152. IT戦記3 その後 (2007/4/15)


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前回までの話を読んでいないと今回の話は意味がないので先にそちらを読んでほしい。

あるとき日ハムさんから飲み会のメールが届いた。プロジェクトがようやく一区切りついたので、お客さんの担当者と一緒に飲みに行こうというのだ。正直驚いた。私はそのプロジェクトから追い出されるようにフェードアウトしていった人間だし、そのお客さんの担当者とは最後嫌な思い出を残しているので、普通に考えれば私がその飲み会にいく理由はなかった。しかし隅っこのほうでおとなしく話を聞いているだけなら何か面白いことが聞けるかもしれないと思って、好奇心に勝てずに出席のメールを送ったのだった。

■戦慄のインビテーション

前日ギリギリになって詳しい場所と時間の書かれた案内メールが送られてきた。お客さんの担当者からだった。いちいち書くのもめんどいのでこの人をCさんと記号を振ることにする。Cさんから直接案内のメールが来たことにまず驚いたが、それよりも出席者がCさんと私と日ハムさんとマタンゴさんと見栄春さんの五人だけだという事実に、これマジヤバいんじゃないかと背筋をなんともいえないものが走った。

おさらいをすると、私がプロジェクトを退いた一番の理由は、少人数での打ち合わせのときにCさんからタメ口で罵倒され、それをさらにそのあと見栄春さんから説教されて私がキレた事件があったからである。そして日ハムさんとマタンゴさんは私の後輩でそれぞれ優秀だ。下手をしたら後輩の前で何か言われるんじゃないか。とは全く思わなかったし、実のところもうプロジェクトとは一切関係ないことだし思いっきりキレてやろうかと思わなくもなかったが、正直なところ何がどうなるか予想できずにドキドキしたといったところだったろうか。

ちなみにプロジェクトマネージャだった志村部長は退職していたし、彼に振り回されて手伝わされていた年の近い関西人の知り合いは大阪に異動、若健さんとは依然音信不通、矢作さんとも連絡がついたかどうか、つまりプロジェクトの他の主要メンバーは軒並み欠席していて、そのなかで見栄春さんが出席の返事をしたことをあっぱれに思わなくもなかった。黒タイさんは新幹線で毎日静岡を往復していて忙しくて出席できなかったとのことだ。キューピーさんもプロジェクトから外れており、彼は多分Cさんが嫌だし利害関係が無くなっていたから来なかったのだと思う。

■道化のカプリース

時間五分前に店に着くとまだ誰も来ていなかった。しょうがないので週刊誌を読みつつ待っていると、時間ギリギリぐらいにマタンゴさんが登場した。見慣れない小さくて細い黒縁メガネを掛けていたが、ほかに変わったところはない。思いがけない状況で後輩の女性とツーショットになった。とおもったら最近のプロジェクトの様子を少しだけ聞き出しているうちにCさんがやってきた。ヘンなスリーショットになったものだと思った。早く日ハムさんが来てくれないかと願ったが、彼はなかなかやってこなかった。

日ハムさんが遅れているのはどうやらCさんが当日になって綿密なテストを要求したからで、それをCさんは自ら臆面もなく明かした。こういう飲み会の日ぐらい都合つけるなりなんなりすればいいのにと思ったがそれは口に出さなかった。

マタンゴさんは外交的ではあるのだが、声が小さくまたこういう場で積極的に話をするタイプではない。一方Cさんはというと、こういう場で差し向かって話したことがなく未知数で、ちょっと様子を見てもそんなに自分からペラペラしゃべるタイプではないみたいだった。正直私はこの二人が何か勝手に喋りだすのを待ってそれを黙って聞いていたかったので、話を振るだけ振ってあとは放っておこうとしたのだが、それが逆に話の主導権を握ることになってしまい、気がついたら会話が途切れるのを恐れて私がペラペラしゃべりまくっていた。席も悪かったのだろう。私と向かい合わせに二人が並んでいた。

