67. 選挙概観 (2000/7/1)


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選挙が終わった。2000年6月25日に行われた衆議院選挙である。

私は、比例区では自由党に、小選挙区では民主党に入れた。特にこれといって考えて投票したわけではない。自由党に入れた理由は、小沢一郎の手腕に期待しているからであり、民主党に入れた理由は、とにかく自民党の候補を出させないためである。自由党は好きだが民主党は嫌いである。民主党に入れるくらいならばもっと共産党にがんばってもらいたい。共産党の方が、アンチ自民党という感じがする。

■なぜ自民党優位

今回の選挙では、あれだけ森総理の支持率が低かったにも関わらず、なぜ自民党が勝ってしまったのか。マスコミが森総理の「神の国」発言を取り上げたりしていたが、結局国民は理念上森総理を支持したことになるのである。国民が馬鹿なのか、マスコミが嘘をついているのか、どちらかであろう。

自民党が有利なのは、特に地方で票を集めるシステムが出来ていると言われている。票を集めるシステムというものがどんなものなのか私にはあまり想像できない。ただ、ゼネコンと密着しているから有利なんだ、と言われると納得してしまう。私の文章は広く世間に読ませるたぐいのものではないので言わせてもらうが、土建屋関係の労働者は頭が悪いから集票システムが簡単に作れてしまうのではないかと思う。特に何の技能や知能もない人間でも、土建屋関係の労働者にならばなれるし、それで生活していくしかないわけである。小学生に質問したところで、将来土木作業員になりたい、と答える子供がいるだろうか。まあ中学生なんかではガテンと呼ばれ注目され人気が上がってきている節もあるが、それは学校の勉強が出来ない子供にこういう道もあるのだと示しているだけだと私は思う。以上の私の考えは、土木作業員のかたには非常に不愉快なものだろうが、少なくとも親が自分の子に土木作業員になれと期待することはほとんどないわけだから、社会の底辺であると言っても言い過ぎではないと思うし、むしろそのあたりを巧妙に隠すことのほうが私には罪に思える。特に最近の日本はこのあたりの仕事をアジア系の外国人労働者にやらせるようになってきているみたいなので、私たちだけの問題ではなくなってきている。

■旧世代産業に支持される自民党の勝利が日本を暗くする

自民党政権での景気対策が、ゼネコンを救済する形になったのは当然である。日本人全体の中の、ゼネコンとそれにぶら下がる中小の建築会社とその下で働く土木作業員の民意が反映されたのである。彼らは日本の総人口の中の何パーセントを占めているのか分からないが、少なくとも業種別にみると大きな勢力だと思う。ただし、彼らの民意が反映されたところで、日本の中では彼らしか得をしないのは問題だと思う。

たとえば私は情報関係の技術者であるが、もし政権党が情報関係の票田の上に成り立っているとしよう。すると、政権党は景気対策の時に当然情報関係に金をばらまく。情報関係に金をばらまくというのは具体的にどうなるのであろうか。いまあらゆる企業が情報化を推し進めているので、その各企業に情報化用資金としてばらまかれるだろう。また、公共施設の情報化も進められるので、各施設を管轄している地方自治体にもばらまかれるだろう。そうしてばらまかれた金が、情報産業を担っている各企業の仕事を増やして潤させることになるわけである。つまり、政権党が情報関係企業以下の支持を受けて政治を行うと、日本全体が多分得をすることになる。ただし貧富の差は広がるかもしれないが。

一方、ゼネコン以下土木作業員の指示によって成り立つ自民党は、箱モノ行政といわれることを行うことになる。とにかく各地方自治体に金をばらまいて、地方に大きな建築物を建てるのである。当然、建築にはゼネコン以下土木作業員たちが関わるので、彼らに仕事が与えられ、彼らの雇用が維持されるわけである。しかし、大きな建築物を建てたところで、利用者がいなければ意味がない。建物を建てたら、維持しなければならない。維持には例えば年間一億円くらい掛かったりするので、たとえ補助金を貰って建てたとはいえ地方自治体にとってはやっかりな荷物を抱えることになる。得をするのはゼネコン以下土木作業員だけである。

