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カエル クリスマスに思い出す映画



クリスマスというと、ロマンティックな映画や、楽しい楽しい映画を想像してしまいがちですが、一方街の賑やかさと平和な家庭の窓から 漏れる明かり…これが時に人に絶望と孤独を与えてしまいます。そんな中で起きる小さな奇跡が…それは決して『クリスマス・キャロル』の スクルージーに起こった奇跡ほどではないにしても、そんな人々に希望をもたらしてくれることがあります。今日はそんな小さな奇跡、 といっても映画の主人公たちにとっては大きな奇跡の映画をご紹介します。

『クリスマスに雪はふるの?』(サンドリーヌ・ヴェイセ監督)

貧しい貧しいフランスの農家のお話。この映画の主人公は、未婚というのに子供が七人。女手でしかもこれだけの子供を養ってい くのでは苦しくないはずがありません。春も夏も秋も、朝も昼も夜も一家は畑で働き詰めです。子供のひとりひとりが貴重な働きです。

たまに、作業の合間を縫って子供たちがズッキーニをくりぬいて作った舟を小川に浮かべて遊んでいます。どんな状況でも遊びは忘れない。 こんな子供たちの健気さがこの母を支えているのでしょうか。

忙しいながらも平和な一家の暮らし。しかし、これも長くは続きません。父親が時々この農場にやってきます。彼は、子供たちと会いにや ってくるというよりは、ただ単に生活費を稼ぐため、あるいは彼女とベッドを共にするためにここにやってくるのです。子供たちにはあまり 関心がなく、たまに口を開けば「トマトを収穫してこい」と命令を下し、自分は、座ってくつろいでいます。子供たちにとっては、彼は父 親でもなんでもなく、母を自分たちから奪い、自分たちに苦痛を与える存在でしかありません。

そしてトマトが充分な量収穫されると、彼は自分のトラックいっぱいに積み込んで、再び街へと帰っていきます。
彼には他に別の家があり、ちゃんと妻もいるのです。横暴で自分勝手な男。それでも彼女は時には気まぐれでも優しくしてくれるこの男の 存在を頼ってしまいます。自然との闘いの毎日、彼女にも気が休まるときが欲しかったのでしょう。

しかし、ある日彼女は男が長女にいたずらをしようとしたことを知り、ついに絶交してしまいます。

そして充分な蓄えのないまま、冬がやってきます。クリスマス…子供たちが薪をいっぱい取ってきて寒い夜に備えるのですが、そこに男が やってきて、「このマキは本宅に持っていくものだ。おまえたちは自分でとってこい」と言って持っていってしまいます。 寒がる子供たち。母親はせめてもと、クリスマス・ツリーを彼らのためにいっしょに作り、無理を言って学校からガス・ストーブを借りて きます。久しぶりにごちそうを食べて満足して寝る子供たち。

しかし子供たちを寝かしつけて、自分もベッドに横たわった彼女はひとり涙がとまりません。かすかに部屋にはガス栓からガスが漏れる音がして います。彼女は実はこれが最期のクリスマス・イヴと覚悟し、それでせめてもと子供たちにできる限りのクリスマス・イヴをしてあげたの でした。何も知らない子供たちはみんな幸せそうな顔をして眠っています…「絶望」自分の弱さからズルズルと関係を続け、子供たちを不 幸にした挙句結局男を失う。そして目の前には七人の子供たちと貧しさだけが横たわっている…

しかし、窓のほうがいつもより明るいような気がしたからでしょうか。なにげなく外を見てみると、雪がしんしんと降っています。子供た ちが待ち望んでいたホワイト・クリスマス!その白い白い氷の結晶が、彼女の心を突然動かしました。ガス栓を止めて彼女は子供たちひ とりひとりを起こします。「雪よ、雪が降っているわよ!」

まるでクリスマスの奇蹟が起きたかのように、雪は降りつづけ、外はもう雪が降り積もっています。そこに明るく駆け出していく子供たちの 歓声。母は再び生きる勇気を取り戻していくのでした。

『醜聞(スキャンダル)』(黒澤明監督)

弁護士蛭田(志村喬)は、なんとも冴えない男。名刺を頼りに主人公青江(三船敏郎)が彼の事務所のあるビルに行ってみると、5階と名刺 には書かれているというのに、なぜか4階までしかありません。まさかと思って、屋上に上がり、洗濯物が乾してあるのをかき分けて向こ うを見てみると、そこにはバラックの小さな小屋が建っています。それがなんと蛭田の事務所なのでした。

