5. 女性の真実 (1998/11/22,23)


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今日は青い話になるが、かなりダークな物言いもするので、どんな人にもそこそこ興味を持ってもらえると思う。

さきほど、フジテレビのニュース番組で、女性の風俗のようなものの話をしていた。出張ホストというものである。この出張ホストというものがどの程度メジャーなものか分からない。単にごくごく一部に存在が知られていて、たまたま近づいた番組関係者が取材を試みただけかもしれないし、あるいはそこそこ広まっていて、無視できないほどの人数の女性が利用しているのかもしれない。まあ多分そんなにメジャーではないだろう。この報道番組に出てくるフジテレビアナウンサーの小島奈津子は、この出張ホストというものに対してショックを持ったらしい。どうでもいいが、私は小島奈津子がちょっと好きである。「ボキャブラ天国」という番組の司会をやっていた時に気に入った。

番組によれば、出張ホストを利用する女性は、付き合っている彼がいても、その男の前では素ではなくて、自分を作っているみたいなところが多いらしい。インタビューに応じた女性がインタビュアーにそう言っていたのだから、あやしいコメンテーターを用意した作りではない分だけ信用できる。まあそもそもこのような女性がごく少数派なのかもしれないし、あるいは潜在的にかなり存在するのかもしれないが。あと、彼のいない女性でも、男を作るよりもホストを呼ぶことを選ぶ人が多いそうだ。女性の言い分としては、男には風俗があって、自分の好みの子のいる店を選んで行けばいいが、女性にはそういうところがないので、こういう出張ホストみたいなものがあってもいいんじゃないの、みたいなことを言っていた。

ちなみに私は男であるが、女性よりも男性の方が性欲が強いと言われている。性欲というと行為自体を欲する度合いのようなイメージが強いが、ここでいう性欲とはいわゆる「女好き」「男好き(これはちょっと意味が異なるかもしれないが)」のようなことを指すと考えていただきたい。私としては、商売で「女性」を売っているものを買う気持ちは分かる。それは、ただ単に「金で手軽に買える」ということもあるが、さきほどの女性のように「身近な人ではないので大胆になれる」ということが大きいような気がする。(注:後日これを見た同僚が、君は買ったことがあるのか?と言ってきたのでここではっきり言っておくが、私は買ったことはない。)

私がその報道番組の出張ホスト特集で一番興味を持ったのは、女性が自分の付き合っている男性に対してあまり自分の素を出さない、だから商売を利用する、という点である。ここで、このあとの私の話は必ず以下のバイアスが掛かると思うので、これからの主張の要をまず最初に言っておく。最近の女性は、あるいは男性も、メディアの作り上げたある種のイメージを植え付けられているのではないか、ということである。

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最近のテレビを見ると、あらゆる出演者にはいわゆるキャラクターというものが存在することがわかる。たとえば女性は、久本雅美のようなお笑い系か、深夜出てくるような素人あばずれ系か、それ以外はみな「普通」系に分けれらてしまう(山田まりやのようなセクシー&ぶっとび系も存在するが)。その「普通」というものがくせものである。大抵その「普通」系は、いわゆる 人並みに 遊び、人並みに 恋をし、人並みに 清純だったりするわけである。それを見た女性は、もし自分が特に笑いを取ることなく、また遊びまくっているわけでもなかったりすると、自分はこういう風に「普通」でなければならない、と思いこんでしまうのではないだろうか。男が自分に接してくるときも、相手の男は自分に何を期待しているかを考えるときに、かならずこの「普通」のイメージで来るのではないかと思うのではないだろうか。

女性には拒食症/過食症という、男性にはほとんど見られないような病気がある。これは一般には心因性だと言われている。痩せていなければ存在価値がないだとか、逆に食べることでストレスを発散するだとか、まあ私は専門家ではないし専門書を読んだわけでもないのでよく分からないが、ともかく精神的な圧力から来るものであるようだ。

