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カエル 『アフター・グロウ』にみる夫婦の微妙な関係



この映画は二組の夫婦の話。熟年と若夫婦。熟年のほうは、元B級映画の英国女優と、便利屋の組み合わせ。 これをジュリー・クリスティとニック・ノルティが演じています。妻のほうは、年がら年中自分の出演した 英国のハマー・プロを思わせるホラー映画をビデオで観ています。だんなは水道のパイプ修理をしにいって ついでに浮気をして帰ってくるそんな生活ぶりです。

ニック・ノルティが、汗臭い男の臭いがプンプンして きそうで、はまっています。永年連れ添って、ふたりの間にもいろいろなことがあったのでしょう。今は一 見平穏そうには見えますが、二人の間に見えない何かがあるのが伺えます。もちろん二人ともお互い嫌いな わけではないんです。男は浮気をして帰ってくると、必ず車を降りるときに、外国産の葉巻に火をつけて家 に入ります。香水の匂いを隠すためなんですね。もっとも恐妻家って意味でではないんです。妻のほうは、 毎度のことなんで、うっすらと何をしてきたか感ずいてはいるようなのですが、だからといって問い詰めた りはしません。平穏さの裏になにがあるのか、映画はそれを最初から出さずに徐々にミステリーのように見 せていきます。この夫婦の微妙なスレ違い。これを二人の役者が上手にみせていて、とても見応えがありま す。

一方の若夫婦。夫はエリート・サラリーマン。もう仕事のことで頭がいっぱいです。この男おかしな習癖が あって、オフィスの自分の部屋のベランダに出たと思うと、いきなり手すりによじ登り、綱渡りよろしく、 その上を歩いてみせます。一見不可能で高いリスクのあるものに手をだしてこそ、一流の人生だと思い こんでいるのです。妻のほうは、こんな男からいつも置いてけぼりにされています。まだ若いというのに、 外に出るでもなく、いつも自室に閉じこもりがちで、寂しく夫の帰りを待っています。帰ってきたとて、優 しくされるわけでもなく、まるで自分は存在しないかのような夫の態度に、失望しきっています。だから子 供が欲しくて、欲しくてたまりません。寂しさを紛らわすため、自分の存在価値を見出すためには、それし か思いが及ばないからです。

デパートで、ちょっとセクシーなドレスを買って今日こそはと、夫を出迎えますが、夫のほうは、帰れば仕 事の話しをするばかりで、いっこうにそんなことには気づかないようです。このふたりもお互い嫌いなわけ ではないんです。ただ夫としては、大切な契約を前にして、そんなことを考えるゆとりがない時に、そうい う格好をされても、ただただ疲れるだけ。それはそれでわからないではないんです。この夫婦にあるのもそ うしたスレ違いです。

夫婦生活を営んでいますと、お互いほんのちよっとの気遣いがあれば、なんら問題がないことなのに、つい 自分勝手に振舞ってしまい、それが相手を予想以上に傷つけることになることがあります。それが 長い年月の間にたまっていって、遂に離婚なんてことにもなりかねません。それはまるで飛行機の隔壁の一 本のボルトに金属疲労が重なった結果、やがて大きな亀裂を生み、いつか破裂してしまうのと似ています。 それを人は、思いやりという方法で、修理しながら、夫婦生活を続けていくのかもしれません。 この映画はそんな感じがとてもよく出ています。
熟年夫婦のほうは、すでに大きな亀裂がはいっており、それを応急処置をした状態で何とか飛行中といった 状態。若夫婦のほうは、まだ飛び立っていくらも経っていないというのに、早くも亀裂が生じた状態。 二組ともそんな緊張感があります。

若夫婦のアパートメントは、いかにも現代建築家が好きそうな一風変わった建物です。積み木を出鱈目に積ん で、でも何とか崩れないで建っているみたいな建物です。遠くから見た目には面白いのですが、近くで見ると とても不安な気持ちになってしまうような、不健康な建物です。部屋に中に入ったら入ったで、まるでモデル ルームのようにモダンなソファや、テーブルが整然と配置されていて、温かみもまるでありません。部屋は 人を表すものですが、この映画の場合には、夫の精神世界をそのまま表しているようです。妻の精神世界は、 わずかに自分の小さな部屋の描きかけのキャンバスの中にしかないようです。この夫婦の関係がこんなとこ ろにもとってもよく出ています。

さて、玄関の鍵の調子がよくないってことで、ここにニック・ノルティの便利屋が呼ばれてやってきました。 この建物とニック・ノルテイの姿の場違いなこと。この若い妻は、ニック・ノルティを一目見るなり、寄り かかりたくなってしまいます。石鹸の匂いしかしない夫と違い、この男には汗臭い男の体臭がある。子供っ ぽい夫と違い、父親のような安定感がある。彼女は、玄関の鍵のことはすっかり忘れてしまい、発作的に子 供部屋を作ることを依頼してしまいます。