彼は、既に妻を亡くし、結核の娘とふたり暮らし。夢破れ生活に疲れ、今では競馬と酒の日々。事務所とは名ばかりで、そこは競馬新聞が 散乱し、すっかり荒れ果てています。弁護士の命とも言える六法や判例の資料なども酒代に消えていったのか、何も置かれていません。 そんなクズのような人間。それでも青江は、彼のひとり娘その純粋な心に胸打たれ、彼に事件の弁護を頼むことにします。

クリスマスの夜、蛭田がボロ家に帰ってみるとなんと、中から、「きよしこの夜」が流れてきています。事件の依頼人の青江が、結核を患 う純真無垢な彼の娘のために、同じく依頼人で声楽家の山口淑子と共にクリスマスを祝ってくれていたのです。

障子越しに、娘の幸せそうなな顔が見えます。ふとんの傍らには、蛭田が贈ったクマのぬいぐるにがクリスマス用の帽子がかぶされて、置 かれています。
実は彼は、依頼人を裏切って、今日も訴訟の相手方から、もてなしを受けてきた帰りだったのでした。このぬいぐるみもまた、彼が訴訟の 相手方から、不正に受け取った品物のひとつです。娘の純真無垢な顔、今彼女はそんな父親の帰りを今か今かと待っています。その傍らの 自分の恥ともいうべき縫いぐるみ。依頼人たちの優しさ、そして自分の卑しさ。さすがに良心の呵責に耐えかねたのでしょう。

たまらなくなった彼は、「俺は蛆虫だぁ」と取り乱し、外へ出ていきます。それに気づいた青江がそれを追いかけ、彼をなだめてとりあ えずバーに連れていきます。

バーでは、すでにたくさんの酔客が…クリスマスというのに男たちが、バーの女に囲まれています。皆きっと何かしら悩みを抱えた人たち なのでしょう。ほんの一時の気晴らし。彼らは酔ってそれぞれに自分の不運をごまかしています。きっと家で待つ家族もいるだろうという のに…。

酔っ払いのひとり左卜全がその時、スクッと立ちあがり、突然歌を唄い出します。「蛍の光」
「俺はー来年こそは、女房のために小さくてもいいから家を建てるぞー」

すると次々に人々は同調します。志村喬も「俺も来年こそは蛆虫でなく、ちゃんと生きるぞー…来年こそは」
「まったくだぁ、来年があるからこそ、やってられるんだぁ。それがなかったら、やってられねぇよー」

たちまち、声は広がりいつしか「蛍の光」は大合唱になっていきました。それぞれが、それぞれの思いを込めて…明日にはきっと何も変わ らない一日が待っているだろうけれども、本当に何かが変わるかのような気持ちになって。涙を浮かべながら、物思いに浸りながら唄うバ ーの女の顔も写ります。

「来年こそは…」寂しいけれど、誰にもわかるこの気持ち。とても印象に残るクリスマスの風景です。バーを出たふたりは、やがて汚い ドロ沼のそばで立ち止まります。そこには、聖夜の星が輝いて映っていたからです。まるで薄汚い父親のいる家の中でも明るく美しい心で 輝いている自分の娘…彼はそのドロ沼の中に自分の娘の姿を見つけたのです。

その後娘は不幸にも死んでしまいますが、彼はこの夜の風景をしっかりと心に刻み、立ち直っていくのでした。

素晴らしき哉!クリスマス

以上、西洋と東洋、2本の映画を紹介してみましたが、いかがだったでしょうか。他にクリスマスにまつわる映画では私の最も好きな映画 『素晴らしき哉!人生』などのような映画もあるのですが、いずれの映画にも、絶望と希望が交叉しているのがわかります。

一年が終わるからこそ、清算が迫られ追い詰められてしまうということもあるのですが、逆に新しい年が始まるからこそ希望を持つことも できるのです。これはクリスマスとお正月、文化習慣の違いを超えて世界共通のようです。

もし、一年という区切りがなくて、彼らに苦しみがずっと続いていたとしたらどうでしょう。彼らはきっと自殺に追い込まれてしまったに 違いありません。人が自然の摂理に反した暮らしをするようになって長い時が経ちますが、人はやっぱり今でも季節と共に生きているので す。その季節季節に区切りをつけて祝い、次に希望を持つこと。それはきっと人が自分を守るためなのかもしれませんね。

皆様の思い出のクリスマスの映画はなんですか?楽しい楽しい映画、泣かずにはいられない映画、ハラハラドキドキした映画などクリスマス にまつわるものがありましたら、ぜひメールもしくは掲示板で教えてくださいね。それではメリー・クリスマス、良いクリスマスを!

メイルちょうだいケロッ

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