ホームヘもどる
カエル 『映画日記3月号』

3月19日/『ホテル・ルワンダ』

映画の魅力のひとつとして、知らない国のよく知らない出来事が、まるで身近に起こった出来事のように感じられるということが挙げられる。 ルワンダという国について私たちは果たしてどれだけのことを知っていたであろうか。アフリカにある国。フツ族とツチ族という民族が ちょっと前に壮絶な内戦を戦っていたということ。せいぜいこの程度である。内戦の悲惨さは、以前確かにCBSドキュメントあたりの番組 で見た記憶はある。しかし、それだけであった。あまりにも遠い国の、野蛮で悲惨な出来事というくらいの認識しかなかった。

ホテル支配人のドン・チードルが報道カメラマンのホアキン・フェニックスに対して、「この虐殺の映像を世界で放映してほしい。そうすれ ば、国際世論が高まり国際救助が来るに違いない」と言うのに対して、彼は「世界の人々はあの映像を見て怖いねと言うだけでディナーを 続けるだけだよ」と答える。確かにベトナム戦争やカンボジアの内戦など、写真が人々に影響を与え、世論を動かしたという歴史はある。 しかし、石油のような天然資源があるわけでもなく、アメリカのような大国が何か関わっているわけでもなく、経済的にも小さい小国に 注目する人は誰もいない。それが現実だ。報道カメラマンの答えは冷たいようでいて真実を突いている。現に私自身の認識がまさにその 程度であるのだから、このセリフにはドキッとさせられる。

そもそもこの内戦の元凶となっているものは何なのであろうか。ホテルのバーで日常会話の延長としてそれはさりげなく語られるのだが、 誠に驚かざるを得ない。「背が高く、鼻が細長いのがツチ族で、背が低く平べったい顔がフツ族だ」「あなたはツチ族?」「あなたはフツ族 ?」「えー、なんだ兄弟みたいに似ているじゃないか。民族の違いってなんなのだい」

元々フツとツチは民族的な違いがあるわけではなく、「階層」の違いによって区分されてきたものだったという。少数派の支配階級がツチ、 多数派の農民層がフツというふうに。ところが、ベルギーがその植民地政策の都合上、民族として明確にわける必要があり、人類学者を 使って無理やりに分類、身分証明にも「ツチ族」「フツ族」と記してしまった。これこそが内戦の元凶になっているのだという。植民地時 代、長年宗主国と協力関係を築いてきたツチ族に対し、痛めつけられてきたフツ族の恨みが積もりに積もっていたのだ。「1997年」に それが爆発する。世界を見渡してみると、民族紛争の元凶が植民地時代にたどれるということは大変多い。アラブもそう。インドネシアも そう。植民地になったことがない私たち日本人には、信じられないことではあるのだが、植民地の傷跡というのはとても深い。

この映画の魅力は、こうした社会的背景が、政治レベルの難しい説明ではなく、ホテルのバーでの会話のように日常の延長線上で語られる ことにある。主人公のポール(ドン・チードル)は ベルギー系の高級ホテル、ミル・コリンで働く有能な支配人だ。西洋人の生活に憧れ、 通常では手に入らない高級な酒、1本1万フランもするハバナ産の葉巻を手に入れ、自分自身も試し、またホテルに集まる賓客にふるまって いる。彼は、国の不穏な空気を察知し、彼ら有力者たちに媚を売り、もしものときに家族が生き残れるよう 準備をしているのだ。

彼は、フツ族の隣人たちが、兵士たちに殴られ連れ去られる様子を見ていた妻がなんとかできないかと訴えても、そんなことをしたら自分 たちまで危険にさらされる。自分が家族を守るために色々と考えているから、このことには口を出さないでくれと言う。あくまでも現 実的な男なのである。ただ家族4人を救うことだけは心に決めて、着々と準備は進めている。そのためになら、軍の将軍にも媚を売るし、フツ 族の運動に深く関わる男とさえ取引をし、国連の将校とも親しくする。別段政治的に主義主張があるわけではない。そんな男がのちに殺さ れゆく運命にあった1200人の命を救うことになるというのが興味深い。自分たちが生き残るために自分の特技を活かし、たちまわっている うちに、なにか自然にそうなってしまったという感じがするのである。美談にありがちないやらしさがないのがいい。

彼は4つ星ホテルの支配人だから、さすがに機転は利くし、口もうまい。その特技がフルに発揮される。家に着くと、妻と子供、隣人たち 隠れていた。彼らといっしょに兵士に連れ去られた彼は、「フツ族なら、彼らツチ族の誰かをこの銃で撃ってみろ」という兵士にそれが できるわけもなく、かつさもなくばお前を殺すとまで言われピンチに陥るが、自分の支配人としての立場を利用して、多額の賄賂を渡すこ とでその場を切り抜ける。

