33. 加害者の手記 (1999/4/13)


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最近、酒鬼薔薇事件の犯人である少年Aの両親が手記を書いて出版したそうである。私はその手記を読んでいないので分からないのであるが、その手記はどうやら賛否両論になっているらしい。

酒鬼薔薇事件その他の被害者の両親がどうやら被害者の集いを結成しているみたいで、彼らからすれば非常に腹が立つらしい。被害者サイドからすれば、よくもまあこんなぬけぬけと手記なんて書いて、いくら売り上げを被害者に寄付するからといって、結局世論を「加害者もまた被害者なんだ」とでもいいたげだ、ということらしい。

一方、主に教育関係者らからすれば、加害者の両親は特別おかしな教育をしてきたわけではなく、彼らは日本中に多くいる普通の両親なのだな、といった感想を持っているらしい。

私はこれらの感想を見ていて、さあどっちの意見が正しいのだろう、と悩んだ。一方の意見を読んだあとで納得し、もう一方の意見を読んだらまたその意見にも納得してしまった。ここまで考えさせられたのも久しぶりである。結局私の意見は、以下のように収束した。

  1. 加害者の親は、日本の多くの家庭の両親と同じくらいに馬鹿だった。
  2. だから加害者の親にだけ責任があるわけではない。
  3. つまり被害者は加害者に対して責任を求めても、幼児に対して責任を取らせようとしていることと同じである。

一つずつ説明していこう。

*

加害者の両親も人間である。だから彼らも、自分の子供が殺人を犯せば、普通に悲しいし、追いつめられるし、どうしたら良いのか分からなくなるのだろう。と同時に、やはり普通の人間なので、自分の身を守るために何か汚いこともしてしまうのだろう。

加害者の両親が行ってきた「汚いこと」は大体以下の通りである。

  1. 謝罪に行かない、逃げ回る
  2. 交渉を弁護士に任せっきりにする
  3. せめて金で償うと言っておきながら、自己破産を宣告してそれっきりにする
  4. 安易に「許してください」と言う

彼らが謝罪に行かないのは、自分たちが行っても却って被害者につらい思いをさせないためでもあるらしいが、実際には自分たちが合わす顔がないというのも大きいのだろう。また、自分たちの子供が周りからいじめられたりするのを防ごうということには気を配るらしい。これは仕方が無いことで、罪の無い他の子供が不当な悪意にさらされるのは防がなければならないのももっともな話であるが、当の被害者の両親からすると不快なものらしい。

交渉を弁護士に任せっきりにする、というのはよくある話らしい。ひどい場合、弁護士を八人雇って話を進めようとする場合があったりして、何を考えているのかと思う。

賠償金を自己破産で逃れるのは、確かに経済的に苦しければやむをえないのだろうが、自己破産後は一切の金銭的責任を逃れられるため、本来の「謝罪の気持ちを金に変える」が意味を持たなくなってくる。金はやむをえない形であるはずなのに、その金が完全に貨幣としての金の意味しか持たなくなっている。

安易に「許してください」と言うというのは、多分加害者の両親の方も意識的にはそうは思っていないと思うのだが、恐らく心のどこかで「自分が解放されたい」と思う気持ちが言葉になってしまうのだろう。普通の神経ならば「許していただけないのは承知ですがとにかく謝らせてください」と言うべきところだろう。

ちなみに、話によればこういうケースもある。ある被害者の親は、加害者の親の重ね重ねの訪問を拒絶し続けながらも、ついにはその親と顔を合わせることを承知し、許すことにしたらしい。ただし、そのような誠意のある親はいまのところ一人だけだそうである。

加害者の両親の馬鹿な点については、事件後のことだけでは収まらない。そもそも少年犯罪者を気づかずに育ててしまった点が馬鹿である。

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前節の最後に私は「加害者の両親は馬鹿だ」と言った。私はなぜここで「馬鹿」という言葉を使ったかと言うと、彼らには「責任能力がない」と思ったからである。加害者の親が悪いのは、確かに彼らがちゃんとしていれば良かったのだろうが、誰もが良い親にはなれないし、いまの世の中の状態を見れば明らかな通り、親が悪くなったことにも背景がある。

まあよく考えてみれば、酒鬼薔薇事件のような事件を起こした少年は彼一人である。結果的に、そんな子供を育ててしまった両親には、何かがあるに違いないと思う。だが、その何かがあったとしても、その何かが今の世の中とうまくシンクロして初めて異常な事体になったのだと考えるべきである。

