160. 形にこだわる反復強迫 〜マリア様がみてる(無印)の解説 (2007/6/3)


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今野緒雪「マリア様がみてる」の最初の巻で祥子が祐巳をスールにするまでの流れについて、ファンの集うコミュニティで議論したり質問したりしてみたのだが、どうも私には多くの人が祥子の心情について理解できていないのではないかと思ったので、既に以前サラリと解説してはいるのだが、改めてもう一度詳しく説明してみたいと思う。

ところで文学の研究というのは、こういう風に自分が読み解いた内容を他人に説明して説得する作業だと思っていい。いくら自分で正しいと思っても、他人に伝わらなければしょうがないし、そのためには正しいとか間違ってるとかいうよりも、いかに説得力があるかどうかが重要だ。

■偶然?

祥子が最初に祐巳にスールになれと言ったのは、薔薇の館(生徒会室)の2Fのドア付近で急に部屋を出て行こうとした祥子が祐巳にぶつかってしまってからだ。このとき祥子は祐巳と既に出会ってはいたが、名前は知らず顔も覚えていなかった。つまりまったくの偶然の出会いからいきなりスールを申し込んだことになる。

なぜ祥子はこのとき大事なスール選びをいい加減に行ってしまったかについては解釈が分かれる。

どちらにせよ偶然によるいい加減さがあったことは疑いない。

そして祐巳は祥子のファンなのだが、いい加減に選ばれてしまったことに反発してしまう。

■拒絶

ここで祥子がなぜいい加減な選び方をしてしまったかを考えよう。祥子はこれまでにいくつかの拒絶を受けている。

ここまでひどい拒絶の経験があると、自分が相手に気持ちをぶつけてもまた拒絶されてしまうのではないかと恐れを抱くのは当然だろう。だから自分の気持ちをそのままぶつけることをつらく感じるようになっていった。現に志摩子を口説くときも、山百合会(生徒会)にとって必要だからと理由をつけることが必要だった。理由があれば断られてもそれほど傷つかずに済む。

■交錯する想い

そして作中、ついに祐巳にまで断られてしまう。

もうこの時点でボロボロなのだが、ここで先輩が助け舟を出す。祐巳をスールに出来れば学園祭の劇の主演を取り消してあげる。そして祐巳に対しても学園祭の劇に参加するように言い、とりあえず二人をそれなりの距離に近づけ、祥子と祐巳が自然な人間関係を構築する機会を与えている。

祥子はコミュニケーションに問題があった。言いたいことを言わずに内に秘めてしまったり、先のように自分の望みを実現するために何か別の理由をつけてしまったりすることだ。それをなんとかするには、やはり地道に人とコミュニケーションを取るしかない。

一方祐巳のほうも、憧れの上級生がそんなに都合よく自分を選ぶことを信じられないでいた。祥子があからさまな好意を見せても自分に自信を持てず、祥子が文化祭の劇の主演から降りるために自分をスールにしようとしていると思い続けていた。つまりこの二人の相性はこのままの状態では最悪だ。

そうこうしているうちに祐巳は祥子の弱い面を見つけ、祥子が困っていることに気づいて助けようと思うようになる。

■偽りの関係への恐怖

そして物語はクライマックスを迎える。学園祭に王子役としてやってきた柏木優が、祥子のことを婚約者だと明かし、祥子にキスをしようとする。しかし祥子は反発する。

なぜ祥子は柏木優とのキスをここまで嫌がったのか。祥子は柏木優のことが好きだったし、柏木優も祥子のことを形はどうあれ好きなのだし、そして何より二人は婚約している(子供の頃のいい加減な約束だけど)。しかし柏木優はハッキリと祥子の気持ちを拒絶していた。祥子にとって、中身のない形だけの関係というのは致命的なのだ。なぜなら自分の父親と母親の関係を想起させるからだ。

祥子の父親と母親は結婚している。しかし父親は外にも男を作っている。その事実から目を背けるために祥子は、結婚という形に異常にこだわるようになったのだろう。だから先の事実を、父親は外に女を作っている、しかし結婚しているのだから母親を一番愛している、と形重視で考えた。だからこそいまさら時代掛かった「婚約」などという制度を利用して柏木優を自分と結び付けようとした。形を用意してしまえば本物になる。しかしそれを柏木優はあっさりと裏切った。ここに祥子の不安定な精神の根がある。

このことがのちに志摩子や祐巳に対して形で迫るという、精神分析学の用語で言うところの反復強迫となって出ている。言い換えれば自己正当化だ。間違ったことを正当化しているので、いつまでたっても間違ったことをし続けてしまう。

■祐巳の論理

祥子はその場から逃げ出してしまい、そこへ祐巳が追いついてスールの関係を受託すると伝える。祐巳は自分が祥子の助けになろうとした。

なぜ祐巳はここで初めて受託しようとしたのか。祥子と十分関係を暖めていたので、いつでも受託しようと思えば出来たはずだ。祥子が本当に困っていたので助けようとしたからか。…いや本当にそうだろうか?

