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カエル 映画日記1月号…『あるいは裏切りという名の犬』



フランス映画にフィルム・ノワールが帰ってきた。フィルム・ノワールはかつて「暗黒映画」とも訳されていた。要はフランス製の犯罪映 画を称してそう言っていたわけだが、アメリカのギャング映画に比べて暗いムードがあることから、そのように区別されていた。 かつてはジャン=ピエール・メルヴィル、ジョゼ・ジョヴァンニ、ジャック・ベッケル監督などの映画が日本でも大いに人気を得ていたの だが、時代が変わりいつの間にかフランス映画といえば、極端に言えばミニシアターでやる奥様たちの映画といったイメージが強くなってし まっていた。今やノワールといえば、香港ノワールの独擅場といったところだろうか。

それゆえこの映画は久しぶりの本格を思わせた。俳優のほうも、ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、アラン・ドロン、ベルモンドに 代わって、現代フランス映画の名優、ダニエル・オートゥイユ、ジェラール・ドパルデューを揃えた。このふたりは傑作コメディ『メルシ ィ人生!』以来の嬉しい再共演である。この時の爆笑モノの間抜けぶりとは違って、今度は一転心と心のぶつかり合いをじっくりと見せてくれ る。脇には『クリクリのいた夏』のアンドレ・デュソリエ、往年の人気女優ミレーヌ・ドモンジョなんかも出ていてなんだか嬉しくなって しまう。

遺作で自伝的作品な作品『父よ』を作ったジョゼ・ジョヴァンニは実際に暗黒街出身の監督ということで、その方面には詳しかったのだが、この 映画の監督オリヴィエ・マルシャルも実際に警察官として働いた経歴を持っているというのが、なんだかいい。これからもそんな経歴を 生かしてこんな映画を作り続けていって欲しい。

冒頭、複数の物語が同時進行する。

バイクに乗った二人組みの男たちが、パリ警視庁の標識を盗んでいる。ネジを緩める間にむこうから警官が近づいてきている。「お前たち 何やっているんだ」声をかけられるのとほぼ同時に二人組みは作業を終え、バイクに乗って走り去る。しかし、彼らの行き先は警察の職場 仲間たちが集まった同僚の送別会。その中心にはダニエル・オートゥイユ扮するレオ警視がいる。パリ警視庁の標識は送別会の記念の品というわけだった。なんともワル 乗りだ。けれどもレオ警視が次期長官候補であるにも関わらず、ちょっと危なかしくまた反権力嗜好の人物であることが窺い知れる。

その頃、とあるバーではギャングの兄弟たちがミレーヌ・ドモンジョ扮する元娼婦のマヌーに殴る蹴るの暴行を加えている。

また別のところで、現金輸送車強奪事件の犯人たちは次なる事件の準備に余念がない。警察のパーティーが終わる頃には、ワゴン車に乗り 込み、輸送車の車に襲い掛かる。その手口は凶暴でテロリストのようでもある。

これら三つのまるで関係がなく見える物語、これが徐々にレオ警視とクラン警視(ジェラール・ドパルデュー)ふたりの間に影を落としながら、ひとつのストーリーへと 集約されていく。最初は何が何だかわからないかもしれない。けれども、そのひとつひとつがあとあと重大な意味を持ってくるというのが この映画の魅力だ。これはある意味ポリス・ドラマのパターン(英国の『フロスト警部』シリーズは大抵このパターンだ)ではあるのだけれ ども、それらが事件解決に向かっていくのに対して、こちらのほうは、深みにはまっていく辺りが、もうとってもフイルム・ノワールなの である。

レオとドニ・クランふたりは警視庁の次期長官の座を狙って競い合っていた。 現長官はアンドレ・デュソリエ。彼はレオのほうを高く買っているようだ。クランは腕はいいが、出世欲が強すぎていまいち敬遠されている ようなところがある。一方レオのほうは昔ながらの荒っぽいタイプの刑事で出世にはあまり興味がないらしい。信頼している上司の栄転の はなむけに、連続して起こっている現金輸送車強奪事件をどんな手を使ってでも解決したいと行動するレオ。そして長官から明らかに疎外 され自分の出世に黄信号が点り焦りを感じているクラン。そんなふたりは友達同士でもあるのだが、そんな微妙な感情もあって緊張感が みなぎっている。

ふたりは様々な点で対称的である。子供や妻を心から愛し家庭を大切にしているレオに対して、どこか醒めた感じのする夫婦関係にある クラン。少々法を犯してでも、大きな事件を解決しようとするレオに対して、大きくはみ出すことはしないクラン。義理や人情に厚く、時には そのために大胆な行動をしてしまうレオに対して、周りの人のことはあまり気にせず、ひとりで行動してしまうクラン。そんなふたりだから こそ悲劇は生まれてしまったのかもしれない。

ふたりが窮地に追い込まれるのは、ひとことで言えばすべてが因果応報である。レオは法を犯してでもという強引なやり方が命取りになっ ているし、クランは周りの人への無頓着ぶり、そして異常なまでの出世欲が自身を罠に陥れている。これは警察の話ではあるが、ある意味 働く男たちの世界ではどこにでもある話なのかもしれない。人より強く見えるこの対称的な男たちの一枚皮をめくれば弱い一面、これが 見えてくるから、"レオ=善"、"ドニ=悪"とはなりきれていない。そして彼らも組織の一員であることには変わりない。窮地に 追い込まれたレオが信頼する上司、穏やかで清潔な感じのする長官(アンドレ・デュソリエ)に助けを求めても、彼は何もできるわけではな い。彼は組織人の枠からはみ出せないタイプの人間なのだ。クランにしても人を裏切ってまで自分の目標を達成したところで、人望薄く、組 織の中でますます孤独な存在になっていくしかない。そこになんとも言えない哀しみが漂う。

そしてこれこそがフランスのフィルム・ノワールの魅力なのである。犯罪モノ刑事モノだからもちろんそこにはサスペンスもあり、ドンパチ だってあるのだが、そこには哀しみがつきまとっている。この映画はそのストーリーの面白さから、アメリカでリメイクされることが決まっている。 監督は『チョコレート』のマーク・フォスター、オートゥイユの役にはロバート・デ・ニーロ、ドパルデューの役にはジョージ・クルーニ ーがそれぞれキスティングされている。しかしながら、この映画のサスペンスとしての面白さ、その辺はうつされさらに倍増することは考え られるが、どこまであの男たちの哀しみを表現できるのか…それははなはだ疑問である。                                                            

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