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カエル 『パール・ハーバー』…素人にもできる大作映画術



幼い頃同じ夢を見つづけ、いつも一緒に遊んだふたり。大人になって、ひとりが夢の実現のため遠くへと旅立っていく。その間恋人をもう ひとりの相棒に預けて。残されたふたりは彼がもう戻ってくることがないと早合点、一夜を共にする。そんな時突然戻ってくる彼。彼女の ほうは、たった一夜の出来事というのに妊娠してしまう。動揺しお互いに避ける3人。彼女はまだ元彼のことを愛している。しかし、子供の ためひとりを選ぶ決意をする。幼い時からいっしょのふたりの間にも一時的に溝ができるが、まもなく仲直り。そんな時突然子供の父親に なる青年は、事故で死んでしまう。

『パール・ハーバー』をご覧になった方はここまで読んで、この映画の恋愛部分に絞った粗筋ときっと思われることでしょう。ところがこ れは、最近公開された別の国の別の映画のストーリーであると聞けば耳を疑うのではないでしょうか。

でもそうなんです。これは、オーストラリアのダンス映画『タップ・ドックス』のストーリーでもあるのだ。違いは夢がタップ・ダンサー であること、幼馴染ではなくふたりが兄弟であること。ひとりが戦争ではなく、街の縄張り争いでけんかして死ぬことくらいだ。もっとも こちらは、幼馴染ではなく兄弟という設定で、よりえぐさを増してはいた。時間は『パール・ハーバー』の半分なのだが、「ダンスシーン以外」 では随分退屈で、このストーリーを考えた脚本家を呪って、時計を見ることしばしばであった。

この映画を観たのが、今年の4月のことだったのだが、それから3ヶ月後にまたもや同じストーリーの映画にお目にかかるとは思いも寄ら なかった。しかもこちらは時間は3時間、なんたって鳴り物入り?のハリウッド超大作映画である。

『タップ・ドックス』の時は、ストーリーが映画は素人とという人の手によるものだったので、半ば諦めながら、タップ・シーンのみを楽 しもうとしたものだったが、今度はそれもままならない。一体映画のプロの脚本家がなぜに素人と同じ貧しい発想なのだろうか。 それとこの奇妙な一致は何を意味するのだろうか。映画ヒットの必需品?シナリオ作成ソフトか何かで、ストーリーをつなげていったので はないかと疑いたくなるような独創性のなさである。

この映画には、最初から歴史的事実云々言うつもりは毛頭なかった。娯楽映画として楽しめればという気楽な気持ちで観に行った。東条英 機ら日本の首脳たちが、川原の側にテントを張って、日米問題など極秘事項について語り合い、その脇を子供たちがのんぴりと凧上げをし て通り過ぎる。「不思議な国日本」ということで、笑ってすまそう。しかし、この退屈なストーリーには耐えられなかった。

まあいい。ストーリーは置いておくことにしよう。真珠湾に日本軍が攻撃してくるシーン。これは確かに迫力があった。爆弾といっしょに キャメラが落下していき、落ちる瞬間まで見せる。今まで観たことのない映像にため息がもれた。マストが折れてこちらに落ちてくる。魚 雷が、海に放り出され必死に泳ぐ人々の下を通って、船に命中する。目の前で爆弾が破裂し、その炎の中に飲みこまれる。沈む船に必死に しがみつく人々。SFXの威力が発揮されたすごい映像である。

しかし、映像のすごさの割になぜか、恐怖感が伝わってこない。『プライベート・ライアン』の冒頭の戦争の真っ只中にいるかのような 恐怖感、『地獄の黙示録』の爆撃シーンのような不思議なエクスタシー、『スターリングラード』の突然戦場に放りこまれて、何が何だか わからず、恐怖さえ感じている暇さえないというような感覚。この映画にはそんな緊張感さえない。僅かに主人公のふたりが飛行機に乗っ て日本軍の飛行機に攻撃をしかけるシーンには、娯楽映画としての醍醐味はあるのだが。

その原因はふたつあるようにあるように思う。ひとつは、このシーンが40分という長時間であること。最初はすごい!と観ているにして もこれだけの時間それが続くと感覚が麻痺して、やがて退屈になってくる。二つ目としては、メリハリのなさである。SFXでしか観られ ない映像というのが、使われ過ぎである。ワン・ポイントではそれも効果があるとは思う。しかし、それは現実にはカメラでは捉えること のできない映像であり、それが連続していくことは、リアルを通り越して、逆に非現実的に見えてしまう。(宇宙空間というならまた別な のかもしれないけれど)

『タイタニック』では、 あくまでも現実にキャメラがそこにあったらそんなシーンが撮れたであろう映像を中心にして、ワン・ポイントで観れないはずの映像を持 ってくることで、緊迫感を出していた。ところが『パール・ハーバー』は、キャメラが魚雷の陰を後ろからそのまま追っていく、爆風に飲 まれるなどの非現実的な映像が、次から次へと現れてしまう。映画としてはやってはいけないことである。

結局この監督は映画を作るセンスがないのではないかと思う。物量作戦、詰めこめば詰めこむほどいいというセンスのなさ。そして『アル マゲドン』の時にもあった傾向なのだけれど、例えば話しの展開が変る時、巨大隕石が地球に接近するというメインの話しがプッツリと途 切れて、まるで緊張感がなくなってしまうなどの、ストーリー・テリングの下手さ。映画は一にストーリー、ニに話術、三に映像表現力が 大切だと私は思うのだが、そのすべてがまるでなっていない。それが『パール・ハーバー』なのだ。

しかし、映画は大ヒット上映中…素人でも、コンピュータで割り出したヒットの法則に従った脚本を使い、お金をかけてSFXを駆使し、 次から次へと派手な見せ場を作り、後は一流の宣伝スタッフにまかせさえすれば…ハリウッド映画の娯楽大作映画はできるとでもいうのだ ろうか。

ハリウッドの娯楽映画がみんなこんな傾向になっていくかと思うと、私は寂しいし、そうは思いたくない。これが偽らざるこの映画を観た 感想である。★はひとつ!



メイルちょうだいケロッ

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