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カエル 『エリザベス』をめぐる人々とその時代

『エリザベス』がもっとおもしろくなる(?!)…

こんな風に、今回『エリザベス』の前史や、登場人物のプロフィールを書くことには、訳があります。 それはこの映画の時代背景や、人物関係がちょっとわかりにくいからなのです。

どうしてわかりにくくなってし まったかというと、映画自体が決して歴史に忠実に作っているわけではなくて、脚色されているからなので す。エリザベスが女王になってからの前半30年間の出来事が、まるで同じ頃に起こった出来事のように 散りばめられています。監督はその時代のスピリットを表現するためと言っています。記録ではなく、物語 が大切とも。
これは映画としては当然のことと思います。よりドラマチックな空間を作るために。

しかしながら、若干詰め込み過ぎたきらいもあり、歴史的な背景がぼやけてしまったことは否めません。 そのため、物語が唐突に起こったように見えるところもあります。私など戸惑うばかり。 とはいえ、最近ではこういう歴史絵巻が公開されるのも久しぶりのこと。出来れば楽しみたいものです。

そこでこの世界を最大限楽しむためにこの拙文が少しでもお役にたてれば…そんな気持ちで、書いてみまし た。えっ、そんな思いまでして観たくないって…うーんそれもごもっとも。でも映画を通じて歴史を辿る のもたまには、楽しいものですよ。


ヘンリー[世 父王ヘンリー[世の私生活…

エリザベスの父、ヘンリー[世は6人の妻を娶ります。
当時、英国は女系への王位継承は認められていませんでした。 そのため彼は、次から次へと結婚を繰り返したのです。 最初の王妃キャサリンは、死産を繰り返し、やっと産まれたその子も女の子(のちのメアリーT世) だったため、1527年についにヘンリー[世は彼女との離婚を決意します。
当時、ローマカソリック教会では、離婚は認めれらていなかったため、専制君 主のヘンリー8世は、英国国教会を設立してローマ教会と決別することで離婚を強引に実行しました。その 際、何人かの良心的な政治家たちが処刑されました。
もっとも有名なのは、自分の宗教的信念を貫き、断頭 台の露と消えた大法官サー・トマス・モアです。このいきさつについては、名作 『わが命つきるとも』で丁寧に描 かれています。彼の自分の信念を貫き通す、勇気、潔さが感動的です。王たりとも神の意志にそむき、離婚 をすることは認められない。そして名優サー・ポール・スコフィールドの最期の台詞「私は王のしもぺでは なく、神のしもべです」が胸打ちます。


アン・ブーリン エリザベスの誕生とその時代…

ヘンリー[世は、ローマカソリック教会の全ヨーロッパへの強い影響力、大国スペインから迎え入れた 最初の王妃キャサリンとの離婚によるスペインとの関係悪化や、国内のカソリック教徒の有力者たちを敵に回すなどの危険を 冒し、ついに2番目の妻アン・ブーリン(左写真)を娶ります。彼女こそがエリザベスの母親なのです。
このいきさつは『1,000日のアン』で詳しく描かれています。
1533年に早くも第一子エリザベスを産んだアンでしたが、その後は流産、また子供に恵まれなくなって しまいます。そしてしびれを切らしたヘンリーは、わずか結婚後2年数ヶ月で彼女を処刑してしまいます。エリザ ベスまだ2歳半の時でした。
映画では、処刑の鐘の音を何も知らずに聞いている、幼い少女の姿が涙を誘い ます。彼女の最期の言葉は「処刑はとてもよいものだと言われているのを聞きましたが、私の首は特に小さ いですからね。」王妃にふさわしい立派な最期でした。

ヘンリー[世は、彼女の死後10日後に、のちの王エドワードY世を産むことになる、女官ジェーン・シー モアと結婚します。それと同時にカソリックの修道院のほとんどを解体させ、宗教改革を進めていきます。 これに伴い旧権力者に変わる新しい支配層も力をつけていきます。これが後の火種になっていくのです。

