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カエル 名前を見ると映画が見えてくる!

『七人の侍』で三船敏郎が自分を菊千代と名乗る。集まった武士たちがいっせいに笑う。ひとつ には、菊千代は武士の名前であること。なおかつ幼名であること。これは日本人なら容易に想像 ができる。そして案の定、彼の持つ家系図がどこからか拾ってきたもので、菊千代がまだ子供で あることが明かされる。武士の格好をしていても、彼が農民の出であることが印象づけられるシーンだ。

外国の映画でも、これと同じように名前に意味があり、誰にでも何かを連想させるようなイメージが含まれていることがある。例えばわか りやすいところで『マイケル』。これは大天使ミカエル の英語形であり、トラボルタが地上に降り立ったミカエル自身であることが、映画の冒頭で早く もわかる。ちなみにミカエルは、悪魔のルシファーを倒した天使で、トラボルタのむくつけき身 体も、それゆえにという納得もできるというわけである。

今日は、そんな名前から映画を読み解いてみましょう。

初めに『風と共に去りぬ』の映画史上もっとも有名なヒロイン、スカーレット・オハラという名 前を取上げてみよう。スカーレットという名前の語源はscarlet(緋色、罪深い)からきている。 彼女が夫を死においやってしまったり、慈善パーティーで喪服のままレット・バトラーとダンスをするシーンを思い出すと、この名前が彼 女にピッタリはまっていることがわかる。また、オハラは典型的なアイリッシュの名前で、彼 女の出自が明らかになるだけでなく、国を(自分たちの土地)を守るために闘い命を落とした有名なオ ハラ家をも連想させる。これもタラの赤い大地を守り続けるヒロインの生きざまとどこかでダブっているのではなかろうか。

そう考えると名はまさに体をあらわしている。タラの大地が、アイルランド古代宗教の聖地と同名なのとあわせて考えると、この物語には アイルランド貧しい農民出身の一家が、異国アメリカで賭けを当て、自分の土地をついに手に入れた。フランス系の貴族的社会にも入って はみたものの、最後はやっぱり土地に帰っていくという、民族のアイデンティティといったものが裏に流れていることがわかってくる。 彼らには土地を外国人によって奪われ続けた民族の血が流れている。農民としての血が流れている。それが土地へのこだわりになっている。

同じくヴィヴィアン・リーの『欲望という名の電車』のヒロインの名は、ブランチ・デュボアデュボアの苗字が示すように彼女はフランス系である。アメリカ南部、フランス系といえば、 時代が時代ならまさに『風と共に去りぬ』のウィルクス家のような家柄だったことがわかる。一方、妹ステラのだんな スタンレー・コワルスキーコワルスキーといえば、欧米人ならすぐにポーランド人と わかってしまう典型的な苗字だ。(意味は鍛治屋、英語のスミスに当たる)ポーランド人は主に19世紀末期にアメリカに渡ってきてた少 数派で、土地を持たない新興のアメリカ人。ブランチはそれが気に入らない。 ブランチが「ただの庶民じゃない」という差別的発言を妹にするのだが、そこに彼女の価値観が集約されている。すべてを失った今 でも大農場主としての誇りだけは生きている。その一族の貴族的非現実さが、身を滅ぼしたというのにだ。

名前のブランチも皮肉である。フランス語でブランシュ、白 を意味する。彼女の心の根っこは確かに白いと思う。純粋、それが時に悪気もないのに差別的な発言に繋がってしまったりもする。今で はその白も汚れがベットリとついている。時々垣間見れるその純粋さと現実の汚れが、彼女の中で同居して葛藤している。シャワーをしき りに浴び、汚れを落としてみたところで、心の中の汚れは落とせはしない。
「ブランチ・デュボア」…この名前にはそんな悲劇が隠されているような気がする。

