57. 中国差別? (2000/5/1)


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先日フジテレビのドラマ「ショムニ」を見ていたところ、日本の商事会社とドイツの会社とのビジネスに中国の会社が絡んでくるという話があったのだが、そこで面白い筋書きがあった。仕事の受注合戦で、主人公たちの満帆商事と順風商事が争いを繰り広げるのだが、敵の順風商事は中国側への手土産と称して日本の茶器をドイツの仲介会社の代表に渡そうとしたのである。それを見た私は、この番組を見た一般視聴者の中には、この番組は中国人を中傷したのではないかと思った人もいたのではないかと思った。まあ微妙な問題であり、手土産を送る先が何も中国の会社でなくても、アメリカの会社でも日本の会社でも良かったのであるが、ここをあえて中国の会社にした点について、ひょっとすると偏見を見出す人もいるかもしれない。そういえば私は前々回あたりにアラブ人に対する偏見を助長しかねない教科書の文章について語ったと思うのだが、それと同じたぐいの中国人への偏見を助長しているのではないか、というのと同じである。

結論を言うと、中国の文化では、贈答品は相手への尊敬をあらわすらしいので、何も問題はないみたいなのである。孔子の子孫の孔健さんという人が言っていたので多分本当なのだろう。彼の話によると、中国では相手にあげるものが高価であればあるほど相手への尊敬の印になるらしい。さらに驚くことに、なんと現金を渡すことさえ普通に行われるらしい。ただし現金はさすがにそれなりに親しい相手にしか渡さないものらしい。というわけで、手土産を送る会社としては中国の会社という筋書きは非常に正しいのではないかと思う。日本の会社でも良いのだが…。

ちなみに、ある中国の幹部が日本にやってきて、日本は彼を歓迎し、日本の代表者は歓迎の印として物品を贈呈した。するとその幹部は、日本のそれなりの地位のある人からプレゼントされたということで、中を見るのをそれはそれは楽しみにしながら中国へと帰っていったらしい。そして中をあけてびっくり、そこにはハンカチ一枚しか入っていなくて彼は激怒し、日本と中国の間でまとまりかけていた話が一気にしぼんでしまったとのことらしい。中国では、安価な贈り物を下手に贈ることは、相手への侮蔑を示すものともなりかねないらしいので注意が必要である。ちなみにそのハンカチはブランド物でそれなりに高価なものではあるらしかった。

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最初に言っておくが、私は中国が嫌いである。これは偏見とか差別とかではなく…いやそれもあるかもしれないが、大部分は嗜好の問題だとまずは言っておこう。

私の嫌いな中国は、人民と為政者に分けることが出来る。私はその両方が嫌いである。特に後者が嫌いである。中国の為政者、特に現在は江沢民などであるが、彼らは日本にとっては憎むべき相手と思ってよいだろう。なにせいまの日本は中国の言うことを聞きっぱなしだからである。ダライ・ラマの来日に際しても中国から「日中関係に悪影響を及ぼす」などといって妨害するのである。

中国は貧しい国である。だからこそ、中国の為政者は人民をまとめあげるために日本を利用していると言われている。中国は第二次世界大戦の戦勝国としての賠償を放棄している。というか中華民国つまりいまの台湾が放棄したのであって、共産党の中国つまりいまの中国はその交渉には立っていない。しかし中国は日本から多額の ODA 援助を受けている。なおかつ、人民に対してはその事実を隠蔽しているか、日本から金を貰うのは当然と考えている。それに加え、戦争責任を未だに追及し、謝罪しろ賠償しろと言ってくる。

江沢民は昔、日本の憲兵の連れていた番犬に襲われて噛まれたことがあり、そのこともあって日本を恨んでいるという話も聞く。江沢民が日本を訪れたときに、前もって自分の行く予定の場所に犬がいないかどうかを調べさせたという噂もある。江沢民は日本の要人が中国をたずねてきた時には、まず片言の日本語で「コンニチハ」とニコニコ笑いながら言うらしい。しかし目は決して笑っていないという。内に秘めた日本への怨みを隠し、日本を恫喝しつづけるのである。

中国のある首相は、オーストラリアに行った時に、向こうの要人に対して「日本はあと 20年でなくなる国だから、…」と言ったらしい。彼に限らず、中国の為政者にとって日本はあくまで小国であるらしい。中国と日本の経済力の差は歴然としており、援助する側とされる側になっているにも関わらず、東アジアは中国が支配するのが当然と思っているようである。

