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カエル 「ブラット・パックたち」は今…

第一章 …「アウトサイダー」編
ラルフ・マッチオ  C・トーマス・ハウエル  ロブ・ロウ
マット・ディロン  エミリオ・エステベス  トム・クルーズ
原作は、S・E・ヒントン女史。彼女はこの他にも「テックス」 「ランブル・フィッシュ」等、一連の青春モノのベストセラーを書き、 一大ブームとなっていた。(今はどうしているのだろう)
彼女はいわば、ジョン・ヒューズと並ぶ"ブラット・パックの キーワード"とも言える存在だ。その彼女の作品の中でも、 この「アウトサイダー」は、コッポラが監督していること。 そのキャストの豪華さにおいては、群を抜いている作品だ。
ジョニー・ケイド/ラルフ・マッチオ
「自分がいなくても両親は気づかない」…家庭の中では。 いつもひとりぼっち。孤独に苦しむナイーヴな少年役は、 まさにはまり役だった。
1961年生まれというから、実はパトリック・スウェイジ の次に歳がいっていたことになるのだが、 役柄はポニー・ボーイ(C・トーマス・ハウエル) の次に若いという設定だった。小柄だし、少年のような 声をしているので、実際若く見える。
彼のそうしたキャラクターを生かした「ベスト・キッド」(84年) は大成功。一躍スターになった。 その後は、その続編や「りんご白書」(84年)のハイスクールの 生徒役、「クロス・ロード」のギタリストの青年役等、 順調にキャリアを積んでいく。 さらに、オフ・ブロード・ウェイでもロバート・デ・ニーロと 共演するなど舞台にも意欲を見せていた。

しかし、90年代30歳を過ぎた頃から。急激に尻すぼみになっていく。 今度は、彼の少年的な個性がマイナスとなりはじめたのだ。 「いとこのビニー」(92年)では、ジョー・ペシのいとこで、 殺人容疑をかけられた青年役。 30歳を過ぎても、ジョニー的な役柄から抜けられないところに、彼の 限界が見え始めていた。そして実際、これが彼の日本公開最後の作品 となってしまったのだ。
その後の映画出演は、「Naked In New York」(94年)1本のみ。 96年には、ミュージカルで全米39都市ツアーをしていたとの ことだが、それを最後に消息不明になってしまった。

現在36歳、2児の父となった彼は今、なにをしているのだろうか…。
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ポニー・ボーイ・カーティス/C・トーマス・ハウエル
「アウトサイダー」の主役。
この映画は、彼が回想を書き出すところで始まり、 書き終えるところでENDとなる。1966年生まれと、 グリース(集団)の中では一番若い。といっても、兄貴分 マット・ディロンとは2歳しか違わないのであるが、 まだずいぶん子供っぽさが残っている。

この映画の出演後、一躍アイドルとなり、「ミスター・タンク」 「グラント・ビューUSA」(84年)、ジョン・ミリアスの時代錯誤、 超無謀な「若き勇者たち」(84年)と立て続けに出演が続く。 そして「ヒッチャー」(86年)の好演で、早くも単なるアイドル からの脱皮を果たす。見かけは軽いが、実は真面目な努力家で、 USC映画学科にも進学。本格的に映画の勉強をするなど、 将来も見据えた姿勢が誠に頼もしかった。

しかし、その後は泣かず飛ばず。「サマー・デイズ」以降、 日本のスクリーンからは、ぱったりと姿を消してしまう。 とはいえ、ご安心ください。仕事は減るどころか、むしろ増え続けているのだ。 出演本数は、「アウトサイダー」以降、知る限りでも35本はあるのだ。 これは、ブラット・パックの中では、抜きんでて多い。ただ日本では 公開されないのである。
ハードトレーニングでマッチョマンに変身したという 「ザ・リベンジャー」(91年)。 型破りな刑事役「バイオレンス・ヒート」(92年)。 核弾頭をアタマに埋め込まれ、最終兵器にされた人間の 逃亡劇「サイバー・ヘッド」。長髪ひげモジャの扮装の 「侵入者」(94年)など。 どうも90年代に入り、B級アクション映画へと路線を変更しているようなのだ。 もっとも、唯一公開された「恋に焦がれて」(92年)のような 作品もあるので、あくまで想像の域を出ないのだが…。
さらに「ヒッチャー'95」(95年)では見事、監督・主演作を こなすなど、創作意欲も旺盛である。(1年で2本も監督とは、 やっぱりB級の臭いプンプンだな)

