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カエル 『妖精物語』…映画の中の妖精たち

はじめに…
『フェアリー・テイル』という映画が公開され、妖精に対する関心が高まっているようです。デパートでも 「妖精展」なるものが開かれ、随分と盛況でした。

妖精というと、みなさんはどういったものを思い浮かべますか?
「ピーターパン」のティンカー・ベル。「白雪姫」の七人のドワーフたち。 はたまた『ファンタジア』の花の妖精たちを思い浮かべる方もいらっしゃることでしょうね。
映画の中でも妖精たちは意外なところで登場したりします。ヨーロッパでは、妖精が日常生活の中にまで深く入り込んだ国もありま す。日本でも田舎のほうに行くと、田の神様を家に招き、食事をさせお風呂にまで入ってもらうといった習 慣が残っていますね。妖精のルーツもまた、そんな土着の信仰から来ているのです。

今日は、ヨーロッパのそんなさまざまな妖精たちを探してみることにしましょう。


妖精は身近なところにあるもの…『フル・モンティ』
『フル・モンティ』っていう映画があります。相次いで閉鎖される工場。失業し、金に困った男たちがいちか ばちか、一世一代のショウを計画するというお話です。
この映画には、情けない男たちが出てきますね。人生にクサって盗みを働く男。 自殺しようとしても死ねない男などなど…。

そんな男たちの中に、中間管理職という地位にありながら、あえなく失業してしまった男がでてきます。
トム・ウィルキンソン演じるこの男は、奥さんにも自分が失業したことを言い出せなくて、かといって新しい仕事も見つけられずに、もう何 ヶ月もウジウジしています。仲間にショウに出ることを誘われても煮えきりません。人生最大のピンチの場 面に陥っても、小さな小さなプライドを捨て去ることができないのです。

そして、ついには失業していたことがバレ、奥さんにも逃げられてしまいました。それでも彼が最後まで大 切に大切にしているものがあります。庭にある陶器製のノームの置物。英国ではしばしばお目にかかる何で もないただの置物です。(『ウォレスとグルミット』の庭にも置いてありますね)
長身の中年男が、こんなものを大事そうに抱いている様子はどう見ても滑稽ですが、実際英国では、この置物、"ダサイ"とか"垢抜けない"、"田舎モノっ ぽい"というイメージで捉えられているようです。では、なぜ彼はそんなものにこだわったのでしょうか。

赤いとんがり帽子をかぶった小さな小さな妖精ノーム。実は彼は地中の宝物を守っていると言われています。 これは彼にとっては、幸運のお守りだったのかもしれません。これのごりやくによってまた運も開け、お金 のめぐりもよくなってくるかも。どちらかというと消極的な希望がそこにはあります。だから、他の仲間た ちからそれを壊された時、初めて彼は自分の殻を破って、積極的な生き方を取れるようになったのです。


英国人と妖精…『フェアリー・テール』
『フェアリー・テイル』は、英国で実際にあった妖精事件を元に作られています。
何でもない田舎街の少女た ちが、何枚かの妖精の写真を撮ったところ、それが偶然コナン・ドイルら著名人の目にとまったため、い つしか英国中を騒がす事件へと発展していきます。この映画は、英国人と妖精との関わり方みたいなものが よく出ていて、とても興味深い作品でした。

英国ではよく子供たちにおばあさんが、昔話の「桃太郎」を聞かせるように妖精の物語を話してくれます。 子供たちは小さい頃からその話に夢中になって育っていきます。素敵な妖精の挿絵入りの本も、たくさん出 ています。「あそこの川は妖精たちがいたずらをするから、いっちゃだめよ」こんな風に大人は、子供に 言い聞かせます。コナン・ドイルもこのようにして育ってきたのではないでしょうか。しかも彼の伯父さん は、妖精画家として名前を今日に残した人、父親も妖精の絵をたくさん残しているというそんな家庭環境で す。
「シャーロック・ホームズ」のような大変知的で、理論整然とした作品を書く人が、どうしてそういう ものに傾倒していったか奇異に感じられるかもしれませんが、そうしたことを考えると、彼にとってはごく ごく自然のことだったのではないでしょうか。

