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カエル 『ムーラン・ルージュ』はミュージカル映画の新しい時代を開くか!



年末に『ムーラン・ルージュ』を観てきました。冒頭からのめまぐるしく動くカット割は驚きの連続でした。少々早過ぎて疲れてしまったと いうところが本当のところです。なぜ、あのように画面にスピード感を出したか、監督いわく「前半で観客が飽きてしまわないように、 中盤まではそのペースでいった」と。

ミュージカル映画が今廃れてしまったことの理由をいくつか挙げてみることにしましょう。まず、途中で歌やダンス・シーンが入り映画の 流れが止まってしまうこと。これは今のスピード感あるストーリー展開の映画全盛の時代にあっては、致命的なものです。次に話しに世相 や社会問題を盛り込まなければダメみたいな風潮ができてしまったこと。これは往年のミュージカルが好きな人たちにも、ソッポを向かれ る結果となってしまいます。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観ると、主人公の女性は、ミュージカルを現実逃避の世界として受け入れ、それによってツライ人生を 生きています。ミュージカル映画の魅力とは、夢の世界の体験に他ならなかったはずなのです。

最近公開された他のミュージカル映画はどうだったか。
ケネス・ブラナーの『恋の骨折り損』は、往年のミュージカルをそのままに再現した作品でした。シェイクスピア劇をミュージカルにした 例ば『キス・ミー・ケイト』、『ウエストサイド物語』などの成功例もあるので、果敢にシェイクスピア劇の新しい味付けの映画化に取り 組む彼であれば、当然行き着くところであったとも言えるでしょう。

しかしながら、往年のミュージカルを真似れば真似るほど、その失敗は広がる一方でした。踊りの下手さがいやでも目立ってしまう。主題 曲もスタンダード・ナンバーを中心に使っていて、ミュージカル・ファンにはたまらないものであったのですが、そうであればあるほど、 往年の映画とのギャップが広がるばかりで、失望せざるを得なかったのです。

おそらくバズ・ラーマン監督には、この映画の失敗が頭の中にあったのではないでしょうか。舞台をモンマルトルのムーラン・ルージュという郷愁を感じ させるところに置きながら、かつ現代風にアレンジしています。もし、現代にあのような空間があったらという想像…これはウルトラC級 の技だと言えるかもしれません。この舞台なら、古風なハリウッドのバック・ステージものを踏襲した単純でわかりやすいストーリーも違 和感がないですし、かつスピード感ある場面転換や、さまざまな時代のヒット曲の数々もはまり込みます。歌と踊りはスピード感のある編 集によって、話の流れを遮るような印象を抱かせません。

『ムーラン・ルージュ』は、ミュージカル衰退の原因のひとつとなっている、先に挙げた問題をどちらをも見事にクリアーしている映画と 言えるでしょう。

この映画でもうひとつ特筆すべき点は、既成の曲をうまく当てはめたところにあると思います。フレディ・マーキュリーの曲や、エルト ン・ジョンの「ユアー・ソング」などなど、およそミュージカルに使うなんて思いも寄らなかったものをあそこまでうまくはめ込んだのは 音楽センスの良さのなせる技でしょう。

さて、これほどまでによく考えられた『ムーラン・ルージュ』なのですが、私には今一歩乗り切れなかった部分があります。それは一体何 なのかちょっと考えてみました。

そこでまずこの映画のルーツはどこにあるのか、ミュージカル映画の歴史をおさらいしてみました。ミュージカル映画の最初の黄金時代は、 バズビー・バークレーが作ったといっても過言はないでしょう。(『四十二番街』)彼は、それまでのミュージカルがただ単に舞台を写し 取ることの延長に過ぎなかったものを、映画的なミュージカルという形に変えたところが画期的でした。フィルムのマジックを存分に使い、 人物をできる限りたくさん集め、今でいう一種のマスゲームを行いました。キャメラをクレーンで思いきりあげ、ダンサーたちを見下ろす と、まるで万華鏡のような美しい模様が現れます。水滴が水面に落ちるところをダンサーたちの動きで再現してみせたり、さまざまな造形 的工夫がなされました。

そしてRKOのフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの黄金時代。ここではダンスは群舞から個人芸と変わっていきます。今度は キャメラをできる限り固定させて、ダンスの素晴らしさを存分に観客に堪能させようという方向になってきます。その方向はやがてMGM のミュージカルとして華麗な花を咲かせます。アステアに続くスタア・ダンサーたち。ジーン・ケリー、エレノア・パウエル、アン・ミラ ー、シド・チャリース、ジュディ・ガーランド、デビー・レイノルズなどなど、「星の数より多いスタア」MGMのキャッチ・フレーズ通 り、華やかなミュージカル黄金時代を迎えます。

