50. 真実に近づくために (1999/12/20)


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立教大の講師が、女性に対する差別的な講義内容によりやめさせられるという事件があったらしい。私はたまたま見た朝日新聞でそれを知った。ちなみに、私はたまたまでない限り朝日新聞など読まない。

どんな講義をしたのかというと、なんでも女性の社会進出に関するネガティブな見方があったらしい。たとえば、母親が働きに出ると子供の不良化率が高くなるとか、女性が社会進出した時期と子供がおかしくなりだした時期が重なるというようなことらしい。しかし、この先生は別に間違ったことは教えていないと私は思う。おそらくこの先生が講義した内容は、科学的事実に裏付けられているであろうことは想像できる。

この解任に対して、学部長が非常に適切な言葉を述べている。曰く「当学部としては適切ではなかったのでやめていただいた」だそうである。それもそのはず、その学部は福祉関係の学部で、恐らく女性の率が高かったからだろう。でも逆の見方も出来るはずである。福祉に携わる人間を育てようとするからこそ、女性が家庭で担ってきた役割についての客観的なデータを伝えることに、なにをはばかることがあろうか。

まあこの事件に関して私はあまり知らないので、知らない人間がこれ以上言っても意味がないのかもしれない。だが、やれ女性への蔑視だといって耳を傾けない風潮はどうかと思う。むしろ「女が社会へ進出し、男が家で子供の世話をするべきだ」ぐらいの話が出ても面白いと思う。

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かなり余談になるが、私の弟が現在立教大に在籍しており、所属しているゼミの先生が最近警察沙汰の事件を起こしたらしい。新聞にも載ったみたいだから、それなりに大きな事件なのだと思う。現在私の机には、その先生が書いたブルーバックスの新書本が置いてあるが、どうやらこの先生の応援のために学生がキャンパスで配っていたものらしい。この先生は立教大でのインターネット環境の整備に大きく貢献した、産業界に幅広いコネを持つ有名な先生らしいので、女性との喧嘩ぐらいで解任すると間違いなく大学に不利益をもたらすだろう。

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以上は前置きのようなものである。

マカオが中国へ返還された。この事実が何を表すかというと、少なくとも 1999年12月17日まで帝国主義がはっきりとした形で存続していたということである。これには二つの大きな意味があって、一つはようやく日本と近い一つの地域が植民地ではなくなったことであり、もう一つは結局形を変えつつも台湾などの地域が列強に支配の圧力を受けていることである。

いまこの世界は平和なのだろうか。もちろん違う。どこかで内戦が続いている。私は不勉強なためほとんど知らないが、コソボなんかは有名なので分かる。台湾も近所なので分かる。我々は基本的に、戦争はいけないことなのだと教えられている。世界は平和でなくてはならないと教えられている。しかしどうもそうではないようなのである。北朝鮮はこの際あまり考えなくてもよい。なぜなら、あれは明らかにああいう国だからである。しかし、中国はどうだろうか。中国はチベットを強引に併合したし、台湾も可能ならば武力併合しようとしている。アメリカはどうだろうか。アメリカの場合、中国よりも抜け目がないだけで結局同じようなものである。国連だって影響力のある国に動かされている。戦後の日本だって実は他国を経済侵略しているらしい。なんでも某社は原価割れの日本車をアメリカに大量に輸出していたらしい。日本の経済侵略がどのくらい行われたのかはともかく、アメリカの製造業が勢いを失ったことは確かである。まあもともと日本の製品の方が製造技術に優れていたのは確かではあるのだが。

結局世の中は人間の欲望によって動いている。欲望によって争いが起きる。その欲望をどう制御するかによって社会が成り立っている。原理主義は、宗教の原則によって人々を平和な社会へと導く。共産主義は計画によって平等で平和な世界へ導こうとする。しかしもっとも成功しているのは資本主義である。なぜかというと、資本主義は人々の欲望を押さえ込むのではなく、社会の発展へと利用しているからである。誰かが、自分だけは良い思いをしたい、と思って行動すればするほど、その人が良い思いをするだけでなく、社会全体がよくなるのである。まあ全部が全部そうではないのだが、資本主義では、いくら自分だけが得をしようと思っても、めぐりめぐってみんなが得をすることができるようになっている。つまり、現在の資本主義社会は、欲望を肯定しているのである。この、欲望の肯定、という真実があまり語られていないように私には思える。

欲望には、良いものと悪いものがある、と単純に言ってよいものかどうか分からないが、ある程度はっきりしていることがある。汚職は悪い欲望であるといって良いだろう。汚職は賄賂を受け取った人が得をするだけである。もちろん汚職によって会社と会社の取引が行われれば社会も得をする。しかしやはり汚職は無駄な悪い欲望だと言わざるをえない。汚職をする人間が、汚職をするための労力をもっと生産的な方向に向ければ、本人も社会も得をする。あるいは、賄賂を適切な量(?)だけ貰っていれば、賄賂を求めて優秀な人材がそのポストへ集まるかもしれない。

