93. 成人式 (2001/2/2)


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私は時事問題をメインテーマにすることはあまりない。というのは、そういうのはよく見かけるからで、あえて私が書くほどのことではないからである。

今回は少し気になったのでいくつか絞って書くことにする。

■呉服業界

成人式を続けるのは呉服業界の利得のためだという説がある。私はこの見方に力強く反対するつもりはないが、これはおかしいと思う。というのは、和服を着る数少ない機会があることは良いことではないだろうか。

もし成人式がなくなれば、和服という伝統衣装を着る機会が少なくなる。すると、日本人が自らのアイデンティティを確認する機会が減ることになる。

さらに、和服を作っているメーカーが儲からなくなり、経営不振で潰れていってしまう。そうなると、和服という文化が博物館の中だけのものとなるか、政府から補助金を出してまでも保護しなければならなくなる。いまのうちに逆に保護すべきではないだろうか。

それに、よく考えてみれば「和服を着てみたい」という願望を満たせるというのは立派な消費行動であり、成人式や呉服業界は日本人の愉しみを増やしているのだ。これをあえて潰してしまう必要があるだろうか。

むしろ、成人式以外にも和服を着て楽しめるような機会を作るべきである。でなければ押し入れの中に埋もれる和服がもったいない。

■通過儀式

成人式というのは多分通過儀式なのだと思う。聞いた話によれば、成人式というのは近代になってから作られたものだということだが、私はよく覚えていない。いい加減なことを言っているかもしれないので信用しないでほしい。

なんにせよ、世界中の多くの民族は、大人になる儀式というものをほとんど持っている。たとえば、マサイ族の若者はライオンを一人でしとめなければならないし、ユダヤ人の男性は性器に傷をつけなければならない。

日本の成人式は、若者を集まらせて人生の先輩の話を聞かせるだけで、特に若者に対して何かを義務づけるようなことはない。ただ、これから大人としての自覚を身に付けてもらおうという一つのけじめをつけてもらうだけである。

私の感じた疑問というのは、これから大人になる、と言われている若者たちに対して行われていることというのが、まるで学校の朝礼のようなものだということである。市長の挨拶はまるで校長の挨拶のようなものである。新成人を子ども扱いしておいて成人式とはないものだと私は思う。

■同窓会

私が成人式に出た理由は、誰かに会えるかも、という同窓会のような気持ちがあったからであった。それだけである。それがなかったら恐らく欠席していただろう。恐らくほとんどの新成人は、古い知り合いに会いたいというそれだけの理由で来るのだと思う。

いっそのこと成人式を同窓会にしてしまうというのはどうだろうか。式の会場では座る場所を指定し、誰がどこに座っているのかを広く伝えるのはどうだろう。これだと、名前を見て会いたくなるかもしれないではないか。外見や雰囲気が変わっていると、目が合っても気がつかないかもしれない。

■理想

私の考える成人式のあるべき姿というのは、やはり新成人に対して、これからはあなたがたも社会を担っていかなければならないのだ、という意識をもってもらうことだと思う。自治体の首長が講演して呼びかけるというのは間違っているとは思わないのだが、必ずしも必要ではないし、出来るならもっと別の形にするべきだと思う。

たとえば、最近は少子化が叫ばれているので、子供を産んだ夫婦のドキュメンタリー映画を作って上映する。家庭を持つこと、自分たちが子供を育てるようになるのだということを、極めてストレートに植え付けることが出来る。

あるいは、かなり難しいだろうが、小学生やそれ以下の子供たちも呼んで、新成人たちに大人を演じさせる。ついでに、大人の先輩である中高年も呼んで、子供の扱い方を新成人に教える。

ほかには、前の世代が担ってきた時代のことを正直に告白する。前の世代はこれだけ社会を豊かにした反面、これだけの問題を生んだ、だからぜひ次の世代に力を借りたい、というような流れに持っていくわけである。

■市長が訴えた

ところで、クラッカーで首長を脅かした新成人たちが訴えられるということがあった。私の知り合いは、これは首長のやりすぎではないかという意見をもっていた。こんな些細なことで罰を下すのはおかしいというわけだ。

私は、訴えて正解だと思った。というのは、子供を叱る大人が少なくなってきているのだから、制度を利用して子供を実質上叱るのがせめてもの大人の役割ではないだろうか。うまく叱れないから訴えるしかないのだというネガティブな見方もあるが、我々は法治国家という仕組みを作り上げて維持しているのだから、新たな仕組みに依存するのもまた一つの方法ではないかと思うのだ。

週刊文春には、その新成人たちが元不良ながらいまは真面目に働いていて家庭まで持っている人もいた、とあった。彼らがなぜいまになって首長に反抗したのか分からない、と周りの人間も言っている。恐らく彼らは、昔の友人と久しぶりにあって、自分の体面を守らなければならないという強迫があったのだろう。

*

成人式をいったん廃止してしまうと私はもったいないと思う。廃止してからまた別の会を作ろうとしても、参加する必然性というものがなかなか定着しないからである。

新成人はあくまで古い知り合いに会いに来るだけなので、若者に迎合したイベントを催す必要は一切ない。成人式でパラパラを見せられるというのは一種の悪夢なのでもう少し考えて欲しい。


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gomi@din.or.jp