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カエル 『グラン・トリノ』〜アメリカの夢の終焉



ミシガン州デトロイト周辺の田舎町、芝生の生えた庭付きの家を構えたウォルト・コワルスキーの老後は、仲間たちに囲まれ豊かなものになるはずだった。ところが、映画の冒頭、妻の葬式に来た自分の子供たち、孫たち、そして 彼の家の隣人(彼にとってはわけのわからぬ東洋人だ)たちの姿を見るにつけ、それは幻想だったことが明らかになる。自宅に集まった人たちを放って、彼はひとりお気に入りのガレージに閉じこもる。まるで自分の居場所はここだけ といった面持ちで。

イーストウッド演じるコワルスキーとはどういう人物か。コワルスキーという名は、『欲望という名の電車』のマーロン・ブランド演じた男の名としてあまりにも有名なのだが、これは、典型的なポーランド人であることを意味する。 英語に置き換えれば、スミス(鍛冶屋)となる。ついでに言うならば、この映画の登場人物の名前は、それを耳にすればたちどころに出自がわかるほどの典型的なものがあえて選ばれているようだ。神父のヤノヴィッチは南スラブ系、 建設現場の監督ケネディはもちろんアイリッシュという風に。そして彼が付き合う人物は、彼が教会には決して行かないにしても、ほとんどがカソリック系の住民たちであるというところが興味深い。彼がいかに狭い世界で暮らして きたかを暗示している。

「彼の車庫には日曜大工の道具があり、そこで仕事ができるようになっている。
車は成功のステータスだった。彼の座るデッキチェアの前にはラフィア製の小さな芝生が広がり、彼は満足そうに刈ったばかりの芝生を眺め、アイスボックスから飲み物を取り出しくつろいでいた。彼は銃の扱いには慣れ、自分は 生まれながらのハンターだと思っていた。自分のことは自分で守れるはずだ。また、彼はポーランド人であることより、アメリカ人でありたいと思っていた。家の玄関にはアメリカ国旗がいつも掲げられている。」この文章、実は ウォルト・コワルスキーのことを書いたものではない。ジョン・スタインベックのアメリカ人論、「アメリカとアメリカ人」という本から文章を抜粋してつなげたものだ。例えば原文は、「彼の車庫には」というところが「アメリカ のほとんどの車庫には」となっている。ウォルト・コワルスキーの人キャラクターは、そうした意味でステレオタイプである。けれどもそれがここまで徹底されていると、もはや確信的に作られたと思わざるをえない。

ここで、舞台となっているミシガン州の歴史にも注目してみよう。州の大都市デトロイトの自動車産業は70年代初めまで栄光を誇ったが、80年代には日本車の進出で産業は急速に凋落していく。ジャパン・バッシングが始まり、88年 には日本人に間違えられた中国人がデトロイトのバーで殺害される事件が起きた。治安は悪化し「世界の殺人首都」というありがたくない称号まで与えられる。90年代にようやく自動車産業は再生のきっかけを掴む。けれども、それ はウォルトが誇っていた技術者たちの成果というよりは、新自由主義経済がもたらしたものに過ぎず、ご存知のとおり2008年の金融危機によって自動車産業は崩壊、技術の衰えが露呈してしまった。自動車産業のメッカ、デトロイト を抱えるこの州は、いわばアメリカの栄光と凋落をすべて直接かぶってきたところとも言えるのだ。

また、その歴史はそのまま彼の人生に影を落としている。青年時代に愛国心に燃え、朝鮮戦争に従軍するも心に重い傷を残し帰国。しかし戦後はアメリカの栄光の象徴でもあったフォード社の工員として働き、結婚し、良き妻にも恵 まれ、男の子ふたりを育て上げる。芝生の生えた庭付きの家、ガレージには、70年代に買ったグラン・トリノ。ここまでは彼の理想の人生。引退後はこの街で、仲間たちと穏やかに暮らすはずだった。

しかし、時代は変わってしまった…隣人たちのおおかたは街を出て行き、きれいに整えられていた芝生も今では荒れ果ててしまっている。デッキチェアに座り、軽く挨拶を交わそうにも、彼は嫌われているらしくわけのわからない 外国語でののしられる始末。街には仕事のない若者たちがブラブラし、暴力がはびこっている。自分の息子といえば、職人としての彼の魂を継いでくれるどころか、’’敵対する’’日本車ディーラーの営業マンになり、口八丁で生活 をしている。孫も年長者に敬意さえ払ってくれない。彼が愛したアメリカはどこへ行ったのか。

その中で残されたグラン・トリノ、これは唯一、彼の心のよりどころである。この車こそアメリカの栄光の象徴、そして「アメリカの魂」と称される名車。そこに熟練したものづくりの男たちの魂が込められている。ガレージに綺麗に並 べられた工具の数々、「自分はこの栄光の自動車を作り上げた職人のひとりである」そこに彼の誇りが感じられる。モノ作りのアメリカ、家族主義のアメリカから金権主義のアメリカ、個人主義のアメリカへ…彼の家族もまた、アメ リカの辿ってきた道の典型と言えるだろう。

