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カエル 『長江哀歌(エレジー)』には中国の矛盾がいっぱい



ダム建設のため、今まさに消え行く街、このほんの一瞬の時を逃さず、ロケをしたジャ・ジャンクー監督にまずは賛辞を送りたい。

なんといってもこのダム建設、日本のものとは規模が違う。
百万単位の人たちが、このダムの建設によって移住を余儀なくされるというのだ。長江三峡は、三国志の舞台になった地もあり、歴史的遺 産も数多く残っているという。舞台となった奉節という街は、近くに白帝城という有名な城跡がある古都だ。あの劉備玄徳の終焉の場所と して知られる。アメリカ政府は、環境や歴史的遺産を破壊することを懸念してか、三峡ダム建設への融資を禁止したのだが、中国政府の強 力な意志で、建設は着実に進んでいる。

  このダム建設は、毛沢東以来の国家的悲願なのである。環境問題よりも、歴史的遺産よりも、国の威信みたいなものが、先行してしまい、 矛盾を抱えたまま突っ走っている中国の姿がここにもある。いわば、もうひとつの国家的悲願北京オリンピック同様、ここには中国の抱え る矛盾が、凝縮されているのだ。映画はそのあたりを見事に捉えている。また、遊覧船ではダム建設の宣伝がされ、テレビでも事業の宣伝 がされている。まるで共産主義時代の中国のようである。一方テレビでは、チョウ・ユンファの映画が放映されている。彼に憧れる明るい 青年がダム建設の事故で亡くなるのが象徴的である。中国には、相変わらずの中国共産主義的政治と自由主義経済とが共存しているのだ。 そして、ときに国がこうした自由人をつぶしていく。

工事現場では、自分たちの街を、自分たちが壊していくという現実がある。それも機械ではなくて、みずからの肉体作業で、少しずつ、 コンクリートを砕いて建物を取り壊す。そして、その労働者の中には、すでに自分の家が水没して、船で暮らしている者さえいる。なんと いうことだろう。いつかは、この仕事も終わり、街が完全に水没すれば、彼らは他の街へ移動して、また仕事を見つけなければならないそ れなのに彼らは、毎日毎日、この作業を繰り返す。自分で自分の首を絞めているようではないか。しかも気づかぬうちにジワジワと効いて きそうである。皮肉だ。

取り壊し途中のビルの上で夫婦が話し合いをするシーンでは、突然離れたビルが、爆薬で崩壊する。こんなすごいことが実際にそこで起こ っているというのに、登場人物たちは、まったく気にしていない。多分日常だからなのだろうが、それがとてもシュールな感じを与える。 それなら、ロケットみたいのが飛んだって、おかしくはないだろうと監督は考えたのか、突然謎の物体が発射されるというSF的なシーン もある。下方に崩れていく建物と、上に飛んでってしまう物体。ダム開発は色々な矛盾や問題を抱えている。もうそれ自体がシュールな 世界だと言っているようだ。

二組の男女が登場する。三峡に働きに出て音信不通の夫を探しに山西省から来た女と、16年前に別れた妻子を探しに、山西省からやってき た炭鉱夫。音信普通の夫は、ダム建設事業に成功し、人が変っていた。一方炭鉱夫の妻のほうは、借金のため、ある人に仕え、船の上 で不自由な生活を強いられていた。持てる者と持たざるもの。この二組の夫婦の対称。しかし、夫婦のその後の人生。心が残っていたのが どちらであったかは、容易に想像がついてしまう。

また、この二組の夫婦、ともに山西省から来たというのは偶然ではなくて、実は深い意味もある。山西省は、歴史上商売に従事する人が多 く、清朝末期には、北京を中心とする金融市場のほとんどを握っていたと言われている。成功者は故郷に錦を飾るべく、競争で豪邸を建て、 それは今でも残っている。成金たちの夢の跡だ。音信普通の夫、これはやはり現代版の山西省の成金を象徴しているのだ。

一方、山西省は巨大な炭鉱が数多くあることも有名である。別れた妻子を探しにきた炭鉱夫の男は、やはり山西省の人間の典型ということに なる。そしてこの山西省と、三峡ダムは、ともにエネルギー産業ということで、やがては敵対関係になることは容易に想像がつく。映画の 終わりのほうで、主人公と仕事仲間たちは、ここに見切りをつけて山西省の炭鉱に行こうと言っている。あそこには、もぐりの炭鉱があっ て、ここよりもずっといいお金になるということからだ。しかし、どうだろう。三峡ダムが完成すれば、火力発電が一部不要になり、石炭 の需要は確実に減ることだろう。彼らは、結局山西省に行った所で、いい思いができるのは、せいぜい2年くらい。その後は、結局仕事が あるのかどうか。貧しい者は、どちらに行っても、結局は報われないままなのである。

ラストに近いところで印象的なシーンがある。
取り壊し途中のビルの谷間を綱渡りする男。これは監督の「現在の中国」のイメージなのではなかろうか。今、新しいものを作ろうとして いる中国、しかし足元は不安定で、時に風でバランスを崩してしまう危険性を常に抱えている。一歩一歩前に進んではいるが、目の前の綱 しか見えず、先がどうなるかは、いまだにわからない。綱の下には、荒廃した、建物の残骸が広がっているけれども、前しか向いていない 彼には、下の風景など見えない。これが、今の中国なのだと。

<『長江哀歌(エレジー)』作品データ>
スタッフ
監督・脚本/ジャ・ジャンクー
撮影/ユー・リクウァイ
音楽/リン・チャン
キャスト
チャオ・タオ
ハン・サンミン
製作年/製作国 2006年/中国
配給/ビターズ・エンド、オフィス北野

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