England is hereの目次へ ホームへもどる Torquay… 「ミス・マープルがいっぱい!」 <トーキイ周辺> ロンドンのハディントン駅から列車でおよそ3時間半。 かつてポアロが『ABC殺人事件』で。ミス・マープルが、 『パディントン発4時50分』などで旅した道のりをそのままたどると、 クリスティの生まれ故郷トーキイに到着します。 英国の海岸線といえば、ドーヴァーの白い崖が有名ですが、 このあたりの海岸線は、鉄分が多く含まれているのか、 真っ赤な土が崖に剥き出しになっていて、また趣が違います。 列車から、このあたりの海岸をのぞくと、秋とはいえ、 まだヨットが数隻繰り出していて、夏の名残りを感じさせます。 <イギリスのリビエラ> トーキイは、かつて「イギリスのリビエラ」と呼ばれた、 由緒正しき保養地と聞いていましたが、実際到着してみると、 港には数え切れないほどのクルーザーが停泊していて、 その片鱗がいまだ残ってるようです。 海には夏の名残りを楽しもうとする海水浴客が、のんびりとひなたぼっこをしています。 さすがに気温が20度程度しかありませんので、泳いでいるのは元気のいい子供と 「犬」くらいのものではありましたが…。(笑) 客層は家族連れと、特にお年寄りの姿が多いのが、目につきます。 時々地元のちょっと切れた若者が、音楽をガンガン鳴らしながら、 車を走らせ、ナンバをしているあたりは、いずこも同じといったところでしょうか。 タクシーの運転手さんの話によると、それでもこの街はかつてに較べると だいぶ元気がなくなったということです。 ギリシアあたりに行ったほうが、為替の関係で、かえって安くあがる といった事情があるのです。それで若い人たちは海外に出かけ、 ここには(体力的に)海外へは行けないお年寄りと、 小さい子供を連れた家族連れが大半を占めるようになったというわけです。 ヨーロッパではまだまだポンドも強いんですね。 <アガサ・クリスティとトーキイ> アガサ・クリスティが生まれた頃のこの街は、それはそれは活気がありました。 全盛時には、イギリスのロイヤル・ファミリー、フランス、ロシアの皇帝一家が、 同時期にここに滞在していたこともあったというほどです。 クリスティの父親はアメリカで育ったためか、この賑やかで、 風光明媚なこの街を気に入り、アメリカで生活する計画など、 放ってさっさとここに家を買ってしまったほどでした。 海岸沿いを歩いていると、『アガサ・クリスティ自伝』に出てくる、 彼女の思い出の場所がそこここに見られます。 ローラー・スケートをしたという、<<プリンセス・ガーデン>> (←ちょっとクリックしてみてね)脇の歩道。 オペラを聴いたという、<<パビリオン>> (左上写真) 泳ぎにいった赤い砂浜……(一番上の写真)。 歩道では、やっぱり元気のいい若者よりも、のんびりと散歩するお年寄りの 姿のほうが目立っています。パビリオンは、今ではショッピング・センターに なっていて、お土産ものや、マッサージのお店、アクセサリー屋さんなど、 雑多な店が入っています。 中に入るとわずかに、その壮麗な天井の飾りが、かつての栄華を偲ばせます。 <やる気がなさそで、なさそな人々> 私たちは、とりあえず、プリンセス・ガーデンの側にある「海の家」風の食堂で 遅いランチ(あるいは夕食になるかもしれない)を取りました。 家族総出でやっているようなお店で、それほどはやっている風でもなく、 「トロピカル・アイランド」というお店の名前に合わせて、 南国風なイメージで飾り付けした店内が、なんだかかえって寂しかったです。 やる気があるんだか、ないんだか、まだ外も明るく人通りも あるというのに、しかも私たちがまだ食事中というのに、 とっとと店じまいの準備を始めたのには、驚きました。 やる気があるんだか、ないんだかということで言えば、 トーキイ・ミュージアム(右写真)には真に恐れ入りました。 観光コースのひとつとして取り上げられているというのに、 館員は年配のおじさんがふたりしかいません。 日曜日は午後の1時半から4時45分までやっているのですが、 観光バスのおじさんも、「いやー、日曜はやっていないんじゃないのー」 というくらい宣伝がまず行き届いていません。 ショップはかび臭いにおいがして、店員もいません。 