174. 子供向けと大人向け (2013/10/09)


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よくこれは子供向けとか大人向けとか言われるが、いったいなにをもってしてそのように言われるのか、感覚的になってしまっているように思う。そこで今回は、どういった作品が子供向けでどういった作品が大人向けなのかを説明するとともに、子供ウケあるいは大人ウケするにはどういった作品でなければならないのかを解き明かしていきたい。

■子供向けとは

まず「子供向け」という言葉をここで使うにあたって誤解を避けるために断っておくが、「子供向け」とは子供が好みそうなものという意味ではない。子供っぽい人が好みそうだという意味でもない。じゃあなにかというと、精神分析学的に言うと自我の全能感を満たしてくれる作品のことだと思う。なんだそれ。

ひらたく言うと、思った通りの展開になるような都合のいい話だったり、なんでも出来る主人公や力強い存在に自分を重ね合わることができたり、ありえないような理想をひたすら追求できるような世界が繰り広げられていたりする。

強い敵が次々と出てくるけれど主人公は仲間と協力しあってそれを打ち破っていく。勝者の数だけ敗者もいるのだから、確率的に考えると勝ち負けは半々のはずなのだけど、子供向けの作品は主人公が大体勝つ。たとえ負けたとしても、再びチャンスが巡ってきて最後には勝つ。世の中、どうしても勝てない相手がいたりするものなのだけど、子供向けの作品に限ってはそれがない。

子供は鉄道が好きだ。ロボットが好きだ。ヒーローが好きだ。とにかく強いものが好きだ。強いものというのはその存在自体が憧れの対象となり、ただ強いというだけで子供に好かれる。普通に考えると、自分とまったく関係のない強力な存在がいたところで、自分にとってまったく利がないのであれば好きになる理由はない。物語のヒーローは誰かを助けてくれるが、読者自身を助けてくれるわけではない。じゃあなぜ好かれるのかというと、おそらくその力強さを自分に重ね合わせることが快感なのだと思う。子供がヒーローごっこをしたがるのもそのせいだ。子供に限らず老人だってそうだ。もう終わってしまったけれど、「水戸黄門」なんていうのは子供向けの側面も持っていると思う。

ありえないような理想なんてものは、そもそも存在しないのだから読者にとってはなんの利もない。しかし、そうであったら素敵だろうなあと想像して楽しむことができる。なぜそんなもので楽しめるのかというと、母親の胎内にいたころのうんたらかんたら…。現実に存在しないようなアニメの美少女とかグラビアアイドルの偽乳や、身近に存在しないアイドルなんかを好きになるのも子供っぽい嗜好だと思う。

ここまで説明してきて分かるように、子供向けのものが必ずしも子供っぽいわけでもなく、大の大人にも同じような趣向がある。

■大人向けとは

じゃあ逆に大人向けとはなんなのか。一言で言えば「なぐさめられるもの」だと思う。なんだそれ。

恋愛ものだったら、主人公が失恋する。あるいは、理想的な美少女を追い求めるのではなく、手近に得られそうな女で妥協する。好きだった相手の化けの皮がはがれてきて汚い面が見えてくる。思い通りにならない展開と、どうにもならない現実。

普通に考えてこんな話を誰が読みたがるものかと思ってしまう人もいるかもしれないけれど、そんなことはない。読者がこれまで体験してきたことを追体験させることで自己肯定感が得られる。自分と同じようなことを経験した主人公に対して深く共感する。

なんでもうまくいく子供向けの作品に対して、なんにもうまくいかない大人向けの作品のほうがより現実的で成熟しているように見えるけれど、なんてことはない単に読者がなぐさめられているだけだ。むしろ、かなわない理想を追い求める子供向けの作品のほうがポジティブで価値が高いんじゃないかと思えてくる。しかし、大人向けの作品は読者が自分自身を立脚点としているのに対して、子供向けの作品は読者自身が切り離されていて無関係になってしまっている。

人間、歳をとってくるといろんな経験を積んでいるので、過去の経験に照らし合わせて感情が呼び起されることが多くなる。失恋なんて決していい思い出ではなくて思い起こしたくもないかもしれないけれど、それを経験したときの感情の高ぶりが、作品を鑑賞するときに重ねあわされることで、言い方は悪いけれど読者が勝手に作品を補完してくれる。逆に言うと、経験に乏しい人が読むとあまり楽しめない。

■間違っている作品

以上を踏まえて、世にある作品を眺めてみると、作り方が間違っている作品があふれているように見える。それを個別に見ていきたい。

▽都合がよすぎてバカバカしい話

主人公が当たり前のように勝ち続けてしまうと、それは主人公が強いのではなくて敵が弱すぎるのではないかと思われてしまう。まず敵がどれだけ強いのか、状況がどれだけ厳しいのかを読者に分からせた上で、主人公の強さを見せつけるのがいい。

▽感情移入できない主人公

子供は鉄道とかロボットが好きなぐらいだから基本的になんにでも感情移入できるのだと思うかもしれないけれど、それらはむしろ無機質だからこそ感情移入しやすいのだと言える。ヒーローにあこがれるのは自分と重ね合わせることができるからだ。だから、自分と重ね合わせることを拒否するかのような存在に対しては全能感を抱くことができない。

▽理想を抱けない

人間、憧れの感情を持つのはよほどの対象でなければならない。マンガやアニメにはありえないほど胸の大きい女性が出てくる。あれはさすがに引くし現実にはほとんど存在しないからと控えめにしてしまうと読者は理想を抱くことができなくなる。理想はなるべく現実の枷を離れてとことん突き詰めるべきだと思う。限度はあるだろうけれど。

▽とにかくつらい話

読者をなぐさめるどころか、ひたすら傷口をえぐるかのような、とにかくつらいことばかりの話は読んでいても楽しくない。つらかった中での希望が必要だと思う。読者はあくまでなぐさめられることを望んでいるのだから、どのポイントでなぐさめるのか意識しないといけないと思う。たとえば失恋話だったら、主人公が失恋したらそこで見守る視線を保つのが一番正しいと思う。下手に暖かい視線だとウソっぽいし、かといってさらにどん底に落ちてしまうと救いがない。つらいめにあった人をなぐさめるのが難しいように、大人向けの作品を作るのも同じように難しいのではないかと思う。

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もっと一般的な広い範囲で「面白い話とつまらない話」といったテーマで最初書こうと思ったのだけど、範囲を絞った方が系統だっていて書きやすいのでとりあえずそうしてみた。本当はもっと他にも書きたいことはあったのだけど、別の機会に回す。たとえば、最近やたらと脇役や敵役の過去をフラッシュバックする風潮が目に余るのだけど、あれはいったいなんなのだろうか。今回のテーマに当てはめると、感情移入しにくい人物を読者の代わりになぐさめることになって、わけがわからないと思う。あ、意外となんでもこのテーマに当てはめられるのかも。でもいまどきの読者は、主人公以外にも敵に対しても簡単に感情移入できるのかもしれない。ただ、こういう「敵とも分かり合える」感覚はいわゆる「甘え」であって、一見多角的で大人のモノの見方のように思えて、実はとても子供っぽいものであることを言っておきたい。


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gomi@din.or.jp