彼らの異常だった点は、手記だけ見ては分からないだろう。話によれば、両親は犯人のA少年だけはどうやら距離を置いていたみたいで、それに対して下の弟二人とは普通だったようである。なぜそうなったのかは、確か手記には書かれていない。書かれていたとしても、あまり突っ込んではいないだろう。

加害者の家庭の実体などというものは、両親の手記ぐらいでは決して明らかにならない。恐らく、永遠に闇の中だろう。それは、あなたの家庭についても同じである。人の家庭の実体がどうなっているのかなどというのは、家庭の成員でない限り知りようがないし、また成員であったとしてもよく分かっていないことが多い。

ところで、アメリカではかなりの割合で、親が自分の子供に対して性的虐待を加えているのではないか、という調査がある。だが、この調査を客観的なデータにするのは不可能だろう。

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子供がおかしくなる一番の原因は、私はやはり核家族化と父親不在にあると思う。結果、子供は母親しか頼れなくなり、母親とのコミュニケーションは慎重になり、失敗できなくなるために臆病になる。せめて父親がいれば、子供は場合に応じて父親か母親のどちらかとコミュニケーションが取れれば良いので楽になる。この説明はちょっと分かりにくいだろうから、もっと具体的に言うことにする。たとえば、子供がワイルドなことをすると、母親は叱るかもしれないが、父親は誉めるかもしれない。また逆に、母親が誉めて父親が叱るかもしれない。甘いものを食べ過ぎているとき、勉強をしないとき、テレビを見過ぎているとき、夜更かししているとき、などなどある。私自身、私が何かよくないことをしているときに、父親と母親の意見が必ずしも同じではない場合が多くあったことを覚えている。まあでも私の両親は大体意見が一致することが多かった。

だが子供にとっては、前にも言ったのだが、さらに祖父母がいる方がずっと良いということである。なぜなら、祖父母は、両親の両方が一致して子供を叱るときでも、子供の味方をしてくれる場合が多いからである。

我々先進国民は、安易に核家族化などというものを進めてしまったが、これは実は子供の精神にかなりの傷を作っているかもしれない。百歩譲ったとしても、我々が絶対に無害だと信じている制度や慣習が、子供の精神をおかしくしていると私は強く信じている。

だから、加害者の両親も、自然にA少年の心を病ませてしまったのだろう。

心理学(精神分析学?)では、A少年の症状のことをサイコパシーと言っているらしい。サイコパシーというのは、どうやら「よく分からないが妙に冷静に危ないことをやってしまう」ような心の病気らしい。つまり、サイコパシーという言葉は、この病気の症状は表しているが、なりたちについては説明していない。

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最後に被害者の両親について少し触れたいと思う。

彼らは、加害者の両親に対して民事訴訟を起こして賠償金を請求している。何故か。それは、加害者の両親に対して責任を求めるための方法が、民事訴訟しかないからであるそうだ。少年法という法律はかなり有名になったが、つまりこの法律は 14歳以下の凶悪な少年犯罪者のプライバシーを守るだとかで悪名が高い。少年が殺人を犯せば、鑑別所とかには行くだろうが、少年が全ての責任を取るわけではないし、罪の償いも少ない。少年法はむしろ、少年の未来を閉ざさないための法律である。それから、その少年を育てた両親に対する罰則もない(多分)。だから、被害者の両親は、加害者の両親を、刑事告訴することは不可能だということになる。

だから、民事訴訟をして賠償金を請求して「これだけ払うべきだ」というのは彼らの本意ではないそうである。むしろ、自分の殺された子供に対して対価を決めることは苦しいらしい。これは同情すべきだと思う。

ただ、これは私が無知なだけかもしれないが、一つ気になることがある。そうやって加害者の両親から受け取った金は、どうなっているのだろうか。これだけ言っているのだから、どこかに寄付しているのだろうか。そのことだけは、いくらニュースを見ても週刊誌を読んでも、知ることが出来なかった。やはり両親が、自分たちの心の傷を癒すために使っているのだろうか。それとも、基本的にはどこかに寄付しているが、全ての被害者がそうではなく、一部の被害者は心の傷が重傷すぎて金で少しでも癒そうとしているから、この一部の被害者に配慮しているだけなのだろうか。この点に関しては、私は何も知らないのでこれ以上突っ込まないことにする。

結局、被害者の親族も、加害者の親族も、日本の政治関係者も教育関係者も、同じ人間なのだと私は思う。調和は無理としても、互いに衝突しあいながらでも、なんとかしていかなければならないのだろう。私だって、孤立した子供を助ける勇気はないので同じようなものである。  

[参考文献]

文藝春秋社 週刊文春 (つい最近のやつ)

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