私たちが入ってしばらくして、切符を切ったおじさんが面倒くさそうに入ってきました。 店内はアガサ・クリスティの古本や、お決まりのミュージアム・グッズがある他に、 小さなカフェ?があるのですが、言い訳程度にテーブルと椅子が2脚ずつ並べてあるだけで、 見た所メニューもなく、もう何年もそこに座った人がいないといった雰囲気です。 それなりの広さのあるミュージアムなのですが、私たちのほかにお客さんは、 2組しかいませんでした。^^; 「それにしてもねぇ」と外に出てベンチでひと休みしていると、 さっきのおじさんが外に出てきて何か看板を外に出しています。 覗いてみると「ナウ・オープン」!! 道理でお客がいないわけだ。(苦笑) しかしながら、このミュージアム、とっても守備範囲は広いんです。 郷土の歴史、自然史、戦争の歴史に、ヴィクトリア朝の生活誌や、 美術品のコレクションなど、それにエジプトのミイラまで展示されていて、 総合ミュージアムといった趣です。 うたい文句も 「デボン州の最古のミュージアムで、宝庫の世界を発見しよう!」となかなかフルっています。 でも何といっても、ここでの私たちの最大の目玉は、 「アガサ・クリスティ・エキシビジョン」なのです。 <アガサクリスティの世界> 「アガサ・クリスティ・エキシビジョン」は、大きく分けると二つのコーナーから出来ています。 ひとつは『クリスティ自伝』を写真と、模型でたどるコーナー。 もうひとつは書籍や映画、ドラマの世界を一同に集めたコーナーです。 書籍を集めた書棚には世界各国で出版された本があり、 もちろん私たちにはお馴染みの「ハヤカワミステリー文庫」も収まっています。 イギリスで発行された初期の作品の初版本を見ると、その表紙は、 ミス・マープルのお友達のおばさんがよく読んでいる類の、 「三文小説風」の絵が描かれているのが、新たな発見でした。 ドラマのコーナーでは、ジョーン・ヒクソンのミス・マープルの衣裳、 デヴイッド・スーシエのポアロの衣裳が展示されていて、感激です。 さらにジョーン・ヒクソン(右写真) の衣裳と共に、クリスティからの彼女への手紙も添えられていて、 興味を引きます。 「この間の舞台は素晴らしかったです。いつかドラマ化された際には、 ぜひあなたにミス・マープルをやっていただきたいと思っています」 そんな内容でした。 彼女のミス・マープル役っていうのは、クリスティ自身のお墨付きだったのですね。 そう言えば、クリスティがマーガレット・ラザフォードのマープルに 不満を漏らしていたというのを何かで読んだ記憶があります。 考えてみると、確かに小説のマープルはあんなに逞しくない!ちなみに小説では、 「…ずっとおとなしそうな婦人だったことと、思っていたよりも老けていたことだ。 …雪のような白い髪と、皺の寄った桃色の顔、それに柔和な清浄な瞳、 そして毛糸を幾重にも身体に絡ませていた」 とあり、ジョーン・ヒクソンそのものなのです。 ポアロの衣裳のところには、出演者の顔写真とともにやはり1通の手紙が添えられています。 こちらはポアロがヘイスティングスに当てた手紙。 もちろんドラマの中で使われたものなのですが、デヴィッド・スーシエ (左写真)の直筆の手紙であるという説明が添えられています。 テレビではそんなところまで写らないはずなのに、そこまでやってしまう、 スーシエの完璧主義者ぶりが、よく出ていて大変興味深かったです。 <クリスティの暮らした街で『予告殺人』を> −カモメの天下…ペイントンという街− トーキイでの私たちのもうひとつのクライマックスは、 アガサ・クリスティの地元で、ミス・マープルのお芝居を観ることでした。 もちろん、いつもやっているわけではないのですが、幸いなことにトーキイの隣町 ペイントンのパレス・シアター(左写真) でかかっている『予告殺人』 の最終日にどうにか間に合いました。 このペイントンという街は、トーキイの中心からバスでせいぜい 10分程度で行けるところですので、元々は保養地であったのですが、 昔の写真と見比べて、そのさびれようには愕然としてしまいます。 日曜日にはゲーム・センターと数少ないお土産屋さんが、 店を開けているだけで人通りも少なく、道はカモメの天下といった感じです。 ここは、ポアロやミス・マープルも乗ったという、今も残されている蒸気機関車の 始発駅があるのですが、かえってそれがこの街を旅の通過点にしてしまったという感もあります。 −『予告殺人』とミス・マープルな人々− 幸いなことに、劇場はそれなりに立派なものだったのですが、 商店街から外れたさらに人通りのないところにあったので、 大層不安になってしまいました。 まだ時間が早かったので、劇場前のベンチで座っていたところ、 追い討ちをかけるかのように、ヨレヨレの服を着た失業 者風の酔っ払いがフラフラ歩いてきて、通り過ぎる際に 「ファッキング・ジャップ!」とは……。 別にこちらの方を一瞥しただけで、危害を 加える様子でもなく、また面と向かって言われたわけでもないのだけれど、 気分はすっかりブルーになってしまいました。 それでも上演時間が近づくに連れて、人もポツリポツリと集まり始めました。 出演者と思われる俳優さんと談笑しているお客さんもいて、 気分はすっかりセント・メアリー・ミード村です。 (注;ミス・マープルが住んでいた小さな村の名前) 劇場に入ると、それなりに歴史を感じさせる舞台ではありますが、椅子の固さ、狭さは まるで、ひと昔前の映画館のようです。 バーに行くと、若い元気のいい地元のおねえさんが、明るくテキパキと注文に答えています。 隣にいたおじさんは、たった15分の休憩時間しかないというのに、 ひとりでワンパイントのビールを2杯も飲んでいました。 回りを見まわしてみると、いるわいるわ、ミス・マープルの集団が! (右写真) きっとご近所の噂話で持ちきりなのでしょう。すずめのようにおしゃべりがはずんでいます。 それにしてもお年寄りの多いことには、驚かされます。 お孫さんと来ているおばあさんや、家族総出で来ている人も多く見うけられます。 日本では、残念ながらあまり見られない風景になってしまいましたが、 ここではまだそんな世界が生きているのです。 −予告殺人を観る− 『予告殺人』はとても興味深いお芝居でした。 もともと戯曲化もされているので、それに負うところもあるとは思いますが、 ミス・マープルがクリスティの原作とはずいぶん違うようです。 お節介焼きなお年寄りというのはいっしょですが、多少太りギミで、 力を持て余してもいるようで、非常に活動的です。 毛糸を編んでいるというよりは、年中汽車で旅行でもしてそうなタイプの女性になっています。 限られた広さの舞台ですので、人数を絞らないと混乱の元になってしまいますので、 小説の3分の1の登場人物がカットされています。 事件について重大な発見をするマーガトロイドもカットされているのですが、 こういう部分はすべてミス・マープルが代わりに補っています。 元々はこの小説は、密室に何人もの人が閉じ込められた状態で起きた 殺人事件が発端になっていますので、終始その部屋でお話が展開していきます。 そういう意味では、とても舞台にあったお話と言えるかもしれません。 俳優はすべて地元の劇団の人たちで、特に有名な人がやっているわけではないのですが、 地元の人ならではの味というものもあります。 主役のレティシィアを演じた女優さんは、どこかテレビ・シリーズの女優さんを 意識したかのような演技で、懐かしい人に会ったような気分になりました。 ロンドンの舞台とまではいかなくても、地元の色がそこここに出た 雰囲気で観るこのお芝居は、大変に楽しいものでした。 −心にとどめておきたい風景− お芝居がはねると、開演前に路上で感じていた憂鬱な気分はすっかり吹っ飛びました。 ちょっとした高揚感と、夜のひんやりとした空気に包まれ、 バス停で帰りのバスを待っていたところ、老夫婦が私たちに声をかけてきました。 「あらっ、さっき私たちの前に座ってた方たちね。お芝居はどうだった?」 「とっても興味深かったです。ミス・マープルがとっても活動的で、ビックリしました」 「原作をちょっとツイストしてあって、面白かったわねぇ」 この老夫婦も、どうやらそろってアガサ・クリスティの大ファンのようで、 お互いの垣根はすっかり取り払われてしまったようです。 そんな彼女自身もまた、まるでミス・マープルのようで、 「<<トァ・アビー>>には絶対行くべきよ。クリスティの原稿が見れて、 それはそれは興味深いから」 と、嬉しいお節介ぶりを発揮してくれました。 結局、バスに乗っている間中、私たちはこの老夫婦とお話をします。 