赤十字の女性が、大勢の孤児たちをホテル連れてくれば、妻の兄弟とその子供たちを連れて来ることと引き換えに子供たちをホテルに預か ることにする。救出しようという強い意志があるというよりは、ビジネスマンとしての取引にも似ている。国連の人間たちがこのホテルを 利用していたことから、大勢の人間たちが避難民として集まってくるのだが、それは国連兵士がこのホテルをガードすることを意味もした ので、彼は戸惑いながらも、この状況も受け入れる。

しかし、頼りにしていた国連兵士や職員は、ルワンダにいる外国人を連れて、国外へ出て行ってしまう。もはや自分で自分たちを守るし かない状況、ここから彼の意識は変わり始めるのだ。いや変わらざるを得なかったと言ったほうがいいかもしれない。

意識がはっきりと変わったのは、民兵グループのリーダーから食料を調達にしに行った帰り道だ。夜も明けかけ霧が深くたちこめ、車が 道を外れる。川原に入り込み、車が立ち往生してしまったので様子を見に車外に出てみると、彼は愕然とする。彼らは決して道から外れ ていたのではなかった。その霧のむこうからぼんやりと見えてきたのは、通りの向こうまで累々続く殺された人々の重なり合い横たわる 姿だった。車はその上を走っていたために、ガタガタと揺れ、立ち往生してしまったのだった。残酷な描写の少ないこの映画の中でも もっともショッキングなシーンである。

ホテルに戻った彼はいつもの通りシャツを着、ネクタイをしめ、支配人の姿に戻ろうとする。しかし、ネクタイをうまく締めることがで きない。上より下のほうが長くなってしまって、もう一度締めなおそうとするが、今度は形さえ作ることができない。そこに激しい動揺 が見られる。ドン・チードルの演技がものすごく上手い。慌てているとき、ネクタイは本当にあのようになってしまうのだ。ネクタイを諦 め、シャツをボタンをしたまま引きちぎって脱ぎ捨てた彼は、初めてここで嗚咽する。これ以降彼が支配人としての洋服を脱ぎ捨てたのが とても象徴的である。彼はここからはホテルマンとしてではなくて、ひとりの人間として、家族のためにだけではなく、人々の命のために 働き始めるのである。この心の動きがとても自然で説得力がある。

この映画には、期待はされるが各国の思惑の狭間で満足に働けない国連軍の姿も描かれる。命がけで働く赤十字の人の姿も描かれる。しか し、心に残るのは、父親であり、夫であり、ホテルを切り盛りする支配人でもあり、頭は少し人より切れるが平凡なひとりの男の姿であ る。なぜ彼が、英雄的な行動をとることになったか…その過程から世界から注目してもらえない小さなアフリカの小国からの切ない叫びが 聞こえてくるような気がする。「アメリカは合衆国なのに、なぜアフリカは合衆国じゃないんだ。英国は、連合王国なのになぜ、アフリカ は連合王国にはなれないのか。ルワンダを忘れないで。子供たちを忘れないで。ルワンダの声を聞いてほしい」

この映画は残念ながらルワンダの映画ではない。けれども監督をした人は、アイルランド人だ。テリー・ ジョージ監督。あまり聞いたことのない人だけれども、実は『父の祈りを』『ボクサー』の脚本を書いている。北アイルランドはベルファ スト生まれ。IRAとの関与の疑い等による拘留経験を持っているという。『父の祈りを』『ボクサー』ともに、IRAがストーリーの キー・ワードになっている。アイルランドもまた、長いこと英国の支配を受け、大戦後やっと独立した国家。内戦も経験し、独立後もテロ が絶えなかった国である。監督の生まれ育ったベルファストはアイルランド共和国には入れず、英国に組み入れられた土地。同じ民族で ありながら隣人同士が殺し合いをした経験を持っている。ルワンダの映画ではないにしてもルワンダの声を代弁するには、これほど適した 人はいなかったと思う。自分の体験がそのまま生かせる。それゆえにこの映画は、ルワンダの人々が作ったかのような説得力があるのだ。 映画を通して、みなさんも色々な国の声を聞いてみませんか。きっと得られるものがあるはずです。




3月6日/『ジャーヘッド』

1991年の湾岸戦争を描いた映画がついに登場した。正直今までの戦争映画を思い浮かべて観にいくと、とまどうに違いない。 敵と向き合うこともないし、激しい銃撃戦になることもない。ただただむなしい時間だけが過ぎていく。敵はむしろ自分たちの中にある のだ。この映画を観るとそのあまりの温度差に、過去の戦争映画のことがいやがうえにも思い起こされることだろう。

丁度私が映画を観始めた頃は、ベトナム戦争ものが、さかんに作られていた頃だった。だから映画の中で『地獄の黙示録』『ディア・ハン ター』の一場面が出てくると、何か妙な感慨さえ覚えてしまう。そう言えばあの頃やっとベトナムに対して正面向かって語れる映画が作ら れるようになったと言われたものだった。ベトナム戦争が終わったのは1975年4月30日。『地獄の黙示録』は1979年の作品。『プラトーン』 が1986年、『フルメタル・ジャケット』が1987年の作品だ。それに較べると、もう15年もの時が過ぎているので、ずいぶんと長く かかったなという気がする。湾岸戦争そのものは確かに91年に終わってはいるが、今もイラクでは混乱が続いているために、まるっきり 過去の出来事という感じもしないし、また描きにくい戦争でもあったからではないだろうか。