英国では、この映画のように子供たちによって妖精が目撃されることは、ままあるようです。来日したチャ ールズ・スターリッジ監督は次のように言っています。
「私の娘も庭から戻ってきて"妖精を見た"って言 ってきた事がありました。でも特別な興奮みたいなものはなかったのです。子供は自然に不思議なものを受 け入れられるものなんですね」

大人はさすがに妖精を見たという人はあまりいないようですが、つい最近、ある英国人からこんな素敵な話を聞きました。
何十年か前に英国で、ある種類の木が病気で軒並み枯れてしまうということがありました。 その町でもほとんどすべての木がやられてしまったのですが、一本だけ枯れずに残った木があったそうです。 その木は大変大きな古い木で、根元にまるで妖精の家にでもなっているような、 小さなほこらのような穴が空いていました。 そこで家の主は、そこに小さな妖精の像を置いたそうです。
結局、その町で被害を受けずに残ったのは、この木だけでした。 妖精の像のことなど忘れていたものだから、その家族はずいぶんびっくりしたようです。
妖精は"木や草花を育て、守る"と考えられてます。そんな彼らの力が働いたというということなのでしょうか。

こんな話が英国にはきっといっぱいあることでしょう。
映画『フェアリー・テイル』の元になったこの事件 は、第一次大戦の頃の出来事ですが、驚くことなかれ、1970年になっても忘れられることなく再びテレ ビで脚光を浴び、今また映画化されました。その写真をはっきりと作り物であるという人もいれば、今でも 本物と思っている人たちもいます。カメラをいじったことのなかった子供たちが、どのようにしてこの不思 議な写真を撮ったのか、その真相は謎のままです。ただひとつ言えることは、英国人の心の中には妖精たち は今でも生きているということです。


妖精の国アイルランド…『白馬の伝説』ほか
アイルランドの人たちは、「アイルランドにはたくさんの妖精が住んでいる。今でも見た人はいくらでもい るよ」と言います。

実際アイルランドの田舎を旅行していると、「ここは妖精が横切る道路です。静かに 通り過ぎましょう」という看板にお目にかかることがあります。つむじ風がほこりを吹き上げながら動いて いくのを見ると、彼らは「ジェントリー、お早い旅を」という決り文句を言います。フェアリーたちがつむ じ風に乗って旅をすると考えられているのです。
私もアイルランドの田舎を旅しましたが、木の生えない白 い岩だけが頂上までごろごろと転がっている山や、雨上がり夜の8時というのに、野原に虹がかかっている 不思議な風景を見ると、妖精が確かに存在する、そんな気持ちになってしまいます。

妖精の起源がヨーロッパの先住民ケルト人の神話にあり、アイルランド人がその子孫であることを思えば、 彼らの妖精好きが特別のものであることが理解できます。アイルランドの優れた詩人たちは、妖精について の詩をたくさん残しています。また、映画の世界でも妖精にまつわる話はしばしば取り上げられています。

アイルランド人のジム・シェリダン(『父の祈りを』『マイ・レフト・フット』)が脚本を書き、同じくガブ リエル・バーンが主演した『白馬の伝説』。親友同然の白馬を大人たちに連れて行かれた幼い兄弟が、父親 のガブリエル・バーンと共に馬を奪い返す旅に出るといったストーリーですが、この馬が妖精の物語に出て くる伝説の馬なのでありました。

その妖精の物語というのは…
その昔美しい妖精の王女が美しい若者に恋し、彼を海の底へと連れ去って しまいました。それで10年間いっしょに仲睦まじく暮らすのですが、仲間たちのことを恋しくなった青年 は、次第に憂鬱になっていきます。彼のあまり悲しい様子に、王女様は白い馬を与えて、決して馬から降り ないようにと忠告をし、彼を帰します。10年間彼の美しさは、まったく変わらなかったのですが、その 馬を降りた途端、不思議なことに、急激に歳を取ってしまいました。
この物語で彼が乗った白い馬、それがこの映画に 登場する馬だったというわけです。
『白馬の伝説』は、アイルランドの貧しい人たちの生活、心という現実的なお話に、 ファンタジーを織り込んだステキな作品です。

