54. 戦争と平和・詐欺師とお人好し (2000/3/28)


戻る前回次回

今日は私の誕生日である。どうでもいいが。

*

世の中の大抵の国では、騙される方が悪いことになっている。

海外で日本人が盗難や詐欺にあったりすると、大抵の有識者は同じ日本人を非難してこう言う。

「自己責任を全うしろ。
「騙される方が悪い。

この考え方はある意味正しいと私は思う。なにせ、貧乏暮らしをしている人が多い外国で、日本人がのんきに高価なものを持って出掛けているわけだから、盗みたくなるのも分かる。彼らは、日々の生活にも困っているのだ。盗みぐらいは仕方が無い。旅行者の指輪を旅行者の指ごと切り取って盗むのも、彼らが生活に命を掛けているからだと思う。しかしせめて被害者の日本人に同情的な声を掛けれないものなのか。自分ならばそんな甘いことはしない、自己責任で行動しているのだから当然だ、と居丈高に同じ日本人を諭す。そんな馬鹿なことがあろうか。

「盗む側が悪いのは当然だが、あなたの行動がそれを促進してしまった。気をつけなさい。彼らの非をあげつらっても、被害に遭って困るのはあなたなのだから

ぐらいの言葉がなぜ言えないのだろうか。

*

私が愛読している MSN Journal の中でも特に私が好きなのは、アジア各国を旅行して回っている高山義浩さんのアジアスケッチと呼ばれるリポートである。そこでは彼が、旅をして現地の人間から親切にされたり、騙されたりする様子が語られている。彼が悪質な現地人に逆襲するところもあって、胸がすくこともあった。彼のリポートは現地で感じた社会問題・国際問題まで掘り下げられていてそのへんも面白いのだが、私が特に心引かれるのは、一人の旅行者として現地の人間たちと交渉したりしながら体当たりで旅行を続けていくことである。

*

ここで一歩引いて考えなければならないことがある。国同士の争いについてである。

私たちは学校で歴史について学ぶとき、第二次世界大戦で一通り世界の混乱が収まり、平和な世の中が始まったかのように教えられる。大戦後、ベトナム戦争、朝鮮戦争など、幾多の戦いがあったが、それらは地域的なもので、世界の警察であるアメリカが治安維持のために出動したかのように教えられる。ソ連のアフガニスタン侵略や中国のチベット侵略は目立たなくされている。各地で起こる民族紛争は、戦後秩序の矛盾が噴出した問題だとしているが、その原因をあくまで多民族国家からくるものであると単純化されて報道されている。

軍事活動が伴わなくても、国々は争いつづけている。投機戦争により東南アジア各国が喘ぎ、韓国の経済は破綻して IMF の管理下に入っている。日本のバブル崩壊は自業自得だが、崩壊に乗じて大きな富がアメリカに流れたと言われている。中国は外資を搾取している。欧米巨大企業は発展途上国に傀儡政権を作り利権を確保している。ここではまあ個々の細かいこととか全ての例をあげることはしない。というか私もあまり知らないことが多すぎるので踏み込まないことにする。

*

ここで私が思うのは、個人の利己性と、国家の利己性を、なぜ同一に扱えないのだろうか、ということである。不用意な旅行者を騙す現地人と、不用意な国家を恫喝する国家を、なぜ同一に論じることが出来ないのだろうか。

日本人の無用心を平気で非難する有識者は、ところが一方では世界平和を信じていることが多い。詐欺師や泥棒の類である利己的な現地人の存在を認めながら、利己的な国家というものを直視する者が少ないのはどうしてだろうか。日本人旅行者が被害にあっているのを見て、もっと用心深くなりなさい、あなたの注意が足りないのですよ、と言いながらも、国際社会で世界各国から利己的な要求を突きつけられている日本という国に対して、なぜ同じことが言えないのだろうか。また、利己的な要求を突きつけられているということさえ気づかないこのどうしようもなさを、我々は本当にこれからどうにかできるのであろうか。

ことに私が言いたいのは、中国と韓国の謝罪要求と、それに対する日本の態度のことである。謝罪と賠償要求というのは、個人で言えばヤクザや詐欺師がやることで、そのあたりをよくよく疑って掛かるぐらいのことが出来ないのであろうか。が、この点に関して突っ込んで話をするとテーマが変わってきてしまうので、今回はこの方面には行かないことにする。

ともあれ、世界平和という理想を信じる一方で、日本人旅行者に対して自己責任を強く求める姿勢にはいびつなものを感じる。日本という国が自己責任を取るには軍備は不可欠である、とここで一足飛びに私が語りだすと何か違和感を感じるかたも多いかもしれない。しかし、日本が軍備を持たずに国際社会の舞台に立つというのは、日本人旅行者が外国を無防備に歩き回るのとなんら変わりがないのである。国際社会は、必ずしも治安の良い場所ではないのである。旅行者は、治安の良い場所だけを歩くことも出来るが、日本という国はそういうわけにはいかないのである。

