとする監督がマッド・サイエンストと同じ扮装というのは皮肉だね。でもそう言われて見ると、
モンスターを慰めるフランケンシュタインと吸血鬼を慰めるムルナウってどこかだぶってくるところがある(笑)
B/
「フィルムに映らなければ君は存在しないんだ」ってことをムルナウが吸血鬼に言うわね。映画とはそんなもの。フィルムに映っていれば
そこに実際にはないものも、あるものも等しく存在するものになる。映画の本質かもしれないわね。
J/
ムルナウ監督はキャメラを森に持っていった。そこで自然に存在するものの中にある神秘、目には見えないものまでをもフィルムに焼きつ
けようとした。時にはトリックを使ってね。人間は実際には存在しないものなのに、それにおびえたり、あるいは神秘性を感じてしまったり
するところがある。彼はそれを存在あるものとして見せようとした人だったのだね。フィルムに映ればそれは存在するものだ。映画の精神
だと思うよ。
B/
まあ、そこまで考えて脚本も書かれているとは、凝りに凝った映画だわ。ちょっと肩がこらんでもないけれど。私的にはもっと吸血鬼君に
暴れてほしい気もしたわね。「プティン・オン・ザ・リッツ」でも歌って♪
J/
だからそれは『ヤング・フランケンシュタイン』だってー(笑)まったくもう。この映画はサイレントのクラシックの味がどんなものか、
当時の撮影がどんなものか、そういうのを知る上でもいい映画だと思うよ。僕はお勧めです。
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