シネマ道楽の目次へ   ホームヘもどる
カエル マルセル・マルソー・トーク!
マルセル・マルソーの日本公演が今年の9月から10月にかけ約1ヶ月、各地で行われた。
マルセル・マルソー。マイム役者、無言の詩人。映画ファンにはメル・ブルックスの『サイレント・ムービー』 でもお馴染みである(えっ、誰です。そんな映画知らないって言っているのは…)。
『サイレント・ムービー』は、その題名の通り70年代に製作されたというにもかかわらず、一言も言葉を発 しないサイレント映画のスタイルをとった珍しい作品だ。ハリウッドの内幕物で、70年代を代表するスター たちが実名で出演し、自分自身をパロっているお楽しみ映画。バート・レイノルズは自慢の?裸をたっぷりと 見せ、ポール・ニューマンは電気式車イスでレースを楽しむ。こんな珍妙なサイレント映画で唯一言葉を発 したのが、パントマイム役者マルセル・マルソーなのである。

マルセル・マルソーの演ずる「ビップ」の扮装は、1輪の赤い花を挿した山高帽。赤い花は人間のはかなさと危うさ。フランス のパリの粋さをそこに感じさせる。彼は帽子の上で微かに震えるその花の香りを胸に吸い込んで、静かに帽子を 床に置く。
その昔、ハリウッドのサイレントの黄金時代。数々のパントマイム役者たちが、独自のユニークなスタイル を作ることに腐心をしていた。ハロルド・ロイドはストロー・ハットにロイド眼鏡。とても陽気なアメリカ のカレッジ・ボーイの香り。チャプリンは山高帽に窮屈な背広、ブカブカのずぼん。その山高帽に英国の魂 が、彼のせいいっぱいの小さな誇りが感じられた。バスター・キートンはペチャンコのカンカン帽。ペチャ ンコに押しつぶされてもいつも表情の変わらぬ彼の顔とこの帽子。
マルセル・マルソーの「ビップ」のこの帽子にも、彼の魂が染み込んでいる。今回の日本公演では、チャプリンにオマー ジュを捧げたマイム劇『山高帽』が舞台にかけられた。聞けば彼は少年時代、彼等アメリカの喜劇王たちの 映画に熱中し、その魂をたっぷりと吸い込んで過ごしたという。そのエッセンスもこの帽子には溶けこんで いる。

そんなところからマイムの世界に足を踏み入れたマルセル・マルソー。だがフランスのパントマイムには、 実は伝統がある。名作『天井桟敷の人々』でその姿が偲ばれるジャン=バチスト=ガスパール・ドゥビュロー。 彼こそがマルソーの直接的な先祖と言えるだろう。1830年、それまで軽業師たちが活躍する見世物小屋に、 一人のピエロが登場する。白塗りの顔、長い白い衣装、哀しげな目をした男、ドゥビュローだ。彼の舞台 は夢幻劇と呼ばれ、パリ中の人気を集めたという。
映画の中で登場する劇中劇『古着屋』は、当時実際にこの劇場で公演されていたものである。笑いあり、恋 あり、涙ありのこの芝居の素晴らしさは、ジャン=ルイ・バローの気品ある美しい演技もあって、映画を通し て十二分に伝わってくる。
マルソーのマイム劇は、この伝統を受け継いでいることが、映画を観ているとよくわかる。もっとも、ドゥ ビュローが芸術までに高めたマイム劇自体は、19世紀後半にはすでに衰退していたので、正確にはマルソー 自身が、細々と続いていたその伝統を再興し発展させたといったほうがいいかもしれない。マルセル・マル ソーが彼のデビューの年に『バチスト』という舞台で、ドゥビュローを演じ評判を呼び、それから彼が本格 的にマイムに取り組んで行くことになるのは、誠に運命的で面白い。

さて、70歳を既に超えるマルセル・マルソーの今度の公演。本人もこれが最後の世界ツアーと言うように、どこか 命がけを感じさせ、前回の公演にも増してこちらに迫ってくるものがあり、息を呑みっぱなしだった。

