74. 市場は最高の発明かも (2000/8/24)


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経済学者の中には、市場が人類最高の発明だと考えている人が多いように思う。

ではなぜ彼らは市場はそこまで素晴らしいと考えているのだろうか。今回は私なりに市場を持ち上げてから、必要に応じてケナすことにする。

■アメリカのグローバリゼーション戦略の原理主義としての市場

アメリカは市場原理という名の原理主義で自国の産物を他国へ売り込み、他国の産業を破壊する、と言われている。たとえば戦後のアメリカは自国の小麦粉を大量にさばきたいがために、日本人の食生活を変えてパンを主食に売り込み、日本では米が売れなくなって減反政策を取り、農業が打撃を受けた。つまり、アメリカが日本の農業を攻撃したと考えられている。

しかし市場原理自体が悪いわけではない。アメリカの小麦粉は安く、特に味が劣っているわけではない。我々日本人は安く食料が手に入るようになった。逆に米の生産にはコストが掛かるようになり、税金で農家に補填される料が増えてしまったのは問題かもしれない。

我々が困るのは大体以下の点である。

  1. アメリカの農作物に頼りすぎると、関係が悪化したり、かの地が不作だったときに、日本が飢えたり、高値で買わなければならなくなる。
  2. 日本のような島国で食料の自給率が下がると、万が一周辺海域の情勢が悪化したときに、輸送船が日本に入ってこれなくなって飢えてしまう。
  3. ポストハーベストと呼ばれる、アメリカ国内で消費される農作物には一切添加されないのだが、輸出用の農作物にのみ振りかけられる輸送用の保存料があり、我々の健康を害する恐れがある。

いずれも、日本の消費者がよく知っておかなければならないことである。これらを知っているのであれば、市場原理が働いたところで、日本がアメリカの農作物に依存するような体質になることはないだろう。しかし実際には多くの人々はこのような事実を知らされていないのである。

また、日本人がパンを食べるようになったのは明らかにアメリカの圧力である。日本人は、自ら進んでパンを選んだのではなく、給食などの一本化された食料供給システムによりあてがわれただけである。

アメリカの米でカリフォルニア米はあまり評判がよくなかったのだが、それは単純に口に合わないから選択しなかったという単純な理由による。だから、日本人はもっとカリフォルニア米を食べるべきだ、というのは市場原理に反する。

■市場原理には健全な競争が含まれることを主張せよ

市場原理とは、消費者のためのシステムである。

日本が他国から市場の開放を求められたとき、日本は決まって自国の産業保護を目的として先延ばしにしてきた。自国の産業保護というのは消費者の意向に反するものなのだろうか。良識ある人間ならば、自分の国の伝統的な農家を守りたいと思うのも当然であり、それをむざむざ無秩序な各消費者の判断に委ねるべきではないと考えるはずである。

だから、消費者のための健全な競争とは、消費者の無秩序な動きとは別に、秩序ある総意を組み入れた上で行われなければならないのではないだろうか。これこそが健全な競争を守るということである。もし消費者の無秩序な動きだけをもって市場原理とするならば、最初は安くてそれなりにおいしい外国産の農作物を楽しんでいた消費者が、そのうち飽きて国産に目を向けたときには既に日本の農家の数が激減していて、という事態は果たして消費者の望んだことなのだろうか。

だから、我々は市場原理を受け入れるべきではあるが、無条件に市場の手に委ねることはきっぱりと拒否しなければならない。市場を開放せよ、という各国の圧力に対しては、はっきりとこの点を強調すべきである。

■既得権益を手放そうとしない市場開放拒否論者

一方で、国内産業の保護により得をしている人間がいることも見逃せない。

政治家というのは財界の影響を受けている。だから、財界の損になることは政界に影響を及ぼし、その結果として市場を保護していることが多い。つまり、我々は市場が保護されていることで不当に国内の高い物品を買わされているのであり、市場が解放されることで我々が得をして財界の人間が損をするわけである。このような歪んだ市場の保護は断じて許してはならない。

■お客様第一

日本が市場を開放するということは、日本が外国に経済支配されることだと勘違いする人が多いように思う。たとえば、最近では外国の資本が日本の自動車会社に入ってきており、平たく言えば「買収」されたところもある。日本が売られる、と危機を煽る人も多い。