ご主人のほうはその昔日本に一兵士として滞在していたこともあって、 今の日本はどんなかとか、懐かしさもあってか、しゃべりどおしでした。 それを微笑みをずっとたたえながら見ている奥さん。 そのご夫婦の素敵なこと。穏やかな時が流れます。 私たちはたまたま持っていた、和服の少女人形をかたどったうちわ型の絵葉書をプレゼントしまし た。 別れ際、バスの中からいつまでも手を振ってくれたその姿が今でも目に浮かびます。 バスを降りたあと、眺めたトーキイの夜景…なんとなく名残惜しくて、 この風景、空気をいつまでも心にとどめておきたいと、私はふとシャッターを押したのでした。 (左上・写真) −この旅のおわりに− 「イギリスに行くと、きっとあなたが探しているものを見つけることができますよ」というのは、 映画『チャリングクロス街84番地』の中のセリフですが、 今回のこの旅は、まさにそれを実感したかのようです。 「アガサ・クリスティの故郷に行けば、ミス・マープルに出会えるかも…」 まさにここにミス・マープルは存在しました。お年寄りが人生の楽しみを見つけられる、 その街の雰囲気に包まれた中で見たお芝居。ミュージアムでの時代の再現。 クリスティ・ファンの老夫婦との出会い。 それらを通じて私たちは、確かにここで生まれ育ったアガサ・クリスティだからこそ、 あのミス・マープルは生まれてきたんだということを実感できました。 これから、またアガサ・クリスティの小説をさらに読み続け、 またドラマや映画も繰り返し見ていくことでしょう。 その時にこの体験で、さらに彼女の世界をより深く味わえるのでは…… そんなこれからの楽しみを、この旅は私たちに残してくれたような気がします。 これから旅行する人へのミニ・ガイド Torquay ロンドンと違い、トーキイの観光ガイドは、ほとんど日本では お目にかかれません。だからといってはなんですが、 みなさんに、少しだけトーキイとその周辺の観光スポットを ご紹介いたします。 まず、ツーリスト・インフォメーションに行くと、 「アガサ・クリスティ・マイル」 というガイドが置いてあります。これを元に進んでいくと、クリスティ縁の場所をほぼくまなく、 回れることでしょう。行った先々には、 「アガサ・クリスティ・マイル」の看板(左写真)も 掲げてあります。 以下そのガイドに沿って簡単に書いていきましょう。 <1.ビーコン・コウブ> 特別婦人用海水浴入り江。 クリスティの少女時代、海水浴場は法律で、男女が厳格に隔離されていました。 こちらは女性専用の浜辺で、クリスティもここでよく泳いだところです。 女性は、脱衣車に乗せられて、その中で着替えをすませると、 外で待っている老人が、その車を押して海へ出します。 彼女が車の扉を開けた時には、腰のところまで水が来ていて、 礼儀は保たれるという仕組みになっています。 (この実物は、トーキイ・ミュージアムに展示されていて、とてもおもしろかったです。) 少し付け加えますと、このビーコン・コウブのすぐ近くに、アガサの父が通っていたクラブ 「ロイヤル・トァベイ・ヨット・クラブ」 があります。 彼は、ここに毎朝出かけ、途中昼食を食べに帰ってきてから、 また戻るというのが日課でした。ただし、クリケットのシーズン以外は。 ……というのも彼はクリケット・クラブの会長だったからです。 ビーコン・コウブから、海岸沿いに東へ歩くと、このホテルが見えてきます。 ここは『エンドハウスの怪事件』のモデルになったところです。 小説では「マジェスティック・ホテル」という名前になっています。この小説は、 ポアロとヘイスティングスがホテルの庭を一望できるテラスに座っているところから 始まりましたね。また、『書斎の死体』で、ミス・マープルが泊まりにいったのも このホテルです。 このホテルは、トーキイ最初の大きいホテルで、1866年にオープンしました。 フランス、ロシアの皇帝、ロイヤル・ファミリーも滞在した由緒あるホテルです。 アガサ自身もここで、ティ・パーティやディナー、ダンスを楽しみました。 インペリアル・ホテルからは、市内を巡回しているバスで行きます。(内容は本文参照) ここはトーキイ市内の中心、ツーリスト・インフォメーションのすぐ真ん前にあるので、 最初に見たほうが良いでしょう。 右の写真は、クリスティ60歳の時の写真を元に作られたブロンズ像です。 