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カエル 『ミス・ポター』〜英国階級社会の中で

 今描いたばかりのピーター・ラビットが、ビアトリクス・ポターの意識から飛び出して自由に動き回る。 「お願い暴れないで」 自分で描いた絵の世界が、勝手に動き出し、どんどん物語の世界が広がっていく。 作家の想像の世界が飛躍する瞬間だ。 素敵です。  これはビアトリクス・ポターの半生を描いた映画。
『ピーター・ラビット』の出版社の三男との恋の話など、涙なくしては観られない。けれども、この映画は決してメロドラマなどではなく 、ひとりの女性の生きかたを描いた映画なのだ。

 1866年に生まれたミス・ポターが、20世紀を迎えたばかりの1902年、出版社に「ピーター・ラビットのお話」を持ち込むところから映画は始まる。  すでに、その絵はクリスマス・カードとして売れていたということだったのに、それだけで満足せずに、出版社を回ったというのは、この時代にしては、ずいぶん自立した女性だったのだろう。

 『ミス・ポター』この映画のタイトルは、一見貴族たちと付き合い、上流階級に見えるこの家族が、実は爵位をもっているわけではなく、新興の「アッパー・ミドル・クラス」であることを意味している。そのクラスの長女たちは、洗礼名ではなく「ミス」の後に姓だけをつけて呼ばれていたのである。

 彼女の祖父母が紡績業を経営し成功し、アッパー・ミドル・クラスに入った。父のルパートは、絵に対して夢を持っていたが、両親の反対にあい、あきらめて法廷弁護士になった。その下のロウアー・ミドル・クラスにとっては、法廷弁護士なんて夢のまた夢。それゆえ、彼女の祖父母は相当の野心家であったと思われる。  父のルパートは、自分の夢を断ったということもあってか、娘のやっていることに比較的寛容である。彼女は、家庭教師から高い教育も受け、また父から最新の美術作品も目にする機会を与えられていたため、いつしか自立心が旺盛になっていったのかもしれない。

 一方母は、娘を貴族の元に嫁がせて、アッパー・クラス(上流階級)の仲間入りをさせたいと思っている。だから、商売人(出版社の三男、ロウアー・ミドル・クラス)との結婚なんてとんでもないと反対するのである。相手が裕福であればいいという問題じゃないところが、今の私たちの感覚とはずいぶん違うところである。

 もちろんどちらの親も子供思いには違いないが、この両親の温度差の違いから、彼女はこれまで(あの時代に31歳まで)独身になってしまったのだと想像させられる。初めて訪れた彼女の恋、あの出版社の三男との恋に、父親は「いっときの恋愛感情だけで結婚したら不幸になるのでは」と心配し、夏の期間互いに離れて距離を置いてみたらと提案する。が、母親のほうは、結婚自体が反対なので、その間にどちらかの気が変わってくれることだけを期待しているといった具合にここでも両親の温度差が見事に出ている。

 しかし、この時代の女性の人生は結婚がすべて。あぶれてしまった女性たちは、良家の家庭教師をしにいったりするものだが、ポター家は裕福で、その必要もない。もはや同じ年頃の女性の友達もなく、家で孤独に過ごすしかなかった。若い頃に親しんだ田舎の自然、うさぎや、野ねずみ、カエルに馬鹿なガチョウがいつしか彼女の友達になっていったのだ。 ピーター・ラビットは、いわば、時代や彼女の家庭環境によって産まれたものなのかもしれない。

 その後の彼女の人生は、ピーター・ラビットの物語を残してくれただけではない。 彼女は開発業者に売られそうになっていた土地を「ピーター・ラビット」がもたらした収入でもって、買い集め、そしてナショナル・トラストに寄付をした。 家が裕福であったこと以外はごくごく普通の女性。自己をしっかりと持ってはいるが、社交家でもなく、家で過ごしがちな静かな女性。もちろん彼女は女性運動家だったわけではない。ただ、自分の愛した美しい土地を、そのままに残したかった、ピーター・ラビットたちの住処をそのままの形で残したかった、そんな純粋な気持ちから、やったに過ぎない。 けれども、それが今では英国の、世界の貴重な財産となっている。

 こんなごくごく平凡な女性でも、これだけ大きなことができる。しかも時代の制約さえ乗り越え、悲劇さえも乗り越えてそれを成し遂げたこと。これは今の女性にとっては「勇気」を呼び起こすに違いない。  この映画を観終わると、ピーター・ラビットがただ単に可愛いだけではなく、今までとは違ったものに見えてくるのだ。  ただその見え方は、人によって違うものかもしない。ぜひあなただけのピーター・ラビットを探しに行ってみてください。

【スタッフ】
監督/クリス・ヌーナン
脚本/リチャード・マルトビー・Jr
撮影/ アンドリュー・ダン
音楽/ナイジェル・ウェストレイク
【キャスト】
レニー・ゼルウィガー
ユアン・マクレガー
エミリー・ワトソン
ビル・パターソン ル
バーバラ・フリン
【配給】角川映画
【2006年英・米/93分】

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