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第102回「ショコラ」

chocolat 監督…ラッセ・ハレストレム
脚色…ロバート・ネルソン・ジェイコブズ(『ダイナソー』)
撮影…ロジャー・プラット(『永遠の愛に生きて』『フランケンシュタイン』)
音楽…レイチェル・ポートマン(『サイダーハウス・ルール』)
キャスト…ジュリエット・ビノッシュ、ジュディ・デンチ
ジョニー・デップ、レナ・オリン、アルフレッド・モリーナ他


2000年ミラマックス・フィルムズ(アスミックス・エース他配給)/上映時間2時間1分

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ 『ショコラ』はいかにもフランス風の可愛い屋根を持つ小さな田舎の村が舞台になっている。回りに田園風景が広がっていて、その中央の丘 にポツンと村が存在する、そんなところがこの物語の閉鎖的な雰囲気にとてもよくあっていると思うね。

B/ 1950年代の話というのだけれど、とてもそんな「新しい時代」には見えないわね。とても中世的な雰囲気を残している村で、それがと ても素敵だったわ。中央に教会と、領主の家があって、道がそこを中心に延び、家々が取り囲んでいる風景、村を一歩出れば緑が取り囲み 、まるで離れ小島になっているようなところがとても旧さを感じさせるのね。

J/ 自動車とかテレビとかの類がまったく出てこないからね。でもこの街の雰囲気ならそれも不自然ではない。今にもハメルーンの笛吹男が現 れてきそうな雰囲気さえあるからね。(笑)もっともこれはドイツの方の話だけれど。

B/ 実は映画では時代を特定させずに「昔、昔…」というところから始まっているのね。だから最初からお伽話的な雰囲気に包まれたようなと ころがあるのね。

J/ 村の中に入ってみると、なぜかフランスの色はあまり感じられないんだね。なんていうんだろう。昔子供の時に読んだ、どこかヨーロッパ のお伽話を思わせるようなところがある。小説はフランス的な雰囲気が豊かだったというから、映画では変えられてしまったのかもしれな いね。

B/ なにしろ、製作はアメリカ人、監督はデンマーク人、俳優はイギリス人が中心で言語も英語がしゃべられていて、国際色豊かだから。それ に街に流れてくる親子のほうが、フランス人という逆転現象になっているのね。これは意図的だわね。

J/ その辺が意見の分かれるところかもしれないけれど、僕はこれもなかなか面白いと思った。っていうのは物語が特定の舞台から離れることに よって、物語が世界のどこにでも通じる普遍性を持ってくると思うから。「ドリトル先生」を世界中の子供たちが読むのと同じようにね。 そういう狙いがあるんだよ。きっと。

B/ この映画の原作者はイギリス人の父親とフランス人の母親の間に生まれて、イギリスで少女時代を過ごし、フランスで夏休みを過ごした という人。その経験がずいぶんと物語に取り入れられているのかもしれない。フランス人とイギリス人はご存知の通り犬猿の仲で、そんな ふたつの文化のすれ違いを、膚で感じていたように思う。そんなところから出てきた物語とも言える。

J/ 映画では、イギリス人俳優も多いこともあってか、イギリス的な雰囲気も出ているよね。カフェはどちらかというと、パプみたいな雰囲気 だったし。というわけで、ヨーロッパ的ではあるけれども、やっぱりフランス的ではない。映画自体もハーフといったところなのかな。

B/ ラッセ・ハルストレム監督の映画は、どの映画も季節感というのが、物語の中でとても重要な役割を果たしていると思うのだけれど、この 映画もそういう意味での季節感がとてもよく出ていたわね。

J/ あの親子は北風と共にやってくるからね。

B/ 風が吹くことによって、先祖である南米のマヤ族の血を呼び覚まし、街から街へと移動している親子という設定は映画独自のものというこ とだけれど、それが大変効果的なのね。中世では異教徒イコール魔女になるのだけれど、この北風に赤いコートをなびかせて街に入ってく るイメージもどこか魔女を思わせるのね。

