47. ウォール街 (1999/10/20, 28, 29)


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ぼやぼやしているうちにいつのまにかコラムの更新頻度が下がってしまった。前回も仕事が忙しかったので元々書ける状態ではなかったはずなのだが、友人とのメールのやりとりで得た情報をまとめるだけだったり、ひどいときには友人へのメールをコラム調に兼ねて書いてそのまま転載したりしていた。

今日は体調がよくないので布団に入りながら H/PC で書くことにする。

今回は長くなってしまったので、見出しも入れることにする。

1. 世界で一番の高給取りは?

ちょっと前、といっても一ヶ月ぐらい前になってしまうが、給料について書いたと思う。では、いま世界中で最も高い給料を得ている人たちは誰か。私の知っている限りでは、ウォール街のトレーダーたちではないかと思う。個人に限って言えば、マイクロソフトの CEO(最高経営責任者)であるビル・ゲイツを初めとするアメリカ企業のCEO たちがそうかもしれないし、給料ではなくオーナーであれば株の配当などから膨大な金を得ている人間もいる。

話を戻して、ウォール街で働く人間たちの報酬は、はっきりいってあまり直感的には想像できない。役員でもない人間が、年間数十万ドルから数百万ドルももらっているのである。日本円に換算すると、年収数千万円から数億円である。ソロモンという会社に勤めて二年目の人間が早くも22万ドルつまり 2500万円ぐらい稼いだらしい。私も二年目だが、稼いだ額はせいぜい500万円ぐらい(?)である。

彼らはいったいどういう仕事をしているのだろうか。

一般にウォール街で働く人間というと、会社に所属して株とか証券の売買で会社に利益をもたらしている人間を想像するかもしれない。が、もちろんウォール街で働く人間のすべてがそのような仕事をしているわけではないし、稼いでいる人間はそれだけをやっているわけではない。金融業界は非常に流動的で再編が進んでいる。ひとむかし前によくきいたデリバティブというものが有名だが、ひとくちにデリバティブと言ってもいろいろなものがあり、むしろ従来の金融商品以外のすべての商品や取り引きをデリバティブと呼んでいる。

高給を得るような職業が生まれるには、まず金融業というものの変遷について説明が必要だろう。そこでここでは簡単に、金融業の歴史について説明する。

2. 金融業の基本、銀行

銀行の役割はなんであろうか。最初の役割は、さしあたって金を使わない人間から資産を預かる代わりに手数料を客に支払い、そうやって調達した金を必要としている人間に貸すことで手数料をもらうことである。そして銀行自身は、手数料の差額で儲けるようになっている。たとえば、いま日本では金利が非常に低いが、これは銀行を儲けさせるためにそうしているのである。なぜなら、われわれが銀行に預けてもわずかなお金しか増えないが、銀行が企業などに金を貸すときにはそれなりの利子をつけて貸すからである。

銀行員の給料が高いことは前に書いたが、なぜ銀工員の給料が高いかというと、銀行には重要な役割があるからである。それは、産業を発展させることである。なぜ銀行が金を預かったり貸したりするだけで産業が発展するかというと、預かった金を効率的に企業に貸すことにより、企業はその金で自分の会社で商売ができて、発展することもできるからである。ただし、いまはその役割をあまり果たしていないといわれている。なぜなら、銀行は自分がつぶれないようにするために、貸したお金を確実に返してくれるような大きな企業にしか金を貸さず、これから発展するかもしれないベンチャー企業や、地元の零細企業などには金を貸さないどころかこれまでに貸した金を引きあげて取り引きを中止しようとしているらしい。

話が横道にそれてしまった。とにかく銀行には、民間企業の中では重要な役割を持っている。銀行が倒産してしまうと、銀行にお金を借りていた企業は無条件にお金を返さなければならなくなり、いっしょに倒産してしまうかもしれなくなる。企業というものが何もないところから生まれるには必ず資金がいる。資金を調達するにはいくつかの方法があるが、社員が持ちよって調達するには限界がある。そこで、最初は金を持っているスポンサーを説得してその人間に資金を借りて運営を始めていた。ところが、そのような方法でしか資金を調達できないとすると、金を持っているスポンサーと知り合いにならなければならなかったり、もし知り合いになれたとしてもソリがあわなかったりすると困る。そこで、銀行が必要になるのである。銀行は、企業を起こしたい人間を吟味したり、万が一失敗したときのための担保があるかどうかを調べたりして、金を貸したら増えて返してくれるような相手にだけ金を貸す。その人間が本当に事業に成功してお金を返してくれるかどうかの判断を間違えば、銀行の方が倒産してしまったり損をしたりするからである。このほか、一度軌道に乗った企業でも、たとえば物を作るような会社であればたくさん物を作るためにお金が必要だったり、設備を整えたりすることでさらに儲けを増やせるように、お金を必要とすることが多いので、その場合でも銀行はお金を貸す。事業拡大にも、失敗して倒産する危険があるので、銀行にすれば常に企業を見張っている必要がある。