今考えると、顔を無理に黒塗りにして、黒人になっちゃうという おバカな映画「ミスター・ソウルマン」(86年)あたりに、 彼の将来の行く末が暗示されていたのかも知れない。
現在は3人目の奥さん、シルビーとの間に一女をもうけ、相変わらず1年に 4本程度の映画に主演するなど「お父さん」は頑張っている。
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ソーダ・ポップ/ロブ・ロウ
スーザン・E・ヒントンの原作にも兄弟で 一番イイ男とある通り、出番こそは少ないものの、 その言葉どおりのイイ男ぶりで印象に残っている。 もっともちょっと顔だちがハデではあるが、アメリカでは、 セクシーということで、ずいぶんもてはやされていたものだ。
「セント・エルモス・ファイアー」(85年)でのワイルドな落ちこぼれ ビリー役。(優しい面もあって、とても魅力的だった) 姉を愛してしまう「ホテル・ニュー・ハンプシャー」(84年)、 デミ・ムーアと再び共演の「きのうの夜は…」(86年)「スクェア・ダンス」(87年) など、ブラット・パックの中でも引っ張りだこの活躍ぶりだった。
「バッド・インフルエンス 悪影響」(90年)では、悪役に挑戦。 マヌケのジェームス・スペイダーを破滅に追い込む危険な香りの 男を好演。その危なさは、男の私でもゾクッとするほどであった。
ここまで順風満帆かに見えた彼であったが、この「バッド…」の撮影中に、 致命的な事件を起こしてしまう。いわゆる「少女ビデオ事件」である。

その後はおきまりの転落人生だ。セックス中毒?と診断され、 コミュニティに入院し、出てくれば出てきたでドラッグと酒に溺れていく。 当然作品のオファーも激減してしまう。
90年以降、日本で公開された主演作は、「夢で逢えたら」(91年) 一本きりである。他は「ウェインズ・ワールド」(92年)、 「狼たちの街」(96年)での脇役が精一杯だった。もっとも、テレビや B級アクション映画の類には、コンスタントに出演をしている。 その中の一本、「冷たい接吻」(95年)をなんとかビデオで観ることができた。 ある女性を愛し、そのために夫を殺してしまう刑事役だったのが、 映画はチープで全くお粗末。ロブ・ロウ自身も31歳とは思えないほど 元気がなく、かつてのセクシーさも影を潜め、精彩に欠けていた。これではいけない。
ロブ・ロウ本人もそのことがわかっているのか、最近では もっぱらテレビに活路を見出しているようだ。

ジェニファー・グレーとコンビを組んだ「Outrage」(98年)は、 コッポラがエグゼクティブ・プロデューサーということもあって、 アメリカでは評判を呼んでいるとのこと。
表舞台に復帰する日は近い?
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ダラス・ウィンストン/マット・ディロン
「アウト・サイダー」では脇役ながら、ジェームス・ディーン的な 役柄で、1番目立っていたのがダラスであった。実際、マット・ディロンは スーザン・E・ヒントン女史の一番のお気に入りで、他に「テックス」(84年) 「ランブル・フィッシュ」(83年)、でも主役をつとめている。

マット・ディロンは、他のグリースの面々とは違い、この頃すでに 「マイ・ボディ・ガード」(80年)「リトル・ダーリング」のクリスティ・マクニコル (ああ、どこへ行っちゃったんだろう…)のボーイフレンド役で、 名前は売れていた。しかし、この「アウトサイダー」に出演した ことで、ステップ・アップしたことは確かである。

その後は「フラミンゴ・キッド」(84年)「ターゲット」(85年) 「ビック・タウン」(87年)「カンザス」(88年)などで、 青春映画スターとしての地位を確立していった。
もっとも、青春映画とは言うけれど、前の2作品は父親役の俳優 (「ターゲット」はジーン・ハックマン)がいいことも手伝って、 (SACHINEKO:そうそう、その通り!) なかなかいい味を出していたことも付け加えておこう。

ところが89年、20代も後半にさしかかった頃、マット・ディロンは 突然いままでの青春映画とは別れを告げる。「ドラッグ・ストア・カウボーイ」である。 前半は麻薬浸りで、麻薬のためにドラッグ・ストアを襲うことが 何よりの生きがいといった、ツッパリのなれの果てに過ぎない若者が、 後半、麻薬を断ち、まっとうに生きる道…言い換えれば"ガキを卒業し、 大人になる"ことを選択する。 私には、この人物像が、M・ディロン自身の"青春時代への決別"といった 意味合いをも持っていたような気がする。

それ以降の彼の映画は、「死の接吻」(91年)「シングルス」(92年) 「聖者の眠る街」(93年)「最高の恋人」(93年)と、メジャーな作品 ではないが、質の高い作品に出演をしている。
一本一本慎重に選択し、毎回違った役柄に挑んでいる。 そんなところにも意欲が感じ取れる
特に「聖者の眠る街」では、精神分裂症の男の子の役に挑戦している のだが、決して肩に力が入っていないところがとてもいい。 例えば、ある瞬間頭の中で誰かが話しかけ、それに受け答えし、 ひとり笑い出すといったシーン。 一歩間違えれば、わざとらしくなりがちなところを自然に演じきっていた。 歩き方や仕草などにも大変に工夫が凝らされていて、 役者としても急成長をしている。