J/ 外の青白い空気の色、窓から覗くオレンジ色の光、真っ赤なフード付きのコート、この色のコントラストが綺麗だったね。その洋服の赤さ が特に鮮やかで、いかも街に異質の者が入ってきたということが明確に出てるんだよね。親子の到着と時同じくして、教会の重い扉が突然 開き、風がビューッと吹きこんでくる。慌ててレノ伯爵が扉を閉めに行くというシーンがいいね。象徴的だし、風が見えるようで、とても 映画的なんだよね。

B/ 原作では、親子の素性は明らかではないのだけれど、映画でそれを明らかにしたことは、映画が絵で具体的にイメージを見せなきゃいけな いことからきていると思うのね。例えば占いに使う異教徒的な円盤を見せたりとか。でもそれが確実に物語に膨らみを持たせることにもな っている。

J/ この映画は季節感が重要だっていったけれど、それは重要どころか物語の根幹になっているように思うね。

B/ そもそもこの親子が街に入ってくるのは、四旬節の始まりだものね。それも丁度断食の季節が始まることを告げる教会の牧師の説教の真っ 最中よね。

J/ これは荒野でキリストが40日間の悪魔からの誘惑に耐えたという、そのことにに思いをよせるための断食と言われている。それで一方 カカオ自体が古代メキシコのマヤ族にとっては、「神様の食べ物」だったのだから、まさに中世的な考えからすると、悪魔の食べ物とい うことになってしまう。よりによってねー。

B/ うーん、中世以来の伝統を守り続けているレノ伯爵が、チョコレートこそ悪魔の誘惑と考えたのも、うなずけるような気がしてくる。

J/ さらに言うとこの映画は復活祭で幕を閉じるのだけれど、そう考えると老女の誕生日の晩餐は、文字通り最後の晩餐と重なり、その日の夜 中、船が火事になるシーンはキリストの受難の日「受苦日」と重なってくるような気がしてくるんだよね。

B/ そこまで言えるのかどうかはわからないけれど、犠牲によって新たな善意が芽生え、それが街中を懐柔していくみたいなところはあるわよ ね。そういう意味では多分にキリスト教的な世界観の物語なのかもしれないわね。

J/ ただ、悪魔的なものが、あくまでもチョコレートということ、これが宗教臭さを取り除いてくれている。

B/ そうそう、レノ伯爵が誘惑に負けてしまうのも、チョコレートだからこそいい。あれだけの伝統に縛られ、妻にも逃げられたかたくなな男 が情にほだされて懐柔するというのはちょっと考えにくい。彼自身が別に悪い男というわけではなくて、自分なりの善意をやっているだけ に、善意にほだされてというのも考えにくい。でもチョコレートの魔力だったということになると、なんだか説得力といったものを超えて しまっている。お伽話的な説得力といったらいいのかしら。

J/ おいしいものを食べて人々が幸福になるといのは、どこか『バベットの晩餐会』を思い出すよね。やっぱり人間食に勝るものはない(笑)

B/ それにただのチョコレートじゃない。あの親子がマヤ族の子孫ということが、チョコレートをより神秘的な力を持つものにさせているのね。 心に効き目のある魔法が入っているかのような雰囲気はあのマヤ族の「儀式」を見せているからこそなのね。そこがミソ。

J/ まるで漢方薬で処方箋を書くかのような感じで、その人の心の状態にあったチョコレートを選んでいくんだね。お菓子に色々な意味がある。 お菓子のことはよくわからないけれど、作り手はその辺もよく研究しているように思えるよ。

B/ チョコレートの処方だけじゃなくて、人の心を読み、会話などで心を癒していくようなところは、どこか東洋医学に通じるようなところも あってね。まあ、イギリスで言えば、『修道士カドフェル』のハーブ園を思いだすけれど。(注:イギリスの中世を舞台にした人気の推理 サスペンスシリーズ、ハーブの力で病気を治し、人の悩みや事件までをも解決する修道士の物語)