ところで、借金をするときに保証人が必要なことが多いのはなぜだろう。借金が返せないときのために、代わりに返済してくれる人が必要だからである。が、貸し倒れすることを見越して利子というものがあるのではないだろうか。ともかく、保証人になってしまったら、他人の借金を全部型肩代わりしなくてはならなくなるのである。では、企業が借金するときはどうだろうか。企業の場合は、昔は確かにスポンサーが全額保証しなければならなかった。スポンサーが全額保証しなければならないのであれば、スポンサーになりたい人間は危険を承知しなければならないので、なり手が少なくなってしまう。そこで株式会社という概念が生み出された。世界で最初にできたのは、オランダの東インド会社と言われている。株式会社は、英語で言えば Co.,Ltd. という略語があるが、この Ltd. とは Limited つまり制限付きという意味である。スポンサーは会社の株を購入して所有し、株の所有により会社の利益の一部を得ることが出来る。もし会社が倒産してしまえば、いくら会社が借金を抱えようと、その株が紙屑同然になる以外は金を返す必要はない。そうなったことではじめて、特別な金持ち以外の人間が企業に資金を提供しやすくなった。

株式会社という概念を誰が作ったのか私には分からないが、とにかく株式会社が出来るには、ある企業が株を売り出さなければならない。ところが、企業が自分で株を売ろうとしても、どうしても限られた人間にしか売ることが出来ない。株を流通させる必要があるのは、野菜や生活必需用品がそうであるのとあまり変わりはない。そこで、株をはじめとする証券を扱う企業が生まれる。これが証券会社である。

3. 株

まだ株というものについて誤解を持っている人も多いと思うので、ここで改めて株というものを説明したいと思う。株というのは、値上がりを待って売って儲けるためだけのものではない。株を、値段が下がっているときに買って値段が上がってきたときに売る行為は、株の売買の中でも特に「投機」と呼ぶ。本来株というものは、その会社を分割所有することにより、その会社の利益を分割取得するためのものである。その会社がたくさんの利益をもたらすならば、当然株から得られる配当金も多くなるので、株自体の値段も上がる。

我々は大抵、さしあたって必要のない金は銀行に預けるのだが、それ以外にも良い方法がある。それは、国債を買うことである。これは、いわゆる国の株のようなものである。国は、大きな工事をやろうと思ったときに、もしもお金が無かったら国民から借金をするようになっている。国債というものは、いまから何年後かに必ず換金するという条件で国が売り出すものである。国は民間企業と比べてかなり安定しているので、国債が貸し倒れることはまずないと言われている。まあ実際には発展途上国やロシアの国債が貸し倒れて、大勢の人が損をしたこともあったが、アメリカとか日本の国債が貸し倒れることはまず無いと思われている。そんな安定した株なので、あまり利益は期待できない。なぜなら、国の立場で考えたとき、必ず返せるお金を返すのになぜ高い利子を払う必要があるのか。買う側から見れば、どんなに低い利子しかなくても、確実に金が返ってくるので文句はない。そんなわけで、国債の利回りは低い。しかし、そんな利回りでも、銀行に預けるよりは儲けられることは確実である。

では人々は銀行になんか預けるのではなく、みんな国債を買えばいいかというとそうはいかない。なぜなら、国債は限られた時期に限られた量しか発行されないし、額面も高い。仮に国債一枚(売買一単位)を買うのに 100万円掛かるとすると、それだけの貯金があってしばらく使わない人にしか買えないことになる。手続きもそれなりに面倒で、銀行の ATM に行って金を入れて買ったりすることも出来ない。だから、人々は銀行に預ける。銀行はその預かった金で国債を買う。仮に 10年で 100万円が 120万円になって返ってくるとしたら、多くの人々から少しずつ 100万円かき集めて、10年後に 110万ばかりをばら撒けば、銀行は 10年で 10万円儲けることが出来て、人々も 10万円儲けることが出来る。