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最近、台湾問題で中国が危険な動きを見せている。中国の為政者は、あくまで台湾が中国固有の領土であると人民に思わせている。しかし台湾は歴史的にみて中国の領土ではない。国民党の蒋介石が、共産党との戦いに敗れて台湾に逃れて征服したのである。その前は清王朝だかなんだか忘れたが、漢民族ではない王朝が台湾を征服したらしい。日清戦争で日本が戦った清という国は、中国ではあるが、元々は満州族という北方の異民族が、元々住んでいた漢民族を征服して起こした王朝である。ちなみに、我々が中国固有の文化だと思っているベンパツ(髪を三つ編みにして束ねたいかにも中国人という髪型)やチャイナドレスは満州人(女真族)の風習である。…ここまで書いた時に、MSN Journal で田中宇の記事を読んでみると、どうやら清が明を滅ぼそうとしていたときに漢民族がやはり台湾に逃げ込んだ歴史があるらしい。オランダも進出していたみたいで、私にはどうも台湾の歴史がよく理解できていないようである。まあいい。

チベットや内モンゴルは、日本に元寇として攻めてきた元の時代に征服したらしい。いまの中国は、第二次世界大戦後に、清や元という異民族が征服した領土をも、自国の固有の領土と言わんばかりに征服し、漢民族を送り込んで現地人から搾取しつづけていると言われている。もっとも台湾ではあまりうまくいっていないようで、確かに現在の支配者層は大多数の台湾人を押しのけて漢民族が握っているのだが、漢民族が台湾人の不満を和らげるために持ち上げた李登輝、そして次期総統に選ばれた陳水扁はいずれも台湾人である。陳水扁が選挙に勝ったことは中国の為政者にとって衝撃的であったらしく、台湾にいる漢民族の支配者層は、財産をまとめて本国へ戻りはじめているらしい。

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中国人は元々外交に長けた文化を持っている。

私は中国人を優れた人種だと思わざるをえない。現在の資本主義経済において、日本人よりも、欧米人よりも、もちろん他のあらゆる人種よりも、中国人は資本主義に適しているのではないかと思う。もっとも、同時に彼らは世界中の他の人種から嫌われているように見える。それは、中国にいない中国人、いわゆる華僑が、彼らの住んでいる地域には富を還元しないからだと言われている。ある日本人の旅行者が、インドかどこかで「チン、チン」と中国人と間違えられてからかわれたらしい。タイなんかでも、外国人に親切なタイの現地人が、中国人に対しては嫌悪をあらわにするという話も聞く。

中国の為政者は、ことあるごとに我々日本人に対して反省を要求する。しかし彼らにすれば、反省というものはさせるものであって、自らがするものではない。権力を追われた前の為政者に反省を要求することはあっても、自らの失政を自ら反省することはない。

中国人の性格をあらわす一番分かりやすいエピソードは、なんといっても三国志に対する見方ではないだろうか。日本人は、劉備という人徳ある君主を好む傾向にあり、逆に曹操という権謀術数を駆使する君主を嫌う傾向がある。しかし中国では、曹操こそがヒーローなのである。中国人は、相手を互いに騙しあうという文化を持っている。騙しあうのもゲームなのである。そんな文化を持った中国人に対して、我々日本人は外交で勝てるのだろうか。

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ちなみに、シンガポールは華僑の国だそうである。話によると、マレーシアが独立するときに、独立後のマレーシアは華僑にとって住みづらい国となるだろうから、シンガポールという一地域を独立させたらしい。いまのマレーシアも実は華僑が権力を握っているとの話も聞くが、マレーシアでは今も制度的には企業や政府のトップになれないようになっているらしい。たったいまシンガポールとマレーシアに詳しい同期の人に確認したところ、今は企業のトップなら大丈夫らしいが政府のトップは厳しいとのことである。マレーシアでは華僑の比率は二割弱、シンガポールでは逆に八割ぐらいだそうである。マレーシアでは華僑に対して、いわゆる差別が行われているらしい。マレーシアの華僑は国内の大学に入れてくれないことが多く、ほとんどの華僑は海外へと留学するらしい。逆にシンガポールでは、華僑がコミュニティを作って、他の人種をそれとなく差別しているらしい。いまシンガポールでは、中国語をもっと使おう、というようなキャンペーンが行われたりするらしい。

