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カエル 『ウイスキー』…タイトルにこめられた意外な意味

ウイスキー

先日の東京映画国際映画祭でグランプリに輝いた映画『ウイスキー』という作品を観た。
『ウイスキー』私は最初この映画はお酒にまつわる話、そのように思っていた。スチール写真を見れば、憂鬱そうな壮年というよりは、老年の 足音も近づきつつある男女が、エレベーターの中なのだろう、まっすぐに前を、ただぼんやりと見ているだけのものである。
このふたりの関係は…恋人じゃないことだけは間違いない。夫婦か…もしそうなら先行きは寒そうな関係のようだ。もしかしたら、『酒と バラの日々』だろうか。いくたびからの不幸から夫婦そろってウイスキーにのめり込み、ここはアル中の更生施設のエレベーターの中。そ れなら納得がいく。

朝、南米はウルグアイの寂れた町の寂れた靴下工場、そのシャッターの前で、映画のスチール写真の女がひとりたたずんでいる。そこへ遅れて やってくる、やはり先ほどのスチール写真の男。男が鍵を使いシャッターを開け、女が彼がシャッターを手で支えている間にそこををくぐる。 男はすぐには反応しない蛍光灯のスイッチを入れ、靴下製造機の機械のスイッチを入れる。まるで低血圧症の人間の寝起きのように低いう なり声をあげてモーターが回り始める。相当老朽化しているようだ。

多分いつもの通り男は、雑然とした小さな小さな事務所の一番奥の席にどっかりと腰を降ろす。彼の背中のところにこれまた小さな窓が あるのだが、ブラインドは壊れていて上がらない。何度かガタガタと開けてみようとするのだが、何かが引っかかって動かない。そのため この部屋は余計に暗く、陰鬱な雰囲気が漂っている。そんなことをしているうちに女が部屋に入ってきて、お茶を机の上に置く。 シャッターが開いてからお茶を置くまで、先ほど多分と書いたのだが、やはりこの一連の流れはルーティン化しているかのよう に澱みがなく、毎日同じことが繰り返されていると想像させられる。

機械の低いうなり声、何かが引っかかって開かないブラインド、薄暗い事務室。すべてがまるでこのふたりの男女の閉塞的な精神状態を 象徴しているかのようである。夫婦かと思ったこのふたりの関係は、靴下工場の社長と事務員、ただそれだけのもの。お互い信頼はして いることは間違いないのではあるが、それも単なる習慣程度のものなのだろう。

男には、疎遠になっていた弟がいた。しかし、母の葬式にもやって来なかったこの弟が、近く行われる納骨式に訪ねて来るという。弟には、 妻がいると嘘をついていたのであろうか。そこで一計を案じる。この事務員のマルタを妻に仕立てようというのだ。
しかし、夫婦でありながら写真さえ部屋にないというのは、どうにも具合が悪い。そこでふたりは慌てて写真屋さんにいく。しかし並んで は見るのだが、ぎこちないのは当たり前。「はい、笑って笑って。はい、ウイスキー」写真屋さんの掛け声にようやくふたりは笑顔を作る。 はあ、なるほど。『ウイスキー』とはこのことであったのだ。日本でいえば、「はい、チーズ」っていうあの掛け声である。 どうもウルグアイではこのように言うらしい。

そういえば、お隣韓国では「はい、キムチ」と言うのだということを聞いたことがある。
余談になってしまうが、他の国ではなんというのだろう。ちょっと興味深いので人に聞いたりして調べてみた。
メキシコは「テキーラ!」、ドイツは「ビアー!」アルゼンチンとブラジルはやっぱり「ウイスキー!」どうもお酒が多いようである。 オーストラリアは「キウイ!」、タイは「ペプシ!」、インドネシアは「テンペイ!」(大豆がいっぱいで栄養満点の食べ物)、アメリカ は「チーズ!」どうも食べ物系も多いようである。口の形が笑っているような形になるということだけではなくて、やっぱりお酒や食べ物 を想像すると、人は自然に笑顔になるということなのであろうか。そしてもうお気づきのことと思うが、日本の「はい、チーズ」は実は アメリカからやってきた言葉であった。
フランスだけがちょっと変わっていて「キュイキュイ!」これは鳥の鳴き声ということである。ちょっと洒落ているな。

まあ、そんなわけで、映画のタイトル『ウイスキー』とはふたりが形だけでも作った笑顔を意味しているのであった。またこのタイトルは ふたりが弟の前で形だけ夫婦を演じた、その行為をも指しているようでいて面白い。

