58. キーボードからのサラリーマン考 (2000/5/9)


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キーボードと言っても鍵盤のついたものではない。私が言っているのはコンピュータを操作するためのキーボードである。

コンピュータのキーボードには色々な種類がある。製品一つ一つ違うのは当たり前なのであるが、その前に規格があるのである。…まあそんな固い話はあとまわしにしよう。

私が仕事をしていたチームでの仕事がようやく片付いたとき、リーダーのEさんがキーボードの新しいのを買った。彼が買ったのは小型で打ちやすいことを狙った、ぷらっとホームという店が作っている特別なキーボードである。一緒に買いに行ったMさんも同じものを買って家で使っているそうだ。

Eさんは会社で使っている。そのキーボードは自分の金で買ったものである。それを見て私も新しいキーボードを買った。もちろん会社で使うためである。コンピュータを使う時間で言えば、家よりも会社の方が圧倒的に多いのだから、家でよりも会社で使う方が効率的だからである。

そこで同じチームで、一番のベテランのTさんなんかはやはりこだわりがあるのではないかと思って彼の仕事机を見てみたが、彼は会社のパソコンについているキーボードをそのまま使っているみたいだった。彼に聞いてみたところ、「私物を使うのは嫌い」という答えが返ってきた。

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普通、会社には私物つまり自分の物を持ち込まないものである。少なくとも、会社は会社自身が仕事道具を用意して社員に仕事をさせなければならない。会社から私物を仕事に使うよう命令されることは通常ないし、少なくとも強制されることはない。恐らくそのへんは会社への監視もあるのだろう。だから、会社は会社自身が疑われないためにも、社員が私物で仕事をするのを勧めたりはしないし逆にやめさせようともする。

サラリーマンは自分の体だけで稼いでいるのである。だから、本来ならば決して自分の道具を持つべきではないのである。サラリーマンが仕事をするときは、雇う側が仕事に必要なもの一切を用意する。サラリーマンはそこで自分の身一つで働くのである。言い方を変えると、サラリーマンはサラリーマンである限り、決して職人ではないということだ。

私はサラリーマンである。しかし私は純粋なサラリーマンにはなりたくない。仕事の道具さえ自分で選べないなんてことがあるのか。もっとも、我々サラリーマンが自分で買う道具もある。それは、スーツ、カバン、手近な筆記用具などである。ちなみに通常の筆記用具は会社が用意するものなので、愛用するペンや手帳なんかだけを買う。先輩の話によれば、我々サラリーマンには定率で「経費」が認められていて、収入の課税対象額から一定額が経費として認められて非課税となっているらしい。

要するに私に言わせると、キーボードも一種の筆記用具なのであるから、会社の用意する普通の筆記用具の代わりに愛用のペンを使うべきなのである。打ちやすいキーボードを各自が用意すれば良いのである。

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余談だが、会社に自分のノートPCを持ってくる人が最近増えている。彼らはそれで何をやっているのか知らないが、私が自分のノートPCを持ってきたときは大抵がダウンロードやバックアップで仕事にはあまり関係ない。バックアップというのは、自分が仕事するときに作ったプログラムや資料なんかを自分で保存しておくことである。万が一仕事用のマシンがクラッシュしてデータが吹っ飛んだ時に備えるというのもあるが、むしろ自分がどんな仕事をしたのかを自分でこっそり取っておくために行っている。

ちなみに、やむにやまれぬ事情があるときは、自分のノートPC を仕事で使ってくれ、と言われることもある。このような要求が会社側から出たときには、当然断ることが出来る。しかし私にはどうでもよかったので応じた。その前後に私は自作PC にハマって会社で組み立てたりしたので、つりあいがとれていると言えるのではないだろうか。その後会社は、出先で使えるようにとノートPC を一台買った。もっと買っても良かったのだろうが、予算を取るのも大変らしいので、一台を持ちまわしで使っているようである。