ここで銀行同士の競争が生まれる。たとえば、人々からより多くの預金を集めた方が儲かる。100億集めれば、100万円の国債なら一万枚買えるので、10年後に一枚が 10万円の利益をもたらすとしたら、一万枚だと 10億円の利益が出る。一方、10億円しか預金を集められなかった銀行は、1億の利益しか出なくなる。そうなると銀行は預金を多く獲得するために色々と方策をめぐらすことになる。

1. 利子を上げる。つまり人々に対して、100万円預けたら 10年後には 115万にして返すと約束する、など。

2. 利子を下げる代わりに普通預金を設ける。つまり、いつでも預金を返すと約束するサービスを用意する。

3. 店舗数を増やし、預金や支払いの出来る場所を増やす。また、営業時間を増やす。

4. その他、人々が預けたくなるようなサービスを開発する。たとえば、積みたて預金だとか、半定期預金、宝くじ付き預金、まとまった金額しか預けられない代わりに利子の多い預金(もちろん銀行はこれをさらにまとめてもっと大きなものに投資したりする)

上に上げた方策には、現代の金融機関が用意したサービスも含まれる。まあともかく銀行は人々からたくさんの金を預かることによって利益を上げることが出来るし、銀行があることによって人々は小額のお金でも利益が上がり、国は工事の資金が手に入り、企業は当面の運用資金を得ることにより将来の発展につなげることが出来るかもしれない。

銀行は民間企業の株も買う。株も売買単位が大きくて、たとえば NTT の株が初めて公開されたときは一株100万を超えていた。それに株は大抵 1000株単位でしか売買できないし、会社によっては 100株単位だったりもするが、最低十万以上の金が必要になる。それに、株は極端な話、700倍以上値上がりすることもあれば、紙くず同然にもなる。万馬券にもハズレ馬券にもなるわけである。まあしかし昔は、株は大きな企業が発行するもので、銀行は大企業の発行する株しか買わなかった。ともかく、一般庶民がなけなしの金を特定の会社の株の購入につぎ込むのは危険であるし、だいいち昔の人々はあまり金を持っていなかった。そこで銀行が仲介することで、庶民にも株の利益の一部を得ることができた。

かくして銀行は、人々のさしあたって必要のない金を、いますぐにでも欲しい国や企業に貸し与えることで、国や企業を発展させることが出来たわけである。

ただ、ここでもう一度振り返って考えていただきたいことがある。金ってなに? という問題である。ここでこの話をしだすと、ただでさえ長い話がますます長くなるので、ここではこの問題は書かないことにする。

4. ユダヤ人

さて、ようやく話を続けることが出来る準備が整った。ここでやっと証券会社が出てくるのである。私は「これが証券会社だ」と説明できるほどの知識がない。だいいち、金融業界には銀行と証券会社などがあるが、なぜこのような分け方がされているかというと、組織を分けなければこの業界が腐ってしまうからだと昔は言われていた。なぜなら…という説明をするのはもう少し待っていただきたい。

証券会社がどこで生まれたのかは知らないが、私の呼んだ本によれば、アメリカへ移民してきたユダヤ人によってアメリカで発達したことは確かなようである。なぜユダヤ人が関係あるのか。それは、ユダヤ人に限らずアメリカにあとから移民してきた人たちは、アメリカの主要産業から締め出されていたからである。当時のアメリカでは、銀行や重工業などの国の主要産業は、W.A.S.P と呼ばれるアメリカへ初期に移民してきたアングロサクソン系の人々で占められていたのである。

そこで後発移民組の人々は、主要ではない産業で成功しようとした。特にユダヤ人は、アメリカへ来る前にもヨーロッパでも主要な産業から締め出されていたため、主要ではない産業で成功するためのノウハウやネットワークを持っていた。それから、当時のアメリカ移民の中には、出稼ぎ意識で一時的にアメリカに来た者が多かったため、そこそこ稼いだあとに故郷に戻る者も多かった。それに対してユダヤ人は、自分の国を持たなかったため、アメリカに永住しようとする者が多かったので、本格的に商売を始めようとする人間が他民族と比べて多かったらしい。