彼の持ってきた子供部屋のプランは、これまたこの家の他の部屋 とは、全くアンバランスなものでした。高級なアパートメントにというよりは、普通の庶民的な家によく似 合いそうな、良く言えば小市民的で温かいデザインのものでした。青い夜空に星がきらきらしているような 絵。夜子供が目を覚ましても、温かく包んでくれそうな壁紙です。
陳腐といえば、陳腐ですが、でも子供に思いやりが感じられるんです。子供の様子がよくわかるように、夫 婦の寝室と子供部屋との間にドアを作ってみましょう。彼の飾りのない優しい人柄がそんなところによく出 ています。そんなところから、この若妻はこのもっさりとした男にすっかり惹かれていきます。

結婚していると、往々にして自分の伴侶とは違ったタイプの人に惹かれるものかもしれません。見かけとい うことだけではなくて、内面的なものも含めてです。冷静に考えれば、それが自分とは合わないことがわか ってしまうから、あまり発展していくことはないのですが、この映画のように危機的な状況に置かれてしま った場合、それが一気に燃え上がってしまうことは誰にも充分考えられます。

この映画では若い妻が、年上の汗臭い男に惹かれたように、だんなはだんなの方で、年上で妻にはないミス テリアスさを秘めた大人の女性に惹かれていったのは、極く自然な成り行きに見えます。ただそのミステリ アスな女性が、実はニック・ノルティの妻ジュリー・クリスティであったというところが、いかにも映画ら しくて面白いところです。けれど考えようによっては、お互いがコインの裏表のようなものですから、パ ズルのように、このダブル不倫がピタッとはまってしまうのは、不自然なことではないはずです。

夫婦が交換された形で浮気をするというシチュエーションは、『ワン・ナイト・スタンド』にも見られまし たが、この映画の場合、この二組の夫婦が若さや、子供っぽい性格と大人の落ち着き、金銭感覚や価値観な どという点で正反対になっているので、そのパズルのハマリ方、ストーリーの進み方において、より説得力 があるのではないでしょうか。これは、まさにブロード・ウェイかウエスト・エンドの洒落た大人のコメデ ィを思わせます。

さて、相手の浮気を疑った熟年の妻。夫の通うバーで待ち伏せし、彼が別の若い女といるのを目撃後、寄り 道をして夫より遅く帰宅をします。すでに待ちくたびれて寝てしまった夫を妻は揺り起こし、甘えて迫りま す。もうしばらくご無沙汰だったというのに、突然迫ってきた妻に、夫は慌てます。しかも若い女と、激し いSEXをしてご帰還したばかり。とてもじゃないが妻の欲求を満たす余力なんか残っちゃいません。しか し夫の拒絶で彼女は、昼間何があったかがすっかりわかってしまうわけです。何という智恵でしょう。女っ て恐いなって思ってしまいます。ただそれと同時に、この夫婦見かけは、随分ドライな感じにみえますが、 一旦何かがおこれば、実はふたりの間に愛情というプラス面、心の傷というマイナス面、両面で深い繋がり があることがわかります。それがこれをきっかけに吹き出てくるのです。

一方の若い夫婦。まず、はじめに妻が不倫をするのと同時に、夫に対して叛乱をおこします。壁に自分の描 いた絵を飾り、例の応接セットも要らないものをはじに追いやり、自分のサイズにあったこじんまりとした スペースに、必要なものだけを雑然とした感じで並べ直します。夫の世界を取り払い、自分の世界を取り戻 す作業なわけです。自分のことなどまるで目に入っていないような夫に対しての自分の存在の主張でもあり ます。しかし、夫は一層冷たくなるだけで、まったくとりあってくれません。「子供は欲しくない」「それ じゃ他の男と作るわ」「勝手にそうすればいい」そう言いながら一方で妻の浮気となると、許せないようで、 妻の暴言を非常に気にしているのです。このふたりの関係にあるのは、常に「自分は」ということであって、 夫婦でありながら、今だなんら繋がりを築いていないようです。

この二組の夫婦を見ていると、夫婦ってどういうものかってことが、よくわかってくるような気がします。

果たしてこの恋の行方はどうなるのか。彼ら夫婦の間には何があるのか。この文章は、映画の中盤くらいま でしかストーリーについては触れていません。お楽しみはとってあります。ただひとつ言えるのは、この映 画は不倫によっておこる夫婦の細波。それによって徐々に明らかにされるそれぞれの夫婦の繋がり。しっと りとしたジャズの音楽と、モントリオールの秋の黄昏がそれに色を添えて、これは見事な「大人のための大 人による大人の映画」と言えましょう。実際アラン・ルドルフ監督は、一日の撮影が終わり皆でラッシュを見る時に、ワ インやチーズを振る舞い、和やかなムード作りを欠かさなかったということですが、この映画にはそんな大 人のゆとりが感じられます。自分も少しばかりこんな映画を理解できる年齢になったかという感慨ととも に、SFXの派手なアクション映画が作られる一方で、まだまだこんな大人の香りの映画も作られているア メリカ映画の層の厚さに嬉しい思いがしました。

この作品は12月17日まで新宿シネマ・カリテにて上映中です


メイルちょうだいケロッ

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