アルフレッド・ヒッチコック監督の『レベッカ』も象徴的な名前だ。元々の意味は 束縛を意味する言葉。死んだ前妻の影におびえながら広いマンダレイ荘の中で暮らすヒロイン。彼女の姿は霊として見えるわけでは ないし、回想シーンにも登場するわけでもないのに、観客もまた彼女の陰を感じ続ける。机の引出しから出てくる「R」の頭文字。誰もい ないはずの部屋の窓が開き、カーテンが揺れる。家政婦のダンバース婦人がどこからともなく突然現れ、 レベッカの思い出を語る。キャメラが彼女が指差す方向をさ迷う。レベッカの姿がそこに あるかのように。観客もまた彼女の束縛からは逃れられないのだ。

リュック・ベッソン監督の『ニキータ』は、死刑判決をいったんは受けたヒロインが、その素質 を買われ、暗殺者として別の人生を歩むことを条件に生かされる話しだ。ニキータはコード・ネ ームみたいなもので、元来が女性の名前ではない。ロシアの男性に多い名前で、語源は「征服されていな い」という言葉からきている。政府の秘密機関から身も心もズタズタにされながも、自分を失わない彼女の名前になんて合っている のだろうと、感心してしまう。

リュック・ベッソン監督といえば、もうひとつの「殺し屋モノ」『レオン』もまた、よく名前を 考えているなと思う。レオンは言うまでもなく、レオ ライオン転じて勇敢、強いという意味を持つ。また相棒となる少女 マチルダもまたゲルマン語の強い戦士という言葉からきた名前である。そうを考えると、 これは偶然などではなく、彼が名前にちゃんとこだわっていることがわかるというものだ。

最近公開された『ハンニバル』ハンニバルとは、カ ルタゴの有名な将軍の名前でもある。カルタゴは小国ながら、ローマ帝国に最後まで抵抗し、やがてほろびていった。その中でもローマ軍 を再三にわたり苦しめた勇将こそ、ハンニバルだ。このハンニ バルという名前は、元々は「神の恩寵」といった意味を持っている。ただしこれはヨーロ ッパから見れば、「邪神の恩寵」ということになる。カルタゴでは古代宗教を信仰していた。そ してこの宗教は古来幼児を生贄にする習慣が残っており、ローマ人からすれば、野蛮な宗教に見えたことであろう。

レクター博士の猟奇的な性向、『羊たちの沈黙』で、見張りの警官の死体を生贄でもつる すかのように、牢に張り付けた悪魔的な所業は、キリスト教世界である西洋文化への挑戦にも見える。もっとも、 ハンニバルはアメリカのミズーリー州にある街の名前としても有名である。トム・ソーヤーやハ ックルベリー・フィンの故郷として。だから原作者が何を意識してこの名前をつけたかについては、想像の域を出ないのではあるが、 「カンニバル」(人食い)…「カルタゴの将軍ハンニバル」という連想が働いたのではという風に考えるのも面白いかもしれない。

もうひとりハリウッド映画史上に名高い○○○がいる。その名はノーマン・ベイツ。ヒッチコッ クの『サイコ』で登場して以来、リメイク阪も含めてなんと4度も登場する。このキャラクターの名前はしかしながら、実は大した意味を 持っていない。ノーマンは強いて言えば、北方ゲルマン系に多い名前で、 「北の人」といった意味がある程度だ。この映画では、実は名前の意味がどうこうのということよりも、できるだけ平凡な名前で あることが大切だからである。どこにでもいる平凡な青年…事実主演のアンソニー・パーキンスはそんな青春映画のスターでもあった。 …それが事件に巻き込まれていくということに、この映画のトリックがあるわけである。

しかしながら、私は心配してしまう。全国のレクターさんは、いくらなんでもハンニバルという 名前を息子につけないだろうとは思うが、ノーマン・ベイツとなると、もうすでに同姓同名の方 はいたはずである。あの不幸な青年と自分の名前が同じだなんて…私はいやである。それと意外にありふれたこの名前…きっと二度と子供 に名づけられることはないだろうなと思う。そうすると、なんだかこの名前がむしょうに気の毒にもなってくるのである。

映画や小説の及ぼす影響は大きい。そしてありふれた名前もこのように一転呪われた名前に変ることもある。今も世界のどこかで、あなた の名前を使おうと無責任に?ペンを走らせている人がいるかもしれませんよ…そう考えると名前って本当に怖いものですね。フフフっ。



メイルちょうだいケロッ

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