ただでさえこれまでの歴史的経緯から商才に長けていたユダヤ人たちは、ヨーロッパにいるユダヤ人とも密接なコネクションを持ち、貿易などで活躍した。あまり金を持っていなかったユダヤ人たちはアメリカで銀行から金を借りようとしたが締め出されたために、自分たちで銀行を作り仲間に貸し出して仲間の商売を助けた。ユダヤ人が商売をはじめるにあたって一番最初にすることは行商であったらしい。既にある程度の成功を収めた仲間から商品を貸し与えられ、自らの足で方々にその商品を売り、金を返しつつ自らの貯蓄を増やしていった。ユダヤ人たちの売る商品は、品質が良い上に安かった。それは、彼らの商人としての倫理が高かったからだと言われている。そのことも手伝い、彼らは商売で成功していき、その金を元手に他の商売をする者が現れた。

ところが、金はあってもそんなに多くの金があるわけではない。主要産業、とりわけ製造業に参入するには多くの資金を必要とした。そこで彼らは、まず流通業界に進出していった。彼らは持ち前の商人気質で成功していき、百貨店を持つ者も現れた。彼らの商才の優れている例として、洋服屋が挙げられる。いま街をにぎわすショウウィンドウはユダヤ人の発明である。これまで地味なデザインのものしかなかったLLサイズの洋服を初めて売ったのもユダヤ人であり、なおかつ太った店員に売らせることまでして太った女性から指示を受け、新たな需要を作った。

余談になるが、ユダヤ人たちは確かに主要産業には参加できなかったが、ユダヤ人が参入してから時代の推移と彼らの努力により主要産業になった産業もある。その代表が、ハリウッドの映画産業、ラジオやテレビの放送業界などである。

ユダヤ人たちが成功していくと、彼らにお金を貸しているユダヤ人自身の銀行が繁栄することになる。しかし、全国に店舗を展開するような大きな銀行にはなかなかなれるものではない。そこで彼らの銀行は、投資銀行と呼ばれる業務を専門に行うようになっていった。普通の銀行は、庶民から預金を集めて大企業や国に貸して利益を得てきたが、投資銀行とは預金を集めずに、証券を発行したり発行を代行したり所有したり仲介したりすることで利益を得る銀行である。彼らの客は主に法人であり、庶民とはあまり縁がない。

当然のことながら、彼らの投資銀行が普通の銀行業務を行ったところで、規模の面から見ても主要な銀行と張り合っていけるだけの力はない。そこで彼らは、いまでいうベンチャーキャピタルみたいなことを始めた。主要な銀行が大企業の株ばかりを扱うのに対して、彼らは小さな企業の株の公開を手伝ったり、そうして公開した株を顧客に売りさばいたりした。そうした株は、従来の株の概念を大きく変えた。なぜなら、彼らがこのような株を公開して売買する以前は、株とはもっと安定したものだったのである。小さな企業の発行する株や債権は、ジャンク債、つまりクズだと言われていて、一部の資本家が買うのみであったが、実際にはそれほど悪い債権ではなかった。確かに大企業の株と比べると紙くずになる率はかなり高かったが、同時に利回りはかなり良く、一社の株だけを買うのではなく複数社の株を買った場合、仮に何社かがつぶれても、残った企業から十分に株の利益を回収することが出来たのである。

投資銀行が、一般の消費者に対して営業を始めたものが、いわゆる証券会社なのではないかと思う。私はあまり金融業界に詳しくないので、いままで書いたことにはかなり間違っている部分があると思われるが、流れとしては大体合っているのではないかと思う。詳しくは、適当な本なり雑誌なりを読んでいただきたい。

5. 銀行と証券会社

なぜ銀行と証券会社は分けられなければならなかったか。それは、証券会社は証券を発行する側に回ることがあり、つまり株を保証する企業側に立つから、だったような、いまいち記憶していない。当時の銀行は社会の公器という意識が強く、従って預金として集めた金を慎重に他の機関に貸し出さなくてはならなかった。一方、証券会社は、とにかく証券を発行して売りさばけば良かった。つまり、銀行と証券会社がいっしょになってしまうと、社会の公器としての銀行の信頼性が落ちてしまうのである。最近、クレスベール証券の日本法人が妙な証券を企業に売りさばいて、その証券が怪しいものだというのを悟られないようにしていて、証券を買った日本の大企業が大損失を被るという事件が起きた。こんな証券を銀行は間違って買わないように特に注意しなければならない。もし大きな損失を出せば、預金者が預けた金が消えてしまうからである。もしこの証券会社が銀行業務も行っていたとしたらどうだろう。証券部門が莫大な賠償金を払わなくてはならなかったり、あるいは証券の売買で大きな損害を被ったりしたら、その損失が銀行部門も圧迫してしまい、一緒に倒れてしまうのである。そうなると政府が預金者の保護をしなければならなくなり、税金が使われることになる。その税金は結局どこかの投機家の懐に収まるかもしれないわけだから、政府や民衆は納得が出来ない。もっと分かりやすく説明すると、証券会社は潰れてもいいが、銀行は潰れてはならない。

