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カエル 『男の世界』…フィルムに焼き付けられた歴史



男の世界 『男の世界』ってこんな映画…

これは1934年のMGMの作品です。この映画は、『風と共に去りぬ』のデヴィッド・O・セルズニック の製作、クラーク・ゲーブルが主演しています。

この年、クラーク・ゲーブルは、一本の歴史に残る映画に出演し、オスカーを受賞。名実ともに大スターの 仲間入りを果たします。その映画は『或る夜の出来事』。この映画でクラーク・ゲイブルが下着を身につけ ず、素肌の上にシャツを着ていたことからそれが流行になり、下着メーカーの売上が激減したというのは、 今でも伝説になっています。映画がいかに、社会に影響を与えていたか。また当時のスターの大きさを示す エピソードです。

『男の世界』は、この『或る夜の出来事』の後に作られた作品です。しかし、『或る夜の出来事』はコロムビア映画が、ク ラーク・ゲーブルをMGMから借り出して製作された作品。(当時のハリウッドはスター、監督、脚本家など と専属の契約を結んでいました。いわば俳優たりとも、会社の社員のようなものなのでした。)MGMでは、 彼はまだギャング・スターといったイメージが色濃く残っていました。従って彼はこの作品では、ギャング として登場します。

共演は、ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイ。監督はMGMのサイレント時代からの古株で、メロ・ドラ マを得意とする、W・S・ヴァン・ダイクです。この三人は、この年チームを組んでもう一本大ヒット作、 『影なき男』というのを作っています。おしどり夫婦の探偵映画といったものでした。 すなわちこの映画は、当時流行のギャング映画をメロドラマ仕立てにして、人気随一のクラーク・ゲーブル と、このおしどりコンビを共演させれば、きっと大ヒットは間違いなし。こうした製作側の安直な意図も見 えなくはありません。

この映画の原題は『マンハッタン・メロドラマ』。 タイトル通り、都会の両極端の男を巡るメロドラマ。単純にして明快。でもそれゆえに逆にこの作品から当 時のアメリカの歴史、あるいはハリウッド映画の歴史がかいま見えてきます。また、この映画が製作された 1934年は、アメリカの歴史の大きな曲がり角でもあったのです。

サイレントの香り漂う少年時代…

映画の始まりは1909年禁酒法制定前のアメリカ、ニューヨークのロウワー・イースト・サイド。河を蒸気 船が下っています。大量のアイリッシュ・ウイスキーの空き瓶が船から流れ出してきます。船には、アイリ ッシュの移民たちも乗っているようです。もう中は飲めや歌えのドンチャン騒ぎ、そんな親たちを尻目に子 供たちも船上をにぎやかに走りまわっています。子供たちにお説教する神父の姿も見受けられます。 すると、突然船のどこからか火の手が上がります。恐怖に怯える人の顔のアップ、人のことなどお構いなく ふみつけて逃げ惑う人々の群れ、船室に閉じ込められて泣き叫ぶ子供のアップ。人の顔の表情が大袈裟で、 このへんはどこかサイレントの映画を観ているような演出になっています。まだ、初のパート・トーキー映 画『ジャズ・シンガー』が公開されて7年。サイレントの記憶が色濃く残っていたのです。

さて、木造の船ですから火はたちまち燃え広がり、結局あえなく沈没してしまいます。 丘に上がって、泣き叫ぶ子供たち。慰めあう人々。この映画の主人公ジムとブラッキー(ミッキー・ルーニー 。この年この少年はMGMと専属契約を結んだばかりです。)少年もこの中にいます。
「僕はお母さんが死んじゃった」「僕は両親とも死んじゃった」「ふたりで孤児院に行こう」などとベソを かきながら、話しをしています。その様子を見ていた一人のユダヤ人の男が、可哀想になってこのふたりを ひきとってくれました。

