56. 右翼差別 (2000/4/18)


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最近とくに右翼への差別を感じる。右翼が力を持ってきたからだろうか。ある人がいったん右翼的なことを言ったら、あることないことまで言い立てて偏見に満ちた評価を下されることが多い。だから是非ここは左翼のかたに、このような不当な右翼差別をなくしてもらうためにがんばってもらわなければならない。…私は何か間違ったことを言っただろうか。

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右翼の反対は左翼、左翼の反対は右翼、つまりこの二つの志向は正反対のものだと言われている。右翼に固まりすぎても左翼に固まりすぎてもよくない、という点では合意が出来ていると思う。…それすら合意が出来ていないのだろうか。左翼に固まりすぎて犯罪者の人権まで守ると、オウム裁判で麻原に国選弁護人費用として億以上の税金が使われていたり、少年法問題にかかわるすべての事件で加害者を過剰に守っている弁護士への批判が集まって「なにかおかしい」と思われてしまう。

ところで、オウム裁判で麻原に弁護人七人も雇っているのは、麻原の起こした事件がいくつもあるため、弁護人をそれぞれの事件に当たらせて裁判を迅速に進めようという意図があったそうである。しかし、国のミスなのか、検察のミスなのか、それとも弁護士たちの主張のせいなのか、弁護士たちはそろいもそろって事件のひとつひとつを七人全員で対処しようとしているので、裁判は当然長引くものと思われている。

少年法問題に関しては、人権派弁護士への批判が高まっているのだが、私は彼らの主張もそれなりに理解できる。というのは、現在の法律がそうなっているのだからわれわれ弁護士はその法律を盾にして被告を守るべきである、という精神である。だから、我々は彼ら弁護士を責めるのはある意味間違っているのではないかと思う。妻と子を少年に殺された夫が、判決を下した裁判官を批判している場面をテレビで見たが、裁判官が法律を破るわけにはいかないので判決は仕方がないと私は思う。優秀な裁判官ならば、逆に少年を保護するという観点を強調して判決を出し、少年法の問題を浮き彫りにするのが良いのではないだろうか。ただし、法律を改正してすぐに新しい法律で過去にさかのぼって判決を出すことは不可能なので、被害者の遺族である夫は少しも報われない。

話が大幅にそれた。

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右翼というと、すぐに軍国主義と短絡されてしまうのが嘆かわしい。軍国主義は悪だと言われているので、右翼=悪という式を成り立たせたいのだろうか。右翼は確かに軍備するべきだと言うのだが、軍備拡張がすぐに軍国主義となるわけではない。世界一の軍備を持つといわれるアメリカは軍国主義なのだろうか。軍備拡張は自国防衛のために必要なのである。軍備拡張を極端に嫌がるのが左翼である。彼らの理念は、世界中から武器を無くすことにあるのではないかと思う。もしそれが可能なのであればそうしたいところである。左翼の論者は、日本の民衆と右翼を諭そうとするのではなく、むしろアメリカ人を諭していただきたいものである。もっとも、彼らアメリカ人が日本の左翼を相手にするとも思えないので、仕方なく同じ日本人を相手にしているのだろう。

私が最近見た右翼差別で意外だったのは、右翼は差別主義だという考えである。これはつまり、右翼は人権をあまり重視しないので、結局のところ差別になるとでも言いたいのだろうか。石原都知事が右翼っぽいことをよく言う中で、彼の発言には差別的なものが多いという指摘を聞いた。ごく最近では「三国人」発言があったのだが、それ以外でも「○○人はどうこうで、○○人はこうこうで…」といった発言をすることがあるようである。私は石原慎太郎がこのような発言をしたことを確認してはいないのだが、彼ならそう言いそうだなと思いたぶん実際にそういう発言をしたのだと思う。左翼からしたらそれが気に食わない。なにせかれらは、民族を超えてみんな地球人なんだ、などという考え方を持っているからである。余談だが、関西人はどうこうで東京人はどうこう、といったことにはあまり反応しないのが不思議である。

民族の欠点を口にすることは差別なのだろうか。この国では、どうやら右翼の言論の自由は認められていないかのようである。民族には特徴があって、長所もあれば短所もあるのだから、民族の特徴を口にするときに長所しか話してはいけないのだろうか。これではとうてい民族への理解が進まないではないか。そしておかしなことに、右翼の発言なら差別発言として槍玉にあげるくせに、主に左翼は外国で日本人を差別する動きにはまったく関心がないかのようである。