6. 投資銀行と証券会社

投資銀行・証券会社は、潰れる可能性も高いが、莫大な利益を得る可能性も同様に高かった。そうなると、主要な銀行を上回る収益を得るものも出てくる。それに、主要な銀行の業務は非常に制限されており、その中でさらにいくつもの銀行が競争していくと、必然的にそれぞれの銀行の利益は少なくなっていく。もちろん政府は、過剰な競争により銀行が潰れるのを防ぐために、最低金利を定めたり、日本の場合はさらに銀行を守るために色々と政府主導で護送船団方式と呼ばれる過保護な政策を取ったりしている。

時代が経つにつれ、投資銀行・証券会社は規制の少ない中を色々な業務をこなして成長していった。その代表的なものが、ある企業にある企業を買収するよう持ち掛け、買収仲介手数料を稼ぐことである。買収とは、買収先企業の株式の多くを取得することであるが、株式を取得するには資金が必要である。そこで、買収元の企業に対して資金を貸し与える必要が出てくるが、旧来の方法では資金を貸すにも担保が必要であった。そこで投資銀行は、さまざまな方法で資金の担保を取ることを思いついた。まず考えられるのは、買収元企業が買収先企業を買収したら、買収先企業の資産も株主つまり買収元企業のものとなるので、その資産を担保に取る方法がある。それから、企業の資産とは固定資産だけではなく、その企業の事業部門も資産であるので、買収直後に事業部門を一部売却して資金を返す方法がある。こうして買収元企業が買収により買収先企業を取得すると、取得により生じるであろう利益の一部が投資銀行へ報酬として支払われることになる。

さらには、敵対的買収と言って、狙った企業を買収するや、ただちにその会社を構成する各部門を他の会社に売って利益を得るといったことも行われるようになる。たとえば、買収前の企業の資産価値が仮に 100億だったとして、この企業を構成する三つの部門をそれぞれ 50億で他社に売ったとすると、これだけで 50億の利益となる。分割前の企業自体の収益が悪かったとしても、部門ごとに分割してしまえば、その部門を自社に取りこんで自社との相乗効果を狙うような会社はたくさんある。

こういった業務は投資会社に大きな利益をもたらしたので、こういう仕事の出来る社員の給料はうなぎ上りに上がっていく。そして流れは、デリバティブの出現によってさらに加速される。

7. デリバティブ

デリバティブとは、日本語では金融派生商品と呼ばれるが、この言葉はデリバティブの全てを説明するのみでその中身を説明してはいない。デリバティブとは、つまり保険である。保険といっても、自動車保険や生命保険という限定されたものではない。ここで漫画「マスターキートン」を読んだことのある人はピンと来たかもしれない。この漫画で主人公は、保険のことをギャンブルとも言っていたことを思い出していただきたい。保険とはギャンブルでもあるわけである。デリバティブも、基本は保険であるが中身はギャンブルのようなものとなっている。

イギリスのロイズという保険会社は、保険の商品を開発するときに、保険のリスクだけを金持ちの貴族個人個人に売り払った。たとえば、私はロイズがどういう保険を扱っているかまったく知らないのだが、仮に火災保険を扱っているとする。最初に火災保険を作る際に、一万人のうち何人が実際に火災にあうのか予測する必要がある。これまでのデータを調べて、たとえば 10年間だと一万人のうち 100人が火災にあっていたとする。一回の火災で平均 1000万の保険金を支払う必要があるとすると、十年で平均 10億円の支払いが発生することになる。そうすると、一万人から 10億円、つまり一人当たり 10年で 10万円、一年で一万円支払うような商品にすればトントンになる。それに加えて、保険商品を開発するのに掛かった開発費、運営に必要な人件費を入れ、その上に会社としての利益を加えて、仮に一人一年一万五千円にしたとする。通常の保険会社だと、これだけ考えて商品を売り出せば保険は完結する。しかしこのあとがロイズ独特の部分で、ロイズはこのような商品を作った場合、貴族や資産家に対して転売するのである。保険会社は上のような商品を作った時点で、10年で 15億円の収入が入ることが確定する。しかし、そのあとは火災が起こるたびに支払いが発生する。この保険を、貴族や資産家に対して 13億で引き取ってもらうとしよう。そうすると、もし 10年での支払いが保険会社の予測どおり 10億で済んだとしたら、その貴族や資産家は何もしなくても 3億を儲けることが出来る。その代わり、もし火事が多かったりして 15億の支払いが発生したら、逆に 2億の損をすることになる。それに対して、保険会社の方は貴族や資産家に 13億で引き取ってもらった時点で 2億円の利益が確実に得られる。つまり保険会社は、保険商品のリスク(ギャンブル性)だけを他者に渡して確実に儲けたのである。