シンガポールで最も実力のある人間はリー・クアンユーで、彼は首相を退いたあとも上級相の地位にあり、現地では国王のごとく君臨しているらしい。ちなみに上級相という訳語は英語だと senior minister であり、首相の prime minister と比べると、言語の意味的にはどちらが上か分からない。むしろ senior minister の方が prime minister よりも上なのではないかと事情通の同期は言っていた。もちろん対外的な国家元首は首相であることに変わりないのではあるが。

華僑は、現地人から搾取していると言えるが、農作物を作って暮らしていた人々に経済により近代化を進めた功績がある。華僑を悪だと言ってしまえば、資本主義の世界における日本もまた悪だといわざるをえない。

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為政者の話はここまでにして、次は人民について話すことにする。

私の身近な人で、中国人について強烈な体験を持っているのが私の母親である。私の母親は中国語がペラペラで発音も綺麗らしい。友達と中国へ旅行に行くときは、当然通訳を買って出るわけである。友達の一人がある店で買い物をしようとしたときである。その友達は一桁多い紙幣を出そうとしたので、それを見た私の母親は慌ててその紙幣を取り上げて友達に戻した。それを見た商店主のおばちゃんは、大声でわめきたてて「同じ中国人なのにどうして日本人の肩を持つんだ!」と言われたらしい。なんというか、あっぱれである。ここまで中国人に見られることは私の母親にとって非常に名誉なことなのかもしれないが、私の母親がこの件で中国に失望したのは言うまでもない。それまでは、老後は中国に住んでもいい、と言っていたのだが、そういう言葉は聞かれなくなった。

中国からの留学生が日本人の仁義を破ることもある。中国人の貧乏な苦学生が、ある飲食店の家にホームステイしたらしい。そこでそこの主人は、自分のところの飲食店でその留学生を働かせてやることにしたらしい。料理の仕事をしたことがない彼に手取り足取り教えて、当初から時給を 700円やって、彼(彼女?)を一人前にしようとしたらしい。ところが彼は、料理を一通り覚えた直後、すぐ隣にある時給 750円の店に移ってしまった。そしてその主人と顔をあわせたときに、何の悪びれもなく挨拶をしたらしい。彼にすれば、貧乏なのだから 50円でも高い時給をもらいたかったのだろう。それに、自分に料理を教えてくれた主人は、何の見返りも要求しないで自分に親切にしてくれたと思ったのだろう。

しかしこれはあくまで一例であって、もちろん全ての中国人に当てはまることではない。このような中国人に対して、孔子の子孫である孔健という人は以下のような弁明をしている。いま中国は貧乏だから人々の心もすさんでいる。生活に余裕が出てくれば、また戦前の豊かな心をもった中国人に戻るに違いない、と。これについては日本人側からも裏づけがあって、ある時期よりも前の中国人は概してやさしかったらしい。孔健さんの言葉を続ければ、日本だって敗戦後に人々の心がすさんだ時期もあった、いま日本人が親切なのも豊かだからである、とのことである。

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中国への投資は概して失敗する。中国で起こした裁判は概して敗訴する。

これまで幾多の外資が、中国という巨大マーケットの魅力から、商売を始め、その大部分は失敗に終わってきた。また私の母親に関係するのだが、私の母親の勤めていた会社の社長も中国で商売をしようとして大失敗した経験をもつそうである。彼は中国にポケベルを作る工場を作ろうと考えていた。工場といっても小規模なもので、設備費は数百万円ぐらいのものである。中国側の代理人との交渉で、設備も購入して工場に設置した、さあもうすぐ工場が稼動するぞというときに、代理人から電話があって「あの話は別の人に決まった」と言われ、計画は無かったことになり設備を騙し取られてしまったらしい。

中国で外資が失敗するのは半ば当たり前のようになっていて、それでも企業は中国の巨大マーケットに魅力を感じてたびたび進出していく。

もちろん成功例もある。アイリスという下着メーカーは、中国人の下着が白一色だったのを見て、現地に下着工場を作って儲けた。外資側は利益が出て儲けることができ、現地では工場による雇用と、人々がカラフルな下着をつけることが出来て得をした。まさに商売のあるべき姿である。

一方、失敗例は限りなくある。そのうち、外資側がむちゃくちゃだった例もあるので紹介しておく。日本のあるメーカーが、本業で振るわなかったので、中国に食品加工業を作って儲けようとした。安い人件費の中国人を働かせて、あまり元手の掛からない食品加工業で本業の損失を補填しようとしたらしい。しかし元手を掛けたくないあまり、設備も中古の安いものを使い、現地に派遣する日本人スタッフも現地で調達する現地スタッフもろくに考慮しなかったので、たちまちトラブルが起きて失敗した。