Cさんは同志社卒とのことだった。それを聞いて私は「あーうちの父親と同じだ。土井たか子が先輩だって自慢してた」と少々ふざけた口調で言った。ラグビーが強いとか言って持ち上げることも出来たとあとで考えたがそのときはまったく思い至らなかった。適度に酔いがまわっていてどうでもよくなっていたのだろう。マタンゴさんが京大卒でCさんと大学が近いということで二人は大学についての話をした。この二人の仕事と関係ない数少ない話題がこれだ。Cさんが京大に何かで尋ねていったときに、どこそこの食堂はマズくてしょうがなかったという話をしたら、あそこは評判が悪すぎて自分は興味本位でも行ったことがないとマタンゴさんが言った。

■会社的マゾヒズム

私が話したのは、うちの会社のどちらかといえば恥ずかしい様子である。

矢作さんがある日めっちゃ怒られてヘコんでいた話をした。金の話をしたいと言って席を設けたのに矢作さん一人だけで営業も管理職も来ないのはどういうことだと怒られたという話だ。するとCさんが言うには、その場で怒ったのはCさんの上司の課長さんだったとのことだが、Cさんから見てもなぜこのタイミングで課長が怒るのかよく分からなかったらしい。大した話ではないが意外なことが聞けた。この課長は郷ひろみのように痩せていて濃い顔立ちをしたハンサムな人で、お客さん側にしては道理のあることばかり言ってくれてこちらも助かっていたほどの良識派だったので、なおさら矢作さんがヘコんだのかもしれない。私がふざけて「バーに行きそうな人」と言ったら本当にその通りらしい。

黒タイさんには悪いが黒タイさんの面白おかしい話をお客さんであるCさんの前でマタンゴさんと二人で調子あわせて話してしまった。データモデルの三角形に閉じ込められてデータの入った箱を右から左へ移動させる夢を毎日見ていた、なんていう話はしないほうがもったいない。恨むならこの場にいなかった自分を恨むがよろしい。荒れて通行人に絡んだ話なんかもしておいた。どれもCさんにはウケが良かった。

マタンゴさんには転職を勧めておいた。お客さんの前で。でも彼女は転職する気はさしあたってないらしい。まったくいらぬ邪推をすると、彼女の場合外見も喋りも一般ウケしなさそうなので、その点今の会社に対してそれなりに忠誠心を持っているのかもしれない。いやまったくいらない邪推だったか。

■できそこないのゴッドファーザー

見栄春さんはいつまでたっても来なかった。そこで私は見栄春さんの話もした。

黒タイさんと見栄春さんの仲が悪いことは、Cさんの目から見ても明らかだったらしい。「それってうちの会社的にダメじゃん」と私はマタンゴさんに笑い掛けた。外部との交渉のときにこちらが一枚岩でないことが分かってしまうのは良くないことだ。それは私と見栄春さんについても言える。

ところで私はプロジェクト中に黒タイさんに好きな映画は何かという質問をしたとき、彼は「ゴッドファーザー」を挙げていた。あとでこの映画を見てみると、麻薬取引を持ちかけてきた男を相手にファミリーが一枚岩でないことを見せてしまったことが原因となってドンが撃たれてしまうという筋書きがあった。なんだかなあと思った。ついでに言うと黒タイさんは、自分の娘の名前をつけるときにも相手に主導権を奪われてしまい、いまだに自分の娘のことを名前で呼ばず「子供」と呼んでいるのだから世話がない。一応解説しておくと、ゴッドファーザーとはイタリアのマフィアのボスという意味だが、元々は名付け親という意味から派生している。いま思うとこれは彼の高度な冗談なのかもしれないが、念のため一応「本当にこれが一番好きな映画なんですか」と聞いたら、何を言っているのか分からないといった顔で「なんで?そうだよ」と言っていた。

