161. 口は災いのもと (2007/6/10)


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私は口が軽い。何か起きるのか楽しみで、ついつい余計なことを言ってしまう。

■職場のおっさんT

私よりふたまわりぐらい年上の中途で入ってきた気さくなおっさんTがいた。この人とは普通に親しくしていたし今もいい関係なので本当は先輩Tさんと呼びたいところだが、イメージを喚起しにくいだろうからあえておっさんTと呼ぶことにする。

▽女帝

このおっさんTはおっぱい星人だと自認していた。解説は不要だと思うがおっぱいが大好きな人のことをおっぱい星人と呼ぶ。そんでもって当時私たちのプロジェクトが占有していた部屋の隣に、おっぱいの大きい女の先輩Kさんがいた。ややおかっぱっぽい犬系の顔だちをした気の強そうな人で、私たちとは部署が違うのだが私はなぜかこれまでに飲み会などで何回か話をしたことがあった。私はこういう気の強い人に惹かれるので彼女の存在が気になっていたが、まさかおっさんTが彼女の胸に釘付けだということに気づかなかった。初めておっさんTがおっぱいについて語るのを聞いたときは、純粋にへええと思っただけだった。

あるとき私とおっさんTの二人で喫煙所にいたら、おっぱいの大きいKさんと一緒に仕事をしている男も同席していた。私たちは普段部屋が隣同士なのでよく目を合わせてはいるのだが、これまで一度も互いに仕事の話どころか世間話すらしたことがなかった。そこで私は思い切ってこの人と仲良くなるために、隣室の男に対して突然こんなことを言った。

「TさんがKさんのことを気になっているみたいですよ」

すると男はニンマリとしつつも同情的な目をおっさんTに向けてこう言った。

「マジですか。やめておいたほうがいいですよ。女帝です彼女は」

とその場はなごやかな会話が成り立ち、私たちも打ち解けることが出来てめでたしめでたし、私はいいことをしたと一人満足していた。

しかしあとでおっさんTから「ゴミさん言っちゃうんだもんな」とちょっと弱った様子を見せつつ苦笑していた。そんなに私をとがめてはいなかったと思うが、困った様子をしていたのは見て取れた。私はちょっと悪いことをしたのかなぁと思った。

▽Y次長によるセミナー

私のすぐ上の上司はY次長という真面目で冷徹なことで恐れられていた人だった。最近は人が丸くなったと言われているが、長くここにいる人ほどY次長に対して複雑な思いを持っている人が多かったように思う。

この人の特徴は、会社が企画している社内研修などとは別に、部での啓発のために自分がカリキュラムを作って月に一回ビジネスについてのブレーンストーミングなどの考えさせる授業のようなものをやっていた。ただしそれは自由参加で、とくに仕事が忙しい人なんかは出席しなくてもよかった。私はそれなりに面白く感じていたので毎回出た。

ある月のY次長の授業の日、私は当然のごとく参加すべく大会議室へ向かおうとしたが、私が一緒に行こうと声を掛けたおっさんTは今回はパスするという。理由を聞いたところ、なんか面倒だということだった。道連れの欲しかった私は彼の欠席を少し残念に思ったが、特に気にせず会場に着いた。

例によって人の集まりがいまいち悪かったようで、Y次長はオフィスにいた人の名前を何人か挙げては、あいつはまだ来れないのかとその場にいる人に聞いていた。Y次長はおっさんTの名前も出したので、それに対しては一緒に仕事をしている私が答えるべきだと思ったので答えた。ただし余計な一言を加えて。

「Tさんは来ないそうですよ。面倒くさいからって」

語尾は冗談っぽく半笑いで言っておいた。

▽ネットゲームと顧客

それから時を置いて、私とおっさんTはキャバクラ好きの気さくなお客さんSと仲良くなって、仕事が一段落したときにうちのおごりで飲みに誘って一緒に飲んだ。そのときおっさんTに故意なく意趣返しされてしまった。

私とお客さんSとはファイナルファンタジー11というネットワークゲームをやる仲だった。ただしサーバが違うのでゲームの世界で会うことはなく、ただゲーム関係のネタで時々雑談をするぐらいだった。もしこれが同じサーバだったらゲーム中に仕事の進捗とか聞かれそう、というネタが出来たのでしばらくこのネタを他の人に使った覚えがある。

