自然に帰れ?

DATE : ( 1999/12/8 )

よく色々なところで「自然に帰れ」という言葉を聞く。我々はもちろん便利な生活から抜けられないから自然へは帰れないのだが、もし帰れるものなら帰った方が良いのだろうか。本当にそうなのだろうか。

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まず最初に考えるべきことは「本当に自然に帰れるのか」ということである。人間が自然に帰るにはいくつか条件がいる。まずは人間の数を減らすことを考えなくてはならない。人間が沢山いたら、自然の恵みだけでは全員が生きていけないからである。だからこそ狩りから農業の時代へと移っていったのである。農業とは、反自然的なことである。荒地を開墾して、時には森の木を切り倒し、そこに畑を作る。その上に、人間が食べるための植物を植える。まあどこまでを自然的と見れば良いのかがまず問題である。

それから、あなたは長生きしたいと思うか? もし長生きしたければ、自然に逆らう必要がある。もともと人間は病気と戦ってきた。人間は、自分たちが病気にやられて絶滅しないように、異なる遺伝子と遺伝子を掛け合わせて子孫を作り、病気に耐えられる人間だけで種の遺伝子を作り増やすことで、病気と戦ってきた。人間がある病気に耐えられるようになると、今度は病気の方がまた対抗して「人間に寄生できるような病気」だけが残るようになり、病原菌の遺伝子やそれに近い無形の遺伝子を進化させてきた。ところが人間がこの方法を取るとなると、人間一人一人は犠牲にならなくてはならなくなる。たとえば、極端な話、先天異常を持った人間が子孫を残すと、人間という種自体が環境に対して弱くなってしまうからである。それから私は私の一家は癌体質だと親から言われているのだが、癌体質の一家の遺伝子もさっさと滅びたほうが人間という種のためには良いことになる。

神を信じるべきだろうか? 魂や先祖の霊を信じても良いのだろうか。だめである。あなたが長生きしたいと思い、また自然災害から身を守りたいと思う限り、科学を発達させなければならない。そのためには、神や魂や先祖の霊の、存在自体を信じるのは構わないが、神やご先祖様が自分の身を十分に守ってくれるなどと信じてはいけない。あなた自身が信じるのは良いかもしれないが、神やご先祖様を信じることをやめた誰かが結局科学を発達させなければならない。マスコミは科学者をよく非難し、自然主義者は科学者を憎んだりするが、あなたが無事この世に生まれてきたのも科学のお陰かもしれないし、これまでの生涯で大雨洪水地震雷火事イボ痔に遭っても無事でいられたのも科学のお陰なのかもしれないのだから。

ところで、ある人がこう言っていた。教科書に、政治家はともかく文筆家の有名人の名前が出ているのに対して、経済界はまあ多少は名前があるとしても、産業界の人間の名前が極端に出てこないのは何故だ。東芝のある人は、日本の全家庭に電動冷蔵庫を広めた、社会に対して非常に影響力を持った人間のはずだが、私はその人の名前すら知らなかった。いまの日本があるのも産業界のお陰なのに。

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大事なことがまだある。我々は高度な文化をもっている。しかし、文化を持つためには、余裕がなければならない。我々が日々の生活さえ大変な状況の時に、文化を創ることが出来るものだろうか。生活に余裕を持たせるには、やはり農業は最低限必要だし、農業技術も発展させなければならない。そうまで技術を発展させても、せいぜい土着文化が生まれるだけである。その文化に、たとえば職業小説家が生まれるようになるには相当な文化の発達を要するし、文化の上に経済が成り立たなければならない。経済が成り立つには過剰な生産が生まれなければならない(?)。

だから私は言いたい。本当に自然に帰りたい人は、山奥で生活するにしろ、本を持っていくべきではない。それに、西洋の一神教が生まれる前は、知識の流通ということ自体が希薄であった。だから、八百万の神などという土着の神を信じたい人間は、本を読むべきではない。それに、高度な文明が無ければ必ず争いが起こるし、山賊のような集団も生まれて暴れまわる。

それから、昔の人間は自我をはっきりと持っていなかった。没個性である。だから、現代の我々が自分の意志で「自然に帰ろう」などと言うのは、私に言わせれば「自我の自殺」である。自分の体を切り刻む衝動となんら変わりは無い。「自然に帰る」ことが意味を持ったとしても、それは三島由紀夫の割腹自殺が意味を持っているのと同じことである。自然主義者はヒッピーと変わらないのだ。彼らの生活には彼らなりに意味があるかもしれないが、それを社会一般にとって意味のあることだと思うのは誤りである。

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結局、自然に帰れ、といった趣旨のメッセージは反語的な意味だけを持っているのである。もっと技術を発展させて、物質的にも精神的にも豊かにならなきゃ駄目だ、という意味である。「自然に帰れ」という記事を見ても、その気になって実践しないように。我々はあくまで「自然道楽」を楽しもうとしているだけなのだから、楽しめる範囲内で自然に帰って欲しい。


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