178. 大学 (2020/01/19)


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自分は工業大学みたいな大学に行ったので、あまり青春を謳歌するのとは無縁の学生生活を送った。もし生まれ変わったら、早稲田みたいな私立文系でサークル活動が盛んで全国から色んな人が集まってくる偏差値が高い大学で授業そこそこにバイトしながらちょっと変わった仲間たちと楽しい学生生活を送ってみたい。ほんと(いやちょっとウソかな)。

ということで今回は大学についての一般論から個人的な経験まで色々書いていきたい。

■一般教養

まずそもそも大学に入った方がいいのかという点なのだけど、自分について言えば入って良かったとは思っているけれど、別に全員が入った方がいいかというとそういうわけでもないと思う。

一般教養は本を読んだ方が早いと思う。ただ、どういう本を読めばいいのか自分だけでは分からないので、大学でどの本が重要なのかを知ることができてついでに内容を解説してもらうのだと思えば意義はあると思う。いわば勉強の仕方を習うというのだろうか。

自分の中で一番重要だと思えた本はトーマス・クーン「科学革命の構造」だった。これは哲学の講義で出てきた。科学をやっていくうえでまだ確かめられていないことを「仮説」と呼ぶけれど、その時々においていちいちこれは仮説だとか言わないよね、天動説が信じられていたときはそれが事実だという前提でみんな考えていたよね、そんな事実同然のことを「パラダイム」という用語で呼ぼうね、っていう科学史家の考えが書かれているだけのことだ。別に生きていくうえでこれを知っていたからといって何がどうというわけでもないし、これが正しいとかいう話でもない。こう考えるとそれっぽいよねみたいな(笑)。

あとデュルケム「社会学」で、いわゆる社会学の創始者が書いた本なのだけど、結構泥臭い内容で、学問というのは神が作った道を暗中模索しながらたどっていくものではなくて、実験や調査をしながらなんとか結論を見出していくものであり、その結論すら役に立つかどうか分からないし適切かどうかすら分からない、みたいなことが読んでいて分かった。あと、社会学のことを哲学の先生が「失敗した学問」だと言っていたことが印象に残っている。これは一面では正しいと思うけれど、数学や哲学みたいな良くも悪くも「失敗とは無縁の学問」とは違うのだからしょうがないと思う。あと、社会学の先生が面白い人で人気があったから哲学の先生が嫉妬していたのかも(笑)。社会学の先生は江川紹子の後輩だと言っていた。

大学に入ってからも理系は数学をやるのだけど、高校でやった微分積分や代数幾何をさらに発展させた果てしない世界が広がっているのだということを知ることが出来た。もっと踏み込んで言うと、自分はこの先に行く必要はないのだということが分かった(これは無意味だったという意味ではなくてどこまで自分にとって必要なのかを知ることが出来たということ)。ちなみに大学でやる線形代数はディープラーニングや3DCGをやっていくには知っておいたほうがいい学問で、高校でやった行列をさらに発展させたものとなっている。ただ、知らなかったからといって理解できないというわけではなくて、知っていたら理解しやすいし、自分のやり方を論文とかにまとめるときに便利というか共通言語として必須だというぐらい。これも教科書を読めば独学できるかもしれないけれど、自分は試しに高校の頃に確率統計の授業を取らずに独学してみたら思ったより捗らなかったのでどちらかといえば授業を受けたほうがいいと思う。

物理実験や化学実験もやった。物理実験なんかは重りを自由落下させて重力加速度を測るなんていう高校でもやったことをまたやった。といっても大学の実験の違うところは、実験結果をちゃんと検定するところ。物理というか確率統計だろうか。エンジニアリングの基礎であり、文系のなんちゃってエンジニアとの違いがこのあたりから出てくる。

英語もあった。普通に英語の授業だった。長文読解だけど授業もテストも緩かった。でも英語はちゃんと身につけておかないと、輪講で海外の本をみんなで回し読みするときとか論文を書くための参考文献を読むときに必要になる。大学院に行く人は修士の一部や博士の多くで英語での論文執筆が求められると思うけれど、参考文献を読んで同じような書き方をマネすればいいだけなのでそんなには難しくないと思う。

以上のようなことは、社会に出て普通に仕事をしたり友達と会話したりする中ではほとんどまったく役に立たないし話題にも上がることもない。数百万の授業料と最低4年の時間を費やす価値があるかどうかは各自で判断するしかない。