しかし、我々庶民にとっては何も変わらないのである。勤め人であれば、勤め先が国内企業であろうと外資系であろうと何も変わらない。変わるのは、日本人の大金持ちが減って外国の大金持ちが増えるだけのことである。企業の儲けた金は、税金として日本の政府の収入になるのだが、外資系の企業の場合は一部が本社所在地の国の収入になるというだけである。

外資系企業が日本で不当に儲けようとしたらどうなるか。健全な競争が行われている限り、そんな企業の製品は売れない。つまり、特定の外資系企業に独占させさえしなければ、我々が損をすることはないのである。それどころか、外資系企業が過当競争をすることによって、我々が逆に得をすることさえ可能である。ただし、あまり過当競争になると企業が逃げてしまい、結果的に体力の一番ある会社がその後に独占企業と化してしまうので、競争が激しくなりすぎないように監視する必要もある。

日本人の無能な経営者・企業オーナーたちを保護してやる必要は全くないのである。彼らは、経営努力を怠り、政府に自分たちを保護させるよう働きかけているのだから、我々庶民の敵なのである。

ただし、日本で金を使う人、つまり大多数の日本人と少数の外国人、を儲けさせるのは良いことである。逆に言えば、ソニーの外国人株主比率が仮に 100%になったとしたら、我々はソニーのことを日本の企業だからと応援しても得なことはあまりない。本社が日本に所在しつづける限りは、儲けの一部を税金として日本政府に納めてくれるので、我々は得をするのだが、もしソニーがタックスヘイブン(税金のかからない)な国に本社を移したら、ソニーは日本の庶民にとっては「先進的な商品を我々に売るがこの会社が儲かると外国のお金持ちが得をする」会社になるのである。

ついでに言えば、日本IBM は株を公開していない。日本IBM は株式会社ではあるが、その株の全てをアメリカの IBM 本社が持っている。つまり、日本IBM が儲けた金は、社員の給料と IBM 本社の株主のものになるだけである。そしてそれは、IBM が日本IBM の株を公開するまで続く。

外資を受け入れる国は、企業を共同出資で設立させることを好む。例えば半々で出資した場合、出資により成立した会社が儲けることは双方の利益となるため、受け入れる側はその会社が自分の国で事業をするに当たって不利になるようなことは取り除こうとするし、外資側は儲け(または損失)は半分に減るのだが安心して事業に精を出すことが出来る。

ということは、日本IBM の属する業界が過当競争に入ったとき、日本は自らの利益のために日本IBM を潰すよう政策を操ることで得をすることになる。なぜなら、そのような状況のときは、雇用が失われても他の会社が社員を拾うだろうし、外国の株主だけが儲けているような会社を日本に置いておく義理はないのだ。

現に中国では似たようなことが行われており、日本が独占して出資している現地法人が潰されて現地人に接収されたという話も聞く。中国は広大な市場なので、多少乱暴なことをしても企業が進出してこなくなる恐れはない。乱暴なことをしなくても、中国の消費者の代表たる政府は、自分たちの損になるような企業が進出してきたら拒否できるのである。少なくとも私には、中国の人々が外資系企業による搾取を受けるとは思えない。このような防御がきっちり出来ていれば、市場原理こそが人々を幸せに出来ると言い切っても良いのではないだろうか。むろんかの国では、役人の不正が問題になっており、接収した元外資企業はその役人の親戚の手に渡ったりするようである。なかなか理想的な市場原理は成立しないものである。

■市場の適用外

市場が理想的に成立すると人々が幸せになることは説明できたと思う。ところが、明らかに市場を成り立たせてはならない場合もある。

たとえば、人々が 100人いて、食料が 80人分しかないとする。このような場合において、市場原理は導入されるべきであろうか。金持ちが満たされ、貧乏人は飢えるのである。このような場合、全ての人々に 0.8人分の食料を与えらるか、公平なクジまたは一人一人の条件を考慮して生き残る 80人を選ぶべきである。

医療の問題がまさにそうである。移植用臓器が市場で売買されるようになってから、発展途上国で子供の誘拐が頻繁に起こるようになった。それまでは身代金目的だったのが、臓器にバラして売りさばくという目的が増えたためである。また、金持ちだけが先進的な医療を受けられ、貧乏人は死んでいくしかないのだろうか。