1890年9月15日にここトーキイで生まれたアガサ・クリスティの 生誕100年を記念して製作されました。 トーキイがリゾート地として黄金時代であった1912年にオープンしたオペラ・ハウス。 イギリスの偉大な音楽家たちもここで演奏したことを誇りにしていました。 1913年1月4日ワグナーの『トリスタンとイゾルデ』が上演され、アガサ は、3ヶ月ほど前に出会ったアーチ・クリスティと、 この夜のプログラムを楽しみました。 今はショッピング・センターになっています。 <<本文に戻る>> 4,5のスポットは、このプリンセス・ガーデンの回りにありますので、 一辺に見ることができます。 さて、ここはヴィクトリア女王の5女、ルイーズが来訪したのを記念して公園になったのですが、 元々は沼地で、それを埋めるのに20万トンの土砂が必要だったということです。 ここは『ABC殺人事件』で主人公のひとりカストが、自分の隠れ家に向かう途中、 新聞を買うシーンの舞台になっています。 プリンセス・シアターという劇場もあり、夜観劇するのも良いでしょう。(私たちが行った時には、 『キャノン・ボール』の舞台版!?が上演中でした) <<本文へ戻る>> プリンセス・ガーデンから海の方へ向かって歩きましょう。 そうすると、長く海に延びた埠頭が見えてきます。 ここの歩道は若きアガサ・クリスティがローラー・スケートを楽しんだところです。 (もっとも今は禁止されています。そりゃそう、お年寄りがたくさん歩いているのだから) 彼女がここで撮った写真が、トーキイ・ミュージアムで見られます。 プリンセス・ピアから海岸沿いを5分ほど歩くと、トァ・アビーに着きます トァ・アビーは、古い僧院をそのまま、ミュージアムに改装したものです。 建物自体が歴史的で、荘厳さも持っています。庭にはバラ園があり、 たびたびクリスティ作品にバラ園が出てくることを思いおこさせます。 ここには、アガサ・クリスティの書斎を彼女の遺品で再現したルームがあります。 タイプ・ライター、そのタイプでキレイに打ちこんだものに、 さらにペンで手直しを加えた原稿。回りに飾られた家族の肖像画や写真。 所蔵していた本。クリスティファンには、たまらないことでしょう。 ここは歴史博物館になっていて、特にヴィクトリア時代のキッチンや寝室、 客間などを再現したルームや、当時の貴重な写真、絵画なども見れるので、 作品の背景を知る上でも必見の場所です。 また、出口近くには、13世紀の僧院時代の台所がそのまま残されていて、 なんと喫茶室として公開されています。そこで、名物のクリーム・ティーを 飲みながら、気分を味わうのも一興ですよ。 <<本文へ戻る>> 最初の夫アーチー・ボルトとアガサがハネムーンを過ごしたホテルです。 そのスイートは、使っていない時以外は、当時のままに残されたその部屋を 誰でも見学するることができます。 トーキイ駅のすぐ近くにあり、ロケーションは最高ですので、 お金に余裕があれば、泊まるのも いいかも知れません。 興味がある方は、グランド・ホテルの HPを訪ねてみてください。予約もできます。 ここでは、アガサ・クリスティ生誕100年記念のイベントのひとつとして、 歴史的な出会いがセッティングされました。 ポアロ(デヴィド・スーシエ)とミス・マープル(ジョーン・ヒクソン)が、 このプラット・フォームで初めて顔を合わせたのです。 もちろんお馴染みの衣裳を身につけて。 クリスティの作品では決して出会うことのなかったこのふたりが、 初めてここで出会ったというわけです。 ポアロは、マープルの手をとると、軽くそこにキスをしました。とてもポアロらしさが出ていますね。 賑やかなショッピング街にもなっているフリート・ストリート沿いにあります。 海岸からは、ちょっと離れているので、バスに乗って行くのが良いでしょう。 アガサ・クリスティが、週1回通ったダンス・スクールで、一階は当時はお菓子やさんでした。 「ドシン、ドシン。階下の菓子屋の店でお茶を飲んでいる人たちにとっては、面白くないことで あったに違いありません」(自伝より) ポルカにワルツ。若きアガサが衣裳を着てポーズをとった写真がトーキイ・ミュージアムでも 見ることができます。 フリート・ストリートからアビイ・ロードに入ったところにあります。 