■就職予備校

自分の出た電気通信大学は有名企業への就職率では日本有数だったので大学の恩恵はおおいにあったと思う。自分はそういうの無視して派遣会社に入ったから分からないけど(笑)。自分は親への義理立てで超有名な大手メーカーの推薦を取りに行って失敗したのだけど、就職担当の先生がすぐに別の大手有名メーカーの名前を挙げてまだまだ推薦いっぱい余ってるよと教えてくれた。

理系でいい就職をしたければ修士まで出ていないといけない。自分は学卒なので分からないけれど、修士に行くと大学にもよるだろうけれど学外での研究発表や英語での論文執筆が求められる。まあ研究発表といっても限られた狭い世界での研究会とか雑誌とかだし、先生の研究の手伝いやちょっとした派生ぐらいだし、理系英語はそれほど難しくないのでそこまで大変ではないのだろうけど、自分は早く自分の力で稼いで好きなものを買いたかったし、大学院というものにまったく必然性や憧れを抱いていなかったので行きたいと思わなかった。当時親しかった同じ情報系に進んだ友人が早稲田の修士に行ったのだけど、大学院については「自分は行ってよかったと思っている」としか言わず、どのあたりが良かったのか分からなかった。ICUからアメリカの大学の博士まで行った友人も特に大学について何か言うことはなく、卒業してしばらく研究活動して「一定の成果を上げたから帰ってきた」ぐらいの話しか聞いていない。ちなみに早稲田修士の友人は超大手有名メーカー(リストラでも有名だけどw)の研究所に、ボストンのどこかそれほど有名でない大学で博士をとった友人は非正規で日米欧を研究員として渡り歩いたあと四十過ぎでやっと日本の高専に正規雇用されて数学教師をしている(肩書は准教授)。

慶応の商学部を出た友人は同じ慶応卒の社長に気に入られて大手アパレルメーカーに就職したけれど、慶応は高偏差値もそうだけどコネが強いので大学一般に当てはめるべきではないと思う。

以上は勝ち組で、他に当時友人はいたけれど就職氷河期だったのでその後の進路についての話はほとんど出ず、互いに気まずいのか関係も疎遠になっていったのでよく分からない。というかそもそも当時の私の友人は自分が声かけて集まっていたグループだったので、私が声を掛けなくなったらそのグループは自然解散してしまった。みんなそれぞれ他のグループにも参加していたんだとは思う。社会人になってからは東経大(東京経済大学)を出た友人から毎週遊びの誘いが来たので遊んでいたけれど、彼は身体障がい者で普通の企業ではなくNGOに就職した。ちなみに東経大は家から一番近かったのが大きかったとのこと(歩いて行ける)。

いまは人手不足で新卒は引く手あまたなので就職はしやすくなっているらしいけれど、そもそも子供の数が最盛期の半分ぐらいまで減っており、一方で大学の定員はそれほど減っていないので、大学は出ていて当たり前というのが進んでいるんじゃないかと思う。

自分はいま大手ITグループの子会社にいるのだけど、発展途上だった頃に入ったと思われる専門学校卒の人が少しいるものの、いまの新卒の平均的な学歴は大体日東駒専(日本大・東洋大・駒沢大・専修大)ぐらいだと思う。最近自分の部署に配属された新人の中で学歴高めの人は埼玉大学の修士卒や関西学院大の学卒で、下(失礼)は大阪電気通信大学の人がいたけれど、みんな受け答えがはっきりしていて仕事が出来そうな感じがした。まあ2〜5年以内に辞めるか別の部署に異動していくのだけど(笑)。あと出身校は必ずしも公言しなくていいので分からない人もいる。自分のとこはそんなにいい会社ではないのだけど給料は安いながら残業は全部つけられるしパッケージソフトを自社開発したりよそから売り流したり直受けから最低でも孫請けで仕事しているので、このくらいの会社に入るには日東駒専や産近甲龍ぐらいは出ておいたほうがいいのかもしれない(超適当)。コミュニケーション能力が低いというかあまり口が達者でなければさらに上の学歴を身につけていないと厳しいと思う。

学部によって就職のしやすさが大きく変わる。IT企業は就活学生の掃きだめなので就職しにくい農学部や化学系なんかで偏差値の高い大学を出ている人を結構見かける。あと文学部は一番就職しにくいらしい。理系は機械や電子が強いみたいだけどメーカーは待遇があまりよくないのでいまは人気が低い。理系で学力の高い人はみんな医学部を目指してしまうのが日本のダメなところ。文系だと法学部が王道で、経済学部とか経営学部とか商学部、あと国際関係なんかも商社に入りやすそう(よくしらないけど)。ちなみに東大の文一よりも文二のほうがいまは人気があるみたいで、文一で法学部から官僚を目指すよりも文二で経済やって外資系のコンサルティング会社を目指すほうが得だと思われているらしい。で文三の人文系(?)は趣味の世界というのは変わらず。

