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カエル 『短編映画の魅力』東京国際映画祭「英国短編集」より



東京国際映画祭の『英国短編集』に行ってきました。
今回の上映はマイク・リー監督(『秘密と嘘』)の『センス ・オブ・ヒストリー』マーク・ハーマン(『ブラス!』)の『ウォーター・アパートメント』リチャード・ヘス ロップ監督(『ラスト・オブ・イングランド』撮影監督)の『フローティング』サイモン・ボーフォイ(『フル・モンティ』脚本)& ビリー・エルトリンガム監督『イエロー』。 後者2本は、ブリティッシュ・フィルム・インスティテュートとチャンネル4を中心にして作られた、新人監督助成プログラムの一環で 製作された作品です。そしてその質の高さにはまったく驚かされます。短編映画なんて製作会社にとってそんなにうまみのあるものでは ありません。しかし、積極的にお金を出し、こうした若手に映画を作らせる。こんな積み重ねが今の英国映画の活気を生みだしたのでは ないでしょうか。そんなことを強く感じました。

さて、私は普段は短編映画を観る機会というのはあまりないのですが、まさに短編映画は、短編小説に似た味わいがあるのを今回実感しま した。最近では『チューブ・テイルズ』が同じコンセプトで短編を集めて一本の映画にしていますので、そんな作品から想像はしていただけ るかと思います。映画といっても、長編と短編では、その表現方法にも違いが見られます。わずか十数分の時間だからこそできるユーモア、 粋、シャレ、そして中身の濃い自己の表現。そこには長編映画とは、まったく違った世界があります。今日は、その魅力をお伝えするため、 中でも特に印象深かった映画2本を紹介させていただきます。(多分鑑賞の機会はないと思いますので、完全ネタバレになっております。)

『ウォーター・アパートメント』

『ウォーター・アパートメント』は、まさに短編の味。若い童話作家が落ちつけるアパートメントということで、引越してきます。すると よくあることですが、下見をした時には気付かなかった不都合というのが出てきます。

彼が原稿を書こうとタイプに向かおうとすると、上階から窓の外にバシャッと大量の水が降ってくるではありませんか。もう気が散って原 稿どころじゃありません。文句を言おうと階上の部屋のドアをたたいてみても何の返事もありません。見ればドア一面に「非常識」という 苦情の張り紙が。隣人に聞けば、階上の痴呆症で一人暮しの老婦人が、バケツに溢れんばかりの水を汲んで、夜昼となく仕事のように撒い ているとのことです。

それから彼の悪戦苦闘が始まります。引越しパーティーを開けば、おしゃれをして、花束を抱えてきたお客さんに、バシャッ!ズブ濡れです。 夜も水は撒かれ続け、ろくに眠れません。出版社からは、原稿の催促がきますが、一行も手がつきません。部屋にはクシャクシャに丸められ た紙が氾濫し、段々すさんでいくのがわかります。疲労から目にクマが出き、顔も青白くなってきます。

「そうだ!表にビニール・シートの屋根を張れば、あきらめて止めるかも」
けれども、バラバラバラッ。相変わらず続きます。これじゃ音が変わっただけです。

くる日もくる日もそういう日が続き、原稿の締め切りがきてしまいました。もう気を散らしていられる場合じゃないというわけで、必死と いうかヤケクソでタイプを叩き、なんとか仕上げていきます。無事に原稿も渡せた…

久しぶりに熟睡して朝起きてみると、辺りがやけに静かです。どうしたんだろう。部屋を出てみると、まさに今狭い階段をぬって、棺が運 びだされようとしているところでした。おばあさんが急に亡くなってしまったのです。「さあ、これで静かになったね。でもまだ温もりが あるんだ。喜ぶのはもうちょっとしてからにしてくれよ。」と隣人の男。

今度はじっくり書けるぞ。男はタイプに向かいます。ところが、どうしたことか一向にタイプは進みません。コーヒーを飲もうと休んでい ても落ちつかなく、男は自然とカップのコーヒーを別のカップにパチャッ、パチャッ。こうすると落ちつくようなのです。