アガサのお姉さん、お兄さんが、毎週のように通ったところ。 アガサもしばしば、彼らに連れられて行ったことがあります。 オスカー・ワイルドのお芝居も何回も上演されています。 ワイルド自身、『ウインダミア婦人の扇』上演中、ここに滞在し、釣りを楽しんだということです。 アビイ・ロードをさらに上に登ったユニオン・ストリートにあります。 ここは第一次世界大戦中、病院となり、多くの負傷兵が、ここに集まりました。 アガサ・クリスティはここで看護婦として働き、のちにここから近い薬局に入ります。 その時に得た薬の知識が、のちに推理小説に生かされるというわけです。 第一次世界大戦時のここの様子は、ミュージアムでも見ることができます。 Torquay周辺 <1.コッキントン村> アガサ・クリスティもしばしば馬で訪れた中世の面影の残る村。 セント・メアリー・ミード村にありそうな萱葺きの可愛い家が、並んでいます。 公園や、クラフト・センターもあって観光客がけっこう訪れています。 ただ、驚いたことには、それらの家は観光用というだけでなく、実際に人も住んでいて、 それぞれの人がガーデニングをしています。 中には売りに出ている家もあるのですが、いつもあんなに人に見られていたら、 住みにくそうです。 カフェに寄ったり、そこで作られた工芸品を買ったり、馬車に乗って回りを一周したり、 のんびり楽しめます。(馬車って乗ってみたら心地良かった!) <2.蒸気機関車の旅> 隣町ペイントンから、キングスウェア間を蒸気機関車が走っています。 途中には『ABC殺人事件』の第3の殺人の舞台になった、チャーストンもあります。 ここには、アガサ・クリスティがステンド・グラスを寄付したセント・メアリー教会もあり、 途中下車もいいでしょう。 この鉄道からの景色は絶景で、チャーストンに向かう列車の中でも、ヘイスティングスは、 ポアロに「素晴らしいね。私は世界中を回りましたが、こんな美しいところを 見たことがないって言いきることができるよ」とまで言っています。 この鉄道の沿線には、『死者のあやまち』に登場するメイプル・ハウスや、 『スリーピング・マーダー』の舞台となった保養地もあり、クリスティ・ワ ールド一色の世界に浸れることでしょう。 <3.ダートマス> キングスウェアからフェリーで川の対岸に渡ると、ダートマスという街になります。 ここもしばしば、事件の舞台になっていて、興味深いです。 特にロイヤル・キャッスル・ホテルは『レガッタ・デーの事件』では、 ロイヤル・ジョージという名前で登場する他、『無実はさいなむ』の舞台にもなっています。 その映画化作品『ドーバー海峡殺人事件』は、実際にこのホテルでロケされ、 ドナルド・サザーランド、フェイ・ダナウェイもこのホテルに泊まったということです。 お昼時に訪ねて、ランチを食べてみましょう。 この街は他に『クマのぷーさん』の主人公が実際にやっている本屋さんもあり、 町並みも中世風で、楽しそうです。(注…楽しそうというのは、 私たちは悪天候のため、ここまで足をのばせなかったからなのです) <4.ダート河下り> 『死者のあやまち』の舞台となったデテシャム村(小説ではギッシャム)、 アガサ・クリスティが住んでいた家グリーン・ウエイ・ハウス、 ダートマス城、エリザベス女王とエジンバラ公が出会いの場所、 英国海軍カレッジなどを見ながら、今は娘さんのロザリンドさん が住んでいる家があるトットネスまでを楽しむクルーズです。 トットネスでは、毎週火曜日にエリザベス朝時代の服に身を包んだ人たちによる、 チャリティー・マーケットも開かれます。時間のない方は、 1時間30分で往復できるコースなど、30分くらいおきにいくつか出ている ので、都合によって選ぶといいと思います。 旅行に役立つホーム・ページ <トーベイ・カウンシル(Torbay Council)>… オフィシャル観光ガイド。お芝居の情報やトーキイの地図も取り寄せられます。 <リバーリンク(Riverlink Home page)>… 蒸気機関車、川下りに関する情報 <UK Railway>… 英国鉄道の時刻表。最新時刻表が掲載されていますので、英国のどこへ 行くにも便利です。
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