J/ 実は、そういった細部があるからこそ、すべてがチョコレートで解決していくというところに、説得力が出てくる。お伽話的にという意味 だけれどもね。

B/ チョコレートを作る過程も細かいショットで見せていてね。本当においしそう!並べられたチョコレートも、『グリーン・フィンガーズ』 の庭園みたいに、ここは専門家にお任せしましたみたいな感じではなくて、スタッフが研究して実際に作ったみたいな実感があるのね。 そのへんの細やかさが、映画では本当は一番大切なことだと思うのね。

J/ だからかもしれないけれど、この映画を観ると、実際にチョコレートを食べたくなってきてしまう。手作りのチョコレートをお弁当箱に入 れて、映画館に足を運んでいる女性を見かけたけれど、これが実は一番幸せな映画の見方なのかもしれないよ。

B/ そうね。でもなんと言っても、この映画の魅力は癒される効果があるところだと思う。絶対に現実では、こうはいかない。それがチョコレ ートの魔力でもってかなっていってしまうところ。

J/ 人は、大抵どこかの集団に属して生きている、例えば職場とか、隣組や自治会みたいな中でね。それでその中では色々な葛藤があったりす るもの。はみ出してしまう人も必ずいる。映画みたいな精神、「他人歓迎」…どっかで聞いたセリフだな(笑)があって、なおかつこんなに うまくいったら、どんなにストレスは減ることだろうなんて、誰でもきっとあてはまると思うんだよね。

B/ 理不尽な習慣や規則にしばられることなしにね。お互いが寛容の精神を持っていたらね。

J/ ヴィアンヌのような自由な生き方って難しいね。勇気がとてもいることだから。

B/ 彼女がチョコレート・ショップをやって人々が幸せになっていく。夫婦は仲を取り戻し、暴力夫から逃れた妻は、自分の新しい生き方を観つ けていく。そのどれもがとても前向きなのが気持ちいいわね。

J/ しかし、人々に愛を与えた彼女自身もまた彼女の娘もジレンマを抱えているんだね。風が吹く頃、放浪の血が騒ぐというけれど、現実には もう彼女の生き方が裏目に出て、村や街を出なければいけなくなってくるということなんだね。 彼女の娘が架空の生き物といっしよに住んでいるというのは、そのジレンマが、無理な生き方がそういう形に現れてきている。

B/ 人に誠意を尽くすというのは、とても難しい。一所懸命その人のために、その人の立場になったつもりで、何かをしても次の瞬間には裏切 られてしまう。誠意は中々伝わりにくい。それが返ってくるなんて幸運はごく僅かで、それどころか逆にその人が離れていってしまうこと さえある。現実にはそんなもの。それでも人は誰かに何かをしてあげたくなるものなのね。この映画では、彼女の努力は必ず報われ、人が 幸せになる。そしてそんな彼らが、彼女のジレンマを逆に癒してくれた。それがファンタジーなのね。

J/ 現実にはそんなにうまくいかないよね。それどころか映画の中だってそんなにうまくはいかない(笑)ところが、この映画では全体にマジカ ルな雰囲気があるから、それがうまくいってしまう。せめて映画の中だけでもこんな気分を味わいたいってことってあるね。

B/ キリスト教的話を、特定の地域的話を、敢えてできる限り薄めようとしたこと。それが生きている。だから宗教とは縁もゆかりもない自分 たちでも、結構素直にこの物語が入りこんでくるのかもしれないわね。

J/ チョコレート・ショップは、戸が壊れていていつも風が入ってきている。それをジョニー・デップのジプシーが直して映画は終わる。架空 の動物が逃げていって、魂とも言うべきおばあさんの壷も壊れ、彼女たち親子はここに留まる決心をする。過去のジレンマと永訣し、それ に打ち勝った瞬間が見事に映像で語られる。そうすると、今まで何か不安なときに突然のごとく吹き始めた風は止む。それが春の訪れと 重なってくるというあたりも映画的で好きだな。

B/ もしかしたら、この映画のフィルムこそが『ショコラ』=マジックなのかもしれないわね。うまく物事がいかない時に観ると、映画の登場 人物みたいに、私たち観客が癒されるという意味でね。私はこういう映画も好きだなぁ。

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