ちなみに、『恋の骨折り損』は、まさに個人芸を売り物にしていたこの黄金時代のミュージカルのスタイルを真似たものだったので、大失 敗となってしまったのです。

続いて、セットもより豪華に、スクリーンサイズのワイド化に伴った黄金時代を経て、ミュージカルはついにスタジオから完全に離れ、 屋外へと飛び出します。おなじみの『ウエストサイド物語』そして『サウンド・オブ・ミュージック』がそうですね。『ダンサー・イン・ザ ・ダーク』『ムーラン・ルージュ』も形こそ違うのですが、最初に『サウンド・オブ・ミュージック』のテーマ曲が使われたのが面白い ですね。そしてミュージカルは『屋根の上のバイオリン弾き』『ヘアー』など、次第に社会問題が入るようになって、衰退への道をたどっ ていくのです。

あまりにも大雑把な区分けで、わかりにくいかもしれないのですが、『ムーラン・ルージュ』の直接のルーツ(ストーリーではなくて、 映画の手法という意味で)はここでは見当たりません。プロのミュージカル俳優でないふたりを見せるために、細かいカット割をするのは 正解です。しかし、群舞を見せるシーンまでも同じような一本調子のカット割をするのは、見ていて欲求不満が溜まってしまうだけです。 特にそれを感じたのは、ニコール・キッドマンの初登場のシーン。『紳士は金髪がお好き』のマリリン・モンローの曲「ダイヤは最良の友」 がかかるのですが、曲の雰囲気、テンポとは関係なく、遠くでちゃんと踊っている人たちもチラリと目に入るのですが、それもかまわずキ ャメラは勝手気ままに細かいカットで動き回ります。

それは、昔の曲に無理やり今のテンポの速い曲に使われたミュージック・クリップを付けたみたいな感じを受けます。まるで予告編を見て いるようで、不完全燃焼のままシーンは終わってしまいます。その反対に後半のフレディの曲に乗せられた映像は、ピタリとはまり込 んで素晴らしいシーンになっています。ミュージカルというのは、その曲の雰囲気に、またリズムに合わせた、カット・スピードというの があるべきものなのですが、監督はその基本原則まで破ってしまったようです。

サイレント時代にもミュージカル・シーンがあったなんて驚かれる方もいらっしゃるかと思いますが、ここにひとつの例があります。時は ローリング・トゥエンティ、ダンスといえばチャールストンを意味した時代の映画です。作品はエルンスト・ルビッチ監督の『陽気な巴里 っ子』。チャールストンっていうのは、聴いていただければわかると思いますが、曲の形がジャズ風であるとはいえ、そのテンポは今の曲 と比べてもそんなに差がないくらい速いんです。映画では、そのリズムに合わせて細かいカット割で画面を見せていきます。踊っている足 のアップ、揺れる群集の頭、一組のカップルのステップ、笑顔で揺れる人、人、人の群れ。サイレント時代の映画にもかかわらず、そのカ ット割の早さは『ムーラン・ルージュ』とたいして変わらないです。

後年、このフィルムにチャールストンの音楽を乗っけたら、スゴイです、カットのリズムと音楽のリズムがぴったりシンクロするんです。 これには驚きました。試しに音を消して観てみても、まるで音楽が聞こえてくるかのように、フィルムがリズムを刻み画面が踊っています。 そもそもフィルムっていうのは、音楽といっしょで時間と共に流れていく芸術だといわれています。カット割によって音楽と同じように 一定のリズムを作り出すことができます。以前に一度小津安次郎監督の映画で、壁に映し出された光の明滅を眺めていたことがあるの ですが、一定のリズムを作っていて、まるで音楽のようで驚いたことがありました。

ミュージカル映画そしてMTVの時代をたどっていくと、個人芸でそこに映る人たち自身がリズムを作っていたアステア、ジーン・ケリー 以外のミュージカルでは、カットの多さにそれぞれ違いこそあれ、その音楽の雰囲気やリズムに合わせたカット割という基本原則が守られ ていることがわかります。

映画や芸術には形を壊すことで生まれてくる新しいものというのが常にあり、それゆえに人々に飽きられることなく鑑賞され続けるものでは あるのですが、その中でも基本というのは守られていたりするものです。この監督の革新的なものを作ろうという試みは多いに賞賛される べきものとは思います。しかし、彼はどこかにアーティストとしてのポリシーを置いてきてしまったようです。

繰り返しになりますが、すべては彼の言葉に集約されます。「観客を物語の中に引きずり込ませるために、常に目を覚ませ!起きていろ! という刺激が必要だった」と。それゆえに曲げられてしまった、ミュージカルの基本原則。ミュージカルにある情感、艶の部分を犠牲にし てまで、刺激を作る必要があったのでしょうか。これからのミュージカル映画を考える上でこの功罪は非常に大きいと、一ミュージカル・ ファンとして微かな不安をこの映画にかきたてられました。それともこんな事を言う私のほうが古いんでしょうかねぇ?

メイルちょうだいケロッ

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