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カエル チャリング・クロス街84番地を訪ねて

私自身は古書集めの趣味はないが、古書の収集家っていうのは、できるだけ美しい 状態の本。印刷所から出てきたばかりの美本のようなものを欲しがるのだと言う。
「チャーリング・クロス街84番地」の主人公ヘレーヌ・ハンフ(アン・バンクロフト)は 英国古典文学の古書を集めている、とはいうもののそんなことには無頓着のようである。彼女はそれ どころか、書き込みや折り目のついた本こそ魅力的だと言う。古書の持つ貨幣的な価値ではなく、雰囲気に 魅せられているのである。
本をパラッとめくるとい つも同じページが開いてしまうということがあるが、それは前の持ち主が繰り返し同じ 箇所を読んだことの証になるし、書き込みはその人がこの本をどんな風に感じていたか を知るよすがにもなる。それを見るのがまた楽しい。同好の士を得たような気分になれ るというのだ。彼女は本を読み、本と対話することを楽しんでいるかのようである。
彼女はまた、包装紙に使われたページの切れ端にまでも愛情を注ぐ。「本屋さんともあ ろうものが、古書を破いて包装紙に使うとは何事か。」と。
本物の本好きとはこの人のようなことを指すのだろう。印刷された文字の一語一語にま で愛情を傾け、それを書き記した作者にまで思いを馳せる。こんな人に読まれる本は幸 せだ。

この映画は、こんな一人のアメリカ女性と英国の古書店(チャリング・クロス街84番地 にあるマークス社)との間で交わされた、20年にわたる手紙での交流を綴った作品だ。原 作は実際に残っていた手紙である。これを映画化しようと思いつくなんて、すごい人が いたものである。(製作は何とあのメル・ブルックス!)
映画では、ヘレーヌと書店の店員フランク・ドエル(アンソニー・ホプキンス)の日常生活 を描くことで、さらに一層作品の世界に広がりを持たせている。また、カメラに向かい 手紙の内容を語りかけることによって、離れて見えない相手方に直に語りかけているよ うなイメージを創っている。

しかし、手紙だけでこんなにもお互いの気持ちが通じ合うものであろうか。そのことに まず、私は驚嘆してしまう。共通の話題「本」と、共通するユーモアのセンス、こ れを通して徐々に友情が深まっていく様は見ていて羨ましくさえある。友情は、国や住 んでいる場所の壁をもこんなにも簡単に越えてしまうものなのか。そこに流れている暖 かい気持ち、そこに私はすっかり感動してしまった。それと気の利いた言葉の数々。こ の映画は言葉の持つ力強さをも再認識させてくれる。
この映画は決して大きな事件が起きるわけではない。時にユーモアや、ホロッとする人 情を織り込みながら、あくまでも淡々と流れていく。それにもかかわらず、映画のラス トでは涙がいっぱいたまってしまう。暖かい気持ちで心が満たされてしまう。そんな作 品だった。

「英国に行けば、あなたの探しているものがきっと見つかりますよ。」私たち夫婦は、 映画の中のこんな台詞にさそわれて、ヘレーヌ・ハンフと同じように英国便の飛行機に乗 りこんだ。

チャリング・クロス駅の場所は大体わかったのだか、84番地は中々見つけることができ なかった。タクシーを拾おうとしたが、「そこなら歩いてすぐだ。」と言って乗車拒否 されてしまい、迷いに迷ったが、それでも何とかたどり着くことはできた。
しかし、そこはもう残念ながら書店ではなく、ビデオ・ショップになっていた。建物の外観はそ れでも僅かに当時の名残をとどめている。すすけたレンガ造りの壁に貼られた「マークス社のあった場所」と いう記念のプレートが、この映画の舞台になった書店が確かにここにあったという事実 を語っていた。
私たちはそのプレートの前でとりあえず記念写真を撮り、ホッと一息ついた。見回して みると、この辺りは元は古書店街だったというのだが、本屋さんはポツンポツンと数軒 が残っている程度になっている。向かいの建物の2階には、怪しげな下着姿の女性が窓 から身を乗り出して、下にいる男と何事か大声でしゃべっている。売春宿だろうか。

私は思った。本は昔のようには読まれなくなった。映画もビデオで観る方が主流のよう な時代になった。このビデオ・ショップはそうした時代の流れをまさに現わしていると。 しかし、私はそれでもここに来て満足だった。映画で観た物語りが現実感 を持って色鮮やかに心の中に刻み込まれた。そんな感じがしたからだった。

「チャーリング・クロス街84番地」(86年米)
製作総指揮 メル・ブルックス
監 督 デビッド・ジョーンズ
出 演 アン・バンクロフト
アンソニー・ホプキンス
ビデオ発売 ソニー・ピクチャーズ
原 作 「チャリング・クロス街84番地」
ヘレーヌ・ハンフ(中公文庫)


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