■交友

自分は大学では三人しか友達を作らなかった。

一人はコンピュータ室でよく会って親しくなった人で、七台ある中ボス機(?)のどれかをよく使っている人だった。私の大学のコンピュータ室は虹の七色ごとに二十台ずつぐらいに分けて端末が管理されていて、それぞれを管理する各色の00号機は他のマシンより性能がいいので彼はよくそれを使っていた。ちなみに自分はあまり目立たない隅っこにある端末をよく使っていたけれど、彼を見つけたらその隣に座ったりしていた。彼はプログラミングの技術的にはそれほどではなかったと思うのだけど、色んなフリーソフトウェアを知っていてよくビルドして使っていたので色々教えてもらっていた。その中のIRC(Internet Relayed Chat)というチャット用のソフトは自分もよく使うようになり、しまいにはRFCを読んでクライアントを実装したこともあった。ここでは詳しくは説明しないけれど要はネットで文字を使って会話するソフトだと思ってほしい。

そんな彼が突然事故死した。第一報はそのIRCで全然知らない理科大の人から聞かされた。ネットかリアルか知らないけれど彼の友人だったのだと思う。その後、クラスの連絡網が回ってきて希望者で葬式に行くことになった。家は神奈川県の奥のほうだった。同世代の親しかった友人が死んだ経験はいまのところ彼一人だけだ。衝撃的なことだったとは思うのだけどそれほどショックは受けなかった。

もう一人は専門科目の教室の最前列でよく隣になった人で、主に講義の話をよくした。それ以外のプライベートなこととかは結局ほとんど話さなかった。

最後の一人は入学直後の自己紹介でDTMやってると言っていたので声を掛けて、互いに作った曲を聞き合った。彼は古代祐三の大ファンで、彼からCDを借りたり影響を受けて自分で買ったりもした。古代祐三はテレビ東京のゲーム番組「勇者ああああ」で誰かが取り上げていたが「アクトレイザー」や「イース」なんかの作曲家・サウンドエンジニアとして知られている。久石譲(天空の城ラピュタなど)の弟子でもある。一方で自分はアメリカのロックバンドDREAM THEATERを紹介してCDを貸したり布教用のをあげたりした。気に入ってくれたみたいで、後日キーボードのケヴィン・ムーアが抜けたときにキーボード雑誌のインタビューのコピーをくれた。

高校と同じように大学にもクラスがあって、そのクラス単位に英語の授業とか体育の実技なんかを受けていた。そう、大学にも英語や体育があってクラスがある。選択科目だけじゃなくて必修科目があるのだからクラス分けがあるのだ。まあ自分の場合はたまたま学科で一学年に二百人もいたのでクラスが三つに分かれたのだけど、小さいところは学科や専攻がそのままクラスみたいなものになっているかもしれない。

■高学歴の定義

ネットでの高学歴の定義は様々で、極端なほうから順に以下の考え方があると思う。

  • 海外有名一流大学のみ(オックスブリッジやアイビーリーグなど)

  • 東大と国公立医学部

  • 旧帝一工(東大・京大・阪大・名大・東北大・北大・九大・一橋大・東工大)

  • 早慶上理ICU(早稲田、慶応、上智、理科大、国際基督教大学)

  • 筑波横国千葉神戸金沢…+外大芸大…

  • GMARCH(学習院大・明大・青学・立教・中央・法政)+関関同立

  • 日東駒専+産近甲龍

    ここまでは「頭いいんだね」と言われる可能性があると思う。

    東大は一学年が五千人ぐらいいる。一方で日本の高校生は一学年で百万人を切ったぐらい?大学の進学率は半分ぐらい?ともかく東大京大+全国医学部で上位1%ぐらいだったはず。この程度(?)の人は日本で毎年一万人以上生まれていると考えるとあまり大したことがないように見える。旧帝一工+早慶上智ICU理科大+主要国公立で上位一割、GMARCHと関関同立を加えると上位二割、日東駒専産近甲龍も加えて上位三割ぐらいだろうか。学部によっても違うから、たとえば日大でも医学部は旧帝一工クラスだし理工学部はGMARCHぐらい。高学歴と呼んで異論が出にくいところなら旧帝一工と早慶ぐらいまでだろうか。学歴を求める企業や婚活サービスのフィルターが大体そのぐらいに設定されていることからも分かる。まあ最近は推薦がやたら多いのであてにならないけど。自分の感覚では筑波大ぐらいまでは高学歴だと思う。慶応に行った友人は商学部しか受からなかったので当初は千葉大に行く予定だったと言っていた。

