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カエル 近頃なぜかオスカー・ワイルド『理想の結婚』

「近頃なぜかオスカー・ワイルド」

近頃、オスカー・ワイルドがまた脚光を浴びています。本の出版も相次ぎ、映画も何本か公開されています。ジュード・ロウの『オスカー・ ワイルド』『ベルベッド・ゴールドイン』もまた、オスカー・ワイルドの子孫たちの話でありました。

オスカー・ワイルドというと、同性愛者といったイメージも強いですが、ダンディズムの実践でも知られています。前世紀末、機械文明と 大量消費時代の幕開けと同時にヴィクトリア朝時代の美学は失われる。彼のダンディズムとは、それへの反逆でもあります。俗物化した貴 族たち。 中世騎士道精神はいずこにいったのか。急速に力を失った地主たちは、政略結婚で富を手にいれようと躍起になっている。金、金、金。 純粋な愛は失われたのか。オスカー・ワイルドは文学で世相を皮肉ります。

いつの世でも世紀の変わり目には、大きな変化が起こるようです。ピュータによる情報革命。持つものと持たざるものは、今日政治 問題にまで発展しています。ハリウッドを見てみましょう。映画の技術はコンピュータによって、限りなく前進していますが、もはや70 年代に見られた味のある、人間味豊かなヒーロー像というのは失われつつあるように思います。かつて、すべて物が手作りだった時代から、 大量消費時代に入ってなにかが失われたように、今もまた人の心の中のなにかが失われつつあるのではないか。こんな世相にオスカー・ワ イルドが蘇ってきたというわけです。
「英国社交界一日体験」

『理想の結婚』は、オスカー・ワイルドの時代を見事に蘇らせている映画です。というのもこの映画には、ロンドン社交界のあらゆる要素 がつまっているのです。そこで英国社交界の一日を、主人公アーサーの目で追ってみましょう。

朝、まだ寝ていると、執事が飲み物を持ってきます。昨夜の夜遊びがこたえ、まだ目がさめませんが、新聞を読んでもらいながら、目を 覚まします。「今日は忙しくなりそうだ。」外出前には鏡の前で服装をチェック、最後に白い蘭の花を胸に刺すことも忘れません。ルパー ト・エベレット扮するアーサーのこのダンディズムは、オスカー・ワイルドその人を思わせます。彼の老執事までもが、鏡の前で服装をチ ェックしてひとりにんまりとしているのも微笑ましいです。

馬でハイド・パークへと朝の散歩に繰り出す。これは上流階級の人々のかかせない日課です。今は陽光さわやかな5月、花は咲きみだれ、 仄かな芳香を放っています。その花にも負けじと華やかな馬に乗った紳士淑女たちでハイド・パークはすでに溢れています。国会も始まり、 いよいよロンドンの社交界のシーズンの到来です。あちらこちらで、咲く噂話の花。ロイヤル・アスコット競馬、ロイヤル・ヘンリー・レ ガッタにウィンブルドン・テニス、夜の舞踏会の情報などなど。この季節はイベントも盛りだくさんです。 散歩から帰り、今度は特に親しい知人宅を訪問したり、フェンシングで軽く汗を流します。汗をかいた後には、快適なサウナも待っていま す。もちろんここには知り合いも多数来ていて、政治談義も交わされたりします。アーサーの親友で、前途有望な議員なロバートは、ここ で、法案である「運河計画」への不正な関与を取り沙汰されました。

昼食が終わると、男性はそのままクラブへと出かけます。クラブとは、すなわち「男たちが食事をしたり、煙草をふかしたり、ビリヤード に打ち興じたり、読書したりする場所」アーサーは、他の独身男たちと、カード・ゲームに興じます。ちょっと退屈そう。 女性はといえば、その時間は訪問カードを配ります。知人に自分が田舎からロンドンに出てきたことを知らせる意味もあり、これは大切 な仕事です。

今日の夜は、舞踏会ではなく、芝居の見物。出し物は今評判になっている、オスカー・ワイルド作『まじめが肝心』。観客の絶大なコ ールの声に、オスカー・ワイルド自身が舞台に現れ、挨拶をします。今ではカーテン・コールに作者が出てくることなどありませんが、こ れは当時実際にあったこと。それを映画にいれるとは、なかなかの洒落っ気ですね。芝居が終わった後は、パーティー。お気に入りの女優 を口説いたり、疲れてなんかはいられません。とはいえ、明日は国会。今日はほどほどにしとかなきゃいかん。というわけで、社交界の一 日は暮れていきます。
真に魅力的なストーリーは時代を超える