■ゲノム特許が生む歪んだ市場

特許とは社会の発展のためにある。ユニークな発明をした者の権利を守ることで、世のため人のためになる新たな発見の出現を促すのである。資本主義の世の中では、世のため人のためになることを金儲けにつなげることによって、人々の金儲け欲望を社会発展に役立てようというのである。

だから当然、病気の人々を救うための新たな薬品に関わる特許も、金儲けのために開発されるのである。

風邪薬の場合、様々な薬があり、風邪に効く色々な薬品がある。最も効く物質を発見した会社が一番儲けられるようにすれば、製薬会社は研究開発に熱心になり、健全な競争により医療が発達し、二番手三番手でも薬の値段を安くして儲けを薄くすればそれなりに儲けることが出来る。

しかしゲノム情報を元にした薬は、その元のゲノム情報から特許なので、その情報を利用したいかなる薬物も特許による保護の対象となってしまう…以降、憶測でモノを書く部分が多いので、あまり間に受けずに聞いて欲しい。

私は大学で、ゲノム情報の解析をコンピュータにより補助する研究を行っている先生の研究室に所属していた。インターネット上には、世界中の研究者が自由にゲノム情報を手に入れられるデータベースが存在する。私もその情報を扱う研究に末端ながら関わっていた。研究が独占されることには特に問題はない。研究に乗り遅れた研究者が金と栄誉を取り逃がすのは当然のことである。しかし、研究成果を独占されてしまうと、唯一の薬が、代わりの薬の無い中で不当に高く売られることになるのである。

もちろん、ゲノム情報を元にしたからといって、そのまま唯一の効能を持った薬が出来るわけではないだろう。基本的に遺伝子というのは、四つの基本要素が三つ集まってアミノ酸を表し、遺伝子に記述されたアミノ酸のつながりを元にアミノ酸の集合体であるタンパク質が作られ、そのタンパク質がホルモンとして体内で様々に作用するのである。私は医学には詳しくないのだが、ホルモンはユニークな活動をするものから、いくつかのホルモンの作用によって体を保っているものもある。平たく言えば、人間の体というのは特定のホルモンを注入したからといって自由に操れるものではない。

私が知っている例では、痩せるための薬というものが欧米で激しい競争でもって開発が進められているらしい。なぜなら、日本人はそれほどではないが、欧米人の中には病気とも言える極端な肥満が存在し、いわば肥満の治療薬は大きな市場なのである。日本の場合、人々の多くは痩せたがっており、私も消極的ながら痩せれるものならば痩せたいと思っている。

人間が痩せるためにはどうすればよいか。そこで、太っている人と痩せている人の遺伝子を比較し、体内に作用しているホルモンの違いを分析するのである。ホルモンの中には、食欲を減退させるものとか、消化吸収に関わるものなど、多数存在するのである。これらの全てのホルモンに関わるゲノム情報を独占しない限り、少なくともホルモン/ゲノム情報を元にした痩せ薬を独占することは出来ない。ただし、簡単に独占が可能な薬も存在することは確かなようである。

説明が非常に長くなったが、独占的な特許は市場原理を不健全なものにし、誰かを不当に儲けさせるということである。ことにアフリカの発展途上国で有効なゲノム新薬が英米に独占され、日本も含めた先進国の援助がそのまま英米の製薬会社の懐に入る事態が予想されている。また、高価な薬が多くの人々に行き渡るのか、また製薬会社の言い値で買わされるのではないか、と心配されている。

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話が混乱してきたのでまとめたいと思う。

市場は素晴らしい。例外的な場合を除いて、市場原理自体を否定するのは間違っていると私は思う。ただし、市場が健全であること、適度な競争が行われていること、消費者が賢いこと、十分な情報開示が行われていること、そしてその場その場のことではなく長期的なことについては市場とは分離して判断すべきであること、これらのことがある程度守られ維持できることを前提にして初めて、市場による自由な競争が行われるべきであろう。だから、これらがダメなときは、市場開放を堂々と拒否すべきである。また、市場が開かれていない状態のときは、誰かが不正な利益を手にしていないか常にチェックが効いていることを確認すべきである。


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