『七つの大罪』は、もはや哲学的とさえ言える。「偉大な彫刻家と弟子」。彫刻家とその弟子が、同じ アトリエでそれぞれが自分の作品創りに没頭している。コツコツ、コツコツ。「出来ました。私の作品いか がでしょうか」と弟子。「フン、まるでなっていないね。」グシャグシャ、コツコツ、コツコツ。手つきが いい。女性の身体、今胸のあたり。何にも舞台にはないのにそこまで見えてくる。「今度はだいぶ工夫した んです。」と弟子。「魂が入っていないね。それに独創性もない」グシャグシャ、コツコツ、グシャ、コツ、 グシャ、コツコツ、コツコツ。やっているうちに段々弟子がうまくなってくる。師匠が弟子に負けそうで段 々と焦ってくる。余計に熱を入れて創るのだけれど、そのうちどうにも敵わなくなってくる。
「今度こそは私の渾身の作品です。どんなものです。」と弟子。すると師匠は誉めるどころか、ついに感情 が爆発し、弟子の創った最高の傑作、自分には到底創れない傑作を自らメチャクチャにぶっ壊してしまう。 この副題「嫉妬」。可笑しいのだけれど、ドキリとさせられる。言葉がなく、おまけに一人芝居であるが故 に、余計に人間の愚かさがよく出ているような気がする。

『青年、壮年、老年、死』。一人の若い青年が高い山を前にして立っている。すると、山の上にひときわ明 るい星が輝き出す。宵の明星、いやいやもっと明るくて、その星は黄金色に輝いている。あんまり美しくて 青年は、見惚れると同時に早くも山の上を目指して走りだす。猛スピードで走っているので、星はどんどん 彼に近づいてくる。もうすぐ手を伸ばせば届きそうなところにまで近づいてくる。青年の顔は希望に溢れ 輝いている。
もうちょっと、もうちょっとだ。手を伸ばしてみる。まだ届かない。おかしい。このスピードならもう手に 届いてもいいはずなのだが。走るスピードが少しずつ落ちてきているようだが、彼はそれにまだ気付いてい ない。ええいっ、頑張れ!
しばらく走ってまた手を伸ばすが、まだ届かない。ハァハァハァ息が切れ、やっと自分のスピードが落ちて 来ていることに彼は気づく。でももう少しじゃないか、このペースでもたどり着くのはそう遠くないはず。 お構いなしに彼は走り続ける。しかし、段々と腰が曲がり始めた。足ももつれる。もはやほとんど歩いてる のと同じくらいのスピードになってしまう。手を伸ばしてみるが、もちろん星には届きそうにない。顔には 諦めの色が見え始める。そして、とうとうその場でヘタリこんでしまう。
それでももう一度顔を見上げてみると、星はもうすぐ間近に輝いて見えている。彼はもう一度思いっきり手 を伸ばし、星を掴み取ろうと指を動かす。しかしそれと同時に彼はコト切れた。腕がダランと垂れ下がり、 ブラブラと揺れる。しばらく揺れつづけるのは生の名残りなのだろうか。照明消える。
涙が溢れ出してきてしまう。このドラマ時間にして僅か5分たらず。拙文で、伝わらないのが本当に残念な のだが、人の一生を僅か5分の間に表現してしまうその凄さはわかっていただけるだろうか。70歳を超え たマルセル・マルソーだからこそ表現できる人生の味。彼の生き様、人生観が彼の肉体から溢れ出してきて いて、観る者を圧倒する。

ひとつひとつ挙げていると、もう切りがない。仮面造りの男が、自分の造った仮面と戯れているうちに、仮 面が顔に貼りついて取れなくなる。しかも「笑顔」の仮面が…泣いてもわめいても、他人には彼の心の苦し みがわからないという悲劇の『仮面づくり』のすごいこと。しがない『陶器売り』の男に、サラリーマンの 悲哀を感じ、『結婚相談所』は、結婚したくてしかたない男、その前に現れる様々な女に翻弄される男の 可笑しさ。若々しくてまったく年齢を感じさせない、あっという間の2時間。
すべての演目、アンコールも終わり、幕が降りる。館内はわれんばかりの拍手。しばらくして幕の袖から、 トレード・マークの山高帽だけが姿を見せ、おじぎ。その粋なこと。そのあとマルソー本人が全身を現わし、拍手に応える。 「フラボー」の声。スタンディング・オベイション。感動の嵐。初めて観た人は、パントマイムがこんなに も詩的で表現力が豊かなものだったのかと驚く。何回か観ている人たちは、また新たに感動してもう一度 絶対観ると心に誓う。マルセル・マルソーは、言葉は語らない。だが、彼の身体自身で、持っているもの すべてをさらけ出し、私たちにたくさんのことを、豊かな人生経験を語りかける。彼の舞台を観たことは、 私にとって一生の財産になることだろう。

メイルちょうだいケロッ

トップに戻る   ホームヘもどる