まあ、実際にはそもそも、異性に興味を示さなかったり、最初っから諦めているような女性も存在するので、上の話はすべての女性に言える話ではないが。我々男は、ある種の女性を無視する傾向があるし、そんな我々男とは関わらずに、自分と気のあう女性同士で仲良くしているグループも存在する。ここでは、そのような女性についてはあまり話さないことにする。

そのような話とも関連するが、一般に女性は男性よりも美醜が明らかである。さらに、それなりの女性と、モデルの女性との差も明らかである。対して男性の場合は、特に女性が男性に対してそんなにルックスを重視しないということもあるのだが、あきらかなオタク的男性と、普通のかっこよくない男と、一応クールな男と、ごくまれにかっこいい男とがいるような気がするが、美醜というとそんなに違いはないように思える。まあ私が男だから分からないだけかもしれず、女性には女性なりの見方で判断しているのかもしれないが。また、メディアでも、それなりにかっこいい男が普通の男のように扱われていたり、多少醜い男性も普通に扱われていることからも、男性に美醜が関係無い、というか美醜自体もあやふやであることが分かる。

女性は昔より奔放になり、長い間からの抑圧から解放されてきているかに見えるが、実は全くそうではない現実が見えてくる。少なくとも今の時点ではそう思える。今日私は街を歩いていて、小学生か中学生ぐらいの男女連れを見たが、彼らの世代ではひょっとすると解決するかもしれない。まあそれはそのときになってみないと分からないが。だが、彼らがメディアに毒されるに従って、やはり抑圧を受けるようになるのかもしれないが。

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話はちょっと変わるが、篠原ともえは非常に重要な人物である。知らない人はいないと思うが簡単に説明すると、彼女は底抜けに明るい女性タレントで、非常にぷりぷりしているというか、メルヘン趣味で色々と体中に小物をつけて、いつもはしゃいでいる。うちの弟の話によると、原宿ではシノラーと呼ばれる彼女のフォロワーがたくさんいるようである。弟に言わせると、原宿は「ミュータント・シティ」だそうである。口の悪いダークな性格をしているうちの弟に言わせれば、
「化け物のような女どもが、気持ち悪い格好してうようよ歩いている。だけど、ごくたまにすっごくかわいいのがいる」
だそうである。

篠原ともえの登場以前には、そのようなフォロワーはいなかった。だが、彼女の登場により、彼女のアイデンティティに共鳴して、多くの女性が彼女のようなファッションをしだしたことは注目に値する。

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これまでの話はちょっとネガティブだったので、今度は逆に肯定的な話もすることにしよう。

ファッション雑誌などの出現や、テレビでのいわゆる「進んでいる場所のクローズアップ」が、世の中に彩りを与えていることは確かである。その点に関しては、メディアの人間に感謝したい。かわいい女の子やかっこいい男の子(男もかわいいのが人気みたいだが)を街で多く見かけるようになったのも、メディアの影響が大きいからである。それから、いままでの世代では、男女仲良くしたくでも出来ないような雰囲気だっただろうし、年上の世代が若い世代に色々と文句をつけるのも、自分達がいままであまり積極的になれなかったということもあるのだろう。抑圧もあるが、それはあくまで過渡的なものになるかもしれないし、いまの時期を過ぎれば、みな自由奔放にそれぞれの生き方が出来るようになるかもしれない。

テレビのバラエティ番組で、ブスなコギャルは最悪だ、みたいなことを言って笑いを取る人がいる。コギャルというキャラクターを見つけた女子高生はその典型だろうと思う。私は基本的にコギャルはチーマーと同種の怖さを感じるが、自分のライフスタイルを決定している点では、精神的には非常に健全だと思う。そのコギャルも、いまは衰退期に入っているというので、これからどうなるか分からないが。これからも、何かメディアが新しいライフスタイルを取り上げれば、それを見て自分に合ったライフスタイルで生きていける人がいるだろう。

