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カエル ハリウッドの「ボクサー」たち
−ボクシング映画小史−


ダニエル・デイ=ルイス主演の「ボクサー」が現在公開されている。
映画に登場する「ボクシング」。その歴史はサイレント初期にまで遡る。ボクシング の素早い動き。これが生れたばかりの「動く写真」にとっては格好の素材。映画人が 放って置くはずがない。
あのチャールズ・チャップリンも、いくつかボクシングの映画を作っている。勿論、 スラップ・スティックの素晴らしいネタとして。チャップリンが珍妙なレフェリーと して活躍する「ノック・アウト」(14年)。グローブの中に蹄鉄を入れて、巨漢に勇敢 ?に立ち向かった「拳闘」(15年)。それをさらに発展させた「街の灯」(31年)の拳闘シ ーン。貧しい浮浪者のチャーリーが、盲目の娘の手術代を稼ぐためにボクシングの試 合に出場する。怖くて怖くてレフェリーを盾にして逃げ惑う、そのシーンは爆笑モノ だけれど、どこか残酷であった。

実際、特に初期のボクシングは、定職を持てない貧しい男の、1度にまとまったお金を 稼げる可能性のある「賭け」でもあった。またその興行は、ギャングと密接な関わり を持っており、どこか薄暗さのあるスポーツでもあった。そのことを反映して、ハリ ウッドのボクシング映画というと、移民、貧困、ギャング、八百長、こういったキー・ ワードが付き物である。それは、時にドラマチックなストーリーを生み、また社会批 判にも目を向けさせるなど、映画としても豊かな素材に満ち溢れさせる結果となった。

さて、現在公開されている「ボクサー」は、アイルランドの元IRAの男が、ボクサーと して再起を賭けるといった話だが、実はアイリッシュもイタリアンと並んでボクシン グとは縁の深い民族である。19世紀の中頃に起きたポテト(アイルランドの主食)の大 飢饉。これによって大量の移民がアメリカに流れるも、すでに先発の移民たちによっ て世界は築かれ、そこに入り込む余地は乏しく、アメリカにおいても困窮を強いられ た。彼らが、ボクシングに最期のチャンスを賭けたのもうなずける。実際、初期のボ クサーにはアイリッシュが多かった。(ライアン、ドノヴァン、オブライエンなど)
そういえば、ジョン・フォードの名作「静かなる男」(52年)も、アメリカでボクシン グの世界に夢を賭けた男ジョン・ウエインが、不幸な事故からアイルランドに帰ら ざるを得なくなり、帰郷するところから始まる物語であった。

ボクシングの歴代のチャンピオン。初期にはアイリッシュがもっとも多く、次の時代 はユダヤ、その次はイタリアン、その後は黒人。時代によって主流の民族が移り変わ って行く。映画化もされた「殴られる男」(56年)の作者バッド・シュールバーグによ れば、「人種のはしごがボクシングにはある。」という。その時代時代にもっとも低 い地位に余儀なく留まらされた人々。彼らがボクシングの歴史を作ってきた。映画に もこれが反映されている。「罠」(49年)はアイリッシュ、「レイジング・ブル」(80年 )はイタリアン、「ボクサー」(70年)は黒人といったように。裏には、貧困や人種問題 といった要素が、少なからず含まれているのだ。

ボクシング映画のもうひとつのキー・ワード、ギャングと八百長。アメリカのボクシン グ映画でこれらが登場しない映画を見つけることは逆に困難である。このテーマでも数 々の名作が生まれている。ハンフリー・ボカートが八百長を仕組む憎っきギャングに 扮した「倒れるまで」(37年)。カーク・ダグラスの「チャンピオン」。(49年)ボクシン グ界の内幕を暴露したという「殴られる男」(56年)。八百長の掟を破り相手に勝って しまったため、二度とボクシシングが出来ないようギャングに手を叩きつぶされる、 ロバート・ライアンの「罠」(49年)。最近では「レイジング・ブル」(80年)も、八百 長事件をきっかけに落ちぶれて行く、ジェイク・ラモッタの実話を描いた映画であっ た。ある意味では、ボクシング映画はそういう暗い部分を描くことなしには語れなか ったのかもしれない。ただ、その分ハリウッド流の単純なハッピー・エンドといった 形をとれなかったことで、数多くの名作が残されたことも確かである。

その中で唯一異彩を放っている映画がある。1977年、アカデミー作品賞に輝いたシル ベスター・スタローンの「ロッキー」である。この映画も勿論、イタリア系、貧困、 ギャングといったキーワードは含んでいる。しかし、今までの映画とは決定的な違い がこの映画にはあった。ひたすらさわやかで暗さがない。スポ根ものといったジャンル がこの映画で生れたほどである。チンピラをやっていた男がチャンスを掴み、チャン ピオンに挑戦するといった話の流れは、ウォーレス・ビアリーの「チャンプ」(31年) に近く、いかにもハリウッドの伝統そのままの映画なのであるが、ここまで単純明快 なハッピー・エンドといった形は、ボクシング映画では珍しいことで、それが返って 新鮮に映ったのだった。その結果が大ヒットにつながり、文字通りアメリカン・ド リームを名実ともに体現したスタローンは一躍大スターとなり、この映画はシリーズ 化された。誠に「ロッキー」の前には「ロッキー」なし、「ロッキー」の後には、何 本も「ロッキー」ありといったところ。今にして思えば、懐かしい古さと革新性の両 方を備えた見事な映画であった。

ダニエル・デイ=ルイスの「ボクサー」は、ボクシング映画史のまた新たなる1ページ をかざったわけですが、この機会に皆様も過去のボクシング映画の名作を、もう一度 観直してみてはいかがでしょうか。

−主なボクシング映画−


「チャンプ」(31年)キング・ヴィダー監督/ウォーレス・ビアリー
「倒れるまで」(37年) /ハンフリー・ボガート主演
「ゴールデン・ボーイ」(38年)ルーベン・マームリアン監督/ウイリアム・ホールデン
「栄光の都」(40年)アナトール・リトヴァク監督/ジェームズ・キャグニー
「鉄腕ジム」(42年)ラウォール・ウォルッシュ監督/エロール・フリン
「チャンピオン」(49年)スタンリー・クレイマー監督/カーク・ダグラス
「罠」(49年)ロバート・ワイズ監督/ロバート・ライアン
「傷だらけの栄光」(56年)ロバート・ワイズ監督/ポール・ニューマン
「殴られる男」(56年)マーク・ロブスン監督/ハンフリー・ボガート
「ボクサー」(70年)マーティン・リット監督/ジェームズ・アール・ジョーンズ
「ロッキー」(76年)ジョン・G・アビルドセン監督/シルベスター・スタローン
「ブルックリン物語」(78年)スタンリー・ドーネン監督/ジョージ・C・スコット
「ロッキー2」(78年)シルベスター・スタローン監督主演
「チャンプ」(79年・リメイク)フランコ・ゼッフィレリ監督/ジョン・ボイト
「メーン・イベント」(79年)ハワード・ジーフ監督/ライアン・オニール
「レイジング・ブル」(80年)マーティン・スコセッシ監督/ロバート・デ・ニーロ
「ロッキー3」(82年)シルベスター・スタローン監督主演
「ロッキー4炎の友情」(85年)シルベスター・スタローン監督主演
「ホームボーイ」(88年)マイケル・セラシン監督/ミッキー・ローク
「ロッキー5最後のドラマ」(90年)ジョン・G・アビルドセン監督/シルベスター・スタローン

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