世の中には欲望しかない。世界平和も欲望の上に成り立っている。その証拠に、アメリカがこれ以上軍備を整えて世界中を侵略することは事実上不可能なのである。なぜなら、まずアメリカ以外の国が嫌がるからであり、アメリカ国民というアメリカを構成する人々が嫌がるからであり、そして言ってしまえばアメリカは戦争以上に自国民の欲望を満たす確実な手段をもっているからである。

これらのことを何故我々が学校で教わらないかと言うと、それも誰かの欲望を満たすためだからである。色々な人の色々な欲望を総和するとそういうことになる。

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余談だが、第二次世界大戦前、日本は韓国と中国の一部を満州国として独立させた。このことは日本に対する国際世論を悪化させたが、実は欧米主要国は実はあまり気にしていなかった。なぜなら、極東は彼らにとって遠かったのに加え、欧米主要国にとっては満州地方を植民地化することに意味が無かったからである。満州は農業もしにくく、わずかにある比較的肥沃な土地も既に現地の農民が使用しており、経済的にもメリットは無かったため、欧米流の植民地経営が成り立たないのである。欧米流の植民地経営とは、たとえば農作物なら単一品種のみを栽培させて自国に輸出させたりすることであり、このような偏った農業が行われた旧植民地では、独立後の復興が困難であったという。

日本の経済人は、日本による満州の独立国化は欧米主要国にとっても利益のあることだと説いた。欧米各国がこの土地を植民地化して農作物を育てさせて利益を得るよりも、この地域を日本が発展させることにより欧米各国の輸出品の有力な市場となるほうが皆の利益になると主張したのである。この主張は欧米の経済人を納得させ、少なくとも経済界は満州国を拒絶はしなかったのである。もちろん中国は除くのだが。

その後日本は満州国に投資をし、発展させた。満州は日本の植民地だったと言われるが、欧米が言うところの植民地とは程遠い立派なものであった。確かに日本からきた経済人などは、満州で現地人より豊かな生活をしたが、現地人から搾取するということはなかった…かどうかは知らないが、少なくとも「貧富の差」として表される以上の生活水準の差はなかった。ただし、言語の強制といった文化的な侵略があったのは事実である。

残念ながらその後日本は戦線を拡大し、敗戦し、結局満州国はなくなってしまったが、満州国のあった地域は戦後経済成長を遂げた。例外的に北朝鮮はそのままで、現在も当時の日本の機械が現役で動いているという噂もある。

日本がアメリカに宣戦布告した理由は、日本から見ればアメリカからのハルノートだったようであるが、ハルノートが日本にとって特に致命的だったのは満州解放だったと言われている。しかし、実際にハルノートを見てみると、満州国のことは全く書かれていない。欧米やアメリカ側は満州国を暗に承認していたのではないかとする見方も強く(承認というか既成事実だと認識)、宣戦布告は日本側のハルノート解釈の問題とも言われている。日本は島国で長いこと鎖国をしていたため、帝国主義にどっぷりとは浸かれなかったという真実がここに見え隠れする。

そんな日本が敗戦し、戦勝国から叩かれ、アメリカによる占領のもと、人々が洗脳されつつ経済復興する。敗戦国は戦勝国の欲望にさらされるのである。もっとも、日本が世界を相手にしてしまったのは、結局のところ他国の欲望について想像することが難しかったからのようである。日本とくに軍部は、中国南部に軍事侵攻することが、欧米主要国の権益を侵すことであるということを想像できなかったようなのである。欧米各国は上海あたりに貿易の窓口を置いていたので、ここを日本に抑えられると各国が経済的に不利益を被るのである。それから、日本が上海に侵攻したのは実は特に戦略的な判断があってのことではないらしい。ソ連と和解したから、じゃあ南へ、みたいなノリがあったとも言われている。だから、敗戦後のことはともかくとして、敗戦に至る状況を自ら作ったのは日本の軍部である。ちなみにこの侵攻に当時の政治家や天皇は反対した。軍部は反対する政治家を暗殺したが、その中に、アメリカ経済界とくにモルガン商会と深いつながりを持っていた井上蔵相が含まれ、このこともアメリカの心象を悪くしたらしい。

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あるのは正義ではない。この世に正義があるならば、それは人々の欲望を人々の幸せへとつなげることか、人々の欲望を爆発させないように抑えることである。

一応 50回記念なので重い題材を選んだつもりだが、題材選びが多少中途半端になってしまった。

私はかつて盲目であったが、いまは近眼である。ぼやけた像が多少なりとも焦点を結ぶ日が来ることを願いつつ、これからも興味が続く限り勉強していくつもりである。


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gomi@din.or.jp