私はトム・クルーズとは違った意味で、この10年間でもっとも成長した のは、マット・ディロンではないかと思う。
公開作品は、これからも「アルビノ・アリゲーター」(96年)「In&Out」(97年) 「FISHING WITH JOHN」(97年) 等々、目白押し。ますます楽しみである。
また私生活では、キャメロン・ディアズと婚約。ラブラブ・ハッピーだ。
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ツー・ビット・マシューズ/エミリオ・エステベス
いつもはジョークばかり飛ばして、明るいツー・ビット役エミリオ・エステベス。 出番は決して多くないが、彼がいるだけで画面の空気がなごむ。 そんな安心感が彼にはあった。

エミリオ・エステベスは、いつも家族や仲間に囲まれている。 そんなイメージがある。「ブレックファースト・クラブ」(85年) 「セント・エルモス・ファイヤー」(85年)「ヤング・ガン」(88年) と"ブラット・パック・ムービー"には欠かせない顔、といってもいいだろう。 「セント・エルモ」では、大学時代の先輩で、女医のアンディ・マクダウェルに あこがれ、追いかけまわす役。別荘にまで乗り込んでいくなんぞば、 一歩間違えばストーカーに間違えられかねない行為なのだが、 彼がやると、とってもさわやかになってしまうから不思議だ。
いっしょに居ると楽しくて、誰からも愛されるキャラクターが 彼の最も特徴的な個性だ。
「張り込み」(87年)のような軽いコメディタッチの作品が、 彼にはとてもよくハマる。 「ヤング・ガン」では、ビリー・ザ・キッドを演じたが、 彼の個性もあって、この作品は今までのビリー・ザ・キッドものの 暗いイメージをくつがえすユニークな作品となった。

しかし、彼のそういったキャラクターは、どうしても役柄を 限定させていることは否めず、その後の作品は決して恵まれているとは言えない。
そのかわり、"コメディ・センスのある人は、人間観察にも 長けている"の例にもれず、監督、脚本家としても活躍をしている。
「ウィズダム 夢のかけら」(96年)での初監督は、もちろんブラット・パックたちの中では、 一番早い。「メン・アット・ワーク」では、監督・主演を兼ね、 弟のチャーリー・シーンと本格的に共演し、「War at Home」(96年)では、 同じく監督・主演。父親のマーティン・シーンと親子役で共演。 うーん、家族の絆も固い。

最近では、「ミッション・インポッシブル」(96年)でのゲスト出演、 「D3マイティ・ダックス」(96年)のコーチ役くらいしか公開されて いないので、寂しいところだが、ご心配なく。
再び、監督も兼ねた「The Bang Bang Club」(98年)も 控えている。私生活では、ポーラ・アブドゥル(シンガー・ソング・ライター&コレオグラファー) と92年に結婚。94年には、 離婚をしているが、彼女との間に一男一女(テーラーとパロマ)を もうけている。
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スティーブ・ランドル/トム・クルーズ
「アウトサイダー」では、もっとも地味で損な役だったトム・クルーズが、 今では一番ビッグ・ネームになってしまったのだから、 人生わからないものである。
今、改めてこの映画を観直してみると、それでも彼なりに 精一杯目立とうと奮闘しているのが伝わってきて、 なんだかういういしい感じがする。

トム・クルーズがここまでになったのは、その容姿ということもあるが、 (私自身が好きか嫌いは別にして)人一倍成功への意欲も強かったから じゃないかとも思う。
一流監督の作品での脇役より、「卒業白書」(83年)でいち早く主役に進出 することの方を選択したところに、そんな彼の精神が垣間みえる。 映画の質はどうあれ、あくまでも主役にこだわったところに。

あとは、ここで改めて言うまでもあるまい。 「レジェンド/光と闇の伝説」(86年)を経て、「トップ・ガン」(86年) でトップ・スターに躍り出て以後、今日まで常にハリウッドの トップ・クラスのスターの座を保っている。
最新作はキューブリックの「Eyes Wide Shut」。 共演はニコール・キッドマン。夫婦揃ってしごかれたらしいが、 またきっと話題になることだろう。

Y.Aスターのひとりとして、日本では紹介されていたので、 敢えて"ブラット・パック"の中に入れたが、"ブラット・パック・ムービー"は、 この「アウトサイダー」一本のみ。 制作も兼ねた「ミッション・インポッシブル」(96年)では、 かつての仲間、エミリオ・エステベスをゲスト出演させていたが、 全く見せ場を与えなかったのは、トム・クルーズらしいといえば、らしい?
メイルちょうだいケロッ
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