上の例は、デリバティブの中でもオプションと呼ばれるものに近い。オプションとは、文字通り付属品のようなものである。何の付属品かというと、商品の値段の関する付属品である。商品の値段は絶えず変化しているものである。普通の人は、値段の絶えず変化する商品を買う経験はあまりないだろう。まあバーゲン中と通常期間中とでは商品の値段は変わるかもしれないが、ちょっとこの例では説明しにくいので、もっとわかりやすくて一般的な商品がある。旅行会社のツアーである。

旅行会社のツアーは、予約した時点で金額を請求されるが、実際にその商品が手に入るのは当日になってからだと考えることが出来る。予約した時点では、当日の何週間前かまでは無料でキャンセルできたりするので、これはあくまで予約である。ところが、一週間前ぐらいになると若干キャンセル料を取られてしまい、数日前となるとさらにキャンセル料を取られ、前日だと半分とか全額を取られたりする。このツアーという商品に対するオプションとして第一に考えられるのは、キャンセル権である。予約して商品を購入するときに、たとえば 3000円ぐらいでキャンセル権というオプション商品を用意したとしよう。これを買った顧客は、たとえ前日とか当日にドタキャンした場合でも、キャンセル料を払わなくてよいのである。仮にキャンセル率が 5%だとすると、20人に 1人がキャンセルすることになるので、20人全員がキャンセル権を買ったとすると 6万円が旅行会社に入るので、キャンセルの無駄による 6万円分までの損失を防ぐことが出来る。キャンセル権を購入した 20人は、キャンセルによって無駄な出費をするかもしれないという精神的圧迫から逃れることができ、そのうちの 1人が実際にキャンセルしたとしてもその 1人はキャンセル料を払わずに済む。なおかつ、旅行会社がやりくりすれば、キャンセルによって無駄になったチケットなどをうまく他のツアーにあてがうことで損失を補填できる。つまり、オプションによりみんなが得をするという素晴らしい仕組みである。

デリバティブには、オプションの他にスワップと呼ばれるものがある。これの説明は普通の人には分かりにくいかもしれない。スワップとは、二者以上の持つ似たようなリスク(ギャンブル性)を相殺する取引を指す。たとえば、さきほどの旅行会社がツアーをキャンセルされた場合を考えてみると、キャンセルが発生することにより、旅行会社があらかじめ予約をしていたチケットもキャンセルする必要があり、旅行会社は航空会社へのチケットキャンセル料を支払わなければならない。このようなキャンセルのリスクを持つ旅行会社がある一方で、逆に仮に常にキャンセル待ちをしてチケットを確保して空港内で急ぎの客に売るような代理店があったとする。このような状況があったときに投資銀行がスワップを持ちかけるのである。旅行会社のキャンセルが発生するごとに、ある枚数までなら旅行会社が代理店にチケットを一定額で売却することが出来る、という契約を結ばせるのである。そうすると、旅行会社はキャンセルによる損失を少なくでき、代理店は通常より安価にチケットを購入でき、そうして双方の得た利益の一部が報酬として投資銀行に支払われるために彼らも潤う。また、航空会社までが、キャンセルとキャンセル待ちによる不安定な座席状況を多少安定化できて、航空機の運行スケジュールの収益性を上げることが出来るかもしれない。まあ航空会社はキャンセル料の収入が減ってしまいはするかもしれないが、キャンセルとキャンセル待ちを管理するためのシステムの負荷が下がって結局得をするかもしれない。

