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カエル 『スウィニー・トッドとマダム・タッソー』



『スウィニー・トッド』っていう映画が公開されている。スウィニー・トッド。切り裂きジャックがロンド ンの街を恐怖に陥れるよりさらに100年ほど前の恐怖の犯罪者。本業は床屋さんのこの男、お客が椅子に 座って、ひとときの会話。「お客さんは、どちらからいらっしゃいました」「オックスフォードからじゃよ。 新しいセント・ポール寺院を一目見たくてね。その前にちょっとさっぱりしときたいんじゃ」こんなことを 言ってしまったら、もう大変。次の瞬間、憐れ男の椅子はくるりとひっくり返り、まっ逆さまに地下室へと 落ちて行く。運良く首の骨が折れなかったとしても、すぐその後に恐怖の剃刀が男の喉を掻っ切って、男は 還えらぬ人となる。そして遺体は、まもなく近所の商店で見事なパイとなり、ロンドン市民の舌を楽しませ ることになる。このおぞましい物語の本格的な映画化作品である。

映画の冒頭、ひとりの太った男が通りを歩いている。道はぬかるみ、そこを二頭立ての馬車がスピードを出 して行き交っている。歩道はきちんと舗装されているが、大勢の人で溢れかえっている。貧しい人たちは、 恰幅のいい彼が通り過ぎると、止むなく歩道を降りる。歩道の下は雨水がたまり、泥沼の状態と化している が、それを避けようとすると今度はたちまち馬車に轢かれてしまうだろう。向かう先には何やら人だかり。 見れば、大道芸人が今まさにその口から炎を吐き出さんとしているところ。貧しい者も、そうでない者も皆 夢中になっていて、彼の存在などには気づくはずもない。バシャッ、ぬかるみに入った彼の足に泥が跳ねる。 臭ってきそうな、ねっとりとしたその泥の感触がよく出ている。それもそのはず、この泥は馬や人の糞尿の 塊に他ならない。向こうから今度は恰幅のいい、上品な赤い制服に判事。男はため息をつき、またもや道を 譲る。バシャ。英国の階級社会の厳しさが垣間見れる。家の二階からは、ありとあらゆる汚物が道に向かっ て投げ捨てられる。人がいようが、いまいがお構いなし。ドシャッ。男は肩口からドロドロの水を浴びせら れる。あげくの果てに少年がぶつかった拍子にサイフをする。憲兵は立ち話に夢中で、相手にさえしてくれ ない。憲兵がいい加減なのは、スコットランドヤード誕生以前のロンドンだからだ。

これが、18世紀、世紀末のロンドン。すごい時代考証、そして何よりこの短い数分の時間に、当時の時代 を映し出す、その演出は誠に見事である。この映画の時代考証がいかに丁寧かは、当時の文章を読むと尚さ らに納得されることだろう。スウィフトの詩「都会の驟雨」は雨が降ったロンドンの街路を詠う。「糞、腸、 血、溺れた子犬、悪臭芬芬たる小魚などみな泥まみれ、死んだ猫、カブラの頭などが、流れに乗って転がり 落ちる」同時代のパリも似たりよったり。クロード・ル・プティの詩「滑稽なパリ」では「俺の靴、俺の靴 下、俺の上着、俺の帽子、何から何まで同じ色に染め上げる。こんな姿を眺めると俺だか糞だか分かりゃし ない。」と道を歩くことの苦悩が詠われる。
それもそのはず、トイレという文化が発達し、下水道が完備するのは、19世紀まで待たなくてはならない。 庶民は糞尿を桶に貯め、それを窓から投げ捨てる。

パイを作るお店からは、家畜の血が流れ出す。巨大なミンチの機械を女や子供が、それこそ血まみれになっ て、歯車を回している。こんな非衛生的な店は今日では、存在できるはずもないが、当時は押すな押すなの 大繁盛。それもそのはず、肉は不足しがちで庶民の口には滅多に入ることはない。それがここでは、安価で 食べられる。しかも品切れになることがない。(足りなくなると人肉を使うのだから)

映画に出てくる堵殺場。余った臓物が、そのまま積み上げられていく。道路に流れ出す血。そんな中で市が 開かれている。これについては、ディケンズが「オリバー・ツイスト」の中で様子を描いている。「踵まで 埋まるほど。地面には汚物とぬかるみが広がっている。家畜の生暖かい肉からは、濃い湯気がいつまでも立 ち昇っていた。」

いわばこの時代は、1760年代に起こった産業革命と、それに続くヴィクトリア朝の栄華が訪れる前の中 世と近代との丁度中間に位置する時代なのだ。 こんな時代だからいかにも起こり得るこの猟奇的事件は、事実だったのか否か。真相はわかっていない。た だスウィニー・トッドが処刑されたという記録だけは残っている。詳細が残っていないのは、多くの市民が その肉を食ってしまったというショッキングさ、屈辱さからであろうか。19世紀雑誌文化の発達によ り、この事件が再びクローズ・アップされブームが起きた時には、すでに伝説となっていた。