さて弟が実際家に来てみれば、「新婚旅行はどこへ行ったのか」とか、「うちの兄貴は優しいか」とかそんな会話もしなくてはならない。それ でこの事務員のマルタ、偽の奥さんは段々その気になっていくのである。部屋もずいぶんと明るくなった。カーテンも替えられ、窓は開け 放たれた。部屋も整頓され、テーブルには花が添えられた。それ以前はベッドの横には、多分母親が使っていたのだろう、酸素吸入器のボ ンベがまだ明日使うのかというような状態で置かれたままになっていたし、カーテンももう何年も開け放たれてはいないのではないかとい うくらいに薄暗く、雑然とした部屋であったのだ。まるで死者がいっしょに住んでるかのような陰気ささえある。彼女によって部屋は、生 気を完全に取り戻したかのように見えた。

けれども、靴下工場の社長さんのほうは、どうもいけない。「ウイスキー、ウイスキー」と心の中では唱えているのかもしれないが、笑顔 はひきつったままなのである。彼の心の中にはいまだ大好きだった母親が大きく巣食っている。彼の心の中は、彼のそれ以前の部屋そのも のでもあり、また彼の心は自分のオフィスの壊れたブラインドのように堅く閉ざされているようにも見える。

また彼の心を象徴するものとして、彼のオフィスの掲示板、そして彼の家の冷蔵庫に貼ってある指ジェスチャーのステッカーも印象的に 使われている。握りこぶしを作って親指を空に向かって立てるいわゆる「OKサイン」だ。ローマを起源に持ち、ヨーロッパで広く使われ ているジェスチャーのひとつだ。(ただし、現代のイタリア、中東諸国では性的侮辱を表すので注意を要するのだが…)
商売上手の弟のほうが、このステッカーにとても興味を覚え、まず目をつけた。「このステッカーはいいね。お客さんへのサービスでこれ 何かに使えないかな。」「なんだこんなものがか」と兄。「なんだ良いと思わないならなんでこんなところに貼ってあるんだい?」すると 彼は弟が手にしていたステッカーを取り上げ、再び無造作に冷蔵庫に貼り付ける。しかも逆さまに…。

しかし、これは逆さまになると実は大変なことになるのである。実際やっていただければ、すぐにどなたでもピンっとくると思うのだが、 意味は一転「地獄へ落ちろ」「殺せ」というサインに変わってしまうのである。よくローマの歴史劇の映画などを観ていると、不甲斐ない 戦いをした剣闘士に対して皇帝がよくこのサインを送るので、「ああ、あれか」と思われるに違いない。

しかしあまりにも無造作に貼り付けたために、果たして彼はそのことまで意識して逆さまに貼ったのかどうかまではわからない。けれど もこの男、無意識にしてもどこかで自ら人を拒絶して、自分の殻に閉じこもったところがあるのではないか。あるいは人の心のひだを読め ないままに、親切や愛情も気づかないまま、これまで過ごしてきたのではないか。このステッカー一枚でそんなことが見えてきてしまうの である。

ここまで見てきたように、世界各国を見回しても同一ではない写真の掛け声「ウイスキー」そして、指ジェスチャーの「OKサイン」。こ うしたものを映画のひとつのキー・ポイントとして話が展開していくところが、この映画の大変ユニークな点であると思う。というのも案 外に人の気持ちがそんな細かなところにも表れてくるものだからである。しかし、映画の中でこうしたものを象徴的に使ったものはあまり 記憶がない。そんなところからもこのタイトル『ウイスキー』には作者のこの映画への思いがたっぷりと入っているかもしれませんね。

しかしながら、「OKサイン」を「地獄へ落ちろ」サインに変えてしまうほどの頑な心を持ったこの孤独な男。 実は孤独の沼にどんどん陥ってしまう人の典型がここにはあるのだが、彼は果たして壊れたブラインドを上げることができるのか。この後 この奇妙な三人はそろって旅行に出かけるのだが、そこでもまたふたりが夫婦を取り繕わなくてはならない事態が色々と出てくる。心の扉 を開かせるような様々な出来事(チャンス)…彼はそれに対してどんな反応をしていくのか。このお話の続きはぜひぜひ映画館でご覧くだ さい。その際ちょっとだけでもこの拙文を思い出して、そんなところにも注目して観ていただければ、大変嬉しいです。

[2004年/94分/ウルグアイ他合作(配給=ビターズ・エンド)]
監督/ファン・パブロ・レベージャ パブロ・ストール
出演/アンドレス・パソス ミレージャ・パスクアル
2005年春公開予定


メイルちょうだいケロッ

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