6. 週刊誌 (1998/11/25)


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あなたは毎朝新聞を読むだろうか? 私は読まない。新聞など読んでいる時間がない、とは言わない。なぜなら、私は毎朝、前日とかに録画しておいた番組を見るからである。

私が新聞を読まなくなりはじめたのは、週刊誌を読み始めた時期に一致する。通勤に一時間掛かる電車の中では、新聞よりも週刊誌の方が読みやすいということが大きい。週刊誌を毎朝毎夕少しずつ読んでいれば、このあと家に帰って新聞を読もう、などという気にはなれない。もっとも、自分の会社の株価が気になるときがあるので、そのときばかりは日本経済新聞を広げて読むことにしている。

私が読む週刊誌は、もっぱら週刊文春である。なぜこの週刊誌に落ち着いたかといえば、他の週刊誌の程度が低かったからである。現在、週刊誌の中でもっともシェアを獲っているのが週刊ポストであるが、この週刊誌は昔グラビアに期待していたが、いまはそれよりも記事の内容の方が重要になったので、まず買うことはない。私は連載小説にも興味がないので、恐らく週刊誌の移行には連載小説がそれなりのウェイトを締めるみたいだが、連載が終わる頃になって別の週刊誌も買ってみる、などということもない。ただ文春一本である。

この週刊文春の面白いところは、新聞を、特に朝日新聞を目の仇にしている点である。もっとも分かりやすいのが、その名もずばり「新聞不信」という名の連載である。私は朝日もとっているのだが、この「新聞不信」を読むと、いわゆる大新聞の馬鹿さ加減がわかって面白い。もっとも、朝日新聞が週刊文春を露骨に非難するようなことは無いので、たとえこの両方を購読していても、どちらがもっともだという判断を下すのはなにか違うとは思うのではあるが。

週刊誌の良いところは沢山ある。それを一つ一つ挙げていってみよう。  

1. グラビアがある

週刊文春は、わざわざ朝日新聞(日経?)に 1ページ広告を打って「No!ヘアヌード」というヌード広告を載せた。つまり、逆にいえば、週刊文春にはヌードが載っているということであり、週刊文春以外の週刊誌にはヘアヌードが載っているということである。  

2. 読者の興味に合わせて大々的な特集記事が組まれる

大きな事件だと、最近では和歌山カレー事件では、週刊文春は 8ページだか 10ページだかの特集を組んだ。内容も、当たりさわりのないものしか載せない新聞と比べて、踏み込んだ内容のものが多い。かといって、踏み込みすぎて誤報になったりすることは、週刊誌にもよるが、文春ではかなり少ない。

3. 特定の人が出来事の解説を行う連載記事がいくつもある

特定の人が大きく名乗って書くだけあって、その人自身の個性的な考え方を毎週その人自身の言葉で聴くことが出来る。新聞の解説記事にも記名はあるが、普段我々は気にもしないし、書いた人間が誰かを気に掛けるほど個性があるわけではない。また、新聞は論調を統一するのが常であるが、週刊誌では、あるライターが他のライターの記事を批判したりすることもある。

4. 特定の人のエッセイがいくつもある

いままで色々な生き方をしてきた人の、色々な話を聞くことが出来る。これは実際に色々と読んでみなければ分からないだろうし、初めて聞く人のエッセイはなかなか入っていきにくいものである。同じ作家のエッセイを長く読めば読むほど、その人のことが分かってきて、愛着も沸き、毎週楽しみにするようになったりする。

5. 読者を分かりやすく啓蒙する連載記事がある

たとえば、公団は住宅のローンの利率を下げて煽っているが実際にはいま買わない方がいいだとか、車を購入するときに業者に不当に獲られている金額分を自分で手続きすることで浮かせることが出来るだとか、消費者にとって身近な問題の手助けになるような記事がある。しかも分かりやすい。

6. ロングインタビュー記事がある

時の人なんかのロングインタビューがある。週刊文春の場合、インタビュアーに阿川佐和子を用意しているのだが、少なくともテレビの芸能マスコミのような馬鹿な質問はしないし、良識があってかつ親しみやすい話の持って行き方をする。その人の昔の話とか裏話を、たっぷり 3〜5ページぐらいしてくれる。

7. 様々なレビュー記事がある

単行本文庫本、映画、ビデオ、漫画のレビュー記事がそれなりに豊富である。週刊文春では、普通のレビューの他に、外部の各界の担当者の持ちまわしでその人の興味を引いた本をつらつら解説する記事もある。新刊を出した出版社が広告のように行うのとは違い、読んだ人間の興味のままに紹介しているところがよい。

8. 連載小説がいくつかある

私は連載小説を読まないので分からないが、ある連載が終わると必ずそれを惜しむ読者の投稿があるものである。それから、ある作家の小説がある週刊誌で連載されると聞くと、週刊誌を乗り換えたり新たに読み始めたりする人が出てくるのも常である。  

以上当たり障り無く解説してきたが、私が強く主張したい点を話そう。

テレビや新聞だけを見ている人間は、視野が狭いと言わざるをえない。特に、民放の朝のニュースしか見ない人間は最低である。少なくともテレビならば NHK系のニュースや報道特集や民放の真面目なニュース番組を時々見るべきである。新聞は、スポーツ新聞は新聞ではないとして、普通の新聞を読んだ方がいい。だが、テレビや新聞だけを見ているだけでは世の中は見えてこない。

それは思想面だけを言っているのではない。私は最近驚いたことがある。ずいぶん前にだが、ある大臣が戦争責任に関する失言とかでやめさせられた。その失言は、韓国に関するものだった。私は、当時テレビと新聞しか見ていなかった。大臣は要約するとこう言ったそうである。「日本は韓国にいいこともした」この部分だけが注目されて、それで世論やらマスコミが騒ぎ始めて、その結果大臣は辞任することになったらしい。だが、その大臣の発言のすべてを週刊誌で見たら、どうやらこんな感じだったらしい。
「日本は韓国に悪いことをしたが、いいこともした。(日本が韓国にした良いことを羅列)…だがかの国の誇りを傷つけた。」
この部分を載せた週刊誌が見つからないので、うろ覚えのまま書くことを容赦願いたい。だが、これだけでも一応分かるはずである。マスコミは刺激的な部分しか引用せず、新聞は右翼的だと決めつけてヒステリックに糾弾する。この、どちらかといえば良心的な物言いも、我々大衆の目に最も触れやすい大きなメディアに掛かれば、完全な悪者になってしまうわけである。

私の言いたいことは、大きく二つある。一つは、週刊誌は面白いので読もう、ということである。もう一つは、テレビや、そして新聞までも、あまり信用してはいけないのだ。週刊誌も決して信用に足るわけではないが、メディアというものは巨大になるに従って悪い方に悪い方に影響を受けるものである。みんなの目に触れるメディアは、我々大衆に与える影響力の強い分だけ、何者か(俗っぽく言えば権力者とか)の影響を受けるものだし、また我々大衆(これも俗っぽくいえば愚民とか)の影響も受けている。

どうも書き足りない気がしないでもないが、このへんでやめておくことにする。


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gomi@din.or.jp