ウォルト・コワルスキーがステレオタイプであることの理由は実はここにある。彼はいわば、かつてアメリカ人が理想としていたアメリカ人そのものと言える。それゆえ彼が時代遅れの人となり、彼の人生が狂っていくことは、アメ リカが変わってしまっていったこととイコールになってくるのだ。

 隣人が少数民族のモン族だったということも、この映画では重要なポイントとなっている。朝鮮戦争で罪のない人たちまでを殺してしまったことで心に傷を抱えているウォルトにとって、隣人の東洋人たちは厭でもそのことを思い出 させたことだろう。初めの頃の彼らへの反感はそのためかもしれない。しかし不思議なものだ。隣家でおいしい食事をふるまわれることでウォルトの心はほぐれてくる。その中に入ってみれば、彼らの家族には、自分の家族にはない 深い繋がりがある。弱々しく見える息子には隣人を助ける優しさと、年上の者を敬う礼儀正しさがある。

これは自分たちがすでに失ってしまったものではなかったか。また、つき合ううちに、彼らが実はベトナムでアメリカに加担して しまったために、今この地にいるということがわかってくる。家族に父親、祖父がいないのは、おそらく死んでしまったのではなかろうか。モン族は元々ラオス、ベトナム周辺の山岳民族である。1960年代ベトナム戦争時にアメリカ が高い報酬で彼らを雇って、特殊部隊を編成したという歴史がある。アメリカ軍は、ベトナムでの戦況が悪化し撤退を始めると、やはりと言うべきか彼らをそのまま見捨てて行ってしまった。その結果北ベトナム軍の報復攻撃にあい、 20万人ものモン族が戦死するという悲劇が生まれた。戦後も彼らは帰る場所を失ってしまい、30万人もの人が難民キャンプで暮らしたという。アメリカがモン族との関係を認めたのは1999年。その後、ようやく難民を受け入れ、 今では10万人がアメリカに渡り暮らしている。ここにアメリカがしてきた戦争、朝鮮そしてベトナムがラインで繋がってくる。悲劇はいつでも民衆の側にあるというラインで。

 この文章の最初のほうで、登場人物の名が、出自がすぐにわかるような典型であることを書いた。これでアメリカは移民の国であることを強く意識させられてしまう。ご丁寧にポラック(ポーランド人)だのディーゴ(ラテン系)だの、 ミック(アイリッシュ)だのライス・ニガー、ジッパー・ヘッド(東洋人)だの使い古された差別語が飛び交ってさえいる。「各グループに対するののしりは、それぞれが健全で、なごやかで、自己防衛力を持ち、経済的に人並みになるま で続けられ、そこで古参グループの仲間入りを果たし、今度は一番新しくやってきたグループに突撃した。このように新参者を残酷に扱ったからこそ、種族的、民族的なよそ者が急速にアメリカ人に同化したのではないかとさえ思われ る。」(ジョン・スタインベック「アメリカとアメリカ人」より)

まさに、それを繰り返してアメリカという国はできてきた。その一番最近の新参者こそ、彼らモン族なのだ。しかも彼らはアメリカ自身が原因で移民せざるをえなかった というところに、先住の移民たちとは大きな違いがある。しかし、彼らはまるで昔の自分たちのようではないか。ウォルトにはそれがわかっている。それゆえに彼はグラン・トリノすなわち「アメリカの魂」をモン族の少年に託すのだ。 何を託したのか。それは9.11のテロに対して報復攻撃をしたアメリカでもなく(ウォルトの英雄的な行為は、朝鮮戦争で受けた心の傷ということだけでなく、明らかに9.11が意識されている)、金融至上主義で中身のないアメリカでも ない。職人が大事にされるアメリカ、彼らが庭付きの家でデッキチェアに座って安楽に暮らせるかつてのアメリカ、伝統を重んじ家族を大切にするかつてのアメリカ、そうしたアメリカ人の魂を少年に託したのだ。しかもまるで西部 劇で父親が息子に伝統を教えるかのような方法でというところが、保守派、伝統的共和党派(ブッシュの共和党とは違います)のクリント・イーストウッドの面目躍如たるところなのだ。果たして、グラン・トリノに乗ったモン族の少年 の行き先には何が待っているのか、アメリカの未来には何があるのだろうか…。

<『グラン・トリノ』作品データ>
スタッフ
監督/クリント・イーストウッド
脚本/ニック・シェンク
撮影/トム・スターン
音楽/カイル・イーストウッド
キャスト
クリント・イーストウッド
ビー・ヴァン
製作年/製作国 2008年/アメリカ
配給/ワーナー

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