英国には昔からこのような猟奇的な事件が多い。一番すごいのは、16世紀のソニー・ビーンの事件。「彼 は、スコットランドのギャロウェイの洞窟で、妻、8人の息子、6人の娘、そして近親相姦により生まれた 32人の孫とともに暮らしていた。生計は狩りで立てていた。」 (「恐怖の都ロンドン」スティーブ・ジョーンズ著)この狩りとは、言うまでもなく人間を対象にしていた。 1,500人もの人間が、彼らに食われてしまったと言われている。

この映画の世界を膚で実感してみたければ、マダム・タッソー、ロンドン・ダンジョン、エジンバラ・ダン ジョン、こういった蝋人形館に足を運ぶことをお勧めしたい。そうこの映画は、まさに「ロンドン・ダンジ ョン」の世界なのである。そこに行けば、切り裂きジャック、スウィニー・トッド、ソニー・ビーンが当時 のままの姿で我々を迎え入れてくれる。蝋人形館というと、普通英国の首相とかマイケル・ジャクソンらが、 自分に瓜ふたつの蝋人形の前でニッコリ笑って記念撮影といった光景が思い浮かべられるが、それが蝋人形 館のすべてではない。マダム・タッソーの「ザ・チェンバー・オブ・ホラーズ」処刑や、拷問の様子をリア ルに再現したこのコーナーが実は意外に人気がある。ロンドン・ダンジョン、エジンバラ・ダンジョンは、 そのコーナーだけが独立して出来た蝋人形館であるので、その人気のほども窺える。

暗い石造り風の階段を降りて行くと、薄明かりに照らし出された、チャールズ一世が今首を元通りに縫いあ わせてもらっている。切り裂きジャックが、まさに今、女の内臓を切り裂いている。斬首される人々。水を じょうごで口に注がれて、お腹が破裂寸前に膨れ上がっている男。生きながら、お腹をのこぎりで切られて いる男。苦悶に顔を歪めている。ご丁寧に首が切り落とされる瞬間を見せる仕掛けが施されているものもあ る。(エジンバラ・ダンジョンでは、刎ね落とされた首をモギリのお姉さんが、つけ直しにきている姿も見れ た。人が足りないのだ。涙ぐましい。)有名な殺人事件に有名無名の人々の処刑シーン、そして数々の拷問シ ーンがここに再現されている。映画では、スウィニー・トッド自身が主人公に語る「文明社会で最も進歩し た技術を知っているか。死刑の技術だ。スペイン人は火あぶり。アラブ人は体を切り刻む。イギリス人は、 絞首刑、水責め、四つ裂き。」

映画の中でも、蝋人形館が出てくる。殺人の瞬間を捉えた蝋人形が展示されていて、そこを若いカップルが 恐々と通り過ぎて行く。どちらかというとお化け屋敷の雰囲気を思わせる。蝋人形のそもそもの起こりは、 こういったものではなかったのか。蝋人形の草分けマダム・タッソーは、彼女の母がワックス模型製作者 カーティス博士宅でハウスキーパーとして働いた関係で、若い頃から彼より蝋人形アートを学ぶ。そしてベ ルサイユ宮殿に芸術家庭教師として招かれるまでになる。そして彼女は28歳でなるまでそこにとどまり、フ ランス革命の間には、ギロチンで切られた囚人からデスマスクを取る。そしてカーティス博士の死後、彼の 残した蝋人形を持って英国に渡った彼女は、蝋人形作りを継承し、英国国内を人形を持って旅をする。 悪人と殺人者の肖像と並んで、フランス革命時に彼女が収集したデスマスクとマリー・アントワネットを打 ち首にするために使われたギロチンの刃も同時に展示され、一般市民に人気を博した。 もっともこれらの展示品は、神経質な人々が気を失わずにすむように、別室に設けられていた。それが、今 日のマダム・タッソーの「ザ・チェンバー・オブ・ホラーズ」というコーナーとして残っているのだ。

人はなぜか、こういった猟奇事件に古くから限りない興味をもつ。スウィニー・トッドの事件は、19世紀 にブームを呼び、さらに20世紀に入ると、演劇や映画として蘇る。また、18世紀の時代から今日までそ うした事件を伝える蝋人形館もまた、飽きられることなく、生き残ってきた。これは前近代的な欲の渦巻く 生活環境で起きた事件じゃないか。そう思いたいがされど時代が変わり、街は外面的には美しくなってさえ 跡を絶たぬ猟奇的事件(1976年にも英国では14人の少女を殺害、食べてしまうといった事件が起きている) と、それらに限りない興味を持つ私たち。前近代と現代、そこに何の違いがあるだろうか。映画の中で蝋人 形館に入っていったカップルは私たち自身。この事件そのものもさることながら、人の精神の奥深さこそ、 誠にはかりしれない。映画はそんなことを語りかけてくれる。

メイルちょうだいケロッ

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