    偏差値というのは母集団によって変わってくる。私立文系はもっとも母集団が大きいので偏差値が高くなりやすい。なぜならとりあえずなんでもいいから大学に行きたいという人も含まれるから。高校までに全体の七割の学生が数学についていけなくなると言われているので、理系の母集団は平均的に学力が高く、したがってその中だと偏差値が低く出やすい。先に低偏差値な大学として大阪電気通信大学を挙げたけれど、偏差値三十台とはいえ理系のみなのでその時点で上位三割いや四割ぐらいには入っていると思う。また、より多くの受験科目が必要となる国公立は最初からあきらめる人も多いためやはり偏差値が低く出やすい。

    医者の収入が高いせいで学力の高い人が医学部に集中している。とてもいびつなことだと思う。自分は医者になりたいなんて全然思わないけれど、やっぱり世の中収入なんだろうか。医者なんて本当に高度なことをやっているのは一握りだと思う。准医師とか作ってもっと医者を増やせばいいのにと思うけれど、そもそも医師の数を絞っているのが日本医学会で、政治家に大量に献金してこの仕組みを維持しているらしい。よく知らないけど。弁護士みたいに平均収入が大幅に下がることを恐れているんだろうか。頭のいい人が多くの時間をあまり頭使わないことに使っているのが日本なのだった。まあひょっとしたら学力だけあるような人をうまいこと医師という職業に隔離できているのかもしれない。

    ■国公立と私立

    国立大学(いまは国立大学法人だけど)の学費が上昇し続けた結果、文系だと学費はほとんど変わらなくなってしまった。理系ではまだ差があるけれどそれでも感覚的に1.5倍ぐらいしか違わない(医学部とか寄付金とかは除く)。でもそれ以外に教員一人あたりの学生数に大きな違いがある。二十年以上前の話だけど、早稲田の情報系に行った友人は一つの研究室に四十人ぐらい学生がいると言っていた。国立の自分とこは早稲田より偏差値が低いけれど平均十人ぐらいだった。

    いまは教授の下が准教授という役職になっているけれど、一昔前は助教授という肩書が一般的だった。というのは、旧帝大クラスの大学では教授一人に助教授二人に助手何人かで研究室なりゼミなりを構成していたから。自分とこは助教授と助手の二人で一つの研究室をやっていて学部生が八人に修士が一学年に二人ずつぐらいいた。ちなみにその助教授は私が卒業した直後に早稲田に移った。

    教育環境や経済的な面で言えば理系なら国公立のほうがいい。ただし筑波横国千葉大なんかより下の電農名繊(電通大・農工大・名工大・京都工芸繊維大)クラスだったら早稲田や慶応や理科大なんかのほうが教員や学生の質は高いと思う。教員は実績のある人をかき集めているし(旬が過ぎていたりもするけど)学生は東大とかに落ちて仕方なく入ったような人も多いから。

    文系は官僚を目指すなら東大が一番有利で、有名企業への就職なら一橋が圧倒的だけど、それ以外は私立とくに経済界へのコネが強い慶応が有利っぽい。

    ■受験勉強

    まず自分が勉強できなかった点について述べると、数学と物理に関しては問題のパターンを軽視していたと思う。自分はどんな問題にも対応できるよう原理原則や解法の導き方を身につけようと思っていたけれど、そんなものは実際存在しない。ないと言えないことはないけれど、そういうのはほとんどすべて知っている人が後付けで言っているに過ぎない。数学には「センス」が必要だと言われるけれど、パターンを知っていることが「センス」と言われるだけのことだ。たとえば幾何学だと補助線を引くことが重要になることが多いけれど、どうやって補助線を引けばいいのかはパターンを当てはめるか総当たりでやるかしかない。代数学は式の変換がパターンだし、解析学はそれに加えて計算があるだけ。自分はそんなパターンをあえて無視していたので、分からなかった問題の答えを見ながら、いかにこの問題をパターンなしの何か一般的な考え方で解けないか考えることに時間を費やしていた。正直これはマイナスの勉強法だったと思う。

    英語はさすがに単語は覚えないとしょうがないのでがんばって覚えたけれど、それ以外は文法しか重視していなかった。英語の授業で先生が毎回毎回英文を何本か丸暗記をしろと言ってきたけれど、こんなことやってもしょうがないのにと思いながら嫌々やっていた。これも言語は文法ありきなのではなくて実際の文章や言い回しがすべてなので文法なんてむしろ習わないほうがいいんじゃないかと思う。