自分の携帯電話を仕事で使うのも本来ならばおかしい。会社が本来仕事用の携帯電話を用意しておくべきなのである。社員一人一人を、どこにいても捕まえたいのであれば、会社が一人一人に会社持ちの携帯電話を渡すべきなのである。というか勤務時間外に電話よこすような会社には入りたくないが…。

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さらに余談になるのだが、友人が富士通系列の会社に入ったのだが、彼は配属後すぐに、Happy Hacking Keyboard という非常に高価なキーボードを会社に買ってもらったらしい。このキーボードは私の記憶によれば二万円以上する代物である。現在多少盛り上がっているキーボードブームの立役者の一つと考えられる。そんなものをなぜ会社が社員に買い与えたか。それは、その会社の顧問がそのキーボードを監修したからだそうである。ちなみに話によると、その会社の売店でも売っているというから面白い。私に言わせれば、うらやましい、じゃなくてこのくらいの道具は個人で買うべきではないかということである。会社は仕事がそれなりに効率的に出来るような最低限のものを用意すればよいのであって、なにも仕事用に全社員にブランド物のペンを買ってやる必要などないのである。

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話はどんどんそれていくのだが、私が最近まで行っていた某メーカーでは面白い光景にお目に掛かった。そのメーカーでは、メーカー製PC をあまり使っていないみたいだった。つまり職場にはゴロゴロ自作機が転がっているのである。私はそれを見て、さすがメーカーだ、自分の使うマシンは自分で組んでいるんだな、と思った。あとでその理由を社員に聞いてみると、私の想像は半分ほど当たっていた。

理由を簡潔に言うと、これは PC を固定資産から除外するための一種の工作なのだそうである。会社は、10万円を越す物品を購入すると、それを固定資産として登録して管理しなければならないのである。もしこのような物品が管理されないとすれば、物品がいつのまにか失われてしまった時に、それが会社の損となり、ひいては株主の損となるからである。会社の全ての資産は株主に分割所有されているのだから当然である。株とは会社の資産の一部の権利と同じである。私はその点くわしくないのだが、もし会社が潰れてしまったら、その会社のあらゆる資産は可能な限り高額で売り払って株主に分配するのである。もっとも高く売れるのは、会社のある部門を人材まるごと売り払うことであろう。もっとも安くなってしまうのは、こまごまとした物品を二束三文で売り払うことであろう。

仕掛けはこうだ。自作機ならば、部品ごとに業者に発注する。個々の部品を 10万円以下に押さえれば問題ないのである。そして部品が届いたら組み立てて一台のパソコンにするのである。そうすると、そうして出来上がったパソコンを固定資産として管理する必要がなくなる。固定資産として管理されている物品は、固定資産番号のついたシールなんかが張られて管理されているので、会社勤めの人は調べてみよう。

もっと巧妙な固定資産抜けもある。それは、二つ以上の物品を買うときに、業者に値段を分散させるのである。13万円の品物と 3万円の品物を買うときに、それらを 8万円と 8万円にさせて購入するのである。そうすると個々の品物は 10万円以内という制限から外れるので固定資産として登録する必要がなくなる。こんなことをするのは恐らく株主に対する裏切りに当たるのだが、罰せられるかどうかは知らない。多分バレることはないし、バレても処罰する法律がないかもしれないが、私は知らない。

まあパソコンに関して言えば 10万円以下のものが多くなってきているので問題ないのかもしれない。ちなみに私の会社を含めて多くの会社はリース会社を利用してパソコンを借りる契約を結ぶことが多い。ごく少しだけ購入することもあるのだが、それらは世代交代の際にサーバとして利用されるのである。ちかごろは、個人個人が使うパソコンよりもサーバマシンの方が性能に関してあまり要求されないので、このような運用は恐らく経済的だろうと思われる。

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話が大幅にそれてしまったので今度はキーボードそのものについて話そう。まずは私が購入したキーボードにして解説しよう。