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話は大きく変わる。

私はフジテレビ「ボキャブラ天国」に出てきていた「パイレーツ」というお笑いコンビが好きだったが、最近はちょっと嫌いになっている。「パイレーツ」といえば、最近は流行語「だっちゅーの」が今年の流行語大賞になるのではないかと言われていて、別にこうやってかぎ括弧で「パイレーツ」とくくらなくてもいいほど有名になってしまったが。どうして嫌いになったかというと、深夜番組でTBS「未来ナース」に出てきている時に、非常に素なままのキャラクターで出ていたからである。

素なままで生きている人間を見ても、私も人間だから、非常に腹が立つこともある。なぜ腹が立ったかというと…、その点は想像に任せることにしよう。これからの説明を聞いていただくと大体分かっていただけると思う。

大体私は、やはり相変わらず男女の世の中は男性が支配していると思っている。いっけん女性の方が強くなっているようにも見えるが、女性を強くするのも結局は男なのではないかと思うのだ。たとえば、強い女性を何人も連れてきて、最初の男のことを聞くと、大抵は先輩とか同年代の不良とかで、相手から求められるままに付き合いを始めたと言うに違いない。ちょっと言い過ぎかもしれないが、もし違ったらこれも私のバイアス(偏見)だと思って以降の話を聞いて欲しい。

私の高校時代に、一人のとてもかわいい女性がいた。外見はかわいいが、人前で屁をして「あ、屁こいちゃった」とか言うらしい。まあそれはいいとして、私は彼女とは何のつながりもないのだが、私の友人で彼女と同じ中学出身の人がいて、どういうつながりか知らないが彼女のことが話に上がったことがあった。それで聞いてみると、どうやら彼女は、その友人の言をそのまま借りると「不良グループが取り合った」そうである。まあだからといって、特に性格に偏向を受けたわけではないので、この場合の例としてはそぐわないかもしれないが。言い忘れたが、私の母親が彼女の母親と親しいみたいなので分かるのだが、彼女は性格はいいみたいである。

私の想像するパターンでは、題して「性格の悪い女はこうして作られる」、それは以下の通りである。  

  1. 積極的な(悪い)男が彼女にせまる。
  2. 彼女は流れで押しきられて男と付き合う。
  3. 早い時期のセックスは女性の情緒を不安定にする。
    1. 男に対して卑屈になると同時に、男に対して憎しみを持つようになる。
    2. 性行為の現実に引っ張られ、取り返しのつかないことをしてしまったと思うと同時に、それを肯定しようとやっきになる。
  4. 一見自立しているように見えて虚勢を張るが、心の奥では不安定で、何かに逆らうことでしか自分を保てなくなる。その「何か」というのは、元々は「男」だったのが、代償行為として「社会」「親」に反抗するようになる。
  5. 自分の価値を保とうとし、自分や他人の弱い部分を否定しようとするので、常に他人を卑下しようとするようになる。
  6. 反面、強い者に対しては容易に従属しようとする。なぜなら、過去に強い者に従ったことがあり、そのことで自分の尊厳が一部失われたので、逆にその事実を肯定する方向に自分を持っていく。

人間には色々な個性というものがあるが、その個性はトラウマなどから作られるものである。そして、聖人ならば誰をも愛することだろう。だが、私は上のような成り立ちで作られる女性は大嫌いである。こうやって成り立ちを並べても、嫌いなものは嫌いである。もしあなたが、上のような女性を好きならば、過去に何かしら強い女性にからかわれたりあしらわれたりした経験を過去に持っているのではないだろうか。まあそのことは、つまり上のような「性格の悪い女」を愛する人間もいるということで、世の中はうまくバランスがとれているのだと言える。

「性格の悪い男」についても説明したいのだが、あいにく私は男には関心がないので、思考の材料をあまり持ち合わせていない。少なくとも私の身の回りには「性格の悪い人間」はいなかった。不良グループを観察していると、そういう人間がいるわけだが、観察だけで分かる事実は「彼らは子供っぽい」ということぐらいである。


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gomi@din.or.jp