会話がもたないという理由もあって私はCさんの前で、かつてCさんに罵倒された話とそのあと見栄春さんにも説教かまされてキレたという話もしておいた。まさか当人を前にこの話をすることになるとは一年前では考えられなかったことだが、今の私にとってはどうでもいい話だった。またはそう思いたいだけかもしれない。でも年をとるとほんと色んなことがどうでもよくなってくる。

■上層部のアフターワード

志村部長はおそらく大赤字の責任を取って退社したのだと言われているが、それでも部でお別れ会が開かれたらしい。私はプロジェクトから外れていたし部が違ったので呼ばれなかったので、志村部長の去り際についてマタンゴさんに聞いてみた。志村部長はいつか私に「小説家になる」と言っていたが本当かと尋ねたら、それは冗談だろうということだった。

いまプロジェクトでは、お客さんの会社のほうでまたコンサルタントを入れて、せっかく作ったシステムをこれからどう応用していくかという検討を始めているらしい。いままで沢山苦労してきたがこれからの一年は面白くなりますよ、とCさんはマタンゴさんに言っていた。うまくいくんだろうかと疑問に思った私は、源さんはいまどうしているのか聞いてみた。源さんもプロジェクトから外れたらしい。「源さんもいたら面白かったのに」と私が言ったら、冗談が通じたのか通じなかったのか「どうしてですか。何を期待しているんですか」とCさんが言った。私としてはまた源さんが色々ぶちあげてコンサルタントを困らせていればいいなと思ったのである。残念。

源さんがお客さんの事務所のトイレで陰口を言われていたことをCさんに言ったがあまり反応は無かった。Cさんは以前源さんを悪く言っていたので拍子抜けした。

■日ハムさん

日ハムさんが棒切れのような体型にこげ茶色の幾何学的にカッチリしたコートを着て登場したのは時間15分前くらいだった。結局店を変えて飲みなおしたのだけれど。

日ハムさんの腹が満たされた頃合で解散の運びとなった。帰途で次々と別れていき、最後に私は日ハムさんと二人になったので、あの場で聞けなかったことを彼にいくつか聞いてみた。

今回の集まりを呼びかけたのはCさんらしい。Cさんに言われて日ハムさんが声を掛けたという次第だった。

これからのこのプロジェクトはうちの側は日ハムさんとマタンゴさんで仕切っていくらしい。一応プロジェクトマネージャとして駄洒落さんが引き継いではいたが、現場ではこれからこの集まりの私を除いた三人でやっていくとのことだった。見栄春さんや黒タイさんは選から漏れたらしい。どうしてなのか気になって聞いてみたら、Cさんの指名があったからなのだそうだ。Cさんにとって日ハムさんとマタンゴさんは年下だから付き合いやすいのだろうと思った。

黒タイさんは途中でプロジェクトを抜ける形になったのだが、去り際に何度も日ハムさんに謝ったらしい。責任感のあるところはいかにも彼らしい。日ハムさんはスポーツマンだからなのかそれとも彼自身の気質なのか知らないが、仕事に対してほとんど愚痴を言わずさっぱりしていた。私は日ハムさんには謝罪のたぐいは一切しなかった。多分私も彼に迷惑を掛けた一人だろうから、何か言っておいたほうがよかったかと思わなくもないが、あまりそういう気分にはならなかった。気分の問題なのかと言われたら困るが、そういうものだと思う。

■なりゆき

というわけでプロジェクト自体に関する目新しい話はほとんど聞けなかった。

システムは思っていたより順調に動いているようである。特に検索が思った以上に速くて驚いたとCさんが言っていた。そりゃまあ検索が速くなるようにデータモデルを作ってあるので当然と言えば当然だ。私は更新のほうがどうなっているのか非常に気になったが、その問いは自分の胸に閉まっておいた。うまくいっているのならそれはそれで自分が抜けたあとにちゃんとやってくれたという意味でよかったというか残念というかいやいや本当に良かった心からみたいな感じなのだけど、本格的に運用を始めたときに本当に大丈夫なのか怖くてそれ以上聞く気がしなかったというのも本音である。


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gomi@din.or.jp