しかし、結局引き取ってくれた親切なおじさんも、「共産党員」の演説の場にたまたまい合わせたところ、 騒ぎがおこり、そのどさくさで死んでしまいます。結局孤児になってしまった二人。「僕は見たよ。おじさん は、警察の車に轢かれて死んだんだよ」
さあ、時はどんどんと経っていきます。ジムはこの時の体験が忘れられなかったのでしょう。法律を勉強し、 検事としての人生を歩んで行きます。一方のブラッキーは、賭け事や人との駆け引きに力を発揮し、禁酒法 の追い風も手伝ってか、ギャングの大物へとのし上がって行きます。しかし、同じ事件をきっかけに全く反 対の人生を歩み出した二人の友情は、途切れることなく続いていきます。

時代を写す二つのヒーロー像…

時は現代のアメリカ。(と言っても1930年代)
ブラッキー(クラーク・ゲーブル)は、賭博場を経営し、随分と羽振りの良い生活をしています。豪華な毛皮 や宝石を身に着けた恋人エレノア(マーナ・ロイ)もいます。とはいえ華やかさの裏では、ずいぶんと汚い仕 事もして、明日をも知れぬその日暮らし的な危うさも持っています。恋人はそんな生活に嫌気がさし、そん な生活から足を洗って、平穏な生活を彼と築きたい。そう願っています。
しかし、そんな願いもむなしく、ブラッキーは賭けに負け、借金を返さない人間は容赦なく殺す。そんな生 活から一向に抜け出せないようです。
一方、ジム(ウィリアム・パウエル)の方といえば、彼の検事としての真面目で清潔な仕事ぶりが評価され、 今ではニューヨーク州知事にも上り詰める勢いとなっています。
ふとしたことでジムと知り合ったエレノアは、ブラッキーのことを愛しながらも、ジムの彼にはない穏やか さや、危険のない平穏さに惹かれ、ブラッキーと別れてしまいます。

このふたりの主人公。彼らは、この時代のふたつのヒーロー像を象徴しているようです。 ブラッキーは、つい昨日までの大衆のヒーロー。ジムは、これからの時代の大衆のヒーローというふうに。 ヒロインが、理想肌のジムの元に走るのも象徴的に見えます。

ギャング映画が花盛り…

1920年代の後半から、30年代の前半にかけて、ハリウッドではギャング映画がブームになります。 なぜ、ギャングたちが、これほど大衆にもてはやされたか。それは、1919年に施行された禁酒法とも大 きな関わりがあります。禁酒法により、もぐり酒場が大変に繁盛します。人間は禁止されれば、余計に欲しく なるもの。お酒の消費量は、禁酒法時代のほうが、それ以前よりも逆に増えたという統計も残っています。 そのため、その経営母体であるマフィアたちは、当然のことながら、巨大な企業並の成長をしていきました。

さらに1929年に起こったブラック・マンデイ、世界大恐慌が、さらにマフィアたちを肥え太らせていき ます。銀行からお金を借りられなくなった企業が、もぐり酒場で巨大な利益を得ていたマフィアからお金を 借りることになったからです。利権が大きくなれば、マフィアどうしの抗争も増える。と、いうわけで、大 衆紙を彼らの名が連日にぎわすことになりました。
映画でもお馴染みのラッキー・ルチアーノ、アル・カポネ、バグジー・シーゲルらが活躍したのもこの時代です 。

ここに目をつけた、ハリウッドはギャング映画をこの時代量産します。『犯罪王リコ』『暗黒街の顔役』ら 今に残る名作もこの時代に作られました。ギャングこそが、観客たちの最大のヒーローになっていきます。 ギャング映画で数々のスターが誕生しました。ジェームズ・キャグニー、エドワード・G・ロビンソン、 クラーク・ゲーブルもその中のひとりでした。アメリカの良心、ゲーリー・クーパーまでもが、ギャングに なる時代でした。