かつては、上機嫌な父に抱かれ廷臣たちの間を見せて回られたエリザベスでしたが、母親が処刑され、エド ワード王子が誕生した後は、私生児と蔑まれ苦難の日々を送ります。王位継承者からの一夜にしての転落で ありました。


ヤング・エリザベス エリザベスの青春…

1547年、栄華を誇ったヘンリー[世は57歳でその生涯を閉じました。死因は梅毒の悪化でした。(彼の 女好きは、『ヘンリー[世の私生活』というコメディができたほどです。)
彼の後を継いでわずか9歳で即位したエドワードY世は、すでに肺を病んでいました。 そのため、その後の後継者を巡って、早くも宮中には陰謀の嵐が吹き荒れました。

1548年エリザベス15歳の頃、彼女に求婚者が現れます。
母親はすでになく、父親にも疎まれていたエリザベスにとっての庇護者で、ヘンリー[世の最後の王妃でもある、 キャサリン・パーのその後の夫だった トマス・シーモアです。(ジェーン・シーモアの兄でもある)
彼は自分の妻が亡くなる前から、己の野心のため、その機会を窺っていたので す。彼女の部屋に朝から入りこみ、ベッドの中の王女にもたれかかり、下卑た冗談を飛ばし、尻をたたく。 こんな行為がやがて世間の噂にまでなっていきました。
エリザベス自身はこの求婚を拒否してはいるものの、 容貌華やかで向こう見ずのこの男に、心地よいものを感じてはいたようです。しかし、彼はそれと同時にエ ドワード王と、ジェーン・グレイ(ヘンリー[世の妹、メアリーの孫)の結婚の画策に失敗。まもなくタワー ・ヒルで処刑されてしまいます。
エリザベスは、この陰謀に加わっていたのではないかとの疑いをかけられ ましたが、自ら宮廷へ堂々と赴き、疑いを晴らしました。弱冠15歳の娘に、時の摂政もなすすべがなかっ たといいます。(この話は『エリザベス』では、のちの時代の別の挿話として置き換えられています)


レディ・ジェーン レディ・ジェーン九日間の女王…

1553年、15歳のエドワード王がついに重病になりました。
彼が死ねば、その時は「カソリック派」の メアリー(ヘンリー[世の長女)が王位に就くことは間違いありません。そうなれば、 英国国教会派の新興勢力の貴族たちにとっては、自らの死を意味することになります。

国教会派のジョン・ダドリー(映画『エリザベス』の恋人役でもある ロバート・ダドリーの父)は、今は自分の息子ギルフォードの妻となった、ジェーン・ グレイ(左写真)を王位につける策略をします。
そしてついに、死の近いエドワード王から「王位をジェーンに継がせる」と いう勅状を密かに取ったのです。そしてエドワードY世の死から二日後、ジェーンはこの勅状に基づき、華麗な 装束でロンドン搭に入り、王冠と王だけが持つものとされる「搭」の鍵を受けました。このことは、実質 的に即位をしたことを意味します。
戴冠式の準備のため、彼女は引き続き「搭」に留まりましたが、2度と 再び外に出ることはありませんでした。「カソリック派」の貴族ノーフォーク公とメアリーT世の軍勢が蜂 起したからです。そして、彼女はわずか9日間の女王から一転、処刑されてしまいます。

この悲劇は、『レ ディ・ジェーン〜愛と運命のふたり〜』という映画になっています。「悔い改めることはないですか」の司 祭の言葉に「お止め下さい。わたしはすべてに安らかな気持ちです。どうかこのまま死なせてください」と 答え、手袋とリボンを侍女に渡し、処刑人にもねぎらいの言葉をかけた立派で静かな死でした。


