34. 神経言語プログラミング (1999/4/14)


戻る前回次回

この題名「神経言語プログラミング」からすると、今回の話はコンピュータサイエンスの話かと誤解されるかもしれないが、今回は純粋に心理学的な話である。

とはいっても、この神経言語プログラミング、英語で言うと Neural Language Programming 略して NLP というのは、心理学の中の位置としてはかなり外道であろう。なぜなら、私はこの NLP の話を、NLP を扱っている本以外では見たことがないからである。それから、私が NLP を知ったのもただ NLP についてだけ扱っている一冊の本からだけであり、それ以降この NLP に関しての情報を見たことはない。

この NLP というのは、人間の体の動きと人間の意思が不可分であることを前提とした上で、人間の肉体の様子から意思を読み取ったり、人間の肉体に働きかけることで意思を操ったりすることが出来ると主張しており、その具体的な方法についてもある程度の実験結果が揃っているようである。

前にカウンセリングについて私が書いた時に、人間を癒すにはかなり地味な作業が必要であると書いたが、この NLP を実践すれば、誰にでも簡単に人間の心を読み取ったり操ったり出来る。まあそれも極論すればの話ではあるが。

まあこの NLP を説明するまえに、段階を追って人間の心理について話していきたいと思う。

*

あなたが病気になって入院したとする。すると、個室だか相部屋だか知らないが、部屋をあてがわれてそこのベッドで寝ることになる。そして、治療が進んであなたの調子が良くなってくると、部屋が変えられることが多い。何故か。それは、最初に入院した直後から入っていた部屋は、患者の心に密かに「病気で入った部屋」として覚えられてしまうからであり、調子がよくなってからもその部屋にとどまりつづけるのは心理的によくないそうである。だから、病院側はほとんど必ず別の部屋を用意し、患者の深層心理に対して「あなたの病状は快方に向かっていますよ」と働きかけるようにするわけである。一旦別の部屋を用意されたあとにまた元の部屋に戻されると症状がまた悪くなるという実験結果もあるらしい。

また別の例で説明しよう。私はちょっと前まで Mr.Children というミュージシャンが大好きで、友人にも聞かせるために CD を彼の家に持っていったりしたのだが、どうやらその友人は Mr.Children があまり好きではないらしい。何故かと聞いてみると、別にその音楽自体は嫌いではないらしい。ならどうしてかというと、どうやら彼は大学受験の浪人中に聞いていたラジオでよく Mr.Children が流れていて、その影響で、Mr.Children の曲を聞くと受験中を思い出してしまい、どうしても不快になってしまうようである。

このように、人間の心理と言うものは、外界の影響を受けやすいものである。

*

よくあるのが、人が焦ったりしているときに自分の癖が出てしまう、というのも聞かれる。たとえば、私の場合、書店でエッチな本を漁っているとなぜか耳の後ろが気になって手で意味もなく触ったりするし、爪をかんだり、髪を掻き揚げたり、とにかく無意味な動作をつい行ってしまうものである。

心身症という言葉がある通り、精神的に病んでしまうと肉体にもその症状が現れることが多い。ストレスなどでやせたり太ったりするのもそうである。ストレスなどが食欲に作用してから太ったりやせたりする例も多いが、ストレス自体が痩せさせたり太らせたりする場合も多い。

このように、人間の行動や肉体というものは、自分の心理状態に影響を受けやすいものである。

*

そこで繰り返すが、神経言語プログラミング(NLP)とは、人間の心理と肉体や行動が互いに深い関係を持っていることを前提とした心理学の一つである。

まず最初は分かりやすい例から述べていこう。それは、人間の思考と目の関係である。

人は、何かを考え出そうというときは目を上に向けているものである。何かを思い出そうとしているときには目を右下にむけていたりする。NLP では、人間の目の向け方を上下左右斜めの八方向に分けて、人間の思考がどのように目の向きに影響するかを理論立てている。

私は実は NLP の本を読んだのは一年以上前なのでよく覚えていないので申し訳ないのだが、とにかく覚えている限りでは以下の通りである。

  1. 新しいことを考え出そうとしている人は目を上に向ける
  2. 起こった事実や起こりうる事態について考えるときには目を下に向ける
  3. 過去を思い浮かべるときは目を右へ、未来を思い浮かべるときは目を左へむける
  4. 何かを仮定するときは目を水平(左か右)にむける

つまり、例を出せば、

  1. 過去の出来事を思い出すときは目を右下に向ける
  2. 未来の自分のとある行動の結果を予想するときは目を左水平に向ける
  3. 何か良いアイデアが無いか考えているときは目を上に向ける

この理論は、はっきりいって信じがたいというか、実は占いのたぐいと同じなのではないかという懐疑の念を抱いてしまうが、私の経験からすると大体合っているのではないかと思う。

