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カエル 「Bean」が待ち遠しい!

ついに、あの「ミスター・ビーン」ことローワン・アトキンソンが来日した。
まだブームに火がつく前からの大ファンであった私たち夫婦にとっては、 嬉しいような、寂しいような複雑な心境であった。
元々、「Mr.Bean」はスポーツ中継が中止になった時などの 穴埋め番組的な存在だった。大抵が放送終了間際といった時間帯 であったので、「こんな面白い番組を知っているのは、私たちぐらいに違いない」 と思い込んでいた。深夜、多くの人が寝静まっている頃、自分たちだけが この番組を見て爆笑している、というその密やかさが、面白さを 倍増させていたように思える。

今では、どこもかしこも、近所のコンビニにも「Bean」のポスター はあふれかえり、嬉しい半面、自分たちから遠く離れていってしまったような 寂しさも感じるのである。

さて、日本のマスコミに現れたローワン・アトキンソンは、 果たして哲学者のような顔をした紳士だった。 英語ももってまわったような難しい言葉を使うし、 いかにもオックスフォード出といった感じの人だった。
アトキンソンは、Beanのことを次のように分析している。
「ミスター・ビーンの人気の秘密ね。 誰もが持っている無邪気な子供の心に、ビーンの無邪気さが アピールしたのではないでしょうか。 無邪気というのは、ある意味では非常に残酷なものですし…」
こういったことを、どこのインタビューでも言っていたのだが、 確か番組が静かなブームになってきた頃のインタビューで、 「日本での人気はなぜだかわからない」というようなことを 答えていたのをフッと思い出す。

確かにBeanのキャラクターは、子供以外のナニモノでもないのであるが、 他にイギリスの社会をブラックに戯画化した一面をも持っている。 今回の来日では、そういったことには、ほとんど触れられていないようだが、 彼が前のインタビューで「よくわからない」と言っていたのは、 その辺のところじゃなかったかな、と思う。
彼のギャグの対象は、チャールズ皇太子に、教会、 上品ぶったおばさん、そして自分以上にミエをはろうとする 中流以上の人たち。もちろん、私のような者にもわかることで、 その辺、彼は日本のことを誤解していたフシがあるのだが…。
それにしても、「イギリスの社会だからこそ成り立つギャグ」 といったものも確かにあるのだ。イギリスの空気に触れると わかるのだが、この国は根強い階級社会である。 Beanがミニ・クーパーを乗り回す時にいつも遭遇する 「スリー・ホィールズ・カー」(あのブルーの三輪自動車)を 見下す、なんていうのがもっともそれをよく表わしているように思う。

同じイギリス出身の喜劇王チャップリンは、 「笑いっていうのは、その人の属する階級によって違ってくるのです。 上品な格好をしたご婦人が尻モチをつく。 それだけで映画を観にくる人たちは大笑いをするでしょう」 というようなことを言っていたが、 Beanの根っこにも、そういったところがあるような気がする。 実際、海外のホームページで、チャップリンとBeanが同居している ページがあるのを見るにつけ、やはりこの笑いには共通点が あるからだ。そういう思いが強くなるのである。

今回、Beanがついにアメリカに進出したわけだが、 最大の不安は実はそこにある。テレビではあまりしゃべらなかった Beanがベラベラしゃべるのも、もちろん不安であるが、 それよりももっと不安なのが、この点である。
Beanのイギリス社会に根ざした笑い、ブラックな笑いがなくなったアメリカ映画 でなにが残るか。せいぜい考えられるのは、お決まりのイギリスと アメリカとのギャップからくる笑い。 それからBeanの幼児性のみが、ことさら強調されること。 そんな風にしか思えない。

「Bean」の公開まであとわずか…。 今、私は期待と不安とが入り混じっている。 しかし、私にとってはやっぱり「Beanが待ち遠しい!」のだ。

メイルちょうだいケロッ

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