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カエル 『映画日記12月号』…『麦の穂をゆらす風』



戦争は愚かなことだ。これに異論を唱える人は少ないだろう。けれども、ある時代の歯車に巻き込まれ、結果、戦争をする市 井の人々は愚かな人たちだ。この映画を観ていると、そんなことは言えなくなってしまう。人としてやるべきことをしているその先に 戦争というものがあった。それだけである…そしてそれこそが悲劇なのである。

1920年、南部に位置するアイルランド第二の都市コーク郊外、緑の草地でホッケーのようなスポーツ、ハーリングに興じる若者たち。 ずるいプレーをする者もていて、「今度そんなプレーをしたら退場だぞ」という審判の声が飛ぶ。

それでも力がありあまった若者たちは、ラフなプレーでお互いにぶつかっていく。ハーリングとは、実はアイルランドの国技、民族主義 とも深い関わりを持っていて19世紀には禁止された歴史も持っている。キャメラが引くと、周りにはアイルランド特有の、低い山、木の 生えていない草地の山がそこから見える。若者たちと山、どこにでもある田舎の風景。

さて場面は変わって、ある田舎家の庭先。先ほどの若者たちがその中のひとり…先ほど退場の警告を受けていた青年デミアン(キリアン・ マーフィー)…が、ロンドンの病院へ医者として旅立っていくのを見送るために集まっている。そこへ突然イギリスの武装警察隊が雪崩れ込む。 「さっき集会をしていただろう」「そんなぁ、ゲームをしていただけですよ」「いやアイルランド人がひととこのところへ集まっていれば それは集会だ」完全な言いがかりではあるが、このゲームの歴史的意味からすれば、彼らの気にはいらないことは確かである。

「名前を名 乗れ」「ズボンを脱げ!」みんな仕方なくそれに従うのだが、ひとり一番歳の若い男の子がケルトの名前を言って譲らなかった。「なんだ と!ちゃんと英語で言え!!」イギリスの武装警察隊は彼に殴る蹴るの暴行を加える。泣き叫ぶ母親。「だってその子の名は本当にそういう名前なのよ」 キリアン・マーフィーがとっさに彼の英語名を言うが、本人が言わない限りイギリス兵たちは納得しない。 そしてとうとう彼は、家の中へと連れて行かれ、拷問されたうえ殺されてしまう。

お葬式…おばあさんが歌を唄う。「麦の穂をゆらす風」この映画のタイトルはここから来ている。イギリスに長い間支配され続け、母国語 ゲール語(ケルトの言葉)さえ禁じられたアイリッシュたちは、このように歌やダンスに自分たちの気持ちを込めた。「麦の穂を揺らす風」 とは、英国によるアイルランド支配の悲劇を歌ったものである。戦争で逝ったものを弔う時に、よく歌われた歌だ。

それでもデミアンは、自分の未来のため、イギリスへと向かう汽車に乗るべく駅に到着する。しかし、そこでも同胞の人たちがイギリス兵 に痛めつけられている。規則だから列車に兵士たちは乗せられないという車掌に殴る蹴るの暴行を加え、無理強いしようとするイギリス兵 たち。しかし、彼らは暴行を受けてもそれに耐え、規則を守り通した。そして何もできず、ただ彼らが去った後助けおこし手当てする術し かなかったデミアン。彼はここで自分がすべきことを理解した。兄テディとともにアイルランド独立運動に身を投じる決心をしたのだ。 ロンドンへ行って医者になり、人の命を救うことよりも大事なことがあるのではないのかと。

さて一番歳の若い男の子ミホールが殺された場所、ペギー家には、祖母、母、姉の三世代の家族が住んでいる。彼が殺されたことによりこ の家には女だけが残った。父もやはり戦争の犠牲になったのだろうか、その辺のところは描かれてはいない。

そしてこの家は追い討ちをか けるようにさらに焼き討ちにあう。石造りの家なので外壁だけは残ったというものの、中は住める状態ではない。家を直すまでの間、おば あちゃんには親戚の家にいっててもらおうということになったのだが、彼女は頑なにそれを拒否する。「にわとり小屋があるからそこに住む」「だってここはミホール が殺された場所じゃないの。そんなとこに住んじゃいけないわ」「いや、私は死ぬまでここを動かない。ここは、私の親が生まれ、わたし がこれまでずっと生きてきた場所じゃないか。ここにはみんながいる。他のところなんか絶対に行けない。」

このおばあちゃん役の人の存 在感がすごい。一語一語に大変な重みがあるのでどんな女優さんなのかと思ったら、素人さんということであった。自分の生きてきた道、 彼女は生の声でそれを語っていたのではないかと思う。皺の一本一本からその苦労がにじみ出る。

このおばあちゃんの言葉。この言葉に込められた気持ちは、もしかしたらテディ、デミアン兄弟をはじめとする若者たちの行動と繋がる かもしれない。ふと、そんなことを思った。

純粋に自分が生まれた家を愛する気持ち、それが広がれば、自分の生まれた街を愛する気持ち、さらには国を愛する気持ちにも繋がってい くと。彼らもただただ自分たちの山や樹や草が、他人すなわちイギリスに荒らされるのが我慢ならなかったのに過ぎない。自分たちの愛す る文化が、他人に踏みにじられるのが我慢ならなかったのに過ぎない。自分たちの隣人が、不当に扱われるのが我慢ならなかったのに過ぎ ないのだ。人として自然な気持ち、それこそが彼らの愛国心。日本の首相や、政府がいうところの愛国心とはもちろん違う、もっと純粋な もの。これを誰が責めることができようか。