彼らの理論のすごいというか無茶なところは、とにかく全ての人間に対してこの理論が大体成り立つと主張している点である。つまり、文化とか習慣を超えて、人間であれば大体目線がこう動く、と言っているのである。

彼らのこの主張は、別の方面からも同じようなことが言われているので、彼ら独自の考え方であるというわけではない。たとえば、私が知っている限りでは、漫画というものがこの目線に丁度良いと言われている。世の中の漫画は、大抵の場合、右から左へと読んでいく。つまり、目線が右から左へと動くのである。このことが、人間自身の感覚つまり「右は過去で左が未来」と合致しているからこそ、漫画が子供に受け入れられやすいのだ、と主張する人がいる。

ともかく、我々がこの NLP の理論を信じることにすれば、あなたは他人の目を見ることで、その人が何を考えているかまでは分からないものの、その人の考えについてある程度的を絞ることが出来る。たとえば、あなたがある人に用事を頼んであったとしよう。それで、その人がその用事をちゃんとやってくれたかどうかを聞くときに、その人の目を見るのである。もしその人が右つまり向かって左に目を動かしたら、恐らくその用事は既に少なくともある程度は終わっているしすべて終わっているかもしれないし、頼まれたことをすっかり忘れていて思い出そうとしているのかもしれない。上を向いたら、これから考えるところかもしれない。というか、この目線の解釈が難しい。だが、慣れてくると何か想像できるようになるはずである。

それから逆に、相手の目線の先を遮ることで、相手の思考を妨げることも可能である。あなたが何か考え出そうとしているときに、視界の上の方にチラチラしているものがあれば、思考がうまく出来なくなるだろう。

*

前節での理論はあくまで遊びのようなものである。NLP のすごいところは、この理論を駆使することでカウンセリングが出来ることである。もっとも、このあたりから多少うそ臭くなってくる。まあ、これを書いている私自身は NLP を七割以上信じているので、もしあなたが NLP を信じる気になっているとしたら、真面目に聞いても損はないだろう。

人間は嫌な感情を抱くときもあれば、良い感情を抱くときもある。たとえば、バースデイケーキを見ればなんとなくいい気持ちになったり、ヘビを見たら嫌な気持ちになったりする。仲間はずれになれば嫌な気持ちになり、誉められればいい気持ちになる。ただ、人々の中には、普通の人にとってはなんでもないものに対して嫌な気持ちにさせられたりする人がいる。たとえば、バースデイケーキを見ると過去のトラウマからどうしても嫌な気持ちになったりとか、危ない目にあえばあうほど気持ち良くなったりする人などである。そういう、物や出来事と感情との奇妙なズレを NLP は治せると主張している。

その方法は例によって肉体に関係がある。まず患者と治療者が向かい合う。治療者は患者の右ひざを触る。そして、患者に対して嫌な気持ちになった時のことについて話してもらう。話が終わったら、治療者は患者の右ひざから手を離し、今度は左ひざを触って、逆に気持ちが良かったときのことを話してもらう。そのあと、治療者は患者の左ひざから手を離し、最後に両ひざを触ってから、また嫌な気持ちになったときのことと気持ちが良かったときのことを話してもらう。すると、なんと皮膚感覚を通じて、嫌な気持ちと良い気持ちが合わさってしまい、嫌な気持ちがうやむやになってしまう(良い気持ちもなくなるのだろうか?)。

なんとも大胆な理論である。彼らに言わせれば、全て実証されているようである。ここまで大胆だとにわかに信じられない。人間とはそこまで単純なのだろうか? まあ、私に言わせれば、人間なんてものは単純なものである。ここまで機械的に人の感情が操作できたとしても不思議ではない。

もう終わってしまったが、フジテレビの恋愛科学番組で、心理学の面白い実験結果を江角まき子などが面白く解説するということをやっていたのだが、その中の実験にもこれに一応近いものがあった。それは、デートで恋仲を深めるには食事が一番である、といった内容だった。その理由は、人間は食事中は幸せになるからであり、そんな時に相手と喋っていると、いま自分が幸せなのは食事のせいではなく相手のせいだと錯覚するからだそうである。

まあこの話は分かりやすい。なにせ、食事という直接的な肉体行動が、感情と結びついただけで、これはほぼ信じることが出来る。が、NLP の主張はさらにすごい。ただ「膝に触られる」というだけで、しかも左右の膝を区別して、その皮膚感覚が感情と結びつくのだと言っているのである。さらに、その結びついた感情を、いとも簡単に合成できるのだとも言っているのだからすごい。

信じる信じないはあなたが決めて欲しい。

*

食事中に別れ話を告げられたあとの人は、食事が嫌いになるのだろうか? まあ私には興味のない話である。


戻る前回次回
gomi@din.or.jp