私の購入したキーボードは以下の特徴をもっている。

  1. 英語101キーボード
  2. ミネベア製
  3. 実売価格5,980円で購入
  4. メカニカルタッチ
  5. 重量感があり大きくてガッチリしている
  6. ウィンドウズキーなんかがさりげなく付いている

1. 英語101キーボード

キーボードにはいくつかの種類があるが、キーの数や配列なんかで分類することが出来る。パソコンが大きく広まった頃に最初に使われていたのがこの英語101キーボードではないかと思われる。いまでも Unix 系のマシンではこのキー配列が用いられることが多い。私が大学にいたころ使ったキーボードも大体このタイプであった。日本で広く使われているキーボードと比べると、記号配列なんかが結構違っていたりして、日本語キーボードになれた人が使うには慣れが必要である。ちなみに私も大学卒業後長く日本語キーボードを使っていたのですっかり英語101キーボードの感覚を忘れてしまい困っている。なぜいまさら英語101キーボードを買ってしまうのか悩むところである。

一般に英語101キーボードは、日本ではマニアックな人が自らのアイデンティティの一部として使用することが多い。もちろん実用性もある。日本語をサポートするためと称して余計なキーが追加された日本語キーボードよりも使いやすいのは多分事実だと思う。しかし私に言わせれば、仕事で Windows なんかを使うとすれば大抵は日本語キーボードになるのだから、日本語キーボードで慣れておけば良いのである。逆に言えば、仕事で主に Unix を使う人がたまにパソコンを使う場合は、自分のマシンのキーボードを英語101キーボードにしておけば困ることはない。多分この流れで使用する人が多いのだろう。まあもっとも最近は Unix マシンはもっぱらサーバ専用として使用され、大抵はパソコンからリモートログインして使用するから、これからサーバでの操作を考えてあえて英語101キーボードに慣れる必要は全くない…多分。

2. ミネベア製

私は別にミネベアというメーカーに何のこだわりもないのだが、ファンで有名な会社で、品質も良さそうである。大抵のキーボードにはブランドがなく、というかマイナーブランドが林立しているので、数少ないブランドとして IBM純正だとか SUN純正などと言われることがあったり、バルクで流れてきて NEC製だとか書かれることがある程度である。そういう状況であえてミネベア製というブランドは私の心をくすぐった。

3. 実売価格5,980円で購入

キーボードに 5,980円払うというのは、はっきり言ってしまえばどうということもない金額である。私の弟は 980円で中国製のキーボードを使っている。同じキーボードを秋葉原で 880円で見た。私のアルミケースマシンにつけているキーボードは 1,280円である。最近壊れてしまったミニキーボードは 3,980円。つまり私が購入したキーボードの中では最高額である。

世に出ている高価なキーボードは、私はあまり詳しくないのだが、まず PFU の出している Happy Hacking Keyboard の二万円を越す価格、そして IBM の初期のキーボードで後述するメカニカルタッチのものも二万円だか一万円台後半ぐらいしたような気がする。あとはぷらっとホームから出ている Happy Hacking Keyboard もどきのキーボードが一万円弱ぐらいする。友人によればこいつは富士通高見沢工場で作られているらしい。

他に高価なキーボードとしては、ワイヤレスのものがある。赤外線で信号を出すので配線がうっとうしくない。しかしわざわざ配線のために高価でしかも電池が必要だったりするのは非常に情けないと私は思う。それにワイヤレス製のものは少ないので、自分の好みのタッチのキーボードを選びにくいではないか。

世に売られている普通のタイプのキーボードはニ千円から八千円程度だと思う。二千円以下のものは廉価で、八千円以上のものは高価と言って良いだろう。これといって特色のないキーボードが六千円ぐらいすることもあって、私には理解に苦しむのだが、やはり廉価なキーボードよりは品質が良いのだろう。あとで話すが、私が 3,980円で買ったミニキーボードがあっさり壊れるぐらいなので、いまの私はキーボードをそれほど信頼してはいない。いまの私はキータッチの好みで選ぶか最安値近辺で選ぶ。