いなくなったはずの階上に、隣人の男の姿。電話をしているようです。「ちょっと待ってくれ。仕事が終わるまででかけられないんだ」と 言うと、男はバケツの水を階下にばら撒きます。下には調子良くタイプを打つ作家の姿が・・・。
わずか上映時間11分。習慣は人を慣らす。どこでも生きていける人間の習性。これこそ短編小説の味がある映画でした。

『センス・オブ・ヒストリー』

今回一番面白かったのは、マイク・リー監督の短編映画『センス・オブ・ヒストリー』でした。11世紀から続く貴族の一家の物語。その 何十代目かの当主が、家の歴史を語ります。いかにも田園の貴族といった出で立ち。恰幅もよく赤ら顔、しゃべり方にも威厳のようなもの を感じます。

お城のような邸宅の前で、あるいは広大な庭園の中で、馬小屋の前で。屋敷の敷地を案内しながらそこに秘められた歴史を語ります。ステ ッキをつきながらゆっくりとした足取りで。キャメラはその様子を一定の間隔を保って、静かに見守ります。

「この土地は私の先祖が11世紀の頃に手に入れました。色々苦難の時代もありましたが、たゆまぬ努力によって領地を広げてきました。 私は今その恩恵を受けているのです。それゆえにこの土地を守り子孫にきっちり受け継がせていくことが、私にとっての義務なのです。」
…ありがちな退屈な話しです。

「しかし父は、農場経営には向いてなかった。それで私が相続した時には、財産は減ってしまっていました。非常に苦しい状態になって いたのです。あちらを見てください。一生懸命働き、私は失われた土地を元通り取り戻すことができました。さらに隣地を買い上げ、広 がりさえしたのです。どうです。美しいでょう。私はこの土地に他人はいれたくありません。この風景を永遠に守っていきたいのです…」
…さも、得意げに

「悪いことに、父は使用人にも嫌われていました。私は、使用人の言うこともよく聞くし、彼らには慕われています。」
丁度、その時使用 人がトラクターに乗ってやってきます。穏やかな調子で、「トラクターの調子はどうだね」と訊ねます。明るく答える使用人。それ、言っ たとおりでしょといった満足気な顔で、彼はさらに話を続けます。

「私たち兄弟は、母の愛情を受けていません…」
…最初は威厳を持って語っていたのですが、話しが家族のことになると、多少興奮するようにも見えます。
「兄は人からとても、好かれていました。けれども、私にはどうにも物足りなかった。おとなしくて、優柔不断、おまけに彼はどうもホモ の性癖があるように思えました。私と兄は仲は良かったのですが、彼がこの家の跡を取るとすると、さらにこの家は傾いてしまう。子供な がらに、私は危機感を感じていました。」

「私は、ある日いい考えが浮かびました。そうだ!兄を殺そう」
…?

「私は、兄にウサギを撃ちに行こうと誘いました。ここにある柵、今は壊れてしまっていますが、ここで私は柵を越える兄のために銃を持 ってやるふりをしました。そしてまさに柵をまたいだその時、私は兄に銃を向けました。ズドンッ!簡単にすみました。不幸な事故だった のです。」

…おいおい、まったくどういう人なのでしょう。温厚そうな顔をしているというのに、いくら子供の頃の話とはいえ、こんなことを平然と言ってのけ るこの人は。古くからイギリスの貴族、王族たちは、身内の間で骨肉の争いを繰り広げてきました。毒殺、戦争、陰謀…シェイクスピアの 『リチャード三世』では、彼は兄を殺し、その妻と結婚王位を奪い、さらに猜疑心から兄の子供たちまで殺してしまいますが、この紳士に は、そうした血が流れているようです。
彼の考えによれば、「ヒットラーの考えは私にはとても理解できる。彼は貧困にあえぐ国を救ったのだ。私でもその立場ならそうしただろ う。彼は正しかった。ただ、不幸な出来事についてだけは、なんとも言えないが」なんだそうです。

「父は、兄が死んでからというものの、すっかり元気がなくなってしまいました。そしてついに自殺してしまいました。そうです。この木 のところです。」見ると、その木の枝には、朽ちかけた首吊りのロープが風に揺れています

…そんな馬鹿な(笑)もう半世紀は前の出来事なのに…
と、ここで私は初めて、この映画がドキュメンタリーなんかでは決してなく、いかにもそれっぽく作られたブラック・コメディであること に気付きます。(このセンスはどこかで以前観たことがある)