この映画は観終わって、今までの戦争映画とはまったく違った感覚にさせられるのだが、では新しいタイプの戦争映画かというと実はそう でもない。いやむしろ前半は『フルメタル・ジャケット』に似てさえいる。理不尽な上官と、厳しい訓練、そして落伍者。目新しさはない。

ところが戦場に行った途端、この前半のシーンが俄然生きてくるのである。ベトナム戦争との対比において。そういえば、この映画はしきり に「ベトナム戦争」というキー・ワードが登場してくる。彼らが戦場に行く決定がされたのは、『地獄の黙示録』のワルキューレの騎行の シーンの時だったし、彼らが休暇の日に観るビデオは『ディア・ハンター』だった。しかもどちらもなんとも皮肉な登場の仕方をする。 音楽もまた、ロックとラップという違いが強調される。あの戦争とこの戦争は何が変わったのか、その違いが際立ってくる仕掛けになって いるようだ。

徹底的に戦うことを叩き込まれた彼らは、戦場に行く。「フセインを倒そう!」クリス・クーパーの掛け声にいやが上にも士気は高まる。し かし、彼らを待っていたのは、戦場ではなく、何もない砂漠だけだった。来る日も来る日も訓練の日々。戦争はいつになっても始まらない。 実際ブッシュが「砂漠の盾」作戦を決定した8月から、実際に空爆が開始されるまでに半年あまりの時間が過ぎているのだ。

何もやることのない彼らからは、様々な疑問が生まれてくる。「自分たちはなんのためにここに送られてきたのか。石油成金たちが豪華な 生活をしているというのに、なぜ俺たちがそんな奴らのために戦わなくてはならないのか」そうこうしているうちに、国に残してき た恋人や妻が浮気をしているという事実もわかってくる。自分たちを守ってくれるはずの防毒マスクは、ほとんどが不良品であることもわ かる。規律は乱れ、彼らはやがて本音の部分と、兵士であることの狭間で、神経がおかしくなっていく。敵はむしろ自分たちの中にあるの だった。

ようやく1991年1月17日、多国籍軍がイラク、クウェート領内に空爆開始、湾岸戦争突入するのだが、相変わらず彼らにはやることがない。 ただ空爆された後の砂漠を歩き続けるのみである。敵の姿は見えない。逃げようとしていた一般の人々の車やバスに焼け焦げた遺体が、 残されているのみである。時に友軍の誤爆で、米兵に戦死者が出る。

クエートの油田施設は敵自らが炎上させた。空一面を黒煙が覆い、 赤い炎が地上から吹き上がり、この世のものとは思えないようなその不思議な光景の中で、塹壕を掘る。掘れば空爆によって死んだ人々 の遺体がゴロゴロと出てくる。 スナイパーの訓練を受けた兵士はその腕を試したくてムズムズしている。しかし、あともう一息というところで作戦は変更され、敵は空爆 で一網打尽にされてしまう。圧倒的な軍事力の差。

兵士たちは解毒剤を念のため飲まされるが、その際に副作用があっても一切、責任を追 及しないことという誓約書を書かされる。どう考えても彼らを守るためというよりは、後に起こりうる責任問題に対する政府の事前逃れな のだが、上官はそれがわかっていても、書かなくして今現在の彼らを守れないという責任から、それを書かせるしかない。また上官はなぜ 軍隊にいるかと問われて、「世界が見えるから。こんな不思議な景色は軍隊にいなければ見れない」と答える。その意識の錯誤。

結局彼らは、一度も銃を撃つこともなく戦争は終わる。彼らは戦争が終わったという喜びというよりは、やけくそというか、溜まっていた ものを吐き出すために、パーティーで空に向けて銃を乱射する。この皮肉。

目的のよくわからない戦争。自分たちを守らないアメリカ政府。彼らには信じるものが何もない。ベトナム戦争の混沌とは違った新しい戦 争がここにはある。現在続いてるイラクの混乱、その中で起きた兵士たちの不祥事。どうやら湾岸戦争のときにその芽は出ていたようだ。 そういう意味でこの映画を観ると、今の戦争までもが見えてくるような気がする。

帰国後の市民たちの歓迎にも彼らは何か落ち着かないものを感じる。虚しさだけが残る。恐怖も悔恨も何もない戦争。我々も今までの戦争 映画には感じられなかったような、気持ちにさせられ、戸惑ってしまう。しかし繰り返しになるが、この映画は決して新しいタイプの戦争 映画ということではない。むしろ戦争自体が、このように変わってしまったんだというほうが当たっているだろう。よくぞ今この時にこの ような映画を作ったと思う。ちなみに『シリアナ』とこの映画をいっしょに観てみると、今のアメリカが見えてくること請け合いです。



メイルちょうだいケロッ

トップに戻る   ホームヘもどる