デリバティブとはこんな平和なものだけなのだろうか? そんな馬鹿なことはない。時々、デリバティブを売った人間の想像を上回る強烈な歪みが生まれることがあるのである。たとえば最近、台湾で地震が起きた。私の母親は偶然、台湾旅行へ行くつもりで地震の起こる前に旅行を予約していた。そこへ台湾地震が発生してしまったため、考えたあげくキャンセルした。このようなキャンセルは恐らくかなり多く発生したに違いない。そうなると、さきほどのオプションやスワップの例でいえば、20人のうち 18人までもがキャンセルをするかもしれないし、そうなると台湾へのチケットをキャンセル待ち無しで乗れるようになるため代理店は不要なチケットを旅行会社から買わされてしまうことになる。もちろん航空会社もガラガラの航空機を飛ばさなければならなくなる。まあ地震なら、そういう時のために各社ともそれなりのリスク対策をしているものであるので恐らく問題はないだろう。なんたら海上火災だとかの一種の保険会社が、地震とか天変地異とかの保証を行う商品を販売しているだろうから、それを購入していれば何も問題はない。しかし、たとえばロシアの「借金を全部は返せないよ」宣言を予測した商品は開発されなかったかあまりメジャーじゃなかったため、ロシアの国債などを買っていた多くの組織が大きな損失を被った。このように、小さなリスクが大きなリスクによりひっくり返されることも多いのである。

8. なぜ儲かるか?

さて、ここまで長々と説明してくると、肝心の主題をすっかり忘れてきてしまう。結局、トレーダーの収入が異様に高い理由はなんなのか。それは、オプションやスワップという商品を開発するのは高度な頭脳労働だからであり、優秀な人間でない限り優れた製品を開発することが出来ない。ちょっとした知恵で作った商品が、多大な利益をもたらすことになるのだが、そのちょっとした知恵を出せる人間も限られてくるのである。また、優れた製品は優れたバランスの上に成り立っている。たとえば、キャンセルで言えば、何人中何人がキャンセルするか、というのは過去のデータを見ればある程度分かるかもしれないが、その程度の製品であればわざわざ投資銀行や保険会社が提供するまでもなく、旅行会社が自社の情報を使って開発することが出来るのである。それに対して、オプションといえばまず株のオプションが挙げられるのだが、株がいつまでにどのくらい上がったり下がったりする確率は果たしてどのくらいか、といった複雑な確率計算をするには高度な数学の知識が必要になってくる。株のオプションとして有名なのはワラントであるが、ワラントとは一定期間内に特定の株を決まった金額で購入するための権利であり、たとえばいま成長真っ最中の 800円の A社の株を一年以内に 1000円で購入する権利を得られるワラントがあったとしよう。このワラントは、たとえば一年以内に A社の株が倍の 1600円になったとしたら、一年後に A社の株を 1000円で買えるので、それをそのまま売れば 600円の利益になる。逆に A社が早くも傾いてきて株価が半分の 400円になってしまえば、買う権利を行使しなければいいのである。このような便利なオプションは、果たしてどのくらいの価値があるのだろうか。100円か? 200円か? 勘で値段をつけたら大損失につながるだろう。そこで、まず A社を徹底的に調べ、A社以外の株式相場全体の値動き、企業の業績を大きく左右する市場や世界情勢の動き、そこまで調べてもまだまだ残ってしまう不確定要素は、多くの不確定要素を数学的に計算することで確率や確率分布や確率の確率を求めることでようやくオプションの値段が決まるのである。

では、そのようにしてデリバティブ商品を作ったとして、彼らはどのようにして儲けるのだろうか。

どんな商品も、売り手の口八丁手八丁でどうにでもなるものである。テレビショッピングや通信販売などで、宣伝文句につられてくだらない買い物を沢山してしまう人とか、カタログや展示品に目移りしてついつい不要なものまで買ってしまう人とか、店員の言葉につられてワンランク高い製品を買ってしまう人が多いのではないかと思うが、デリバティブもそれと似たようなものである。デリバティブを開発する人間は、いわば博打の胴元のようなものである。海外の胴元は、日本人は何も分からないからと、勝ち目の薄い商品を売りつけたりする。デリバティブという複雑なものは、実際のところ開発者が一番熟知しており、買う側にはあまり理解できないことが結局のところ多いのである。

デリバティブというのは、頭がよく正しい予測の出来る人間が儲けることの出来る仕組みだと言ってもよい。

一方、企業買収や株式公開を行う場合についてはどうだろうか。企業買収を仲介することで大きな利益が得られる理由は、以下の理由により買収元企業が得をするからである。

  1. 買収された企業の価値が、買収後・分割後の相乗効果により上がる
  2. これまで不当に低く評価された価値が、買収により見直される
  3. スケールメリットを生かして、より大きな利益が期待できる