あとはキャラクター物が多分高い。ドリームキャストのキティちゃんパックにはキティちゃんのキーボードがついてくるみたいで、先輩の自称キーボードマニアが欲しがっていた。彼は Happy Hacking Keyboard を持っているらしい。他に、PostPet のキーボードがあるみたいで、こっちはしかもワイヤレスであるという。

4. メカニカルタッチ

私は大学時代、これぞ理想的なキーボード!というものに出会っている。それは Sun 純正のホコホコした感覚の素晴らしいキーボードである。ホコホコと擬音で説明することしか出来ないのが残念である。キーボードのデザインといい、感触といい、実に素晴らしいキーボードだった。いまのところあの感触をもったパソコン用キーボードに私は出会っていない。実に残念である。

そこで私はあのキーボードの感触に近づくために、VAIO ノートのキーボードにビニール製のキーボードカバーをつけて、その上からタッチするとある程度ホコホコしていることに気が付いて以来愛用している。しかしノートPC なのでストロークが浅い。キータッチに不満はないのだが、快感と言えるほどの感触を得るには遠い。素晴らしいキーボードならば、何でもなくキーをタッチするだけで幸せを得られなければならないのである。

その後私は、こだわりのキーボードを探す人のうち、メカニカルタッチと呼ばれる種類のキーボードが好きな人々の存在を知った。最近のキーボードは、分解してみると分かるが、ビニールの吸盤のようなものの真ん中に導体だか重量物を貼り付け、その下にビニールシートに印刷された配線を導体または圧力によってスイッチングし、それによってキーボード全体の回路の抵抗を変えることによってどのキーが押されたかをユニークに識別し、それらをまとめてコントロールチップでキーボード信号に変換して出力するようになっているみたいである。

説明が長くなってしまったが、つまり現在主流となっている廉価なキーボードには、機械的な部分がなく、つまり恐らく頑丈なのである。機械的な部分があると当然油で潤滑してやる必要があったり、徐々に痛んでくるので、耐用年数が少ないものと思われる。しかしこの機械的つまりメカニカルなキーボードには根強いファンがいるわけである。コアなファンは、初期の IBM 純正キーボードを求めたりするらしい。フェンダーの年代物とまではいかないがマニアのこだわりは大きい。

ちなみに私の周囲には、メカニカルキーボードの好きな人はほとんど見かけなかった。韓国から来たかつての同僚が「わたしカチカチしたのが好き」みたいなことを言いながら、Unix マシンのキーボードのキーを押す真似をしてニコニコしていたのを強く覚えている程度である。

そういえば当時同じプロジェクトには二人の韓国人がいて、特に男性の方はオラクルに詳しいので重宝がられていた。彼の持っていた本で、オラクルについてびっしりとハングル語で書かれた本を見せてもらった。それを見ながら、ああ多分日本語で書かれた本を欧米人が見たら今の私と同じようなことを思うんだろうな、と思った。ちなみにハングル文字は一種のひらがなのようなものである。

ところでその男性の方とは、同年代の人たちと一緒に飲みにいった。彼はコンピュータの技能や知識はあるのだが、日本に来て日が浅いため、あまり満足に日本語が話せないようだった。そこで飲みの場でもあまり立ち入った話ができないので、仕方なく私は普段のキャラクターを捨てて、好きな異性の好みを聞いた。我ながらこのときは国辱的日本人を演じてしまったと少し後悔する。彼の好みは太った女性だった。韓国ではふくよかで家庭的な女性が好まれるらしい。

ちなみに韓国人の女性の方は、髪を少し茶色に染めていて、同僚の話によると彼女は韓国人からすると多少変わっているのだそうだ。残念ながら彼女は、何度かみんなで飲みに誘ったのだが、そのたびごとに理由があったのか理由を作ったのか知らないが断ってきた。私の送別会のときは、昨日引っ越した直後であわただしいので部屋を整理しなくてはいけない、といって断ってきたので笑顔でサヨナラした。千歳烏山に引っ越したそうなのでいつも私はこの駅を通過するのだが、よほど運がよくないと再会できないだろう。