ブラディ・メアリー ブラディ・メアリー…

いよいよ、この当たりから映画『エリザベス』の時代へと進んでいきます。

1553年、ついに女王の座についたメアリーT世(左写真)は、まず父ヘンリー[世の宗教改革を否定、カソリック の信仰を復活させます。
そのために処刑された主教、神学者、知識人などの数はおよそ300名。国内は混 乱し、恐怖に満たされます。そのため彼女につけられた渾名は、ブラディ・メアリー。
『エリザベス』のファースト・シーンは、まさにその処刑の残酷さに満ちたその情景で始まります。メアリーT世の治世になり、 国教会派の妹エリザベスは再び死の恐怖に脅かされることになります。

翌1554年、メアリーT世は、スペインのフェリペU世との政略結婚を決意します。 国内のカソリックの信仰をより強固なものにしようという狙いもあったのでしょう。しかし、それは英国がスペインの属国とな る危険もはらんでいました。
そこで再び国教会派の貴族が叛乱を起こします。そして叛乱が成功したあかつき には、かつてメアリーの結婚相手と予想されていたこともある、エドワード・コートニーをエリザベスと結婚 させ、再びプロテスタントの女王を擁立しようと計画しました。

しかし、この叛乱は、エドワード本人の裏切りにあって失敗します。そして計画にはなんら関与していなかっ たにも関わらず、嫌疑をかけられたエリザベスはロンドン搭へと投獄されてしまいます。エリザベス、21歳の時でした。



クイーン・エリザベス 映画『エリザベス』の時代…

ロンドン搭へ投獄されたエリザベスは、結局2ヶ月ほどで開放されるのですが、ここで先に父親ジョン・ダド リー(ジェーン・グレーを擁立しようとした)と共に投獄されていた、ロバート・ダドリーに夢中になりました。 この感情は、彼の死の日まで続いていくことになります。
映画『エリザベス』はこの物語を中軸に構成されています。
そして1558年メアリーT世が、42歳の若さで、病気のためこの世を去り、ついにエリザベスT世の時代 が始まります。25歳の若き女王の誕生でした。

しかし、エリザベスが即位したからといって、決してすぐに国内の混乱は収まるわけではありませんでした。 相変わらず新教徒と旧教徒の対立はいたるところに現れ、また国外に目を向けると、カソリックの国スペインの脅 威がいままでになく増してきます。
この混乱に乗じて、スペインと組んでエリザベスを廃位させようという 企みや、スコットランドのメアリー・スチュアート (スコットランド女王で英国の次の王位継承権者でもある)を担ぎだそう、といった企みなども 度々出てくるのでした。

時にエリザベスはその気がないにもかかわらず、結婚という餌を目の前にちらつかせながら、フランスやス ペインの脅威からの時間稼ぎをしたこともあります。しかし、結婚によって利用されるのではなく、彼女は それを武器に変えたのです。
エリザベスは、姉のメアリーT世ジェーン・グレイ、母のアン・ブーリン、 政略結婚によってもたらされる数々の悲劇を常に目の当たりにしてきています。 それゆえ、彼女が、バージン・クイーンでいることで、これらを避けようという意志は、 すでに女王になった当初から漠然とあったのではないでしょうか。 男性の美しい姿に心乱れる女としての自分と、女王としての自分の両面が、心の中に同居していたのです。
映画『エリザベス』は、まさにこの両面が描かれています。そしてエリザベスが、この混乱の中でどのよう にして"クイーン・エリザベス"となっていくか。これを見所にしています。


クイーン・エリザベス 映画『エリザベス』をめぐる人々…

最後に、『エリザベス』の主な登場人物の紹介をしておきましょう。

「ロバート・ダドリー」(ジョセフ・ファンイズ扮)
レスター伯。『エリザベス』の恋人。映画ではまだ主馬頭の彼は、実は名門の貴族。兄ギルフ ォードの妻は、悲劇の人ジェーン・グレイ。彼女を女王に祭り上げた角で父ジョンは、処刑されている。
エリ ザベスに寵愛され、一時は結婚相手の候補と目されていたが、女王に秘密で、アン・ブーリンの姉の孫レティス と結婚。怒りを買い、ロンドン搭に投獄されてしまう。(のちに許される)