中国人と我々は一口に言うが、実際には彼らは出身地ごとにアイデンティティを主張している。そして実際に彼らの特質は出身地ごとに異なるそうである。広東省出身者はリーダーに適するだとか、山東省出身者は地道な労働に適するとか、これらの特質を無視して仕事の役目を与えると間違いなくトラブルが起こるらしい。特質だけでなく、彼らは互いにあまり仲がよくないので、人員配置のバランスを崩すと血を見ることもたびたび起こるそうである。

中国で商売するには、まず有力なコネが必要だと言われている。力のある現地の役人なり名士なりを味方に引き入れれば成功にかなり近づけるらしい。ただし、その役人がいつまでその地位にいられるか分からないし、中国は法があまり整備されていないので当の役人でさえ法律が急に変わることが予想できない。それから、現地のパーティなんかで、現地で最も有力な人間を探そうと思ってもなかなか出来ない。なぜなら、みんながみんな、自分が有力者とばかりに近寄ってきて、本当の有力者がなかなか姿をあらわさないからである。やっと有力者を見つけて、彼に話をしたとしても、有力者は沢山の人間と顔をあわせるので、一人一人のことなど覚えていない。よほど印象づけるか良い話を持ってくるかしないと駄目なのである。

もちろんこのような例は日本にもあるに違いない。日本は官僚国家なので、官僚を接待しなければ駄目なこともあるに違いない。ただし日本は法律が整備されているため、法律の範囲内では何をやっても良いので、一定の範囲内では商売は自由である。ひとたび法律の範囲を出てグレーゾーンに入ったり、法律が整備される前の先進的なことをやろうと思えば、官僚になんらかの働きかけが必要であることには中国と変わりないと言えよう。

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中国は変われるのだろうか。恐らく、中国人は変わるだろうが、中国という国家は変わらないのではないか、というのが私の予想である。

中国が崩壊する可能性は十ニ分に考えられる。が、崩壊を前提にした話はここではやめておこう。

中国では未だに貧富の差が激しい。内陸部は貧乏で、沿岸は豊かな人もいるらしい。特に上海あたりは豊かだと聞く。しかしいまだに中国では、日本人が当たり前と思っているような豊かさを持っているわけではない。私の母親の親友の中国人はこう言っていたらしい。コージーコーナーが中国に進出すれば大流行するんじゃないだろうか、と。コージーコーナーのような安くておいしいケーキが中国にはない。もちろん中国には中国のおいしい食べ物がある。しかし庶民には行き渡っているのだろうか。それに中国のケーキは固いそうである。

中国はバラバラな国である。中央政府がなくなれば、地方の有力者や軍隊が独立してしまうだろう。話し言葉がバラバラで、かろうじて書き言葉でコミュニケーションが出来る状態だそうである。いまでは一応北京語という共通語があり、若い人には北京語で話し掛ければ通じるそうであるが、全ての人に通じるわけではない。福建省とか山東省とかで人々の郷里意識が強く、同郷の出身者同士で結束してよそ者を排除する傾向もあると聞く。中国をうまく合省国に出来たら良いと思うのは私だけではないはずである。

繰り返し言うが、現在の中国は危険な国だと私は思う。というか、多少なりとも中国の知識のある人からすれば自明のことであるのだが。

ではどうすれば中国は危険ではなくなるのだろうか。それにはやはり、まず中国の庶民を豊かにすることである。それから、中国の歴史は、為政者の政治が悪くなったときに反乱が起きて為政者が入れ替わる数々の王朝の歴史である。そこで、豊かになった庶民に正しい情報を流すことである。すると、為政者は庶民の要求を無視できなくなり、あまり無茶が出来なくなるか、無茶をしたら反乱が起きて別の為政者が成り代わるのである。いまの中国には民主主義も言論の自由もない。

これで中国の外征を無くすことが出来るのだろうか。中国の外征は、国際的圧力で封じるしかない。もちろんこれには逆も言えて、アメリカなどの欲望を中国が封じ込める役割も私は期待している。まだまだ人類はバランス・オブ・パワーを捨てることが出来ないだろう。目下のところ、日本が中国のいいカモにされていることは許しがたいというか情けない限りなのであるが。


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