ジョン・セイルズ監督の『フィオナの海』も、妖精の伝説をたくみにお話の中に組みこんでいます。
小さな離れ小島に住んでいた一家が、隣の大きな島へと引っ越す時、誤って赤ん坊を揺りかごごと海へ流してしまい ます。何年もの時が経ち、島はアザラシたちが住む無人の島となってしまいました。でもただひとり、この赤ん坊の姉に なる少女だけが、弟がその島でアザラシたちに守られて生きていると信じています。
なぜアザラシかというと、海の妖精たちが陸に上がるとき、アザラシの皮をかぶるという話をおばあさんから聞いてい たからです。少女は親の目を盗んでひとりボートで誰も近づかないその島に行きます。果たしてそこには何 があるのか…。このおばあさんの話も、アイルランドでは一般的によく知られている話です。

これらの映画を観ていると、いかに妖精の神話が人々の間に溶け込んでいるかがわかってきます。昔の人た ちから連綿と語り伝えられてきた素朴な物語は、自然と人間とのあるべき関係など実にさまざまなことを教 えてくれます。それは生き方の知恵になっているのですね。


もうひとつの妖精のかたち…『精霊の島』ほか
今度は舞台を北極圏に近い島国アイスランドに移してみましょう。ここには フレデリック・フリドリクソン監督の『精霊の島』という映画があります。
原題は『デビルズ・アイランド』ですが、ここに出てくるデビルは、西洋で一般的にいうデビル、悪 魔とはちょっと様子が違うようです。悪霊のほうが近いかもしれません。

この映画は、貧しい大家族の"戦後(第二次大戦)の奮闘記"といった趣きの作品です。その大家族の長は、おじ いさんではなく、おばあさんのようです。彼女は時々夜中に目を覚まし、狂ったように「悪霊がやってくる 悪霊がやってくる」と悪魔払いのような行動をとります。それはとても異様で、私たちから見ると、気が振 れたようにしか見えないのですが、実際にそれで火災を一歩手前で防いだり、奇蹟が起こったりします。彼 女はいわば、日本で言うところの潮来のような不思議な力を持っているのです。
同じ監督の 『ムービー・デイズ』でも、悪霊が来たと言って夜中に突然狂ったように怯えるおじいさんが出て来たり、悪霊払いといっ て、牛小屋の入り口に十字架をペンキで描くおばあさんが出てくるので、特別に奇異なことでもないようで す。

この人々が畏れを抱く精霊もまた、妖精の別の形といえるようです。
アイスランドは地理的に、ローマから 離れていたために、キリスト教の広まる中でも、そうした土着の信仰が色濃く残ったと思われます。アイス ランドでは新年の夜中に食事を用意し、明かりを点け居間のドアを空けっぱなしにしておくという習慣があ ります。(今では田舎のほうだけでしょうが)これは、妖精たちが新年の夜に引越しをするということが信じ られているからです。これから隣人になるかもしれない彼らをもてなし、怒らせないようにするためという 意味があるそうです。親しげな隣人という感じではありません。

『精霊の島』では、死んだ子供が、おばあさんのひ孫を連れにきます。例によっておばあさんの悪霊払いに よって、奇蹟的にこの子は、あちらの世界から戻ってくるのですが、その際に不思議な力を貰ってきます。 アイスランドでは、洗礼を受ける前の子供は、悪霊によって盗まれる。その代りに彼ら自身の子を置いて行 くと信じられています。いわば死んだ子供は悪霊の仮の姿、一歩その世界に踏み込むことによって、この子 には、奇蹟が起こったとも考えられます。映画では、それが一家の未来への希望という形になっていきまし た。


終わりに…
一口に妖精と言っても、その国のたどってきた歴史や文化によって、その形は色々と変わっています。共通 点もあれば、違うところもある。妖精の物語がとても素朴なものであるため、かえってその国の人の考え方 や、生きる知恵も見えてくるところがあります。興味がつきないのはそんなこともあるからなのでしょう。

もし今度、映画の中で妖精を見かけた時、ちょっとだけでも彼らに興味を持って観ていただけると嬉し いです。

メイルちょうだいケロッ

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