でもって私とお客さんSとが一番意気投合したのは、私がリンクシェルというゲーム内の仲間同士の集まりから追い出されたときの話をしたときだった。私のこの自虐ネタに対してお客さんSは大いに食いつき、自分にもそういう経験があるということを語りだした。この人はウルティマオンラインというゲームで数十人のグループのリーダーもしていた人だったが、最近ではキャバクラで知り合って結婚した嫁さんと二人でリネージュ2という当時新しかったゲームをやっていたときに、やはりそこでも自分でグループを立ち上げて運営していたのだが、嫁さん関係の何かトラブルが起きて二人とも自分が立ち上げたグループから追い出されてしまったらしい。その話をお客さんSは笑いながら私に話してくれたが、私もその話に笑いつつこの人の心中が単純ではないことを自分の経験に鑑みて推し量っていた。

だからこの話題は私とお客さんSの間だけに収めておけば良かったのだが、調子に乗って私はおっさんTにもしゃべってしまった。そして後日おっさんTが飲みの席でお客さんSにその話を振ってしまったのだ。その瞬間私は、おおげさかもしれないが直感的に、お客さんSとの関係は終わったなと思った。これは私の自業自得である。

ちなみに事実から言うとその後もお客さんSとの関係は続き、実際のところなんてことないようであった。ただ、個人的に飲みに行くような関係はあれから作れなかったし、次の仕事を最後に関係は途絶えてしまった。

■Y次長ネタ

ちょっと余談になるがY次長関係で面白い話があるので語っておく。

私はY次長のことが決して嫌いなのではなく、むしろ興味深い対象としてなるべく距離を置いて見ている。さすがに組織上直属の上司なのでそんなに距離を置けないし、私も何度か衝突したことがある。だからよく同僚にY次長の悪口ネタを出して盛り上げることにしている。なぜかというと、なかなか他の人はY次長の悪口を表立って自分から言わないからだ。

というのは恐らく、Y次長が仕事の出来る人だということは多くの同僚が認めるところであり、怒られても自分の方が悪いのだと思っている人が多いのかもしれない。Y次長は時に冷酷でよく人を叱る。この人の厳しい言葉が心理的な負担となって半年ほど休職したあげく他所の部署に移っていった人もいるぐらいである。Y次長は赤い血が流れていない、などと真面目な顔をしてギャグを言う人までいた。しかし普段はなかなかY次長を揶揄する言葉が聞かれないのだ。だから余計私は彼らの正直な気持ちを表に出させてあげたくなる。

そこで同僚の誰かがY次長に関することで何か問題が起こると、私はわざと「ほんとにY次長には困ったもんですね」と言って笑みを浮かべて相手の同意を促すことにしている。すると同僚は大体苦笑する。もうY次長の存在は私にとってギャグのネタとなっているわけである。

一方Y次長のほうは、攻めは強いが守りに弱いようなところがあって、恐らく私の見立てでは内心部下からどう思われているのか気にしているところがある。以前とても残業のきついプロジェクトがあって、私たちが代表を立ててY次長と正式に日時と場所を設定して話し合いの場を設けたときも、表向きは平静を装っていたが部下たちが反乱を起こしたと思ってあせっていたのではないかと思う。

話し合いは二時間以上にも及んだため、疲れたなあと思って途中で私が「いったん休憩にしませんか」とごく当たり前のことを言った。このとき私は自分たちの余裕を見せる演出も狙ってこのように発言した。ひょっとしたらこのことが、裏で糸を引いているのは私、みたいな印象付けをしたかもしれないと考えるのは穿ちすぎか。実際には一番年配で性格の温厚な先輩Fさんが企画したことだ。

ちなみに私はこの先輩Fさんとは割と仲がよく、私がその後ほかの部署に移ったあとで、私に対してこんなことを言った。

「Y次長のもとを離れられなくて苦労している人や、Y次長のもとを自分から去っていった人はこれまでに何人もいたけど、Y次長自らが遠ざけた人はゴミさんが初めてですよ」

ただしこれは噂が先行しているところがあって、私が部署を移ったのは異動先の部署のほうが当時やっていた仕事での顧客との関係が深かったからであり、Y次長はあらかじめ部署異動について私に同意を求めてきたので私は自分で首を縦に振っていた。ところが面白いことに誰もそれを信じていなかった。私も冗談で会う人ごとに「ついにT次長に追い出されました」などと言っていたがこちらのほうが信憑性があったらしい。事業部全体の年に一回の立食パーティで、たまたま真横に人事担当役員がいる席でも、それと意識せず世間話のようなノリで近くの後輩Wにも先の冗談を言ったのだが、その後輩Wがまったく笑わずに真剣に受け答えしてきたので却って私の方が戸惑ってしまったこともあった。その後しばらくしてなぜかY次長が私のもとにやってきてにこやかにどうでもいい話をして去っていったが、因果関係は不明である。