「エセックス伯」(『エリザベス』には登場しません)
ロバート・ダドリーと結婚したことで、レティスはのちのちまで、女王に恨まれることになるのだが、 あろうことか、その一方で女王はその彼女の息子エセックス伯を愛してしまうのである。(なんかすごいドロ ドロしていて好きだな)
彼の妻は、ウォルシンガム(『エリザベス』の中ではジェフリー・ラッシュ扮)の娘。 しかし、エリザベスは気にしなかった。「女王には妻という名の女など無視することができるのだ」と。
女王の寵愛を一心に受けたエセックス伯、一時はフランシス・ベイコン とアンソニー・ベイコンを自分の片腕にすることによって、英国を動かす二大勢力にまでのし上るのだった。

「アンジュー公」(ヴァンサン・カッセル扮)
時のフランス王アンリV世の弟。1579年にエリザベスとの結婚の交渉が本格化する が、結局現実とはならなかった。(結局12年もの間彼は、宙ブラリンにさせられていた)
フランス王位継承第1順位にあったが、30歳の若さで亡くなった。彼が早くに亡くなったため、次の王はアンリV世の妹の 夫ナヴァールのアンリに移る。これはプロテスタントの王の誕生、国内の混乱を意味した。

「メアリー(マリ)・ド・ギーズ」(ファニー・アルダン扮)
スコットランド王ジェームズX世の妻。母はアントワネット公爵夫人。
娘は、悲劇の女王メアリー・スチュアート。フランスの名門貴族の生まれの彼女は、エレガントでかつ勇猛 さも備えていた。ヘンリー[世のお妃候補になったこともある美しい人だ。

「フランシス・ウォルシンガム」(ジェフリー・ラッシュ扮)
悪名高い英国の情報活動の中心人物。
エリザベスはスコットランド女王 メアリーを処刑することには、最後まで否定的であったにもかかわらず、その心を知ってか知らぬか、メア リー処刑のための情報活動で暗躍する。彼が自力で得た情報の中には、 「機械運動(拷問器具を使った)」の産物も数多いとか。

「ノーフォーク公」(クリストファー・エクルストン扮)
トーマス・ハワード。ヘンリー[世の時代には、一族のうちから二人の王妃(アン・ ブーリンとキャサリン・ハワード)を出した旧教派の中心でもある名門貴族の後継ぎ。
1569年の「北方伯爵たちの叛乱」(映画で描かれたものは、この事件をヒントにしている) スコットランド女王メアリーが、イングランドに避難してきたのをきっかけとする旧教派貴族たちの叛乱で、 最終的にはメアリーと彼を結婚させることによって、彼女の王位継承権を決定的にさせようとしたが、失敗。
これによって彼はロンドン搭に幽閉された。最終的には1572年に処刑される。

「ウィリアム・セシル」(リチャード・アッテンボロー扮)
バーリー卿。映画では、エリザベスに影のようについていた老人。
当時の宰相の地位にあった。30年もの長い間、英国の最高の地位で活躍する。 年老いて息子の出世のために尽力するが、それが甥のフランシスとアンソニーのベーコン兄弟をも 犠牲にしてまでという態度だったので、彼らの怒りをかう。
兄弟が、エセックス伯の協力者となったため、彼らは政治の場面で常に対立することとなった。 そんな彼も「北方伯爵たちの叛乱」の事件の後ついに失脚する。



<参考資料>
「エリザベスとエセックス」リットン・ストレイチー著
「ロンドン搭」出口保夫著
「スコットランド女王メアリー」アントニア・フレイザー著
「英国王妃物語」森護著
<紹介した映画>
『わが命つきるとも』 フレッド・ジンネマン監督、ポール・スコフィールド主演
『ヘンリー8世の私生活』アレクサンダー・ゴルダ監督、チャールズ・ロートン主演
『1000日のアン』チャールズ・ジャロット監督、ジュヌビエーブ・ビジョルド主演
『レディ・ジェーン〜愛と運命のふたり〜』トレバー・ナン監督、ヘレナ・ボナム・カーター主演


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