ある BBS で、石原都知事が「パキスタン人が覚せい剤の販売をしている」といった発言をしたとあったようである。彼らはこの発言をやはり差別発言かそれに類する発言だと見ているようである。これはおかしな話ではないだろうか。パキスタン人が覚せい剤の販売をしているというのは事実無根なのだろうか。いや、当然そのような事実があるのだろう。事実なのになぜいけないのだろうか。彼らに言わせれば、マスコミを通じて特定の民族を批判することがよくないのだそうである。しかし少なくとも私の受けた教育とは異なる。一人のパキスタン人がそのような犯罪を犯したのであれば、日本という国がパキスタン人のことを不信に思うのは当然ではないか。日本人の中で、パキスタン人への信頼が失われたわけである。もちろん、犯罪を犯すようなパキスタン人はごく一部であるとの主張もわかる。しかしそのような主張を超えて、パキスタン人が日本からの信頼を失うことは仕方のないことであり、彼らは失われた信頼を回復するために努力すべき立場なのである。一人のパキスタン人が犯罪を犯したからといって、他のパキスタン人を白眼視するのは差別かもしれないが、集合的に見たパキスタン人というものを我々が多少なりとも信頼しなくなるのはむしろあたりまえのことなのである。こんなことまで差別だと言うのは馬鹿げている。

右翼は、国を愛するがゆえに、他国や他民族を貶めるのだそうである。もちろんこれは左翼の主張である。右翼の傾向としてこのような卑下を私はあまり見たことがない。石原慎太郎の最近の三国人発言は、左翼マスコミによって巧みにこのような右翼のイメージを印象づけたのではないだろうか。そもそも、まともな右翼がこのような意味のない差別をするとでも思っているのだろうか。いや、思わせたいだけなのだろう。いまどき、他民族を差別することで人心がまとまるとでも思うものなのだろうか。仮に民衆が他民族差別に共感するのだとしたら、そのときは恐らく日本は他民族による犯罪天国になっているに違いない。…なるほど、この流れで、多くもない外国人犯罪を過剰にアピールすることに右翼の利点があるのかもしれない。しかしこのようなことで人々の心がつかめるのだとしたら、そのときは左翼の完全敗北であると言って良い。そこまで日本の民度が落ちることがあるのだろうか。私には、左翼がどうしても右翼を時代錯誤だと短絡させたい意図しか見えないのである。

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右翼といえば狂信的愛国者だというレッテルを貼られることも多い。しかし最近では、どうやら左翼たちは右翼のことを愛国者と呼ぶのさえ嫌になってきたのではないかと思うようなことを聞いた。左翼に言わせれば、右翼は国際社会における日本を孤立させる、だから亡国の徒である、という論理らしい。日本の場合、国際社会から日本が孤立するのではなく、中国・韓国から嫌われるだけの話である。中国のごとき侵略国家に嫌われるのは本望ではないか。韓国から嫌われるのは根が深いのでなんとも言えないのだが…。

右翼は悪玉を作って人々をまとめるらしい。左翼たちは、右翼をファシズムと結びつけることを好む。ファシズムは、民衆を明快な論理で一定の方向へと引っ張っていく。ドイツが利用したのは、ユダヤ人悪玉切などであり、ユダヤ人への差別と圧力により人々をまとめあげて国に団結させた。だが、右翼とファシズムを結びつける時点で既におかしい。現に左翼が右翼を悪玉扱いしているではないか。軍備は悪だ、人権を踏みにじるものは悪だ、という単純な論理で人々をまとめあげるのも左翼である。さらに言えば、仮想敵を作って人心掌握しようとするのはむしろ、左翼が大好きな中国や韓国なのである。

テレビである評論家たぶん左翼だろうが、彼はこのようなことを言ったそうである。石原慎太郎の知事としての政策は右翼的である。なぜなら、右翼というものは悪玉をでっちあげて、その悪玉を攻撃することで人心を得ていくからである。そして最近の悪玉は銀行であり、銀行という悪玉をでっちあげて銀行新税を導入して民心を得ようとしている。…この評論家がいかに右翼を差別しているかが分かる。どうせ左翼政治家が銀行新税を思いついたら、庶民の税金を受け取って肥え太る銀行を誅する平等な税制度である、と喝采するに違いない。そもそも、銀行に公的資金を導入するのは仕方がない、という考え方の方がどちらかといえば非左翼的な考え方なのである。

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というわけで今回は、右翼の受けている差別、といった切り口で話を進めた。右翼思想の良い部分については、また回を改めて書くことにする。ちなみに私は多分右翼に傾いているが、左翼的問題意識を常に失わないよう心がけているつもりである。


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