ここで問題のすり替えが行われていることに注意して欲しい。祥子を助けるために祐巳がスールを受託する。確かにこれだと一番簡単に問題が解決する。しかし他に解決方法があったのではないだろうか。祥子が本当に困っていることを皆が理解したのだから、スールがどうのということでなくても祥子を降板させてあげることだって出来たはずだ。そして何より重要なのは、こんなことでスールになったとしても祥子は納得するだろうか。

だからここには祐巳の意志が働いたと考えるのが正しいだろう。祥子と同様に祐巳もまた自分の意志を相手に伝えることに困難を感じていた。そこへちょうど祥子を助けるという目的が出来た。つまり祐巳がやったことは、祥子が志摩子を口説いたときに使った「山百合会に必要だから」と理由付けたことと同じなのだ。

■祥子が祐巳の申し出を断った理由

そこまで考えると、祥子がなぜそんな祐巳の申し出を逆に断ったのかが分からないだろうか。ここで一般的な解釈だと、祥子の負けず嫌いの性格が作用したからだとされている。確かにそれもあるだろうが、こんな重要なところで単なる負けず嫌いという理由だけで説明を終えてしまっていいのだろうか。

私は祥子が祐巳のすりかえに気づいたからだと考えている。人はなかなか自分の欠点に気づきにくいものだが、他人が自分と似たような欠点を持っているとすぐに気づく。祥子は祐巳が自分と同じ欠点を持っていることに気づいた。心の歪みというのは、分かることが回復につながるのだ。

そして、祐巳が口では自分を助けるためと言いつつ、本当は心から自分とスールの関係を持ちたいと考えていることもなんとなく分かった。しかしここで祐巳の申し出を受けてしまうと、二人は偽りによって説明される関係を持ってしまうことになる。たまたま部屋の前でぶつかった目の前の後輩にスールを申し込み、成り行きでゲームになって困っている目の前の先輩を助けるために受託したのでは、これから先ずっと相手の気持ちを疑い続けることになってしまう。だから祥子は学園祭が終わるのを待ったのだ。

■祥子は解決へ…祐巳は?

学園祭当日に祥子は柏木優の足を何度も踏んだと語った。決して口ではないところがかわいいし一歩踏み出した直後だということを物語っているわけだが、これまではっきりと示せなかった自分の意志、柏木優との今の関係への不満を示すことが出来るようになった。単なる負けず嫌いなら既に祥子に備わっていたことだ。そしてそのあと祥子はようやく祐巳と偶然や利害関係なしの関係を申し出ることが出来た。

祥子はこれまでの手ひどい拒絶の経験によりボロボロになっていて自分の気持ちを口に出来なかったのが、そして最強の世話焼きキャラであるはずの水野蓉子ですらどうにもできなかったことが、祐巳との関係によりやっと初めて一歩前進できたのだ。

そしてそれはあくまで祥子にとっての一歩なのであって、祐巳にとってはなんにもなっていないことに注目してもらいたい。つまりこの作品は実は祥子が主人公なのだ。祐巳はこのあと、ごんぎつねの話とかレイニーブルーなんかのエピソードでやっと前に進むが、それはまだまだ先のことである。

*

ところで私は最近の巻の瞳子の心がいまいちよく分からない。瞳子の生い立ちについてとか、期待と解放で気持ちが二回大揺れしたことまでは分かるのだが、それを祐巳と結び付けようとすると難しい。特になぜ瞳子は選挙でわざと負けようとしたのか(これは乃梨子の推測だが)。わざとみじめになって、そんな瞳子に祐巳が同情してこないことを確認することで、以前祐巳が瞳子をスールにすると言ったことが同情からではないことを証明したかったのだろうか。しかしこの説を補強するような描写が全然見つからない。


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gomi@din.or.jp