禁酒法は終わった…

しかし1933年、ルーズベルトが大統領に就任し、いわゆるニュー・ディール政策が始まります。マフィ アと企業が癒着し、また汚職がはびこる世の中を是正し、不況からアメリカを立ち直らせよう。その一環と して、マフィア成長の温床となった悪名高き禁酒法も、廃止されます。
ハリウッドも、この世の中の風潮にあわせ、方向転換を始めます。「アメリカン・デモクラシーの素晴らし をもっと褒め称えよう。人間をもっと尊重しよう」そのため、全盛期には、年に50本以上も作られていた ギャング映画も、1933年を最後に、すたれていきます。クラーク・ゲーブルのブラッキーが、古いヒー ローを代表しているというのもおわかりいただけるかと思います。

さあ、禁酒法が終わった。映画の中でも、今度は人々の間で正義感といったものが戻ってきていることが わかります。そんなことも追い風となって、新しい時代のヒーロージムはいよいよニューヨーク州知事選に 立候補します。「禁酒法が終わったこれからの時代は、あらゆる汚職を断ちきり、ギャングは徹底的に糾弾 し、きれいな社会にしていこう」彼の演説は、まさにこの時代をそのまま反映しています。

ところが、そこに思わぬ障害が立ちはだかります。汚職がばれ、ジムに首にされた元部下が、それを怨みに 彼とブラッキーとの関係をマスコミにぶちまけると脅しをかけてきたのです。もし、そんなことがマスコミ に上れば、彼の政治生命はたちまち終わりになってしまうことでしょう。
今では、ジムの妻となったエレノアは、たまらず元恋人のブラッキーに、夫には内緒で相談にいきます。 「でも過激な行動だけは出ないで」最後に一言言うのですが、自分のせいで親友が、窮地に陥ってしまう。 ブラッキーはそのことにいたたまれずに、結局ジムの元部下を競馬場のトイレに呼び出し射殺します。

幼馴染みの運命の皮肉…

ところが、思わぬところに事件の目撃者がいました。彼は起訴され、皮肉なことにこのふたりは、裁判で反 対の席で向かい合うことになります。ジムは「正義」のためブラッキーを糾弾します。とはいえ、内心は、 親友をなんとか救ってやりたいという気持ちが強く、二つの心に板ばさみになり苦しみます。「こうするし か方法がなかった」一枚の紙片にさっと走り書きをして、ひそかにブラッキーに渡すのがせいいっぱいでし た。その彼の気持ちが痛いほどわかるブラッキー。静かにうなずきます。

こうして重苦しく時は流れましたが、希望もむなしく死刑の判決が出てしまいます。 面会し、はじめてブラッキーの本心、心の大きさを知ったエレノアは、ことの真実を夫に話します。 「自分のためにやった」そのことほ知ったジムは、せっかく当選した州知事の座を明渡すことを覚悟 で、死刑執行前のブラッキーの元に車で駆けつけます。自分は間違っていたのではないか。正義は大切だ。 しかし、親友を犠牲にしてまで自分が知事になったとして、なんの意味があるのだろうか。 死刑執行前の独房に駆けつけたジムは、ブラッキーの姿を見て決心します。「知事の権限で減刑処分にさせ てくれ」しかし、ブラッキーは「俺を一生こんなところに閉じ込めておく気か。死ぬときくらい俺の自由に させてくれ」彼の申し出を断り、電気椅子へと進んでいくのでありました。そのクラーク・ゲーブルのかっ こいいこと。

映画界の自主規制始まる…

人をひとり殺しただけで死刑。しかも殺した相手も胡散臭い相手だったというのに。なんだか厳しすぎるよ うな気もしますが、これもこの時代を反映していると言えましょう。
1934年7月、映画界にもニュー・ディール政策の意図が浸透し、ハリウッドに製作規定管理局なるもの が置かれます。これはいわゆる映画界の自主規制。プロダクション・コードと言われる細かい基準も設けら れました。例えば、「犯罪方法はあからさまに描写してはならない」とか、「復讐は正当化されてはならな い」、「火器、銃器は目的を限定すべき」などという風に。これにはずれる描写があれば、上映は中止、も しくは該当個所がカットされるという憂き目にあうというわけです。