この映画には、一組の夫婦と、一組の男女、そしてウィーンの貴族と結婚したひとりの女性が登場します。

一組の理想の夫婦。夫は将来有望な国会議員ロバート、妻は婦人参政権の運動家ガートルード。新聞記者に問われて夫いわく「今私がある のは妻のお陰です」妻は、完全主義者。夫に男としての理想像を求め、夫もそれに答える。夫婦がお互いの理想を演じる関係。この夫婦愛 、砂上の楼閣的危うさを秘めています。ひとつのつまづきが、ドミノ倒しのように波紋を広げます。

一組の男女。映画の主人公アーサーと、友人ロバートの妹メイベル。アーサーは独身貴族にしてプレイ・ボーイ。毎夜パーティーで女性を ひっかけては遊ぶ日々。メイベルはしっかりもので知的な女性。ふたりは、兄の親友と妹とという関係でつながる。友人以上恋人未満。い つかは結婚を。周囲の期待とは裏腹にいつまでも煮え切らないふたり。

そこに飛び込んでくるのは、ガートルードの同窓生今はウイーンの貴族の夫人に収まったチーブリー夫人。ロンドン社交界の噂好きおばさ またちを満足させるため?いえいえ、自分の投資した運河計画が、今英国議会で計画中止の憂き目にあいそう、その情報を聞きつけた。も しそうなれば、その損害は計り知れない。それを阻止するためはるばる大陸から帰英しました。そして池に石が投げられる…。

チーブリー夫人は、ロバートを訪問します。彼がこの国会で、「運河計画は株取引の詐欺であり、国になんら利益をもたらさない、中止を 求めるつもりである」と言うと夫人は、「その発言をとりやめないと、彼の過去の汚職を新聞社にぶちあげる」と、脅しをかけます。 それを知ったアーサーは、ロバートには内緒で、その脅しをやめるよう取引を申し出ます。(この内緒でというところが、いわゆる騎士道 精神なのです。人に知られないように善行すること。自己犠牲の精神、これが肝心です。)すでに夫を亡くした彼女にとって、運河計画の 中止は金銭的な面でも相当痛手になることでしょう。それで夫人は考えて、ひとつの賭けを提案します。「あなたの思いどおり彼が議会で 自説を主張したら、あなたに手紙を差し上げましょう。でも私の予想通り彼が私の要求どおりに、運河計画賛成を表明したら、あなたは私 と結婚する」

ロバートにとって、彼女の脅しは、イコール政治生命の終わり、夫婦の破局をも意味する重大事。それを乗り越え、自分の正義を貫き通す のか。アーサーにとっては、賭けの敗北は、ロバートとの友情、メイベルとの決別を意味する重大事。ひとりの女の目論見が、彼ら4人の 運命を握る。また、その夫婦関係のあり方から、どうしても妻に悩みを打ち明けられないロバート。その騎士道精神の美学的見地から、ど うしても自分の中だけでことを運びたいアーサー。そのことが4人の中でお互いよりいっそうの不信感を生んでいく、このストーリーの面 白さ。オスカー・ワイルドは自分自身が、実際にパリで出会った悪女のイメージをストーリーの中心に据え、主人公たちに揺さぶりをかけ ることによって、当時失われつつあった騎士道精神の誉と、正義の復活をこのお芝居に託しています。

思えばこの美徳、自己犠牲の精神こそが、現代の世の中でも必要なのではないか。この映画を観ていると、そんな気がしてきます。テレビ で連日のように報道される「申し訳ありません」の連呼。ペコペコペコ。これでは、「ごめんなさい」の重みも軽くなってしまいます。正 義はどこへ行ってしまったのか。人が自分本意になり、当然持っているべき責任感や、隣人へのいたわりの気持ちを置き忘れてしまってい るのではないか。横行する美意識の勘違い。今オスカー・ワイルドが注目を浴びているのも、人々の自然な要求なのかもしれません。

『理想の結婚』は、当時の風俗の細部の再現だけにとどまらず、そんなオスカー・ワイルドの精神を現代に蘇らせた見事な映画と言えるで しょう。

メイルちょうだいケロッ

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