    国語と社会はセンター試験にしか必要ないので最低限しか力を入れなかった。国語は文学史は完全に捨てた。覚えたってしょうがないことはいくら受験に必要だからといっても拒否した。世界史も年の暗記は基本的にやらなかった。歴史は流れが大切なので年をきっちり覚える必要はないように思うかもしれないけれど、たくさんの流れがあるので年を覚えておかないと細かい流れが分からなくなってしまう。特に地域が異なる出来事を平行して捉えるには絶対に必要になる。

    一方で自分が成功した点について挙げると、まず計算がきっちり出来たこと。小学三年生ぐらいまで公文式をやっていたので計算が苦にならなかった。計算は数学や物理だけでなく化学にも使う。四桁五桁の掛け算や割り算を確実にこなせるだけでだいぶ違ってくる。これは習うより慣れろでひたすら反復するだけで身に着く。百ます計算みたいなのはやっておくといいと思う。

    さきほど数学や物理はパターンだと言ったけれど、逆にパターンを当てはめたあとは地道な解法が必要になる。パターンに頼らずやろうとしたことで、原理原則を使って解く力はついた。

    英文の丸暗記はしなかったけれど、イディオム(慣用句)の重要性を教えてくれた人がいたので単語と同じように我慢して覚えた。

    世界史はひたすら教科書を読んだ。当時よく授業中に腹が痛くなり、後日ピロリ菌のせいだと分かって治療したのだけど、一度腹が痛くなると授業を集中して聴いていられなくなるので、そういうときは仕方なく世界史の教科書を読むようにしていた。慶応行った友人が山川の教科書を勧めてくれたけど結局買わなかった。

    ■入学試験

    大学入試センター試験いわゆるセンター試験が今年度で終わるらしい。自分は東京学芸大学に一人で受けに行ったのだけど、たまたま現地で出会った友人と話していると朝日新聞の記者を名乗る人がやってきて取材したいと言ってきたのでちょっと会話した。私立は学費が高いから国公立志望だと言っておいた。当時うちは朝日新聞を取っていたので翌日の朝刊を見たらセンター試験の記事があって東京学芸大学で取材したと書いてあったので、自分たちは取材対象の何人かの中に入っていたのだと思う。東大とかもっと都心の会場で取材するものだと思っていたので意外な感じがした。

    もしセンター試験がなかったら、文系の人は理系科目を全部捨てちゃいそうだし、理系の人も文系科目を捨てちゃいそうだから、なんだかんだでセンター試験は日本人の学力を守ってきたと思う。

    今後は大学入学共通テストとなり、一言で言えばもっと考えて解かせようとする問題になるらしい。ベネッセや天下りの問題が露見したように、この入試改革の一番の目的は官僚組織の利権拡大だと思う。センター試験は、特定の科目を捨てるような人をふるい落としつつ中低位大学の入学試験を兼ねるという大きく二つの目的さえ果たしていればよく、余計なことはするべきではないと思う。でももしうまくいったら各大学で個別に入試問題を作る必要がなくなるかもしれない。いまのところそんな気配はないけれど。

    まあそれ以前に大学が増えすぎだし勉強しない学生が多いので大いなる無駄だと思う。でも逆に研究費が減らされてどんどん論文の数が減っているとも聞く。一体なにが悪いのだろうか。素人考えだと文系の学問は一部の金かかるやつを除いて全部趣味にしちゃえばいいと思う。

    第二次ベビーブームの頃は学生が二百万人以上と今の倍いたので競争が激しかったけれど、一方で最近のゆとり教育だなんだと経てきた学生のほうがセンター試験で問題が難しくなっているにも関わらず平均点が高いというのをネットで見た。学生の質というか教育のレベルは時を経て徐々に上がっているんだろうか。それは今後の産業や研究の分野での日本の地位がどうなるかで明らかになっていくと思う。

    *

    今後深刻な人材不足が進み、SNSにより世界的に日本の劣悪な労働環境が広まり移民が集まらなくなったら、一体どうやって日本を維持していくのだろうか。やっと色んな無駄が見直されていくんだろうか。まあとりあえずAI化が進みそうではあるので、民間のたとえば銀行あたりから人員削減が進む一方で、税金で養われている公務員やみなし公務員や団体職員なんかは相変わらずぬくぬくとやっていくんだろうか。


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    gomi@din.or.jp