考えてみると、この映画でクラーク・ゲーブルが撃った銃弾の数はわずかに三発。これまでのギャング映画 では、機関銃を使うのは当たり前でしたから、この映画がその直後に作られたものだけに、明らかに影響を 受けているように感じられます。

そして、この映画のラスト・シーン。親友が死んでしまたことに罪の意識を感じたジムは、せめて自分の正 義心、信念を貫こうと、知事就任後最初の議会で、実は彼の殺人が、自分の選挙のためであったことを告白 し、自ら退任届を出してしまいます。何とも後味の悪い。友人の死を悼むのであれば、彼の意志を尊重し、 これから自分が政治家として正義を貫き、社会をよくしていこうと終わるべきと、私は思いました。これで は、親友の死はまったくの無駄になってしまいます。メロ・ドラマとしても、これではただ重苦しさだけが 残ってしまうことになり、ドラマとしての高揚感もなくなってしまいます。

ただ一方こういうことも言えます。もし私が望むようなラストになったとしたら、それはギャングの行った 行為を正当化してしまうことになる。また、ブラッキーが、社会的には悪いやつなのだけれど、人間的には 素晴らしい男ということになってしまう。これは倫理的にまずいのではないかと。ここに、プロダクション ・コードの規制が働いてしまったのではないでしょうか。製作規定管理局なるものが置かれた直後の映画と いう生々しさが感じられます。

自主規制は映画をダメにした?…

このプロダクション・コードは、結局1966年まで効力を発揮することになります。今ここに挙げた犯罪、 暴力の他に、飲酒、言葉の表現、人種問題、性描写など事細かに規制されています。昔のハリウッド映画を 観ていると、よくベッド・シーンになると、暗くなり翌朝になっているなんてことがありますが、それもこ のためです。

では、これ以降のハリウッド映画は、果たしてこのコードのためにつまらなくなっていったのでしょうか。 いえいえ、そんなことは決してありません。1938年には、新しいギャングのヒーローが生まれています。 ジェームズ・キャグニーの『汚れた顔の天使』この中で彼は、子供たちに英雄視されるギャングを堂々と演 じきっています。なぜそのようなことができたか。最後、彼が死刑になるシーンで、彼が取り乱し、泣き叫 ぶシーンが付け加えられたからなのです。彼はただの臆病者だったという風に。しかしながら、これは見方 によっては、逆に彼が子供たちに自分の二の舞をさせないように、わざとそのように振舞った。実は勇気あ る行動の何物でもなかった。そうも捉えられるようなぼかし方がされているのでした。制約があれば、かえ って豊かな表現力が産まれる。映画人の創造力の素晴らしさには頭が下がる思いがします。

事実は小説より奇なり…

なんだか少し硬い話しになってしまいましたので、最後にひとつだけ、この映画のもうひとつの裏話をして みましょう。
撮影当時、ウィリアム・パウエルは、奥さんと離婚をしたばかり(1933年)、一方クラーク・ゲーブルも 奥さんとうまくいかなくなっていました。この二人の共演、実は因縁があります。
ウィリアム・パウエルの離婚した奥さんは、女優のキャロル・ロンバード。その彼女とゲーブルは、193 2年に『心の青空』で共演、その時から彼女との友情が始まっていました。そしてこの映画のもう少し後に 、愛が芽生えはじめます。その元夫との共演がこの映画。

後にゲーブルは35年に奥さんと別居、熱烈に愛し合い、1939年にキャロルと結婚します。 すなわち、映画ではウィリアム・パウエルがゲーブルの元恋人と結婚するという形になっていたのですが、 実生活では、皮肉なことにまったくその逆になってしまったというわけなのです。 何たる偶然。事実は小説より奇なりといったことでしょうか。

メイルちょうだいケロッ

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