話が大幅にずれてしまった。

5. 重量感があり大きくてガッチリしている

ガッチリしたキーボードが良いというのは、打っていてキーが安定していることも打鍵の快感の一部だからである。

ただし、Happy Hacking Keyboard とその亜種は、小さくてもガッチリしていてそれなりの重量感を持っている。私もそんなキーボードでも良かったのだが、今回はメカニカルタッチとコストパフォーマンスを優先して今のものを選択した。

大きいキーボードで困るのは机のスペースである。私の選択したキーボードは、大きいといっても Microsoft の変形キーボードほどは大きくもなく、形も単純なのでそんなに場所はとらない。ついでにいえば、Microsoft の変形キーボードは使いやすそうなのではあるが、あの安っぽいプラスチックのフレームとキートップはとても値段相応とは思えない。私の選択したキーボードは表面に高級感のあるコーティングが施されていて、触った感触も見た目の印象も良い。

ちなみに同期でイギリスの大学を出ている人が私のキーボードを見て「これ向こうの学校で使ってた」「ドルじゃなくて怪しいポンドマークだったけど」と言っていた。

6. ウィンドウズキーなんかがさりげなく付いている

はっきりいって、このご時世で英語101キーボードを使うような日本人は、恐らくウィンドウズキーなんてものが付いている物をほぼ嫌うであろう。最近友人から来たメールには「今までの人生で一番恥ずかしい買いものをしてしまった」と Windows 98 Second Edition を買ったことについて語っていた。彼の彼なりの名誉のために申し添えておけば、彼は自分のために Windows を買ったのではなく、親のために買ったのだそうである。考えてみれば、いかに支配的であろうと、一個の OS の影響でほとんどのキーボードにウィンドウズキーなどという三つのキーがついてしまったことに驚く。

私はこのウィンドウズキー自体に対しては何のこだわりもないし、さして利点だと感じているわけではない。しかし付いていて不便なこともなく、元々キーの無い場所にいま新たなキーがついているだけであって、スペースキーも無意味に大きなままで、旧来のキーボードとさして変わるところはない。ただ、このキーボードが回顧主義者を拒否している点が私に好印象を与えている。まあそんなところであろうか。

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キーボードというデバイスはまだ生きつづけるっぽい。パームサイズコンピュータが近々音声認識技術を搭載するという話を聞くが、いまのところパーム用の折りたたみキーボードが熱烈歓迎されている状態である。ちなみにそのキーボードは小型で精巧で非常に打ちやすいらしいが一万二千円ぐらいするらしい。本当にキーボードを使いたい人には便利なのだろう。

一方で、携帯電話でメールを書く人は、既にプッシュホン型のボタンで自由自在に日本語を入力している。パソコンを使わない若者には、普通のキーボードよりも一般的なキーボードとも言える。将来パソコンまたはセットトップボックス用のキーボードに、このようなテンキーライクなキーボードで日本語入力できるような感じになるかもしれない。

ミサワホームが開発した、少ないキーで多くの文字を入力するための特殊なキーボードがある。シチズンが最近になってポケットボードに続くメール端末として、コンパクト型(小型という意味ではなく主に女性が使うコンパクトの形をしているという意味で)のものを発売したらしい。しかし雑誌での評判を見ると、そのような特殊キーボードとは関係なく、細かすぎる液晶画面に対する否定的な意見が書かれていた。話によるとシチズン内部の技術者も「見にくい」と言っていたらしい。そんなわけで、いまのところ新しいキーボード型デバイスで成功しているといえるものは見かけない。

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私がタッチタイプ(キーボードを目視しないでキーを打つこと)を覚えたのは大学に入ってまもなくであった。当時の教官はこう言った。キーボードは過渡期の道具だけど、いまは覚えなくてはならない。私も当時は大いに納得した。キーボードは未来にはなくなるかもしれないけどいまはやっておかなければならない、と。