Y次長の性格が丸くなっていった最大の理由は、これと目を掛けた部下たちが次々と退職していったことだろう。先の先輩Fも後輩Wも既に退職してしまった。そんな中で、ひょっとしたら私の自虐的な冗談もささやかながら理由の一つになったかもしれない。

思い出してみると、私がY次長と関係が悪化したのは、辞めていった先輩の一人Mが言い残した冗談を本気で実践したことがきっかけになったと思う。その先輩Mの言った冗談というのはいくつかあって、Y次長の早口をからかったもの、Y次長が考える時間を稼ぐためにわざと部下に分かりきった質問を投げることがあることを揶揄したものなんかがあった。先輩Mはこんなことを言っていた。

「もしY次長が早口でまくし立ててきたら、『もっと速く!』って言ってあげな。喜んでスピード上げるから。『もっと速く!』『もっと速く!』どんどん言ってあげな。そしたらますます速くなるから」

「Y次長が何か質問してきたら、それを質問で返してみるといいよ」

さすがに前者は完全なギャグなので実践しようがないが、後者は心引かれてつい後日やってみてしまった。しかもわざと「質問に質問を返すようですが…」と付けて言ってみた。するとY次長は若干慌てて普段より早口になったあと、私が質問に質問で返したことをとがめるようなことを言ったが、動揺していたのか珍しく噛んでいた。

今年度から組織が統合されて私は再びY次長もとい部長となっていたY部長のもとに組織上いるのだが、初めて定期的な報告をメールで上げたときにこんな返信がきた。

「また一緒に仕事をすることになりましたね。これからもよろしくおねがいします」

これには特に返信は望んでいないだろうと思って放置した。

後日この話を仲の良い同輩にしてみたところ思ったよりウケた。彼もY部長の変化を不自然に捉えているようで、

「きっと上から何か言われてるんじゃないですか」

と言っていた。

■言わないと約束するなら

私は口が軽いが、なんでも節操無く情報を集めたりするわけではない。

ある飲み会の席でのことだ。何か私にとっておきの情報を教えてくれるという口ぶりで、先輩Mが私に対してこんなことを言ってきた。

「絶対秘密にするならXさんのことを教えてあげるよ」

Xさんというのは私より少し年上の男の同僚だ。なんのことだと思ったが、私はきっぱりこう言って断った。

「私は口が軽いからやめておいたほうがいいですよ」

そう言ってなんべんも断ったのだが、この流れを先輩Mは予想できなかったようで、執拗に私にその秘密とやらを伝えようとしてきた。しまいには隣にいた後輩Wがこう言ってたしなめてきた。

「ゴミさんこういうときは聞いとくもんだよ」

しょうがないのでまあ聞いておくかということになったのだが、こういういかにも底の浅いことは出来ればしてほしくないなと私は思った。

ちなみにその秘密というのは、Xさんが精神的にモロいということ、仕事を自分で抱え込みやすいということと、かつてXさんとコンビを組んで一緒に親しく仕事をしていた人の姿形や性格が私と似ていてXさんは私のことを気に入っているということだった。

まあ聞いた以上は仕方ない。せめてXさんになんでも仕事を押し付けないようにしようと思った。しかしその思いは実現が難しかった。

それから日がたって二人で小さな仕事をすることになった。私はXさんが面倒臭がっていた仕事をだいぶ引き受けた。というところまでは良かったのだが、その代わりといって残った調査系の仕事をXさんに全部頼んでしまい、その仕事でXさんは私よりも多く残業することになってしまった。というかそもそもXさんは自分から残業をやりたがったようだった。というのは、Xさんはやはり精神的に弱い女性と結婚しており、この奥さんから仕事中しょっちゅう電話が掛かってくるのだが、Xさんはこの奥さんと家にいるのがツラいらしく、なるべく家に帰るのを遅らせるために残業を多く引き受けるようなのだった。そんなXさんから残業を取り上げていいものなのか。私は何をすればいいのか訳が分からなくなって、そもそも私だって残業したくないので、もうどうでもいいやと思ってこの件については放置することにした。

ちなみにXさんはその後しばらく普通に仕事をしているようだったが、いまは出身地の大阪に異動させてもらって向こうで仕事をしているらしい。ついでにいうと私には一言も無かった。冒頭の先輩Mの話の真偽すら怪しくなってくる。


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gomi@din.or.jp