株式公開により大きな利益が得られる理由は、

  1. 企業の価値を形にすることで、より多くの人により高く価値を理解させることができる
  2. 将来の可能性をいま資金として受け取ることが出来る

買収元企業が高額の利益を得られるような買収や株式公開を投資銀行や証券会社が持ちかけた場合、彼らも当然その見返りとして報酬を得ることが出来る。その報酬は、メーカーが物を作って売って儲けられる利益よりも概して高い上に、マンパワーよりもたった一人の頭脳が要求されるため、労働者一人当たりの利益がケタ違いに大きい。そうなると、この業界で働くトレーダーたちの報酬が高くなるのも当たり前である。

9. 業界の病理

もっとも、そうは問屋が卸さないのである。確かにデリバティブや買収や株式公開などをやれば大きな利益が期待できるのも事実であるが、それはあくまで期待できるだけであって、実際に成功して巨大な利益をあげている投資銀行や証券会社は非常に限られており、その大半がアメリカにある。しかも、ヘッジファンドというものが一時期騒がれたが、成功している企業はヘッジファンドのような小規模な組織からせいぜい中規模の投資銀行・証券会社が多い。小回りがきかないとやっていけないのである。そういうことなので、日本では恐らくこのような業務を行って利益を出せるような企業は生まれないだろうと言われている。野村証券のアメリカでの現地法人の子会社がデリバティブなどの取引でかなりの利益を上げたが、たった一人の青年の手による取引が元で巨大な損失を出した。アメリカでの現地法人がこれなのだから、日本国内で日本企業が投資銀行的な業務を行えるはずがない。もっとも、最近では日本の学生の中に、外資系企業で自分の実力を試したいと考える人が増えてきたみたいなので、外資系企業の日本法人の中には、国際金融社会を舞台に活躍する企業が現れるかもしれない。

トレーダーの給料体系には欠陥があるといわれている。その代表的な例が、一度潰れたアメリカの LTCM という企業である。この企業には、ノーベル経済学賞を取った学者が二人もいて、巨大な利益を出していたが、ロシアの債務不履行により巨大な損失を出し、アメリカ政府の導きによる救済が必要なほど派手に潰れた。しかし、救済後に再び営業活動を始め、LTCM に所属するトレーダーたちは、契約上彼らが企業にもたらした利益の何パーセントを報酬として与えられ、巨額のボーナスを得た。つまり、以前の損失は報酬にはまったく影響しなかった。彼らの給与体系は、会社に利益をもたらしたらその分だけ報酬を得られるのに対して、会社に大損害を与えたとしても罰金は当然ない。予断だが、日本の商工ローンの中には、融資を焦げ付かせた社員に借金を肩代わりさせ、さらには社員の両親にまで借金を払わせようとする極悪な企業があるといううわさがあり、ただでさえ取立ての厳しい商工ローン企業を規制すべきだと持ちあがっている。

投資銀行・証券会社の本場はアメリカであるが、アメリカではメーカーの力が衰え、金融業界の企業が徐々に主流になってきている。そしてアメリカはそんな企業を応援している。アメリカは、かつての物造り産業をやめ、金融により国を支えようとしているようである。日本は資源がないので、他国から資源を輸入して、国内で加工して、他国に輸出する産業を栄えさせてきた。いまアメリカは、金利の安い日本などの国から貨幣を輸入して、国内の企業が知恵を絞って、他国へ投資することで栄えている面が強くなっている。そんな国家構造が果たしてこれからもうまくいくのだろうか、と言っている学者がいて、私も同意する。が、現時点で見る限り、日本は工業製品ではアメリカに勝ったかもしれないが、アメリカは日本の思いもよらない金融という産業で、相変わらず日本を押さえている。

ダウ平均株価は本当にいつか暴落するのだろうか。

まだまだウォール街を全然理解できないとの思いが強いが、今回はここで終わることにする。

[参考文献]

浜田和幸「ヘッジファンド」 (文春新書)
加野忠「金融再編」 (文春新書)
佐藤唯行「アメリカ・ユダヤ人の経済力」 (文春新書)

(というか、新書を参考文献にしている文章を読むぐらいなら、上の新書を直接読んだ方が早いだろう。)


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