しかしここにきて私は、本当にキーボードは無くなるのだろうかと疑問に思えてきた。キーボードに代わってメーカーが進めるのは音声認識である。しかしいまのところ各種音声認識ソフトを見てみても、キーボードよりも効率的に文字を入力することは出来ないのである。音声認識技術は、音声をそのまま文字にすること以外にも、言語に関わってきてしまうため、どうしても大容量で最新の辞書が必要となる。当然大量の計算が必要になるため高速なプロセッサが必要にもなる。優れた研究成果や技術やソフトウェアが解決してくれるのかもしれないが、少なくともこれまでの地道な研究がこれらを革新的に解決してくれることを期待するべきではない。となるとやはり音声認識以外の方法が必要になる。

私が考える理想的なデバイスは、脳に電極でも埋め込んで、これこれこういう文字を入力したい、と考えるとそれがコンピュータに入力されるようなデバイスである。これはひょっとすると案外簡単に実現されるのではないかと思う。思っていることを文章にするようなマシンを作ったり、頭に流れる音楽をそのままとってきて録音するような機械を作ることはかなり難しそうではあるが、たかだか数十種類の記号を分けて入力することはそんなに難しくはなさそうである。頭皮の外側からでも脳の微弱電流を受け取り、頭の中で記号を思い浮かべた時の脳波の特徴を機械に覚えさせれば良いのである。そうすると、人間が頭に思い浮かべた文字をすぐ入力できる。そこまで出来れば、今度は頭に思い浮かべた単語を入力する機械を作る。または、漢字のイメージを直接読み取って入力するようなシステムを作る。ただやはり問題は、そこまで脳波を細かく読み取れるのか、そしてそうやって読み取った脳波を A か B か判別することが出来るのかどうか、ということである。増してそれを画像化することは出来るのか。

世界のどこかでそんな研究が行われているかもしれない。実験に協力してくれる人を探してきて、脳波・微弱電流を測定する機械をつけてもらう。それで、頭の中に特定のイメージを描いてもらう。最初は単純な、どんな文字にも見えないような純粋なイメージを描いてもらう。そしてそのイメージの画像データと、脳波・微弱電流の測定結果を、スーパーコンピュータまたは超並列コンピュータに計算させるのである。あらゆる相関性を調べれば、ひょっとするとうまく脳波・微弱電流からイメージを取り出すための計算方法を発見できるかもしれない。ただし、万が一このやりかたで計算方法を見つけたとしても、人間全てにその方法が適用できるとは限らない。脳の構造は人それぞれだから、個人個人で計算方法が別かもしれない。または、個人個人の計算方法を総合することで、汎用的な計算方法が見つかるかもしれない。

仮にそんな計算方法が、人々の思い浮かべているイメージや風景をコンピュータに描きだすための方法が開発できたとしたら、素晴らしいかどうかは別として、驚くべきことである。ただし残念ながら、その計算方法を普通の数式に書くことは不可能だろう。当然そのような計算方法を探すための方法論は、非線形・カオス・ニューラルネット・計算論的学習理論などに因るはずだと私は思う。特に最近は超並列なコンピュータが手軽に作れてしまったりするので、超並列をうまく利用できる方法で試みるべきである。SETI(宇宙人からの電波を解読するプロジェクト) や暗号解読(暗号システムを開発している会社が示威的に開くコンテスト)なんかに夢中になっている連中にこういう計算を分担してさせるべきだと私は思うのだがいかがだろうか。

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なんだか取り留めの無い話になってしまったが、私が一番言いたいのは、自分のよく使う道具にはこだわっていいんじゃないの、ということである。ウォーターベッドを買った私がこれまで仕事をしてきた上でキーボードに対してあまりにこだわらなさすぎたことを恥じたい。私たちにとっての「大工の七つ道具」なのだから。


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gomi@din.or.jp