逆に言えば、世界平和を信じるのであれば、日本人旅行者がのんきに世界各国あらゆる場所を旅行できるように努力すべきである。世界各地の、賄賂を要求する役人を追放または教育し、夜盗や強盗の類いを一掃するよう各国政府に強く要求し、この世からあらゆる犯罪を無くすよう努力をすべきである。そして、少なくとも盗難などの被害にあった同じ日本人を責めるのは絶対にやめるべきである。彼らは、無用心であったことは事実なのだが、責められるものがあるわけではないからだ。

*

繰り返すが、騙される方が悪いのが国際的常識である。これは大抵の国でそうであろう。 だから、国と国とのやりとりも、基本的に騙される方が悪い。世の中の大抵の国家は、外交という名の権謀術数で、他国を騙そうとするものである。というか、騙すのではなく、自国にとってなるべく都合の良い方向へ持っていこうとするのである。それは、我々が買い物をするときに値切るのと似ている。まあ我々日本人は大抵の場合、物を買うときには値切るなんてことはしないのだが、ところがどっこい世界中のかなりの国では値切るのは当然のことである。値切らないで物を買ったら、不当に高い値段で売りつけられていたりすることが多い。値段を付ける方が利己的なら、それを値切る方も利己的である。つまり、互いに利己的であるからこそ、互いにとって納得のいくところで売買が成立するわけである。国家における外交というものも、これと通じるものがある。

しかしこのような世界的常識から外れている国もある。それが、日本と東南アジア各国などである。これらの国々の人々は、互いに相手の都合というものを考える。なぜこれらの国々が他の国々とは違うのかというと、これまでの長い歴史の中で、他民族に侵略された経験がないまたは少ないから、または食料や環境が豊かで人々があまり争わずに過ごしてきた、ということもある。無論日本でも戦国時代はあったが、上杉謙信が敵に塩を送ったりする余裕なんかもあるし、他国とくに中国での戦争の残虐さと比べると甘っちょろいものを感じる。

一方、逆にほとんどの利己的な国家は、これまでの歴史の中で他民族との泥沼の戦争や、厳しい自然環境での食料や土地の取り合いがあった。人々は生きるために利己的にならざるをえない。自分中心でものを考え、自分がどれだけ得をするかを基準にして行動するようになったのである。この極端な例は、私が中高生の時に教科書に載っていたアラブ人の逸話にもある。飲食店で働くアラブ人は、自分が厨房で皿を割ってしまってもひたすら言い訳をし、しまいには

「今日この皿は割れる運命にあった。だから私は悪くない

と言うらしい。そうなると雇い主はこう言うらしい。

「皿が割れたときに皿を持っていたおまえが弁償するのも運命だな

いまから思えば、なぜこの話の主役がアラブ人であったかが私には気になる。これはなにもアラブ人だけではないからである。これはある種の情報操作とは言えないだろうか。中国人だってアメリカ人だってヨーロッパ人だってそうなのである。この教科書を読んだ生徒は間違いなく、こんな利己的なアラブ人という人種だっているんだな、と思うに違いない。現に私はそう思ったものである。

*

話はそれるが、イスラム社会に対する欧米の報道も偏ったものである。イスラム教を前近代的なものとする視点や、イスラムで起こったイベントや事件の中でもテロの事件だけを大々的に取り上げたりしている。十字軍を迎え撃ったイスラムの英雄サラディンのことも、自分たちの祖先がやらかした暴挙である十字軍を擁護したいがために、目立たないくらいにしか書かないのである。世界史の中でイスラムが長い間、知性・技術の最先端を行っていたことにも目を向けたくないようである。

*

結局、我々はどうすれば良いのだろうか。

私の結論はこうである。世界平和は諦めなさい。争いは終わっていないしこれからも永遠に続くのだから。泥棒や犯罪者を撲滅できると思うか? 異なる民族で異なる道徳を持った国同士が何のつまずきもなく仲良くやっていけるのか? 人間が利己的な以上、国家や企業が利己的なのは当然だ。あなたが徳のある人でも、隣人を全て善良な人にすることはできまい。戦争で人が死ぬようなことはひょっとしたら無くせるかもしれないが、紛争や謀略で人が死ぬようなことは無くせまい。宗教が何の役にも立たないことは、これまでの歴史が語っている。

だから、日本は強くならなければならないのである。自衛のため、などと中途半端なものでは駄目なのである。日本は、まかり間違えば他国を侵略してしまうぐらいの軍備を持つべきであるし、まかり間違えば相手の財政を破綻させてしまうぐらいの金融戦略を持つべきであるし、まかり間違えば相手を極悪人に仕立て上げられるだけのマスコミ戦略を持つべきである。そうでもなければ、どこかの国に呑まれてしまうだろう。また、絶えず暴走しないように自律していくことが非常に大切であることは言うまでもない。

中国についてはあまり踏み込まなかったが、最後に一言つけくわえておく。日本の再軍備をあれだけ非難する国が、チベットなどを侵略し、台湾を武力で脅しているのである。


戻る前回次回
gomi@din.or.jp