30. 子供に主体性はない (1999/3/23)


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例によってまた「ここが変だよ日本人」(TBS系列・水曜午後10時〜)というテレビ番組を見て思うところがあった。

外国人側と日本人側が互いに主張しあうこの番組、先週は日本人側として女子高生10人ばかりが出てきた。彼女らの生態についてはともかくとして、私がまず思ったのは、彼女らが「自分で考えて…」といった言葉を何回か使っていたことである。

今回私が言いたいことは「子供に主体性はない」という題名通りのことである。

まず、そもそも「主体性」といった言葉の定義が問題になるかもしれない。私は自分で自分のことを「主体性のある人間」だと思っているが、他の人からみれば、何かに操られて動いているように見えるかもしれない。ともかく私は、その番組に出ていた女子高生を見て「ああこいつらは主体性のないやつらだ」と思ったわけである。

彼女らは、大人たちから「自分で考えて行動しなさい」といったことを言われつづけてきたのだろう。

周りを見渡せば、いまの大人は、子供に自由を与え、その代わり自分で全て責任を取って自分で考えて行動することを教えていると思う。少なくとも、いまの大人の教育方針を好意的に受け取るとこうなる。私は始めに言っておくが、この考えには反対である。

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精神分析学的には、子供が大人の真似をして育つことを、以下のように説明している。子供は自我を確立するに当たって、周りにいる大人の安定した自我を取り込もうとする。なぜなら、幼い子供は精神的に不安定で、常に安定したものを自分に取り込もうとするからである。安定した自我を求める対象は、大人であるとは限らない。例えば、幼い男の子は列車やロボットやヒーローが好きであるが、これらも安定した強い自我を与えてくれるからである。それから、女の子が母親の真似をしてままごとをするのも、母親の安定した自我を自分に取り込むためだといわれている。

大きくなってからも子供は、周りの大人から影響を受けていく。一番強く影響を受けるのは相変わらず両親である。昔は、強くて厳格な父親から影響を受けた。父親の強さを見て子供は自分の自我を安定させていた。だが、いまはそんな父親はそんなにいないらしい。これが、一般にいわれる「父権の喪失」というものである。昔の世代に属する多くの文化人たちは、いまの子供がおかしくなったのは、家庭から強い父親がいなくなったことが原因であるから、父親をもっと強くしなくてはならないと主張している。

父親は確かに弱くなったかもしれないが、その代わり、子供に自由と自己責任を教えようとする父親は、彼らなりに自信を持って自分の子供を教育していると私は思う。もちろん母親も、昔は控えめだったが今はへたをすると父親より教育熱心であるから、同じように自由と自己責任を子供に教えようとしている。そんな親を持った子供は、自分が自由と自己責任を持とうとし、それによって自我を強くしようとするだろう。だが、自分の意志というものを明確に持ち合わせない子供にとって、いきなり自由とか自己責任というものを持てるのだろうか?

人間というものは、自分の周囲にいる大人の影響を受けつつ、真似して自分に取り込んで、初めて自分の意志を持つことが出来る。つまり、その人がどういう人間に育って、どういう考えを持つのかというのは、全て周りの沢山の人間から少しずつ真似をして出来上がっていくものなのである。まあ、いきなりこう言ってもあなたはそうは思わないだろうが、ここはともかくそう思っていただきたい。

だとすると、子供の視点で考えた場合、親が「あなたはあなたなのだから自分で考えて行動しなさい」と言った場合、子供はどうしたら良いのだろうか。子供は親以外の大人から学ぶしかない。だが、周りを見渡しても、そんなに自我の安定している大人はいない。そこで、テレビや雑誌などのメディア上の人間を真似たり、アニメや漫画の人物を見て自我を安定させるしかない。そこで、世の中の子供は、大きく軟派と硬派に分かれたのではないか。ファッションと芸能人の大好きな子供と、メカや空想と少女や少年の大好きな子供である。そして重要なのは、上の二つのカテゴリーのどちらにも入らなかった子供が、現代の危ない子供になってしまったのではないだろうか。

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話が極論的になってしまったので、もう少し柔らかく話を進めることにする。

多くの人の目から見て、いまの小学生や中学生が「自分で考えて行動している」と言ったとしても、我々は「なーに言ってやがるこの餓鬼が」と思うものである。少なくとも私はそう思う。高校生だって怪しいものだ。国連で世界中から笑われた「制服は子供の人権を無視している」と主張した子供が良い例である。

テレビで自分のことを非難された女子高生が(別に女子高生である必要はないのだが)、やり返す言葉としてなぜ「自分で考えて行動しているんだからいいじゃん」と言うのか。それは、自分の自我を成り立たせているものが、自由意志を子供に教えつづけてきた親にあるからではないだろうか。

私の結論は、子供に本当の自由意志を持たせるには、子供に対して親は自由意志の良さを教えるのではなく、自分自身のわがままを子供に押し付けるべきだということである。いまの親は、自分は自分、子供は子供、だから自分の考えを子供に押し付けてはいけない、と思っているに違いない。だが、子供が本当に自律するには、まず親が子供に対して自信を持った態度で挑み、自分の考えを子供に刷り込ませることから始めるべきである。大抵の親は、自分の考えを子供に強く押しつけると、子供が嫌がるか、子供が自分と同じ考えになってしまうと思っているかもしれない。だが、子供がある程度嫌がるのも無理はないし、逆に子供はそこまで染まりやすいものではない。おそらく、親以外にも、他の大人からも色々と影響を受けていくことが出来るだろう。そうやって、子供は親をはじめとした大人たちから色々な考え方を押し付けられて、自分の中に意志を作っていくのである。そうして作られた意志は強い。

いまの大人たちは、多分気が付かないだろう。子供の個性を育てよう、などと思って、自分は子供の伸びる方向を出来るだけ決め付けないようにしようとしている。そういう風にして育った子供が、自分の自我が不完全なまま大きくなって、自分探しにハマったりするのである。

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いまの世の中はやがて収束に向かうだろう…か? 収束するには、まず強い自我を持った人間が沢山生まれる必要がある。そして、そのような人間たちを茶化すような風潮を無くすことである。いわゆる「しらけ」たムードを作らないことである。そのためには、テレビ番組をなんとかする必要があるだろう。テレビも、人を茶化すという自我を出しているのだが、互いに相手を茶化し合って安定する自我を持つのはどうだろうか。…それも良いかもしれない。というか、いまはそういう世の中になってきているのだろう。

テレビを見て育った若者は、相手を茶化すことによって自分の自我を保っているのだから、彼らが大人を馬鹿にするのは仕方がないのである。


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gomi@din.or.jp