そうなんです。アルフレッド・ヒッチコック監督『サイコ』の予告編。 ヒッチコックが、不気味なベイツ・モーテルを案内します。「さて、この階段は、第2の殺人現場です。今でもその時の光景が目に浮かび ます。」(いかにもおぞましいといった表情で)「ここは、大切な証拠が出てきた場所です」(と言って便器を指差す)思わせぶりにして いるのが楽しくて仕様がないといった表情で、殺人について語るヒッチコックのブラック・ユーモアのセンス。これとこの映画は同質のお かしさだと思っていただければいいでしょう。これぞまさに英国のセンス!

話は戻って、その後の彼の人生は順風満帆に見えます。大学を出て成人し財産を相続、仕事に打ち込み領地も増えました。社交界で理想の 奥方を見つけ、子供ふたりに恵まれます。幸福の絶頂…しかし、生まれて初めて恋をします。妻以外の若い女性と。彼は段々真剣になりま す。それに反し妻に対しては、またもや猜疑心がムクムクと涌いてきます。「あの女は、自分の財産が目当てでうまく振舞っていただけだ。 今はこの家を我が物顔にしている。私に対しての愛情なんてこれっぽちもありゃしない。」別の若い女と結婚したい。それでそんな気持ち を持ちはじめました。しかし、時代はまだまだ離婚に対しては不寛容です。

「そうだっ、これを打開するにはひとつだけ良い方法がある」
何をするか…もうお判りですね。私も期待?します。しかし、しばらくの間…違うのか。

「私は、妻とよくこの辺りを散歩しました。」…大きな池の前に出る…「そしてここに来た時です。私はひと思いに妻を池に押し倒しまし た。妻は必死で這い上がろうとしています。そこで私は…」
すっかり興奮した彼は池の中に入ります。腰のあたりまでどっぷりと水に浸かって、「こうして頭を押さえつけて…」ザブザブッ、バシャ、 バシャ。「気がつくと、この様子を子供たちが丁度見ていました。私はとっさに大声で子供たちを呼びました。助けてくれー。お母さんが 溺れそうなんだぁー。そして子供たちもこういう風にして…」ザブザブ、ジャバジャバ、ポッチャン。

丁度その時、「お父さん、そこで何をやっているのー」という声が…我に帰って呆然とする紳士。いつからそこで彼の様子を見ていたのか、後妻 の子供たちが、お父さんを迎えに来てたのです。まるで、数十年前の出来事の再現のようです。…「いや、今この人たちに魚を掴まえた時の 話しをしていたんだ。先に行っててくれ」
…なんとも苦しい言い訳です。

最終章…「これも不幸な事故ということで、一見落着しました。けれども、妻が死んだからといって、すぐに再婚するわけにはいきません。 彼女とはしばらく遠ざかっていようと考えました。しかし、その間に彼女は別の男と結婚してしまったのです。今思えば私はなんてことを してしまったのかと。私はすべてを失い孤独になってしまいました」

「さらにその後、屋根裏部屋に兄の隠れ家を見つけました。机があって、そこには開いたままの、彼の日記帳が残っていました。私はそれ を読んでみました。すると、兄は馬鹿ではなかったのです。それどころかとても賢く、洞察力もある素晴らしい子供でした。当時はその繊 細さが、弱さに見えただけでした。私にはわからなかった。それに、兄がホモである気配などどこにもなかったのです…」
なんという愚かな人生!

寂しそうに屋敷の中に入る彼を見送り、エンド・クレジットが流れます。家を守ること、伝統を守ること、貴族でいようとすること、 そこには自己だけで、他人がない。そんな人生の哀れさ、おぞましさ。この映画は英国の歴史を、紳士の馬鹿馬鹿しさをブラック・ユーモ アで笑い飛ばします。なんとも見事です。

ところがクレジットが終わり、席を立とうとすると、あの屋敷からまた彼が顔を覗かせます。「この映画は、私の死後に公開してください」 (爆笑の場内)最高のオチまで付いてしまいました。上映時間25分にこれだけの深い中身。短編はこんなにも楽しいものなのです。

メイルちょうだいケロッ

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