■旧世代産業の票田に代わる有望な票田はない

選挙で確実に勝つには票田が必要のようである。票田を造るには、人口の多い産業の利権を保証してやるか、宗教によって人を束ねるしかないみたいである。前者が自民党で、後者が公明党である。少なくとも、庶民や労働者や生活者という票田を造ろうとしてきた共産党や社民党は大きな勢力を得られていない。

そこで石原都知事が作るのではないかといわれる幻の都市新党が出てくる。しかしこの都市新党というのは果たして政権を取れるのだろうか。

都市住民と言うと、東京圏には三千万人が暮らしているみたいだし、大阪近辺や名古屋や広島・福岡・仙台・札幌なんかも都市みたいである。彼らを一つの票田としてまとめられるほどに彼らに利権を提供することが出来るのだろうか。

石原都知事は、都の税金が多めに取られて地方にばらまかれていて都民は不幸だと主張している。しかし、そもそも東京に企業の本社が集中しているのだから、地方にばらまかれなければそれこそ不公平ではないだろうか。私は東京都内でも、小金井市という貧しい市に住んでいたことがある。この市は都内でもほとんど企業の本社がない場所である。それに引き換え、隣の武蔵野市などにはいくつか大きな企業の本社があり、それらの企業の落す税金で市民が良い行政サービスを受けている。

東京都は人が多いので地価が高く、住宅事情が悪い。しかし、反面繁華街が近くて多いので、遊ぶ場所はいくらでもあるし、おのずと文化の中心になるので、例えば海外から来た劇団やオーケストラの公演を簡単に見に行くことが出来る。

中国では沿岸部の主要都市と内陸部の農村との生活水準の格差が開いている。他の国でも、地方ごとに様々な格差があり、それと比べると日本は地方格差が少ない国なのではないかと思う。あまり都市部の住民の権利を守ろうとすると、日本全体の活力が落ちる心配があると私は思う。

にせよ、都市新党が都市住民を票田にするとは言っても、何か確実な利権を彼らに提供することが出来るのだろうか。都市には様々な人が住んでいるのだから、彼らのうちの大多数から支持を取り付けることはほとんど不可能なのではないかと思う。

結局、地方の自民党の票田にかなう票田は無いのではないだろうか。

■日本の政治をよくするには

やはり票田以外の人々の政治意識を高めるしか、日本の政治をよくすることは出来ないのではないだろうか。しかしそんなことが出来るのだろうか。

私は、結局日本の国民がアホだから日本の政治がダメだと思っている。国民も政治家もマスコミもアホである。でもどのアホが一番罪が重いかというと、やはり「書くアホウ」つまりマスコミが一番罪が重いのではないだろうか。

マスコミは安易に「政治家がどうしようもない」と言う。それは、多くの国民が喜んでそれを読むからである。自分たちはちゃんと政治家を選びたいのに、まともな政治家がいない、と思いたいのである。そんな国民のアホさ加減をマスコミが汲み取るから悪い。そもそも商業主義がよくない。マスコミは全て大衆的になってしまっている。こんなマスコミに関わっている人間の給料なんて下げてやるべきである。でなくても、ジャーナリズムの崇高な使命という御旗だけは降ろすべきである。

マスコミは、選挙に行かない国民を徹底的に批評すべきである。

マスコミは、無責任に「国民が選挙を放棄するのも仕方がない」だとか「白票を投じにいこう」などという妄言を吐く他のマスコミを同業批判すべきである。

それから、マスコミの人間は官僚と同じで、国民の審判を受けない立場にある権力の担い手なのだから、少なくとも政治家よりも責任を取らない人々だということを忘れてはならない。

にしても、与党よりも野党の方がアホに見えてしまういまの日本に、どのように光がさすのか非常に楽しみである。やはり鍵は石原慎太郎しかないのではないだろうか。石原都知事は、つい最近の三原山噴火の対応も早かったようなので頼もしい。それに、彼は台湾と深いつながりを持っているようなので、日本が国際社会の中で立ち振る舞うときに重要なパートナーとなりそうな台湾ともっと仲がよくなれたら良いと思う。彼は時期を待っているのだろう。ちょうど都知事選で、立候補のタイミングを選んだ時のように。


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gomi@din.or.jp