ちょっと、ここで歴史的背景を映画の中の出来事になぞらえて振り返ってみよう。そうせねば、この映画はわかりにくい。

物語が始まる一年前、1919年に対英独立戦争は始まった。戦争といってもゲリラ戦である。義勇軍が組織されその最高責任者が、 マイケル・コリンズであった。この辺りの経緯は映画『マイケル・コリンズ』(1996年ニール・ジョーダン監督)を観ていただくと、 より詳しい中身がわかる。そしてデミアンらが参加した義勇軍とは、まさにこの組織なのであった。義勇兵たちはイギリス人たちの兵舎を 襲い、また政府要人を待ち伏せては暗殺をする。

これに対してイギリスは、ブラック・アンド・タンズという武装警察組織を作る。彼らは民家を焼き討ちし、容疑者には拷問、処刑をもっ て対抗した。

劇中、デミアンはダンという男に出会う。彼はイースターの蜂起に参加したといい、それをデミアンは羨望のまなざしで見つめる。イース ターの蜂起とは、1916年、武装したアイルランド人男女およそ一千人がダブリンの中央郵便局など中心部を占拠し、共和国の成立を 宣言した事件で、復活祭の翌日に起きたことから、このように呼ばれている。この中に、先のマイケル・コリンズ、後に首相となるデ ・ ヴァレラも参加していた。

しかし、結論を言えばこの武装蜂起は失敗に終わった。首謀者たちは、ろくに裁判されることなく、2週間のうちに銃殺されたのだ。しか しその結果、彼ら叛徒たちに冷淡であったダブリンの市民たちまでもが、反英の気分に転じてしまい、やがて対英独立戦争へとつながって いくことになるのである。ダンはいわば、歴戦の闘士というわけだ。

1921年12月遂にイギリス政府は折れ、英・アイ条約が成立する。条約を締結したのはマイケル・コリンズである。そして翌年の1月 に国民投票により条約は承認されるのだが、のちに首相となるデ ・ヴァレラはこれを拒否し、あくまでも完全独立と共和国の達成を説いて 、国民に内戦を呼びかけた。

完全独立と共和国の達成でなければ戦ってきた意味がないとするデミアンと、いやこれ以上の犠牲は出してはならない。今は不完全な条約 だが、徐々に変えていけばいいんだと主張する兄のテディ。映画の中ではこのふたつの議論をこの兄弟が中心となってしているのだが、丁 寧に描かれていて実にわかりやい。どちらの主張も気持ちがよくわかるのである。ただひとりこれから起こるであろうことを危惧し、「同 胞と戦うなんて。これ以上はつきあいきれない。もう俺は降りる」といって部屋を出て行った者がいたのも印象深い。

そして内戦は悲惨なものだった。まさに兄弟同士の殺し合い。コリンズら自由国軍になぜか英国軍が加わったことも物事を複雑にしてしまってい る。そしてコリンズは、戦闘のさなか、撃たれて殺される。結局デ ・ヴァレラによりアイルランドが完全に独立国家となるのは、1938 年まで待たなくてはならないのである。

こうして歴史的な背景を見てくると、ミホールが殺されたペギー家、悲劇ばかりが襲うこの家とその周辺で起こった出来事は、なんだかア イルランドという国の縮図のように見えてくるのである。イギリスの武装警察隊により唯一の男子ミホールは殺され、家は焼き討ちにあう。 条約成立後、内戦状態になると、それまでご飯を食べさせたり色々と面倒を見てきた兵士たちが、今度はイギリス人たちに代わって、家を あらしにくる。「あんなに面倒をみてやったのに、一体あんたたちは何を考えているんだい。もう二度とここの敷地には足を踏み入れさせ ないよ」

昨日の味方が今日の敵になる。この家と親しい人たちが、その仲間や近親者によって殺される。結局男たちはこの家からは消え去り、 女たちだけが残る。彼女たちはただ庭で泣き崩れるのみである。しかし、それでもここにとどまり続けることだろう。彼女たちが死ぬまで の間は。

そしてテディとデミアンの兄弟。テディは平和なときであれば神学校を出て、神父になるべき人であった。かたやデミアンはロンドンの病 院で医者となるべき人であった。彼らは仲間を思う気持ちが人一倍強く、そのためにはどんな拷問にだって耐える。その反対に仲間を裏切 った者には容赦がない。それは、全員を危険な目に合わせることに繋がるからだ。

国を愛する気持ちはまったく同じ、ただほんの少し考え方が違ったがために、コリンズ派、デ・ブァレラ派に分かれてしまう。彼ら兄弟の 悲劇は愚かだったから起こったことではない。彼らは対立することが愚かしいことは十二分に判っていたし、それぞれの本来の道を歩んだ ほうが幸せになれることも判っていた。ただ彼らはあまりにも誠実な人間たちだった。主義主張のためではなく、人として正しい生き方を 選択したことが、悲劇につながるのである。それゆえにやるせないのだが、それこそがこの映画の最大のポイントなのだ。

私たちにはこうした話は身近ではないため、「内戦なんて、なんて愚かなことをしているのだろう。」こんな風に言い放ってしまいがちで ある。けれどもその背後には必ず強い国の身勝手な政治が存在する。そこで犠牲になる人たちは、こんなにも誠実で心優しい人たちなのだ。 歴史を眺めてみると、大国が撤退した後には、必ず内戦が起こっている。『ホテル・ルワンダ』もそんな映画だった。『ノーマンズ・ラン ド』のボスニア紛争もそう。今まさに進行中のイラクの内戦だって、中身には違いがあるものの似たような構造がある。この映画は今に 続くこうした悲劇の本質に触れているように思う。

メイルちょうだいケロッ

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